「ねじれなくなった政治」の先に――海兵隊と軍法会議              2013年7月29日


史をひもとけば、政治家や軍人だけが暴走して戦争が起きたのではない。排外主義的な空気が国民のなかに蔓延し、メディアがさらに焚き付けたことも起動力となった。いま、この国は、中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシア、米国との間で「全周トラブル状態」にある。韓国・北朝鮮の人々に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)の問題も深刻である。中央・地方の政治家たちの口から出てくる言葉も荒れている。「味方にできなくてもいいから、敵にしない」の逆をいく、「味方にできる人までも敵にしてしまう」実に困った状況にある。

 7月17日午前、参院選の応援で石垣島を訪れた安倍晋三首相は、石垣海上保安部や自衛隊の部隊を訪れ、「わが国の主権に対する挑発が続いている。領土、領海、領空を断固として守り抜いていく」と語り、巡視船で周辺を視察した。「領土問題は存在しない」といっても、そこにトラブル状態が生まれている以上、「問題」は存在する。一国の首相が選挙応援の形をとったとはいえ、トラブルの最前線に直接乗り込んできたことに対して、周辺諸国は「挑発」と受け取る。こういう一つひとつの判断を見ても、安倍首相の在任中は、状況は悪化しこそすれ、解決につながることはないという思いを新たにした。

 国家間にトラブルを抱えているとき、政治家に求められるのは冷静さである。過度に強がってみせることは何のプラスにもならない。中国漁船衝突事件の際の、前原誠司国土交通大臣のパフォーマンスを想起させる。前原大臣は石垣海上保安部に行き、漁船に衝突された巡視船を視察。隊員を激励したすぐ後に、国交大臣から外相になって国連総会に向かい、石垣海保がハシゴを外されたことは記憶に新しい

 第23回参議院選挙によって、衆参両院の「ねじれ解消」が実現した。あれだけ「アベノミクス」の効用をあおっていた某週刊誌までが、早々と今週号トップに「安倍自民 さあ、やりたい放題 『日本の選択・参院選』1億3000万人の後悔」という特集を持ってきた。見事な豹変である。「票を捨てた」有権者が今になって「後悔」しても遅い。衆参両院が安倍首相を支える巨大なサポーターになってしまったいま、日本はアジアのなかでますます孤立の道を歩むことになるだろう。

 そうしたとき、政府は年末にまとめる新たな「防衛計画の大綱」の策定に向けた「防衛力の在り方検討に関する中間報告」の概要を明らかにした(『読売新聞』『産経新聞』7月25日付)。そのポイントは次の通りである。

・警戒監視能力の強化(高高度滞空型無人機の導入の検討)
・島嶼部攻撃への対応(機動展開能力や水陸両用機能〔海兵隊的機能〕の確保、民間輸送力の活用、水陸両用部隊の強化)
・弾道ミサイル攻撃及びゲリラ・特殊部隊への対応(弾道ミサイル対処態勢の向上による抑止・対処能力の強化、原発等の重要施設防護能力の整備)
・サイバー攻撃への対応(米国等や民間企業との連携・協力の強化、専門家の育成や必要な機材の整備)
・大規模災害等への対応(部隊が大規模・迅速に展開できる輸送力の確保)
・統合運用強化(統合幕僚監部の機能検証、陸自中央組織の設置検討)
・情報機能の強化(防衛駐在官を含む人的情報収集機能の強化) ・宇宙空間の利用の推進(米国との連携や各種衛星の効果的活用等)




 ここで注目されるのは、「海兵隊的機能」を堂々と掲げたことである。島嶼専門部隊として西部方面普通科連隊が存在するが、この660人では不十分という認識だろう。上陸作戦に不可欠の水陸両用車も今年度から導入されるが、さらなる「機動展開能力」向上のために、オスプレイの導入も検討されているという(『産経』25日付)。海兵隊で日本の島嶼6800を守るというのだが、それは表向きの理由で、運用上、日本の島嶼に限定されないだろう。、中央即応集団の再編・運用と合わせて、日本がついに、上陸作戦の能力をもつ「殴り込み部隊」を保有し、米海兵隊と連携して、地球のどこにでも展開できる能力をもつことになる。そのために必要な法整備も進めていくだろう。15年前の周辺事態法審議における「地理的概念」をめぐる議論を思えば、隔世の感がある。「専守防衛からの脱却」の完成である。

