雑談(86)音楽よもやま話(16)追悼音楽 2011年6月27日

しぶりに「雑談」シリーズをお送りする。まずは「音楽よもやま話」から。前回は「奉祝音楽」について書いたその2カ月後に大震災が起きた。今回は「追悼音楽」である。

私が会長をしている早稲田大学フィルハーモニー管絃楽団(早稲フィル)は、3月19日の卒団コンサートを中止した。余震と交通機関の乱れ、「計画節電」という状況のなか、当時の卒業生にはつらい選択をしてもらった。5月22日の第64回定期演奏会(めぐろパーシモンホール)は、震災の影響で練習場所の確保もままならないという状況下で、団員一丸となってがんばり、大成功だった。曲目はエロールの歌劇《ザンバ》序曲、メンデルスゾーンの劇付随音楽《真夏の夜の夢》作品61から4曲、メインはリムスキー=コルサコフの交響組曲《シェヘラザード》作品35だった。指揮は松岡究氏である。

震災後初のコンサートになるので、「冒頭で何かプログラム外の曲をやったらどうか」と幹事長(インスペクター)の小野洋奈さんに提案したところ、すでに学生たちで独自に考えているとのことだった。当日まで曲目は秘密だというので、私はパンフレットの会長挨拶のなかで次のように書いた。

「…3月11日の東日本大震災は、この国のみならず、世界にも大きな影響を与えています。震災で亡くなられた方、被災された方に、心からお見舞い申し上げます。早稲フィルも、余震や「計画停電」のなか、3月19日の卒団コンサートを中止しました。大変な時代になりました。復興に向けて、膨大な時間と努力を必要とします。そのとき、オーケストラに何ができるのだろうかと考えたとき、それは音楽を通じて人々の心に光をともし続けることではないかと思います。そのような思いと決意を込めて、冒頭、プログラムにない曲を特別に演奏いたします。これは、団員が自主的に考えたものです。…」

演奏会当日、会場に着くと、冒頭に演奏する曲は「G線上のアリア」とわかった。ヨハン・セバスティアン・バッハの管弦楽組曲第3番ニ長調(BWV1068)の第2楽章。ヴァイオリンの弦には、E線、A線、D線、G線の4本ある。そのうちで最も低い音のG線(ゲーセン)だけで演奏できる曲という意味で、「G線上のアリア」といわれる。本音を言えば、学生オケらしく、もう少しひねった曲を期待していたのだが、この状況における選曲としては、順当、真っ当、かつ穏当であった。

開演前の最後の練習を聴いた。まったく心がこもっていなかった。そこで、卒団コンサート中止の経緯もあるので、指揮台でマイクを握り、一言挨拶させてもらった。そのなかで、「この曲を聴くのは、目の前にいる聴衆だけではない。その背後に幾万もの亡くなった方々がいる。それをしっかり心にとめて演奏してほしい」と述べた。

弦楽パートの選抜メンバーがステージにあがり、指揮者が聴衆に「拍手はなし」を求めて静かに演奏が始まった。練習とは一変していた。ニューイヤーコンサートなど、いざという時の学生たちの集中力にはこれまでも驚かされてきたが、それがここでも発揮された。うれしかった。

第一ヴァイオリンの男子学生(2年生)は、「震災で犠牲になった方々のために、『離れていても心は一つ』という思いで一心に弾きました」と後に語っていた。聴衆の反応もよく、「冒頭のアリアは感動的でした」「開演に先立って災害被害者への鎮魂演奏は良い企画だ」等々の感想が寄せられたほか、「冒頭のアリア。被災した一人として心にしみました」というものもあった(「第64回定期演奏会アンケート集計結果」より)。

東日本大震災後に行われたコンサートでは、それぞれの楽団が、追悼音楽を冒頭に演奏したようである。「G線上のアリア」が比較的多く演奏されたようだが、なかにはベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調を演奏したところもあった。

3月26日、ドイツのデュッセルドルフにおけるチャリティコンサート(佐渡裕指揮のデュッセルドルフ交響楽団ほか)で、「日本人を勇気づけるコンサート」という趣旨から、「第9」が選ばれた。NHKのBSプレミアムで、佐渡とベルリンフィルのリハーサルをみたが、そのなかで、当該コンサートのシーンが少しだけ出てきた。第4楽章「歓喜の歌」には、「すべての人々は兄弟となる(Alle Menschen werden Brüder)」とあるので、その「絆」の部分に着目したようである。コンサートの動画には、「日本連帯コンサート」(Solidaritätskonzert Japan)とあり、終了後、拍手なしで、全員で黙祷をする場面も入っている。

人間の死と音楽の関係では、「マタイ受難曲」や、映画「おくりびと」などについて、この直言でも触れたことがある。個人的な話で恐縮だが、梅雨の季節になると、いつも必ず聴く曲がある。高田三郎の合唱組曲「心の四季」である合唱組曲「水のいのち」も有名だが、父は生前、自分の葬儀には僧侶を呼ばず、「心の四季」第1曲の「風が」を流すようにと家族に言っていた。

6月25日は、その父の23回忌だった。22年前、父の葬儀で、この曲をバックに挨拶したことを思いだす。以来、「心の四季」は、この季節になると必ず聴いてきた。父は59歳で急逝したが、あと10カ月で私も父の年齢になる。

私の人生のなかで、音楽は重要な位置を占める。自らの「究極のながら音楽」については、ブルックナーの交響曲第7番第2楽章を考えている。その上で、高田三郎の「心の四季」から、父とは異なり、終曲の「真昼の星」も選んである
   6年前、この「ながら音楽」の直言を読まれた毛利裕昭先生(商学部。早稲フィル前会長)が在外研究で日本を離れるということで、私に会長就任を打診してきた。時が過ぎるのは早いものである。

次回の定期演奏会は、ラヴェルの管弦楽組曲「マ・メール・ロア」など、オール・フランスものを予定している(12月11日〔日〕1時、大宮ソニックシティ大ホール)。

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