日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完) 2012年10月15日

スコミ倫理懇談会第56回全国大会での基調講演のため沖縄に行った。私はいつもタクシー運転手との会話から情報を仕入れている。往路、空港から乗ったタクシー運転手は、1945年4月の米軍上陸の際、小学校3年生だったという。一瞬、「ん?」と運転席を見つめる。超高齢ドライバーに違いないが、頭脳明晰、運転も確かだった。運転手の話は続く。上陸地点に近い北谷にいたため、すぐに米軍に捕らえられ、家族全員が収容所に入れられたそうだ。上陸直前、日本軍とともに南部に逃げていく知り合いの家族を羨ましく見送ったが、その多くが死亡したという。日本軍と逃げなかったから、家族全員が助かった。「紙一重ですよ」という言葉が耳に残った。オスプレイ問題について話を聞こうとしたところで、会場のホテルに着いた。

講演を終えて、またタクシーに乗った。空港に向かう個人タクシーの運転手は、普天間基地の近くで生まれ育ち、まもなく48歳になる。3人の子持ち。基地には必ずしも反対というわけではないという。「基地反対の人でも、基地開放デーには見学に行きますから」と笑う。ただ、オスプレイについては、家族の上に落ちたら怖いと、具体的な不安をこもごも語った。フライトまで少し時間があったので、普天間基地周辺を走ってもらうことにした。

宜野湾市役所前の向かいに、「市民広場」と「市民駐車場」がある。米軍管理区域だが、米軍は午前5時から午後11時まで開放しており、職員や市民が利用してきた。オスプレイ反対集会を行ったことがきっかけで、米軍は9月26日から広場を閉鎖し、駐車場も海兵隊員が2人立って、出入りのチェックを始めた。タクシーに駐車場に入ってもらい、兵士を撮影した。厳しい目つきで睨み付けてきた。

 市役所の少し先の普天間基地・野嵩ゲート前には、私が着いたとき、80人ほどの市民が座り込んでいた基地横を走る国道330号には県警機動隊の車両がズラリと並ぶ。座り込みの人々が見えないくらい、機動隊員が包囲陣をひく。警官の顔を一人ひとり見て歩く。ほとんどウチナンチューだ。フェンスには「WARNING 警告」の看板。「米国海兵隊施設 この黄線の内側からは提供施設内です。許可なく立ち入った者は日本国の法令により処罰される」とある。法令とは、米軍地位協定の実施に伴う刑事特別法第2条(施設または区域を侵す罪、1年以下の懲役)のことである。だが、市民は黄線の内側に座り込み、機動隊も黄線の内側で包囲している。黄線と道路の間の歩道には報道陣がたくさん集まっている。写真を見る限り、市民と警察官は、基地内立ち入り状態になっている。ゲート鉄枠近くには黒っぽい服装の日本人警備員が立ちさらにその奥に海兵隊の警備担当者がいて、緊張の対峙が続く。

タクシーは、普天間に近い北谷町のキャンプ瑞慶覧〔フォスター〕に向かう。正面ゲートに車をとめ、写真を撮る。ここには在沖米海兵隊基地司令部がある。時間があれば、うるま市にあるキャンプコートニーも撮影したかったが、時間の関係で断念した。そこには、第3海兵遠征軍の司令部があり、司令官で在沖米四軍調整官のグラック中将がいる。沖縄の米軍トップがいる施設の前に県民が座り込みを始める事態にはまだ至っていない。だが、今後の展開次第では、司令部が県民に包囲される可能性があると聞いていたので、早めに写真を撮っておこうと思ったのである。

ところで、私が普天間基地周辺にいたのは9月27日2時くらいまでだが、その日のうちに市民が野嵩ゲート前に車をびっしり横付けし、封鎖を始めた。県警は車を撤去。30日には、ゲート前に座り込んだ150人を強制排除した。ゲート前は黄線の内側なので、日本の警察権は及ばない。県警警備部は、「米軍から、住民を退去させるよう要請があった」と説明する(『東京新聞』2012年10月3日付「こちら特報部」)。刑事特別法2条違反の状態を除去するため、米軍の要請があれば、日本警察は施設内で「必要な措置」をとることができるというわけである(米軍地位協定3条)。だが、その現場に立ち会った三宅俊司弁護士は、「県警は市民を事実上、拘束するような根拠はあったのか。明らかに違法だ」と述べている(『東京新聞』同上、および三宅弁護士のブログ)。命令とはいえ、必死に座り込むオバアを排除する警察官も複雑な思いだったろう。

 それにしても、である。日米両国政府は、沖縄県民の怒りの質を理解していない。先週の「直言」でも紹介したように、自民党県連幹事長を務めた翁長雄志那覇市長の言葉は重い。新たな「島ぐるみ闘争」の予兆さえ感じさせる。

