鳥居喜代和氏のこと 2009年9月14日

の12年8カ月の間、毎週欠かさず直言を更新するなかで、個人名を題に掲げて語ったときが何度かある。「沼田稲次郎先生のこと」、「芦部信喜先生のこと」、「久田栄正先生没後10年」、「鎌田定夫氏との『出会いの最大瞬間風速』」、そして「追悼ハインツ・シュミット」。すべて故人である。今回は例外的に、今、病とたたかっている、私とほぼ同世代の人物について語る。その人物とは、札幌学院大学法学部元教授の鳥居喜代和氏である。

今から25年前、「北の大地に根ざした法学部を創る」という理念のもと、全国各地の大学から新たに着任した若手助教授は、実に個性的な人々だった。鳥居氏と私のほか、白取祐司(刑訴法、現・北海道大教授)、千葉恵美子(民法、現・名古屋大学教授)、池野千白(商法、現・中京大学教授)、藪利和(日本法制史、死去)。さらに、白藤博行(行政法、現・専修大学教授)、原強(民訴法、現・上智大学教授)、伊藤知義(比較法、現・中央大学教授)といった面々と一緒に、荘子邦雄学部長(刑法、東北大学名誉教授)のもと、30代前半の時期を、生き生きと仕事することができた。教育面については、「若き日の体験的教育論」でも触れたところである。

鳥居氏は11年前、父母懇談会の席上、脳出血で倒れ、その後闘病生活を続けていた。札幌東労働基準監督署により労災認定がなされ、「大学教員の労災認定として画期的」とされている。

私は北海道で講演があるおりには、彼の家を訪れ、見舞ってきた。話をしたり、ものを書くことはできないが、リハビリの成果で新聞の記事などをノートに書き写すことができるところまで回復してきた。2006年に妻と訪問したときは、杖をついて玄関まで見送りに出てくれたほどだった。しかし、2007年秋、再度の脳出血で寝たきりの状態になった。そうしたなかで、論文集の企画が持ち上がり、私もこれに関わることになったわけである(後掲・「はしがき」「あとがき」参照)。

2009年9月1日、『憲法的価値の創造——生存権を中心として』(日本評論社)が無事出版された。これを直接手渡すべく、9月5日、日本評論社取締役の串崎浩氏と二人で札幌に向かった。

豊平区の病院のホールで、元同僚たちと家族が見守るなか、500頁の大著を、その著者の手の上にのせた。目を薄くあけるだけで、直接の反応はない。だが、私が耳元で、この本の意味を彼に語り始めると反応があらわれた。

90年前にワイマール憲法ができて、社会権、生存権が憲法の世界に普及していく。若い頃、彼は、そのワイマール憲法の草案段階の議論に関心をもち、論文を次々書いていった。おりしも、日本では、自民党政権の末期に政局的な観点からの「バラまき」の傾きが生まれてきた。給付の世界で混乱も起きはじめている。民主党政権ができて、社会権分野の問題について、より深い、原理的な考察に裏打ちされた議論が求められている。《そうした転換期にあたって、君がやってきた仕事には、参考になる点がたくさんある。この本が「いま」世に出る意味はすごくあるよ》と熱く語りかけた。彼の目が大きく、大きく開いていくのを、私だけでなく、立ち会った人々も確認することができた。

私は確信した。彼は私の話の内容をわかっている、と。だから、分厚い本を頬にあて、「おい、500頁もあるぞ。重いぞ」というと、顔が赤く紅潮したし、背表紙の名前の部分を目に近づけ、「単著だぞ。鳥居喜代和としか書いていないぞ」というと、目が大きく開いたのである。

人間の可能性は無限である。脳死した人が生き返ることもある。性急に脳死を人の死とする臓器移植法A案には問題が多すぎる。人間の可能性、それを信じる家族。それにプレッシャーをかけるようなことがあってはならない。

鳥居氏が、ワイマール憲法90周年の今年に、若き日のワイマール憲法研究を含む著作を公刊するのは意義深い。彼はいま生きている。そして憲法研究者として、単著を世に問うたわけである。私は、彼が奇跡的に復活し、以前のように憲法問題について熱く語り合うときがくることを信じている。

