権力の暴走が始まった日――第二次安倍内閣の1年              2013年12月16日

話し合いのマーチ

1年前の今日、「12.16」は、権力の暴走が始まった日として歴史に記録されるだろう。この日行われた総選挙の結果、自民党の得票率43%(絶対得票率〔全有権者に占める割合〕は24%!)で、同党の議席占有率79%の一党制的衆議院が誕生した。クリスマスの翌日、安倍晋三内閣がゾンビさながらに蘇った。そして、今年7月20日の参議院選挙で「ねじれ解消」が行われ、権力の暴走に対する歯止めがなくなった。特定秘密保護法の衆参院での強行採決はその集中的表現と言えるだろう。この1年間は、暴走の度合も6年前よりパワーアップしている。しかも、やることなすこと、すべてがアベコベである。

例えば、震災後1000日、被災3県ではまだ8割の人が仮設住宅暮らしを強いられているにもかかわらず、「国土強靱化法」を通して箱もの、公共事業を全国展開して、被災地に資材不足、職人不足を生じさせている(復興予算の「目的外使用」のひどさは言うまでもない)。消費税増税をはじめ、庶民の負担は重くなる一方なのに、復興法人税の前倒し廃止、企業交際費の50%非課税等々をあっけらかんと進めていく。極めつけは、福島原発が危機的状況にあるのに、原発再稼動と原発推進策をためらうことなく実施しようとし、トルコなどに日本の原発を売り歩く「トップセールス」までやってのける。だが、この首相の場合、特に神経が太いわけではない。それは6年前に実証されている。むしろ、「無知の無知」なところを、官僚や取り巻きたちにうまくおだてられ、振りつけられ、いいように使われている節がある。

ソノシート

「家庭内野党」である昭恵夫人のインタビュー記事(『週刊現代』2013年12月21日号)に、なるほどと思う興味深い指摘があった。原発売り込みに関連して、「主人は『中国製の原発のほうが危険なんだから、日本製を買ってもらったほうがいい』と言っています」という下りである。福島原発事故があるのに「トップセールスをする」のではなく、逆に中国製で事故を起こさせないために「安全な」日本製を売るのだ、と本人は真面目に信じているようなのである。権力者の勘違いは怖い、という一例である。

昭恵夫人が結婚前、「総理になったら何をしたい?」と安倍氏に聞いたら、一言ぽつんと「憲法改正」とこたえたという(前掲)。私は近著でこう書いた。「憲法に対する想いや思い入れは、安倍首相なりにあるのだろうが、その思い入れが思い込みとなり、さらに思い違いに進化して、いまや国民を巻き込む壮大なる勘違い(「まず96条から」)にまで発展している」(拙著『はじめての憲法教室』〔集英社新書、2013年〕16頁)と。「先行改正」の評判が悪いとみるや、すぐさま「96条潜行改正」(「解釈改憲」)に切り換えた安倍首相は、集団的自衛権行使の合憲解釈、武器輸出三原則の実質的撤廃等々を前のめりで進めている。

ちなみに「家庭内野党」という言葉や手法は、菅直人氏が首相だった際、伸子夫人も使ったが、さらにさかのぼれば、三木首相の睦子夫人がよくやっていた。一面、夫に反対するように見えて、政治とは関係のない場所で自分がバランスをとることにより、それがクッションとなって世間の批判を和らげる。これも夫人として、首相の人気を盛り上げる「内助」とみることもできよう。過大評価は禁物である。

それにしても、この政権のおごりたかぶり、慢心と驕心、傲慢さと強権ぶりはすさまじい。「政高党低」冬型の政治的気圧配置は、存在感の薄い石破茂幹事長をして、やつあたり的な発言を頻出させている。この人独特のねちっこい物言いは、最近、かなり物議をかもしている。今年7月の「逃亡したら死刑、無期、懲役300年」発言についてはすでに述べた。

特定秘密保護法の制定過程で行われた石破氏の言動は相当問題が多い。例えば、11月のブログで、市民のデモ活動に対して「テロ行為」という表現を使った。「フェイスブック宰相」に「ブログ幹事長」である。私はブログをやらないので、自分の書いた文章は、推敲を経てネット上に出している。思いつきをそのままネットに出すことはしない。『東京新聞』12月2日付が伝えた石破氏のブログ画面を見ると、確かに市民のデモそれ自体をテロと言ったわけではない。だが、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」という表現は、「筆が滑った」というよりも、石破氏のデモに対する敵視的姿勢をストレートに表現しており、石破氏の憲法理解が疑われる。憲法21条はデモ行進の自由について、多様な表現方法を保障している。権力者が市民のデモのスタイルに細かく口出しすべきではない。当事者が自己の主張を懸命に訴えるデモ(石破氏のいう「単なる絶叫戦術」)もまた、憲法上保障されると解される。

