空転と節電の国会――会期延長8日目の風景 2011年7月4日

年この時期、1年導入演習(水島1年ゼミ)の学生を連れて、霞が関と永田町をまわる。コースは、東京地裁での刑事裁判傍聴、参議院見学、参議院議員会館での議員の話、裁判官弾劾裁判所の見学である。終了後は高田馬場でゼミコンパになる。
   6月30日も、午前中の講義を終えて12時半に学生たちと大学を出発した。コンパが終了したとき、20時半になっていた。この「8時間ワーク」は、今年で14回目となる(1999年はドイツ在外研究でなし)。定年まであと11回、体力が続く限り毎年続けたいと思っている。

これまで「直言」では、永田町周辺をさまざまに描写してきた。「国会へ行こう」という私的案内を掲載したこともある政権交代前日(2009年8月30日)の国会議事堂の様子や、昨年10月、外壁を化粧直し中の「灰色の国会」も紹介した。去年は「113年間で最も暑い夏」と言われたが、「気象と政治の異常」というタイトル(2010年9月6日付)で国会について書いた。今年も暑くなりそうである。加えて、東日本大震災の影響で「節電の夏」である。

学生たちと見学した今年の参議院は異様に静かだった。そして暗かった。これまで何度も来ているが、ここまで暗かったことはない。本会議場に入ると、すべての照明が切られているので、天窓からの自然の光だけが頼りである。「短時間でも点灯できませんか」と私が言うと、案内の衛視は「節電のため、照明をつけると怒られるのです」と答えた。「怒られる」という言葉が妙に耳に残った。節電の目的はいいとしても、せっかく見学に来ているのに、本会場が十分に見られないというのは行き過ぎではないか。学生たちは手元のパンフレットで、議長席の上にある見事な木彫りや壁面の模様などを想像するしかなかった。

参議院の見どころは他にいくつもある。国会内の郵便ポストや「御休所」、中央広間の四方の壁の絵、大隈重信の像等々。毎回、衛視がていねいに説明してくれたし、議事堂の庭に出ると、そこに広がる都道府県の木などについてもきちんと教えてくれたものである。だが、今年の衛視はただ黙って歩くだけ。ごくたまにしか説明をしない。「エッ、ここで説明しないの」と私はイラついてきた。彼の立場を尊重して、私は学生に説明をしないでいるので、大切なところをどんどんスルーしていく。政府や国会議員が政局にうつつを抜かしていると、衛視までが手抜きをするのだろうか。結局、1時間はたっぷりかけるところを、わずか40分で外に出されてしまった。もちろん、学生たちはそんなことを知る由もない。国会初体験が圧倒的に多いというので、それなりに満足したようである。だが、私は、開会中にもかかわらず、あまりに静かな国会に違和感を覚えた。その時の気分を志賀直哉『城の崎にて』風に描写すればこうなる。「国会は蜂の死骸のように暗く、静かだった。議員らしき人物と誰一人すれ違うこともなかった。淋しかった。しかし、それは如何にも静かだった」。

かつて貴族院だった頃、見学するにも特別の傍聴券が必要だったが、いまでは誰でも見学できる。午前8時から4時までの間に参観受付窓口に申し込めばよい。ただ、「節電」は仕方ないとしても、本会議場は見学のメインである。そこに見学者がいる時だけでも照明をつけるような配慮が必要ではないか。参議院当局には、早急な改善を求めたい。

今年は裁判傍聴の関係で、弾劾裁判所見学の時間がとれなかった。他方、国会空転のおかげで、参議院議員会館で、山内徳信参議院議員の話をたっぷりうかがうことができた。入口の案内板には、「早大水島ゼミ憲法学習会」と出ていた。質疑応答も含め、90分という充実した時間を過ごすことができた。
   議員会館では、廊下やロビーにまだ人はいたが、それでもいつもよりずっと少ない。「どうしてしまったの、国会よ」というほどの静けさだった。

第177国会は、6月22日に会期末を迎えた。当日、70日間の会期延長が行われた。延長幅は90日→120日→50日→70日と「三転四転」し、直前に70日と決まった。この数字は、震災対策のための施策や法案審議の必要性から出てきた数字とはとうてい言えない。「首相延命策」「宰相不幸社会」という激しい批判が出てくる所以である(『読売新聞』6月23日付社説)。
   加えて、24日、菅直人首相は、閣内はもとより、民主党執行部の合意も得ないで、奔放な人事を行った。自民党参院議員を政務官に引き抜くという荒技まで行い、国会審議は完全にストップした。私が学生たちと参議院見学したのは、延長国会の8日目だった。6月2日に菅内閣不信任決議案が否決して1カ月が経過した。「辞任を表明した首相が辞めない」とメディアが騒ぐ不思議な状況が続いている。政治的、道義的にはともかく、憲法上は不信任決議案が否決された以上、内閣が総辞職する必要はない。いいかげん「辞めろ」「辞めない」の応酬で国会の空転、政治の空白を続けることはやめるべきである。

来週の今日は東日本大震災から4カ月である。原発事故収束の目処はまったくたたない。被災者支援や復興のため、国会で審議することは非常に多いはずである。にもかかわらず、なぜ、かくも空転するのか。4年ぶりに再び問う。「国会『議事』堂はどこへ行ったのか」