以下、鳥居喜代和著『憲法的価値の創造——生存権を中心として』(日本評論社)の「はしがき」(水島朝穂執筆)と、「あとがき」(鳥居美門、真希執筆)、その目次を、ここに転載することにしたい。本書の購入を希望される方は、末尾にある連絡先からお願いします。


鳥居喜代和氏の憲法学について


本書は、札幌学院大学法学部元教授・鳥居喜代和氏の初の論文集である。鳥居氏は、家族の「あとがき」にあるような事情で、10年以上もの長期にわたり、病の床に伏している。言葉を発することも、また筆をとることもできない。このような状態になる前に、彼は自身で論文集の刊行の準備をすすめていたという。この度、その彼になりかわって、かつての同僚だった私が収録論文を選定し、章立てを試みた。おそらく、自身には独自の計画があり、書き下ろしを加えて複数冊を出版する予定だったとも推察されるが、前述の事情により、このような章立てにさせて頂いた。注・表記の統一や明らかな誤植を除き、初出段階の論稿をそのままの形で収録した。彼自身の構想や美学に反するところもあるとは思うが、彼は私の選択と判断を許してくれるものと信ずる。

鳥居氏と私は、ちょうど4分の1世紀前、1984年4月に新設された札幌学院大学法学部に、憲法担当の助教授として赴任した。ともに初めての就職だった。「北の大地に根ざした法学部を創る」という理想と思いを胸に抱きながら、30代前半をともに全力で駆け抜けた。その記憶は、北海道の美しい自然や人々の温もりとともに、私の心に今も鮮明に蘇ってくる。

彼と私とは、研究スタイルや教育実践(方法)がかなり異なるため、時には意見が対立することもあった。だが、少し年上で温厚な性格の彼の方が、自らを抑制して私を自由に泳がしてくれていたように思う。いまも感謝の気持ちでいっぱいである。

研究面では、多忙な校務のなか、お互いに励ましあいながら仕事を続けた。「今、こんなことを考えているんだ」といって、あの独特のはにかんだ表情で、当時の最新ワープロ機種、富士通オアシス100F(親指シフトキーボード)で書いた草稿を見せてくれるのだった。彼の影響で、私もすぐにオアシス100シリーズを導入。以来「親指シフター」になって25年になる。このように書いてくると、さまざまな思い出が次々に去来し、論文集の「はしがき」に必要な客観的叙述が困難になるおそれもあるので、このくらいにしておこう。

鳥居氏の憲法研究は、立命館大学大学院において、故・山下健次教授の指導のもと、ドイツ・ワイマール憲法の研究、とりわけフーゴー・プロイスの研究から始まった。山下教授には『人権規定の法的性格(現代法学者著作集)』(三省堂)があり、その堅実で誠実な人と学問の影響を受けて、鳥居氏のワイマール憲法研究の手法も実に堅実なものだった。第1部第1章は、フーゴー・プロイスの1917年憲法草案と19年憲法草案とを比較しながら、ワイマール憲法制定過程における大統領制の多面的ありように光をあてようとしたものである。鳥居氏によれば、プロイスは予定調和の姿勢をとり、均衡体制の合理化をめざしたが、実際の憲法は、大統領権限の強化の方向で規範化がなされ、それがプレビシット的に運用されていくことになる。鳥居氏は、制定過程におけるプロイスの役割を丹念に追いながら、ワイマール憲法のなかに沈殿せる複雑な要素を、大統領観の対立を軸に浮き彫りにしていく。この手法は、プロイスの主権概念否認論を素材として発展していく芽も見られたが、未完に終わっている(第2章)。また、プロイスの基本権論の検討も、憲法裁判の検証にさしかかったところで止まっている(第3章)。もし自ら論文集を編んだならば、プロイス研究の最新の成果を盛り込みつつ、このテーマでのより深めた論稿が誕生したであろう。今回、本当に久しぶりに若き日の作品を通読してみて、彼の問題意識が、その後の生存権研究などを奥深いところで支えていることを感じた次第である。

