高級ワインも特定秘密?――1999年ボン日本大使館事件              2013年11月18日

報告書

「ゆうべのことは もう聞かないで…♪」。小川知子「ゆうべの秘密」が流行ったのは1968年だった。当時私は中学生だったが、「…ことは」のところの妙なアクセント(kotouuwaと聞こえる)が気に入っていた。ちょうどその頃、内閣調査室が委託研究として、日本の核武装の可能性について密かに検討していた。その報告書のタイトルは『日本の核政策に関する基礎的研究』。「その一」(1968年)の副題は「独立核戦力創設の技術的・組織的・財政的可能性」、「その二」(1970年)は「独立核戦力の戦略的・外交的・政治的諸問題」であった。私がこれを初めて紹介したのは11年前の「直言」である。その後、これで知ったという記者たちから貸してほしいという依頼が何度もあった。特に昨年は、TBS「報道特集」(2012年4月4日放送)で紹介されたほか、NHKのETV 特集(6月17日放送「“不滅”のプロジェクト―核燃料サイクルの道程」)では、この研究に関わった内閣調査室調査官の証言とともに紹介された

この資料は16年ほど前、たまたま古書展の目録で見つけて運よく落札できたものである。「秘」「部外秘」などの印は押されてはいないが、奥付がなく、誰が発行したのかがわからない。NHKが先の調査官に取材した際、本人はこの資料を持っていなかったそうである。政府はこの資料の存在そのものを公式には認めていない。この2冊だけでなく、内閣府には、日本核武装の研究に関する関連資料がたくさん眠っているはずである。ここへきて「特定秘密保護法」が成立しようとしている。何を秘密にするか、いつ、どのように公開するかについても、政府・行政機関の側にあまりに広い裁量が確保されている。日本核武装に関する研究も45年が経過しているので、本来ならば関連資料も含めてすべて出すべきところだが、この法律が成立すれば、公開される可能性はさらに低くなるだろう。

一般に、国家には秘密が存在しうる。ただそれは、情報公開を原則とし、限られた例外としてのみ認められるべきものである。外交に関しても、交渉相手が存在する以上、公開が制限される情報というものもある。問題は、秘密を指定する者以外の眼が働く仕組みが存在するかどうか、いつまでも秘密にすることなく、一定年数の経過とともに公開することが、民主主義国家として最低限の前提である。情報公開や公文書管理体制が不十分なこの国で、このような包括的な秘密保護法制が誕生すれば、秘密が原則で、公開は例外という本末転倒が常態化しかねない。

秘密は外交の分野で特に問題となる。日米間に「密約」が存在することは周知の事実である。3年前、当時の政府は、問題となった4件の「密約」のうち、朝鮮半島「有事」の際の米軍の自由出撃に関する密約の存在を認めた。毎日新聞西山記者事件で問題となった「沖縄返還時の現状回復費の肩代わり」に関しては「広義の密約」とされた。そんな密約はないと言ってきた歴代政府は、国民に嘘をつき続けてきたわけである。また、3年前の調査の際、外務省で重要文書の多くが行方不明になっていることも判明した。この点、詳しくは、直言「『広義の秘密』とは何か」を参照のこと。

ところで、「特定秘密」には外交に関するものも多数含まれるが、そのなかに、在外公館の高級ワインも含まれるのだろうか。『東京新聞』11月5日付一面連載「国家のヒミツ」第2回は「ワインの購入先・銘柄も非公開」という問題を紹介している。記事によれば、パリの在外公館(OECD代表部)地下には7900本のワインが貯蔵され、「30年間はおもてなしができる本数」という。2010年の会計検査院報告には、「ワイン等の酒類については、不要不急のものを購入せず過去の払い出し実績を考慮した適正な本数の保有に努める必要がある…」という記述があり、在外公館の過剰な高級ワイン購入を指摘している。

市民オンブズマンが、ワインなどの購入にあてられる外務省報償費の開示請求をしたが、外務省はこれを非公開としたため、東京地裁に公開を求めて提訴した。外務省は裁判のなかで、「ワインの購入先が分かると、在外公館の安全確保が困難になる」「銘柄が分かると、来訪者が提供されるワインの銘柄から自国の評価を推測し、その国との信頼関係を失う」と主張した。判決は購入先について非公開、銘柄は公開としたが、判決後、外務省は銘柄も公開していないという(同上)。