さて、ここに関連して、特定秘密保護法の4つの秘密類型のうち、4番目の「テロ活動」の定義である。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為を行う活動をいう」。この定義は、過度に曖昧である。「政治上の主張を強要する」ということなら、反原発を叫ぶデモもテロ活動にされかねない。

石破氏は両院で圧倒的多数を占める与党の幹事長である。その政権が強行成立させた法律の解釈運用に大きな影響力をもつ人物が上記のようなことを語った以上、表現の自由に対する萎縮効果はきわめて大きいと言えよう。しかも、自民党改憲草案では、表現の自由は「公益及び公の秩序」を根拠におおらかに制限される。石破氏の発言は、この草案の危険性をあぶり出す結果にもなった。

石破氏はさらに、日本記者クラブでの会見で、「特定秘密」を報道した場合、記者らが罰せられる可能性があるという認識を示した(『東京新聞』12月12日付)。その直後にこれを撤回。「報道した当事者はまったく処罰の対象になりません」と修正はしたものの(同)、翌日のラジオ番組で石破氏は、「報道の自由として報道する。処罰の対象とはならない。でも大勢の人が死にました。となればどうなるのか」と述べた(『朝日新聞』12月12日付夕刊)。ドロドロ・ネチネチした語り口の向こうに浮かび上がるのは、国民の権利に対するおどろくほど率直な抑圧者の姿勢である。石破氏は2005年に出版した著書のなかで、「報道の自由、知る権利というが、我々には知らせない権利がある」と書いている(『朝日新聞』12月14日付)。「知らせない」という表現は仰天である。

「総理・総裁」と幹事長のおごりと慢心と強権ぶりは、他の政治家たちにも伝播している。例えば、秘密保護法案プロジェクトチーム座長を務める町村信孝氏(元外相)は、衆院国家安全保障特別委員会で「(知る権利が)国家や国民の安全に優先するという考え方は基本的に間違いがある」と露骨な知る権利敵視の主張を展開しているし、この法案を担当した礒崎陽輔首相補佐官(皮肉を込めた他称「自民党の法制局長官」)は、法案反対を表明するキャスターについて、「放送の中立性を侵せば放送法違反だ」と語ったという(『沖縄タイムス』(12月7日付社説)。

ところで、石破氏の暴走、専横ぶりに関連して、『沖縄タイムス』11月28日付社説は、普天間移設問題をめぐる自民党本部の記者会見の模様を次のように表現した。「説明する石破幹事長は琉球処分官。一言も発言する機会がなく、椅子に座ったまま硬い表情の国会議員5人は、沖縄から連行され、恭順を誓った人びと…」。普天間基地の「県外移設」を公約して当選した議員たちに対して、石破氏は「辺野古移設」に賛成するように迫ったのである。そのやり方が、まさに「琉球処分官」のそれを彷彿とさせると沖縄紙は書く。石破幹事長の沖縄県本部に対する恫喝や強迫に耐えきれず、ある者は離党し、ある者は公約違反をすることで屈した。自民党総務会の全員一致制は8年前に破壊されていたが、この記者会見の模様は、自民党が「自由」とも「民主」とも縁のない政党であることを示すものとなった(『琉球新報』11月28日付より)。

自民党の結党14年目につくられた「話しあいのマーチ」(1969年)というイメージソングがある。星野哲郎作詩、猪俣公章作曲で、水前寺清子さんが歌う。これを3番まで掲げておこう。

「話しあいのマーチ」
1 云いたいことは なんでも云える
  自由がここに  あるんだぜ
  話しあおうよ  どこまでも
  話しあおうよ  純粋に
  心と心の    空間を
  みんなの意見で 埋めよう

2 互いに一歩   近よるだけで
  場面はぐっと  広くなる
  話しあおうよ  隠さずに
  話しあおうよ  恐れずに
  小さな自分の  立場から
  はなれて大きく 目をあけて

3 知りたいことは なんでも訊ける
  自由がここに  あるんだぜ
  話しあおうよ  若者よ
  話しあおうよ  友達よ
  明日はわたしの ためにある
  明日はあなたの ためにある

この歌と現実の自民党の姿とが何と乖離していることか。安倍内閣における強引で傲慢な国会運営(熟議と再考の府の参議院での強行採決!)。普天間をめぐる沖縄県連に対する幹事長の恫喝的手法、そして「知りたいことは何でも訊ける」の正反対を行く「特定秘密保護法」の強引な制定、等々。この自民党イメージソングは、現在の安倍総裁のもとではもはやブラックジョークですらない。

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