鳥居氏が憲法研究者として最も力を注いだのは、そして、もし病に倒れることがなければ、それだけで一冊を書き上げたであろうところのテーマが、生存権論である。

年金訴訟における憲法25条論について、とりわけ憲法25条1項・2項峻別論を対象として、その問題性を掘り下げた作品は院生時代の力作である(第2部第1章)。そこには、彼らしい解釈論的手法と特徴がよく出ているように思う。また、年金訴訟における憲法判断枠組の位相を分析した論稿(第3章)は、25条(生存権)と14条(平等原則)との「交錯」の問題に、当時の判例の展開を踏まえて切り込んでいる。その後、この分野では学説も発展している。もし鳥居氏が現役でいたならば、年金をめぐる新たな社会状況をにらみつつ、年金訴訟の憲法論についての、彼の問題提起を聞くことができたのに、と惜しまれてならない。

鳥居氏の憲法学のもう一つの柱が「法人の人権」や経済的自由の問題である。「法人の基本権能力」に関する論稿(第3部第1章)は、ドイツの当時最新の学説を踏まえ、ドイツ基本法19条3項が、連邦憲法裁判所への憲法異議(訴願)の提訴権のところで「実定法的な根拠」をもつことを明確にしながら、安易な「法人の人権」論と一線を画する。文章にも勢いのあるこの論稿は、ドイツ・フライブルク大学での在外研究の成果であり、最もあぶらが乗った時期の作品といえる。なお、この論文は、樋口陽一『国法学』(有斐閣)や、木下智史『人権総論の再検討』(日本評論社)に参照・引用されている。

経済的自由の問題では、財産権二分論などの初期の議論を整理して論じている(第3部第3、4章)。その後、財産権論は新たな視角と問題意識のもとに展開しており(例えば、中島徹『財産権の領分』日本評論社など)、鳥居氏ならばこの学説展開のなかで、どのように応答したか、是非とも聞きてみたい。

鳥居氏の問題関心は、「団体の権利と構成員の権利」のテーマにも向かっていた。「結社の自由」論については、破壊活動防止法という結社規制的な方向(第4部第1章)と、NPOや公共圏の担い手としての結社といった積極的位置づけを含む方向とからアプローチしている。これはすぐれて現代的な研究といえる。

彼は京都の生活が長かったこともあって、寺社の抱える問題には特別の関心を抱いてきた。札幌学院大時代、京都に学会などでいくたびに、彼の宗教に関する蘊蓄(うんちく)を聞かされたものである。とりわけ、京都市古都保存協力税条例については強い関心と意見をもち、「信教の自由の盲点」として切り込んでいる(第5部第1章)。宗教的文化財の鑑賞と課税というテーマは、実に微妙な問題を含む。鳥居氏は仏教界への理解を示しつつ、憲法論として検討している。平和的生存権(第2章)や皇位の継承(第4 章)についても論じているが、ここでは立ち入らない。

鳥居氏の憲法研究の特徴を一言でいえば、憲法解釈論への強い関心である。あまり論じられていない問題や、ちょっとした法的盲点などを見つけると、いかにもうれしいという表情をしながら、憲法解釈論上の論点について語りだす。そんな彼が書きつづった作品の数々を、記録として世に残したいと思う。

本書出版のきっかけは、中国の汕頭大学で教鞭をとっておられた鈴木敬夫氏(札幌学院大学名誉教授)からの手紙で、ご家族の意向を受けて、論文集を出版できないかという相談だった。すぐに日本評論社取締役・法律編集部長の串崎浩氏に電話したところ、快く出版を引き受けていただいた。札幌学院大学職員(法学部教務課)だった串崎氏とは、学生の教育から各種のトラブルの処理に至るまで、教員・職員という関係を超えて、苦労をともにした。鳥居・串崎両氏と私の三人で、深夜まで困難な学内問題の対応に奔走したことが、昨日のように思い出される。

