イラクで死者ゼロの理由――国防軍でなかったからこそ(1)               2013年6月10日

週、『東京新聞』(6月3日付夕刊)が家に届いた時、びっくりした。「日独伊防共協定記念国民大会」の提灯行列で使用された提灯を掲げる私の姿が、カラー写真で一面トップに掲載されていたからである。「ナチス提灯 大学教授が修復」。東日本大震災で研究室の本棚が崩れ、破れ提灯になっていたものを、愛媛県西条市の伊予提灯工房の日野徹さんが丁寧に修理してくださったお蔭である。

見出しには、「戦意 再びあおらない」「大戦前夜 防共協定の象徴」「改憲論議『あの頃と似る』」とあり、この提灯の行列が行われた76年前と今日との類似性に着目する。記事は、私の「提灯は戦争前夜に咲いた日独の不幸の象徴。振っていたのは普通の人たちで、軍人と政治家だけなく、国民が熱狂し、戦争に突き進んでいった」という言葉を引きながら、改憲論議や歴史認識の問題などに見られる昨今の傾向が「政党政治から翼賛体制へと進んでいった当時とどこか似ている」という私の危惧と、先月発足した「96条の会」について触れ、最後は日野さんの「また何十年も時を重ね、戦争があったことを伝えていってほしい」という言葉で結ばれている。

 政治家や軍人だけが暴走して戦争が起きたのではない。排外主義的な空気が国民のなかに充満し、メディアがそれを焚き付けたことも起動力となった。いま、この国は、中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシア、米国と「全周トラブル状態」にある。中国や韓国・北朝鮮の人々に対して暴言を吐く「運動」まである。日本の政治指導者の語る言葉は、「味方にできなくてもいいから、敵にしない」の逆をいく、「味方にできる人までも敵にしてしまう」類のものである。政治家たちの甘言に、国民の冷めた眼が必要な所以である。

さて、3月20日はイラク戦争の開戦10周年だった。この戦争はもう忘れられてしまったのだろうか。イラクに派兵した英国やオランダでは独立調査委員会がつくられ、派兵の是非をめぐる検証作業が行われている。日本では、政府は何も語らず、国会でも目立った動きはなかった。そうしたなか、元内閣官房副長官補・柳澤協二氏の誠実な自己検証が光る。同氏著『検証・官邸のイラク戦争―元防衛官僚による批判と自省』〔岩波書店、2013年〕)はいろいろな意味で興味深い。柳澤氏は、「大量破壊兵器の脅威から世界を救う道筋は戦争だけではないし、まして日米安保条約上の義務にない場所に自衛隊を派遣してアメリカを助けることでもない。その単純な事実が忘れられたとき、安全保障の手段であるべき同盟は、それ自体が目的に転化する」と指摘する。米国に「見捨てられる」ことを恐れ、イラクに強引に自衛隊を派遣した小泉政権。日米安保体制の維持が目的と化し、「米国を怒らせない」ことが安全保障利益となっている。この歪んだ思考は基地問題をはじめすべてに貫かれている。

 この写真は、『隊員必携』〔第3版〕(陸上幕僚監部)である。イラクに派遣された自衛隊員が全員携行したもので、中部方面隊のある隊員がイラクから持ちかえったものである。用済みの場合はすぐに焼却のところ、なぜか私の手元にある。肉筆の書き込みがリアルだ。このマニュアルには、駐屯地のサマーワの防備態勢が詳細に書かれてある。「復興支援群」は各方面隊2回ずつ、計10次隊まで送ったが、その活動はいたって地味で、もっぱらサマーワの宿営地で、自らを衛(まも)る隊に徹していた。

 10次隊まで「戦場」にいって、誰一人として死ななかった。サマーワに迫撃砲弾などが何度か着弾したが、なぜか人のいない場所ばかりに着弾した。最近、その謎が解けた。

 朝日新聞特派員がサマーワで、自衛隊駐留時のサドル師派の支部長を務めた人物にインタビューした(『朝日新聞』2013年3月17日付国際面)。見出しは「自衛隊を攻めない、内部で合意」。サマーワの自衛隊宿営地には13回の砲撃があり、反米強硬派のサドル師派がやったという見方もあったが、この元支部長は「〔自衛隊の〕駐留には反対していたが、武装部門による攻撃はしないことを当時、内部で合意していた」と特派員に語っている。

 サドル師派は「自衛隊は占領軍ではないように装っているが、米軍主導の多国籍軍に(組織上)加わっており、占領軍であることは明白」として、駐留に抵抗する立場をとった。武装闘争を主張する幹部もいたが「州での〔自衛隊の〕活動は我々に敵対的ではない」「(かつて米国と戦争した)日本とは共有すべきものがある」とする意見が大勢を占め、デモで反対はするが、武力攻撃はしないことで合意したという。この元支部長は「武装部門が組織的に攻撃していれば、自衛隊員に死者が出ていただろう」と語った。

 やはりそうだったのか。自衛隊は、組織、編成、装備、運用思想、訓練、精神教育に至るまで、実質的に軍隊といえ、「普通の軍隊」ではない。自衛隊を憲法上正当化するギリギリの線は、「自衛のための必要最小限度の実力」という1954年の政府解釈である。海外における武力行使は許されない。イラク特措法にも、武力の行使を禁止する条文が置かれていた。イラクでの活動も「復興支援」活動という中途半端なものになった。その奇妙な動き方と歴史的な経緯、そして日本が戦後、一度も海外で武力行使を行ってこなかったという事実(私は「憲法9条の貯金」という)が絡み合って、イラクの武装勢力が「日本兵を撃つ」ことへの心理的ハードルを高める結果になったのではないか。

 2012年4月の自民党憲法改正草案は、その9条で「国防軍」を設置し、軍刑法や軍事秘密保護法、軍法会議(国防軍審判所)まで明記した。もし、国防軍として海外派兵されることになれば、武装勢力は確実に国防軍兵士を狙ってくるだろう。その戦死者が羽田空港に日の丸を巻かれて帰ってくる…。そのようなことを許してはならない。

 改憲草案をいじって、国防軍だなどと言っている政治家たちに戦争体験者は一人もいない。戦争体験世代がますます少なくなっている(最近、俳優の三國連太郎さんが亡くなった)。今週の金曜(6月14日)、岩波書店から、拙著『戦争とたたかう―憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(岩波現代文庫)が出版される。私が33歳の時、当時の中曽根康弘首相の「戦後政治の総決算」路線への危機感を抱きながら、全力を傾注して書き上げた日本評論社の本が絶版となり、「戦後レジームからの転換」を叫ぶ安倍政権の時期に、リニュアルされて岩波現代文庫で若い読者も得ることができることに感謝しつつ、久田氏が命がけで主張した軍隊の本質と「平和的生活権」(後に平和的生存権)の意味について、多くの人に知ってほしいと願う。とりわけ、「国防軍」について饒舌に語る「戦争を知らない子どもたち」の安倍首相や橋下大阪市長、若い政治家たちに是非読んでもらいたいと思う。

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