Bad Godesberg

この記事を読んで思い出したことがある。1999年~2000年、ドイツ・ボンでの在外研究をしたが、その間、日本大使館(途中からボン駐在官事務所)の方たちと、子どもを媒介にした家族ぐるみのお付き合いをした。なぜか、そこに外務省のプロパーの職員は含まれておらず、すべて他省庁の出向者だった。当時、大使館はボンからベルリンへの移転の準備を始めていた

1999年6月のある日。小渕恵三首相(当時)がケルンサミット出席のためドイツにやってきた。サミット閉幕後、しばらくして娘が私に、「○ちゃんのお父さんたちが大使館にたてこもって、家に帰ってこないよ」と教えてくれた。大使館で何やらトラブルが起こっていたことは感じたが、そのまま忘れてしまった。

帰国後1年たったある日、『読売新聞』社会面のトップ見出しを見て驚いた。「ケルンの告発、外務省封印 専用機で羽毛布団や高級ワイン120本」(同紙2001年3月14日付)。当時、「要人外国訪問支援室」(後に廃止)のM室長が、外務省機密費で高級ワインを買い付け、それを自分の家や親族に送っていたというのだ。実は日本大使館「御用達」のワイン専門店は、当時私が住んでいたHerder通りからGoten通りに向けて少し入ったところにあった。人にプレゼントするワインを買いに一度だけ立ち寄ったが、高額なものが多かった。ここの主人は私が日本の大学関係者とわかると、次々と日本人の名前を挙げ、大使館関係者以外では、私の勤務校の元総長の名前まで出てきたのには驚いた。誰がここで高級ワインを買っていたのかがよくわかった。M室長の高級ワインもかなりの確度で、この店で購入されたと推測される。

そして、ケルンサミット最終日、大使館員たちは政府専用機に載せる荷物の仕分け作業に追われていた。M室長が、その部屋にあらわれ、一人にこう言った(以下、新聞から引用。なお、記事では実名だが、ここではイニシャルとする)。

…「間違えるな。この前の時は、だれかが間違えて、違う相手に品物を送ってしまったんだ」。この大使館員がこん包していたのは、10ダースもの高級ドイツワインと6 組の羽毛布団。段ボールには、M室長の自宅や、複数の人物の住所が書かれている。不審に思った別の大使館員が「この人は」と尋ねると、M室長は「兄弟だ」と答えた。ワインの大半は帰国後、同省会計課や人事課などに配る土産だ。羽毛布団は、M室長の愛用品で、すべて大使館の機密費で購入されていた。 随行団の帰国後、ドイツ大使館は、この出来事を巡って紛糾した。「公用品の私物化だ」「まして専用機に載せるとは何ごとだ」―。他省庁からの出向組が、M室長の公私混同ぶりを指摘したのだ。彼らはM室長の不正を報告書にまとめ、大使に突き付けた。しかし、批判は封じ込められた。「情報ありがとうございます。支援室には注意しておきます」。キャリア外交官〔K大使〕のひと言に、出向組はそれ以上、何も言えなくなった。報告書は大使の机にしまいこまれ、日本に送られることはなかった。…

この記事は、外務省幹部の次のような言葉で結ばれている。「海外に一度でも赴任すれば、機密費のずさんな使われ方が分かる。しかし、一つの不正を追及すれば、外務省全体の不正も問わなければならなくなってしまう。だから、ふたを開けるわけにはいかない」と。つまり、どんなワインを、どこで、どのくらい買ったのかも含めて、すべて秘密ということになる。公開によって不正や「不都合な真実」が明らかになれば、それは外務省全体の問題となる。だから非公開にするという論理である。

特定秘密保護法案の別表二の「外交に関する事項」はイからホまであるが、それらは安全保障に関するものに限定されているようにも見える。しかし、ただでさえ秘密の多い役所の場合、こうした秘密保護の仕組みが強化されれば、そのすそ野は限りなく広がっていく。従来は公開していたものも、念のため非公開にするという雰囲気がつくられ、公開により慎重になる。それが全体として秘密主義の傾向を強めていく。私は、高級ワインの購入先まで特定秘密になると言っているわけではないが、先の裁判のなかで外務省が、購入先がわかると「在外公館の安全確保が困難になる」という理由で非公開にしたことに着目したい。ワインの本数や使用先まで、安全保障上の理由をこね繰り回して非公開としかねない空気が醸成されつつあるようにも思う。特定秘密保護法案を廃案にしなければならない所以である。


《付記》YOMIURI ONLINEのなかのWASEDA ONLINEのオピニオンコーナーに、拙稿「『特定秘密保護法』の問題性―原則と例外の逆転へ」が掲載されているので参照されたい。

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