6月20日、札幌での講演の帰途、鳥居氏を見舞った。耳元で、論文集の「はしがき」を執筆しようとしていることを告げると、顔が突然紅潮したのには驚いた。札幌学院大学在職中、家族ぐるみでお付き合いした奥様と娘さんの「あとがき」には思わず涙腺がゆるんだ。本書の発刊によって、鳥居氏が奇跡的に回復することをお祈りしたい。また本書への共訳の転載を許可いただいた福島大学副学長の中井勝巳氏にお礼申し上げたい。最後に鈴木氏のご厚情、串崎氏の友情に心からの感謝の意を表して、筆をおく。

2009年6月23日
早稲田大学法学学術院教授 水島朝穂


あとがき


よかったね、お父さん。本当に嬉しいね。

病院のベッドに行儀良く横になっている夫の耳元で、送られてきた校正中の目次を声に出して読んでみる。薄目を開けて聞いている。絶対、聞いている。音楽に浸っているときとは目の色が違うもの。

中国から帰国された折に、鈴木敬夫先生が夫を見舞ってくださったのは、2008年の夏のことでした。鳥居は前年の9月に再度の脳出血に見舞われ、全身麻痺と意識障害で入院中。お話をする中で、論文集を作るべきだとのアドバイスをいただき、私は目が覚める思いでした。聞こえていると信じて、毎日病室で夫の好きな音楽を流しながら、他にも何か本人の喜ぶ事は出来ないものかと思案していたところだったのです。

本当にこれ以上のことはないと思いつつ、具体化の算段が出来ぬまま時が過ぎるばかりのある日、今度は、早稲田大学の水島朝穂先生から、日本評論社の串崎浩氏と共に出版に力を貸してくださるとの電話をいただきました。鈴木先生が手紙で依頼してくださったのです。それからは何もかもお任せすることになりました。

今、こうして鳥居の論文集を手にできるのは、この三人の方々のお蔭です。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

原稿を用意する段階で、鳥居の書いたものをすべて集めるのは大変な作業かと思ったのですが、その心配は無用でした。1998年に倒れる前に、自分の論文を全部ファイルに纏めていたのです。論文だけでなく講義のレジュメもきちんと整理してありました。この時を待っていたよと言わんばかりに。

お父さん、本当によかったね。でも、これで思い残すことはないなんて、さっさとおさらばしないでくださいね。まだまだ先行き気がかりな縁者が(その筆頭は娘と私だと信じていますが)あなたの周りにたくさんいるのですから。

鳥居美門


娘の私も一筆書かせていただくことになりました。

私はろくに父の見舞いも行かない不精者ですが、決して父を軽んじてそうしているわけではないのです。いい年をして子供っぽいかもしれませんが、未だに尊敬する人は? という問いの答えは「父」なのですから。大学教授、論文を多数発表、志半ばにして脳出血後遺症で退職……こんなことを言っては罰が当たるかもしれませんが、なんてカッコいいのでしょう。

そう、大学教授という職業は、素人目にかなり格好良く見えるのです。「先生」と「研究者」を兼ね備えた魅力的な職業。私も20歳そこそこの頃に、一時その職を目指したのですが、よく考えてみるとそれは父のかつての姿に憧れていただけなのです。

しかしそんな私も、実際父が教授として一体何をしていたのか、実はまったく知りません。ただ偉そうに講義をしていただけではないとは思いますが、異分野の私には想像しがたいところです。

よって今回の論文集は、父の業績がどのようなものか、どのくらいあるのかが一目でわかる、私にとってはまたとない素敵な一品であると思っています。名ばかりではなく実もあるぞ、というところをぜひとも父に見せてもらわなくては。

出版に携わってくださった先生方、父のしてきたことを形にしていただき、本当にありがとうございます。

さて父上、随分ご無沙汰しておりますが、そろそろ病院に顔を出して「出版おめでとう」の一言でもかけないとね。

鳥居真希


《付記》

『憲法的価値の創造』は、通常の販売方法をとらないため一般書店ではお求めになれません。下記の日本評論社アドレスまたは電話番号に、直接注文してください。

03-3987-8592 または kushi@nippyo.co.jp (担当・串崎)

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