東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」              2013年9月16日


リンピック憲章第6条(旧9条)は、「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めている。オリンピックの基本理念である。しかし、現実はこの理念から限りなく乖離し、遊離し、かけ離れてしまっているのではないか。とりわけ、その招致活動は、目的のためには手段(言葉)を選ばない、プロパガンダを駆使したパワーゲームそのものである。

 「幻のオリンピック」となった第12回オリンピック東京大会(1940年)。冒頭の写真は、「第12回オリンピック東京大会組織委員会」が発行した実施マニュアルの表紙である(1938年12月発行)。「紀元2600年」を記念した国家的祝典として計画されたが、日中戦争の開始により中止された。この東京五輪の招致活動は、1932年のロス五輪から始まっていた。1940年大会の開催地にはローマも立候補していたが、イタリアのムッソリーニ首相が日本招致委員会の説得に応じて、日本に譲ったとされている。「日本帝国が建国2600年に当りオリンピック大会を東京で開きたいと熱望しているので、伊太利は此の大会のローマ開催を断念する」と。1940年東京五輪は、ナチスドイツの国威発揚に利用された1936年ベルリン五輪に続くもので、日独伊防共協定の具体化となるところだった。

 オリンピックの現実は、どこの国で開かれても、オリンピック憲章の理念から乖離している。これは毎度のことのようだが、近年では、ソルトレーク冬季五輪の米国中心主義・愛国主義の突出と、北京五輪がひどかった。オリンピックが始まると、いずこの国でも、市民は理性を失い、一種の戦時状態になる。ロンドン五輪のときの直言「どさくさ紛れに『決める政治』と『五輪夢中』のメディア」でも書いたことが大規模に展開される。

 オリンピックの競技会場や選手村、それをつなぐ道路や交通機関は今後7年間で、ロンドン並みの監視カメラと、警察国家状態になるに違いない。アテネ五輪では、開催中、アテネ中心部から半径84キロが飛行禁止区域に指定され、地対空ミサイルも配備された。都心にPAC-3が配備されても、「テポドン」騒ぎで馴らされた都民には、違和感なく受け入れられるだろう。また、駅や路上で市民的自由が制限されても、「五輪夢中」のメディアが批判的に報道することは少ないだろう。

 それにしても、この招致運動における「福島」の扱い方はひどいものだった。原発事故がオリンピック招致にマイナスになることは最初からわかっていた。世界は、日本が原発事故の問題をどのように扱うかに注目していた。事実は事実であり、問われていたのは、事故の収束に向けた誠実で、説得力ある展望だった。しかし、安倍首相と東京招致委員会の戦略は、「福島」との距離の強調、徹底した封印だった。

  9月4日、ブエノスアイレスで、オリンピック東京招致委員会の記者会見が行われた。海外メディアの質問は、6問中4問が福島第一原発の汚染水漏れ問題に集中した。竹田恒和理事長(日本オリンピック委員会)は、「放射線量レベルはロンドン、ニューヨーク、パリなど世界の大都市と同じレベルで「絶対安全(absolutely safe)」と答えた。そして、「福島は東京から250キロ離れており、皆さんが想像する危険性は東京にはない」と断言した。「250キロも離れている」と言いたかったのだろう。「も」のニュアンスが全体から伝わる。しかし、記者の頭には、「福島から250キロしか離れていない」という問題意識がある。チェルノブイリ原発事故では、300キロ圏内は高度の汚染地域となったことはよく知られているからだ。「東京は、250キロしか離れていない場所に、炉心溶融と建屋爆発事故を起こし、手がつけられない状態にある原子炉3基と、1500本の核燃料棒がある都市」というのは厳然たる事実である。

 9月7日、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京の最終プレゼンテーションが行われた。与えられた45分枠の冒頭で、高円宮妃が登壇。仏・英語でスピーチした。東京招致を訴えるプレゼンの冒頭発言であり、これが「招致活動と一線を画するもの」(宮内庁)と言い切るのは困難だろう。だとすれば、皇室の政治利用になるおそれなしとしない。宮内庁長官は、「招致活動と見られる懸念はあるが、苦渋の選択をした。両陛下も案じられていると拝察する」と述べた。菅官房長官は、「両陛下の思いを推測して言及したことについては非常に違和感を覚える。皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判はあたらない」と反論した(『朝日新聞』9月4日付)。

天皇は「日本国民統合の象徴」(憲法1条)ということは、47都道府県すべての象徴でもあるわけで、そのうちの1 県(沖縄)が「屈辱の日」として強く反対しているのに、安倍首相は4月28日、天皇・皇后を招いて「主権回復の日」式典を強行した。沖縄の痛みに敏感な天皇・皇后の気持ちを踏みにじる、安倍晋三の「不忠」であった、とまっとうな右翼なら批判するのではないか。オリンピック招致活動も人力、金力、宣伝(プロパガンダ)力を駆使した政治そのものであり、高円宮妃の全行動が東京招致活動と一体、と世襲エリートが多いIOC委員たちが受け取るのは自然のことだろう。