 「衆参合わせて722議席のうちの9割以上を本土の沖縄に無関心な政治家が占め、沖縄からは8名しかいない。沖縄からすると、もはや民主主義とは言えないような気さえします。戦後の自民党政権下で現在の沖縄問題が残され、県民は自民以外の政党は沖縄に理解があると期待したわけですが、政権交代後、それが幻想だったことに気づき、『オール本土』対『オール沖縄』の構図を再認識しました」(『世界』2012年11月号)。

 沖縄県民は中央政府をまったく信用していない。役者が悪すぎる。特に野田佳彦首相森本敏防衛大臣には何を言っても無駄というのが沖縄では常識になってしまった。例えば、10月1日午前、オスプレイが岩国を飛び立ち、沖縄に向かった時、森本大臣は記者団に対して、「米側が当初考えていた通りの予定を実行したのではないか」と語った(『毎日新聞』10月1日付夕刊)。まったく傍観者的物言いではないか。米国と沖縄の両方に目配りしながら言葉を選ぶのが政治家というものだろう。森本大臣の頭には米国への配慮しかないということが、その言葉だけでなく、表情と口調に正直に出てしまう。そこが一層、沖縄県民の怒りをかうのである。実に損なキャラと役回りではある。

 野田首相も同様である。10月9日、首相は仲井真知事と会談した際、「運用ルール」に反してヘリモードで市街地を飛んだことについて知事が指摘すると、「(首相は)ルール違反を沖縄とともに怒ることはなく、『(ルールが)順守されるようにフォローアップしていきたい』と話しただけだった」(『毎日新聞』10月10日付夕刊「特殊ワイド・沖縄も日本だ 無視するな――見ないふり『構造的差別』自覚なし」)という。ルール違反があったら、まずはそのことについて何らかの言葉を発し、その上で「何とかします」というメッセージを出すのが政治家だろう。「フォローアップ」なんて言葉で逃げている。

 知事と県議会、すべての市町村の首長と議会が反対しているのに、この沖縄の言い分について、中央政府は一顧だにしない。この状態は異様である。首相は、「沖縄を差別したり、無視したりする意図はなかった」と言うだろう。もちろん、そんな「意図」があったら大変である。中央政府は、米国の意向を忖度するあまり、「沖縄にご理解をいただく」以外に言葉を失ってしまっている。そうした異様で異常な状態が復帰後40年にわたって続いている。オスプレイ問題は、日米安保体制の本質的問題性を顕在化させてしまった

 日本国憲法92条は「地方自治の本旨」を定める。これは法律によっても侵すことのできない地方自治の憲法原則である。住民自治(93条)と団体自治(94条)を車の両輪としつつ、さらに多様な地方自治のありようが保障されている。とりわけ95条は、地方自治特別法の住民投票を定めている。「一の地方公共団体のみに適用される特別法」については、衆参両院で可決されただけでは法律にはならない。住民投票が行われる必要がある。1996年、改正駐留軍用地特別措置法に関連して、この95条が注目された。沖縄県は、この法律は実質的に沖縄県だけに適用されるのに、住民投票が行われなかったから、憲法95条に違反すると主張した。95条は「切り札としての地方自治」という側面をもっている。

 もちろんオスプレイの問題は95条のケースではない。しかし、「地方自治の本旨」の創造的発展という観点から見れば、安全保障政策に関しても、地方自治体が何らかのアクションを起こす可能性はある。確かに憲法73条2、3号は条約締結権や外交処理権を内閣に与えている。だからといって、安全保障の問題は国の「専管事項」だという言葉で思考停止するような時代ではもはやない。地方自治体も、国の権限を侵さない限り、外交や安全保障の担い手となりうる

 沖縄県は1996年に県民投票条例を制定して、安全保障の問題について県民投票を実施した。この条例の3条には、投票結果を「アメリカ合衆国政府に速やかに通知する」と定めている。細かな手続き規定だが、日本政府よりも先に合衆国政府に通知するということで、沖縄が米国に直接訴えるという姿勢を明確にする意味があった。単に投票結果(基地賛成○%、反対○%)を知らせる事実行為だから、国の外交権限とも衝突しない。沖縄県の実に巧みな対外的行動だった。

 今後、オスプレイ問題で県民投票を実施して、それをもって米国と直接交渉をするという動きが出てくるだろう。作家の佐藤優氏が繰り返しこれを指摘している(『東京新聞』10月5日付コラム、『週刊金曜日』10月12日号「飛耳長目」)。

 佐藤氏はいう。「レファレンダム〔県民投票〕に明らかにされるオスプレイ県内配備拒否という民意を仲井真弘多沖縄県知事が米政府に対して直接伝え、さらに国連総会第三委員会(人権)で、日本の中央政府による沖縄差別を訴えることで、局面の打開を図ることになろう。森本氏らの暴発によって、沖縄が中央政府離れを起こし、日本の国家統合に危機をもたらすことになると筆者は見ている」と。

 米政府が日本政府経由の沖縄情報で判断し続ける限り、彼らの想定外の事態が生まれることは避けられない。そのとき、私が撮影した、静かなキャンプ瑞慶覧〔フォスター〕正面ゲート前はどのような姿になっているだろうか。

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