たまたま5月に「朝日歌壇」(『朝日新聞』5月23日付)を見て、印象深かったものをメモしておいた。最近、これを再び見る機会があった。下記が特に印象に残った。短い言葉の一つひとつのなかに、悲しみと深い怒りを感じる。

《ふるさとは無音無人の町になり地の果てのごと遠くなりたり》(福島県富岡町・東京に避難)
《原発の安全うたうスローガン掲げて封鎖さるる町並》(ひたちなか市)
《並びたる三七八番土葬墓は学校の跡地雪やわらかし》(石巻市)
《みちのくは我慢強くて辛いのに辛いと言わぬ気質がかなし》(岩沼市)

これらが出て1カ月以上たった先週の「朝日歌壇」を見ていたら、4人中3人の選者が共通して推す歌があった(『朝日新聞』2011年6月27日17面)。

《丘畑は雲ひくく垂り廃棄せしキャベツ五千に花咲きたりと》(ひたちなか市)。

福島県だけでなく、茨城県の野菜農家も原発被害を受けている。評にはこうある。「美しくも残酷な景。その美しさには、人々の無念の思いが滲んでいよう」。

同じ選者は、「ボランティアせし人々は知っているテレビに映らぬ異臭のことを」(千葉市)を推薦し、その評で「たとえどんなに忠実に辿ろうと、映像では決して現場の苛烈さを十分に伝え得ないと訴える。現場とは文字どおり『その場』なのである」と書く。
   私も東北の被災地で猛烈な異臭を体験しているので、これはよくわかる。テレビ映像はきれいすぎる。だから、政治家たちはありきたりの視察ではなく、現場にしっかり入って、自分の手足と、目と鼻を使って被災地の求めるものをキャッチすべきだろう。

だが、菅首相には、被災地を何とかしようという姿勢も気迫も感じられない。「僕はものすごく原子力は強いんだ」(笹森清内閣特別顧問談、『朝日新聞』3月17日付)という、東京工業大学理学部応用物理学科(現・物理学科)卒の菅首相のアイデアなのだろう。原発対策について、「工程表」という理系的な物言いもなされている。これにも違和感がある。東電ならまだしも、政府が、「被災者支援の工程表を決定した」(『読売新聞』5月18日付一面)という使い方をしていいのだろうか。中身は原発20キロ圏内「警戒区域」への一時帰宅とか、農・漁業、中小企業などへの賠償金の支払いなどである。「避難先の就学機会の確保に万全を期す」という文言も含まれている。これが「被災者支援の工程表」だそうである。工程表とは、作業の工程や手順をあらわし、作業の効率化や簡素化のために用いられる。

牛を手放した酪農家がいる。資金繰りがピンチの中小業者がいる。妊婦や乳幼児を疎開させ、バラバラになった家族がいる。「警戒区域」の小中学校54校のうち23校が移転先を確保できないなどの理由で学校機能を失い、休校に追い込まれている。これを報じた『読売新聞』5月23日付の見出しは「児童・生徒5000人散り散り」である。また、福島原発30キロ圏内にあるため避難を余儀なくされた特別養護老人ホームの入所者826人中、77人が3カ月の間に死亡した。昨年の3倍のペース。明らかに「震災関連死」である(『読売新聞』7月2日付)。妊婦・乳児から高齢者まで、一刻も早い対応が必要だが、それも「工程表」という発想で対応していくのだろうか。

孫子的に言えば、菅首相は「百戦危うし」である。「己を知らず、敵も知らない」。トップたるもの、もっと己を知らねばならない。阪神淡路大震災のとき、村山富市首相は、担当大臣にすべてを任せ、「全責任はわしがとる」といった。彼は自らの能力の限界をよくわかっていた。それが強みだった。政治家トップの最大の仕事は責任をとることである。今日辞める覚悟で明日を決断する。これで官僚は動く。被災者生活再建支援法もすぐに成立した

菅首相は、被災者に希望を与えるような言葉を発することはない。言葉はいつも型通りである。そして任せるべきところに介入し、やるべきことをやらず、やってはならないことをやっている。何かをやっていないと不安でたまらない性格なのだろう。やったというポーズをとにかく見せたい。それで必要な措置がとれないできた。その一方で「再生可能エネルギー促進法」の成立には、異様な熱気を感じる。この人の場合、やる気があるなしがすぐわかる。やりたいことは、虚ろな目がカッと開き、まったく表情が変わるからである

それでも、最近腹がたつことがある。それはメディアが、この首相のことを「菅さん」と呼ぶからである。NHKニュースでさえ、キャスターや国会記者会館の政治部デスクが、「菅さんは…」と「さん」付けで呼ぶ。一国の首相に「菅さんは…」はないだろう。現職のうちは、どんなに気に入らなくても「○○首相」と言うべきである。

国会空転8日後の永田町から戻り、どっと疲れが出た。テレビを見ると、「国会は週明けの5日から正常化する見込み」というニュースを流していた。被災者のことを考えれば、1分でも無駄にできないはずなのに、何とものんびりした復帰である。

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