ところで、IOC総会での安倍首相の演説は、6年前の7月、秋葉原駅頭での演説を彷彿とさせるものだった。身振り手振りで、「社会保険庁をぶっこわす」と叫び、「最後のお一人にいたるまで、責任をもって年金をお支払いすることをお約束します」と繰り返し、結局、首相の座を投げ出して逃亡した。「最後のお一人、お一人」まで「宙に浮いた年金」を支払うことが相当困難なことは誰にもわかっていたのに、彼は「責任をもっておヤクチョクします」と言ってしまうのである。

 IOC総会での演説も、明るく、力強く、表現豊かに(彼なりに、だが)、「東京は世界で最も安全な都市の一つです。それは今でも、2020年でも一緒です。フクシマについて案じる向きには、私が皆さんにお約束します。状況はコントロールされています。東京には、いかなるダメージもこれまで与えたことはなく、今後も与えることはありません」(訳:『毎日新聞』9月8日付、一部『朝日』同日付など)と。生身の人間が生活している福島が、東京にダメージを与える主体になってしまっている。東京に電力を供給するために福島県に設置した原発が事故を起こしたのである。東北地方にありながら、東北電力ではなく、東京電力の原発なのである。前述の竹田氏の「福島は東京から250キロ離れている」という発言同様、ここには福島をどう見ているかという思想があらわれている。

 福島原発の状況が、汚染水垂れ流しで、収束とはほど遠い状況にあるのに、安倍首相が何故ここまで断定できるのかということにも驚かされる。質疑応答では、すぐにIOC委員から「安全」の科学的根拠を問う質問が出された。首相は「まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と述べた。私はこれを聞いて、耳を疑った。まず、メディアを完全になめきっている。「フェイスブック宰相」なので、ニュースはヘッドラインしか見ないのかどうか、それはわからないが、少なくとも『東京新聞』は福島原発の状況を詳細に、鋭く伝えているし、テレビ報道でも、TBSの「報道特集」、NHKスペシャルやETV特集などはがんばっていると私は思う。メディア全体を貶める、実に失礼な国際公言ではないか。

そして、「0.3平方キロ」という数字のリアルさ、である。IOC委員には、そんな狭い区域に封じ込めているのかという印象を与えただろう。だが、これに対して、すぐに東京電力から疑問の声があがった。

9日の記者会見で、東電は、政府に対して首相発言の真意を照会したことを明らかにした。1 日400トンの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込むことで汚染水が増え続ける。それをタンクに移していくが、タンクの強度に問題がある。陸側のタンクから汚染水が漏れて、海に漏れだしている。港湾内の0.3平方キロは汚染水が海に流出するのを防ぐため、「シルトフェンス」という水中カーテンで仕切られているにすぎず、港湾内と外海の海水は1日に50%ずつ入れ替わる(『毎日』9月10日付)。「完全にブロック」とは程遠い状態にあることは、「ヘッドライン」ではなく、きちんと新聞を読んでいる人なら誰でも知っていることである。

IOC総会での安倍首相のスピーチで衝撃的だったのは、「健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない」という言葉である。「過去・現在・未来」にわたって「まったく問題ない」ということによって、彼はどれだけ多くの人たちの心を傷つけたか。甲状腺異常に苦しむ子どもたち。国の不十分な情報伝達のため、放射線量の高い地域に避難して被曝してしまった人々。高い放射線量のなか、収束作業にたずさわる原発作業員…。安倍首相が明るく、力強く断言するたびに、こうした人々の心が疼く。この首相の罪深さは、普通の政治家ならおよそやらないような程度にまで明るく、力強く、単純化されたフレーズで断定してしまうところにある。「保証します」「お約束します」、そして「私を信じて下さい」(これはTPP交渉に入る前の言葉だが)。政治家ならば、後々の追及を見越して、言葉を慎重に選ぶ。「今までも現在も将来も、まったく問題ない」などという言葉は、口が裂けても使わない。

最後に、原発立地町の双葉町から避難している酪農家Uさんの奥さんの言葉を読んでほしい。「オリンピック(招致活動)をやっている日本と、私たちが避難している日本は、別の国のようだ。どっちが(本当の)日本なのか分からないけれど」(TBS「報道特集」2013年9月7日放映〔18時22分頃〕)。              

 (2013年9月11日稿)


《付記》 9月13日、東京電力の山下和彦フェロー(原子力・立地本部〔福島第一担当〕、執行役員待遇)は、「今の状態はコントロールできていないと我々は考えております」と語った。同席した資源エネルギー長の担当者も、「今後はしっかりしたコントロールができるようにする」と述べた。東電は、当日夕方になって、「首相の発言を否定する意図はなかった」と釈明記者会見を開いた(『朝日新聞』2013年9月14日付。1面トップ見出しは「汚染水『制御』迷走」、二面受け記事の見出しは「コントロールほど遠く」)。

トップページへ。