3年前の12月、新防衛計画の大綱が出され、「動的防衛力」が打ち出された。今年の12月、海兵隊と無人機を含む敵基地攻撃能力を強化した「機動的防衛力」の構想が打ち出されるのだろうか。

 安倍内閣の危険な兆候はほかにもある。参院選の最中、「週刊BSのTBS報道部」に出演した自民党・石破茂幹事長の「軍法会議」に関する発言が問題となった(『東京新聞』7月16日付「こちら特報部」)。

自民党憲法改正草案の9条の二の5項には、「軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く」とある。自民党改憲草案の「Q&A」には、「軍事審判所」とは軍法会議のことだと明記されている。石破氏は、この条項を説明するなかで、現行自衛隊法の罰則では、防衛出動下令後に部隊に出頭しない場合、7年以下の懲役となるが(自衛隊法122 条)、「上限は最高7年!」と嘆きつつ、「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら300年。そんな目に遇うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないのかと言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」と述べた。石破氏が強調したのは、自衛官は服務宣誓をしているが、人間だから、それでも逃げる者がいる。だから、非公開の法廷で「軍の規律を維持すること」が大事だというのである。

 「懲役300年」というのは刑の累積方式をとる米国などで言えることで、日本ではあり得ない。死刑、無期、懲役300年という数字を出して「規律の維持」を説く彼の目は(いつも以上に)座っていた。

 戦時中、「軍の規律」は、恐怖による死の強制によって維持されていた。もし逃げれば、(1)軍法会議にかけられ、(2)郷里の家族が非国民扱いされ、(3)靖国神社に入れない、という三重の不利益が待っている。この恐怖が後ろに迫るなか、多くの兵士が無謀な白兵銃剣突撃を行って、「玉砕」していったのである。

この6月に出した拙著『戦争とたたかう―憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(岩波現代文庫、2013年)のなかに、ルソン島ボゴトの山中で、久田氏が出会った師団参謀の次のような言葉が出てくる。

「…あれだけひどかったアメーバ赤痢もどうにか小康状態を保っているようで、この頃はなんとか歩くことができた。でも、敵に追撃されながら後退するというのは、なんともいいようのない切迫感を背中に感じるものです。前方を歩いている兵隊を一人でも多く追い抜いて進もうと、心が急いだ。3、4キロも進むと、もう日がとっぷり暮れてしまった。と、前方から大きな声で叫びながら進んでくる人影が見えました。『俺は旭〔第23師団〕の師団参謀だ。退却するんでない。退却すると軍法会議だぞ!』。私の前を歩いていた兵隊たちはバーッと道の脇によけて、立ち止まったまま動けないでいる。…」(拙著第7章「人間廃業の戦場」265頁)

いま、なぜ、このような恐怖を想起させるような軍法会議を設置するのか。「やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」という石破氏の言葉が印象に残った。自民党改憲草案が、「恐怖…から免れ、平和のうちに生存する権利」(憲法前文第2段)を削除したのもうなずける。

そこで想起されるのは、9年前のイラク戦争の時、陸上幕僚監部が出した『国際貢献活動に関するQ&A[平成4年6月〕』という部内資料のことである。そのなかで、「行きたくありません…』と断る(拒否する)ことはできますか?」という質問に対して、「意思を問われた場合には、『行きたくない』と意思を表明することはできます。しかしながら、個人の意思のみによって派遣要員を決定するものではありません。基本的には、個人の希望・身上等は十分に考慮されますが、任務として命令された場合には、進んでこれに従うことが期待されています」とある。「期待」から「軍法会議」へ。石破氏のいう「人間性の本質」論には、「健全な恐怖心」を抑圧する憲法への改変の狙いが透けて見える。

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