垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙             2014年2月3日

未来の党ポスター

の写真は、2012年12月の総選挙のときに近所の塀に貼られていたものである。迷走していた政党の候補者が瞑想していたので、携帯のカメラで思わず撮影していたものだ。候補者は落選し、政党自体も選挙直後に分裂したので、このポスターのことを覚えている人はいないだろう。しかし、「本当にこのままでいいのか! 2022年原発ゼロ」という訴えは、「いつ」という時期の問題は別にして、いまなお重要な意味をもつ。

現在、東京都知事選挙の選挙戦が終盤を迎えている。史上最高の東京五輪2020」「東京を世界一の都市に」といった浮ついた主張が目立ち、東日本大震災からまもなく3年になろうとしているのに、「一体この国は何をやっているのか」という感が否めない。

IOC総会における安倍晋三首相の演説を想起してみればよい(直言「東京オリンピック招致の思想と行動」)。「東京は世界で最も安全な都市の一つです。それは今でも、2020年でも一緒です。フクシマについて案じる向きには、私が皆さんにお約束します。状況はコントロールされています。東京には、いかなるダメージもこれまで与えたことはなく、今後も与えることはありません」。質疑応答では、「(安全は)まったく問題ない。・・・汚染による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と言ってのけた。

汚染水垂れ流しで、収束にはほど遠い状況にあるというのに、安倍首相は原発再稼動に向けてまっしぐらというだけでなく、地震国トルコなどに原発を売り込む「笑えないせぇるすまん」として各地を飛び回っている。本当にこのままでいいのか。

衆参両院の「ねじれ解消」によって、安倍政権はおごり、たかぶり、何でもありで滑走している。靖国神社参拝を行い、近隣諸国のみならず、米国やヨーロッパ諸国からも危惧と懸念の眼差しを集中的に浴びている。ここまで日本を孤立に追い込んだ首相はいなかったのではないか。対外関係においてかろうじて存在した各種の抑制も次々に外され、この国は「海外で武力行使ができる国」になろうとしている。特定秘密保護法のような悪法があっけなく成立したのも、「ねじれ解消」の効果と言えるだろう。本当にこのままでいいのか。

水平的権力分立の三権のうち、衆参両院の「ねじれ解消」は国会の翼賛化を生んだ。国会審議が官邸の「トップダウン」に左右される。由々しき状況である。衆参両院ともに経験豊富な重鎮たちは姿を消し、与野党を問わず、饒舌な軽量級の議員ばかりになったことが大きい。最高裁も議員定数の不均衡訴訟で選挙無効判決を出すかと思いきや、妙に国会の裁量を忖度した「違憲状態判決」にとどまった。安倍政権の「仰天の人事介入」(アベトモ化)が最高裁にまで及ぶのを見越して、慎重路線に転じたのか。

水平方向の「ねじれ」がなくなりつつあるいま、垂直方向の「ねじれ」を意識的につくりだすことが、安倍政権の爆走を止める手だてとして有効だろう。中央政府と都道府県と市町村という垂直方向の分立のうち、まず市町村レヴェルで推薦候補(現職)の落選が目立つなど、安倍政権側に手痛い「ねじれ」が各地で生まれている。とりわけ先月(1月19日)の名護市長選挙の敗北は大きい。

次は都道府県レヴェルである。11月の沖縄県知事選挙も注目されるが、目下の東京都知事選挙が決定的に重要である。東京都よりも人口が少なく、財政規模が小さい国は世界にたくさんある。東京都は世界から見れば国家クラスであり、都知事は大統領に匹敵する。

この局面では、脱原発の都知事を当選させるという「実」をとれるかどうかが重要であり、「正しい主張をして善戦しました」は許されない。候補者の年齢や過去の問題はあるが、原発の再稼働をいま止めることは、それを上回る歴史的緊急の課題なのである。最後の最後の段階で、脱原発を支持する人々が、立場を超えて、熟慮に基づく賢明な判断を行うことができるかどうかにかかっている。

この1年あまりの間の2回の国政選挙では、有権者の半数近い棄権と、候補者乱立による共倒れにより、絶対得票率(全有権者に占める割合)では2割に満たない自民党(12年総選挙比例16.4%、13年参院選比例17.7%)が、衆参両院で圧倒的な議席を確保するに至った。都知事選でも、脱原発票の分散によって勝利を得れば、安倍政権はさらに暴走の度合を強めていくだろう。ここがターニングポイントである。二度目はない。歴史的一回性の選挙である。

東京都は東京電力の第4位の株主であり、猪瀬直樹前知事が肩を怒らせて株主総会に乗り込んだのは記憶に新しい。それよりも、何よりも指摘しておかなければならないことは、東京都(および東京都民=都知事選の有権者)は、東京電力の最大の顧客であり、事故を起こして呻吟している福島第一原発(フクイチ)に依存していた、最大の電力消費者だということである。都知事選の有権者の生活は、未だ仮設住宅暮しを余儀なくされている福島の人々の生活の苦しみの上に成り立っていることを忘れてはならない。

当時、「3.11」から1カ月もたたないうちに「報道は『東京化』している」という違和感が福島の知人から伝えられたが、東京では、このところ、「都政に原発問題は関係ない」ということを恥ずかしげもなく語る人が出てきた。しかし、原発の問題は、まさに東京の問題であり、都知事選の最大の焦点なのである。そして世界が注目しているのである。「3.11」を引き起し、いまも海洋への放射能汚染水の流出を止められない日本が原発再稼動を行うようなことになれば、それは「第二の3.11」として、世界の人々から深い失望をもって受けとめられるだろう。逆に、脱原発の都知事が誕生するならば、直近では山口県知事選挙、さらには原発立地県の選挙に大きな影響を与えるのは確実である。都知事選の有権者の一票は、日本だけでなく、世界の脱原発の流れにも影響を与える重いものになるだろう。脱原発の票は死んではならないのである。

もし、脱原発を掲げる都知事が誕生すれば、安倍首相の中央政府よりも、この巨大な地方政府のトップの言動に注目が集まるだろう。周辺諸国との「自治体外交」の展開は、日本の外交的閉塞状況の克服にもつながるに違いない。この選挙は、「3年はない」とされる国政選挙の代替的な役回りを実質的に演じつつある。

ヒトラーグッズ

では、実際の選挙をめぐる状況はどうだろうか。メディアの報道がいま一つ鈍い。私も出演したことのあるNHKラジオ第一放送「あさいちばん」では、脱原発を語ろうとした大学教授に対して、「都知事選の最中は、原発問題は絶対にやめてほしい」という圧力がかかり、教授は番組を降板した(『東京新聞』1月30日付夕刊)。あえて原発問題を争点にさせないようにする安倍政権に迎合するような対応と言えよう。原発問題を避け、議論も不十分な状況で投票日に持ち込む狙いが透けてみえる。

このままいくと、原発再稼動推進派の候補者が当選して、脱原発を主張する複数の候補者の合計得票の方が一人の当選者の得票よりも多いという事態が起こりうる。

歴史を振り返れば、1930年代初頭、主要打撃の方向を間違えて、ナチスの権力獲得に手を貸した反省から、1935年7月にファシズムに対抗する幅広い共同行動(「統一戦線」)が提起された。すぐにフランスやスペインで人民戦線が生まれ、中国では「国共合作」がなった。そこにはさまざまな力学や思惑が作動しており、歴史は単線で進むものではない。

2014年2月の日本でも、対極ではなく、大局をみた判断が求められる所以である。

トップページへ。