抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)            2014年9月1日

AAV7 at Camp Schwab

週、ゼミの合宿で沖縄に滞在した。私のゼミは1998年以来、2年に一度、沖縄でゼミ合宿を実施しており、今回で9回目になる。前回は2012年だった

今回は6つの班、すなわち、与那国島(沖縄と自衛隊班)、渡嘉敷島(「集団自決」と報道の自由班)、竹富島・石垣島(教科書と歴史認識班)、黒島・小浜島(離島医療問題)、本島と辺野古(「沖縄という差別」班、反対運動そのものを表現の自由から考えるという「デモ班」)に分かれて各地を取材した。16年前の学生たちとは違って、細川・村山政権時に生まれた世代で、沖縄への熱い共感から現場に飛び込むタイプではなく、すべてを相対化し、自分で直接取材して話を聞いてから判断するという学生が多い。それでも学生たちの質問に予定を2時間以上オーバーして語ってくれる方々もいて、学生たちは次第に沖縄問題の本質や背景に少しずつ近づいていったようだ。結論先にありきではなく、まず問題の「現場」に行き、そこの人々(専門家を含む)の声に耳を傾ける。その姿勢は、9回の合宿を通じて共通した「伝統」になっている(戦争体験の伝え方を根本的に問うたときもあった)。こういう沖縄合宿を体験したゼミ生たちが、そこで得たものを支えにして、この国のさまざまなところでがんばってくれている。今回もそれを確認できる場面に何度も遭遇した。ぶしつけな質問に、長時間対応していただいた沖縄の方々に、指導教員として、この場を借りて厚くお礼申しあげたい。

さて、学生たちが取材で各地を回る間、私はいつものように一人取材をしたり(今回は名護市辺野古の現場)、沖縄タイムス本社で記者たちに講演したりしていた。毎夜、全班長からのメールでの活動報告に、メールであれこれ「指導」していた。まさに「指」で「導く」である。そこで、この「直言」では、沖縄合宿の期間に、私が直接見聞きした「沖縄のいま」を数回にわたり連載することにしたい。

冒頭の写真をご覧いただきたい。これは米海兵隊キャンプ・シュワブの砂浜を全速で疾走する水陸両用装甲兵員輸送車(AAV7)である。Mk.19 自動擲弾銃を搭載している。数百メートルを疾走し、私たちの目の前で急旋回し、もとの位置まで走って、また同じコースでこちらに向かってくる。海兵隊の日常的な走行訓練だが、奥に見えるオレンジ色の線は、8月14日に突然設置された、新基地建設のための施工区域を示すブイ(浮標)である。その設置経過と反対運動の状況は次回以降の「直言」で詳しく報告するが、たまたま海上でカヌーを使った抗議行動をする人々を撮影しようとして海側から基地内をのぞいていたとき、この訓練が始まったものである。海保と市民の対峙などまったく意に介さず、日常的な訓練を行う米兵たち。この風景は沖縄のいまを象徴しているように思う。

沖縄タイムス号外

今回は、滞在初日の25日、かりゆしアーバンリゾートで開かれた、「新外交イニシアティヴ」(ND)のシンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権――オキナワの選択」に参加(懇親会を含めて深夜まで)したときのことを書こう。

シンポジウムのチラシ

パネラーは、元内閣官房副長官補の柳澤協二氏(ND理事)、東京新聞論説・編集委員の半田滋氏、元沖縄タイムス論説委員で、フリージャーナリストの屋良朝博氏、フットワークのよさでは右に出るものがいない弁護士で、ND事務局長の猿田佐世氏である。4人の報告とその後の討論はいずれも大変興味深かった。半田氏や屋良氏、猿田氏とはこれまでいろいろな機会でご一緒したことがあるが、柳澤氏に直接お会いするのは今回が初めてだった。

いま、「抑止力」というのがやっかいなマジックワードになっている。柳澤氏は、「抑止力は水戸黄門の印籠のようなもので、それ以上議論ができない。集団的自衛権の行使容認と辺野古の埋め立て工事は、ともにこの言葉からスタートした共通点がある」と切り出した。「集団的自衛権の問題で、安倍首相の説明は抑止力一点張りで、米中の戦争になれば、沖縄にミサイルが飛んでくるといった負の側面の説明がない。海兵隊も軍事的には沖縄にいなくてもいいというのが今や常識である。逆に中国のミサイルの射程圏内に入るというマイナスもある。尖閣危機で米軍の海兵隊が投入されることはない。普天間のオスプレイの佐賀空港への暫定移駐案で「海兵隊は沖縄でなければ抑止力は維持できない」という政府の主張は破綻した」。初めて直接話をうかがったが、その主張はいちいち共感できる。

続いて半田氏は、「沖縄の基地問題が解決しない背景には、日米の不適切な関係がある」と始める。長年にわたる防衛問題取材のエキスパートとして、その言葉には説得力がある。「2006年の米軍再編最終報告では、在沖海兵隊の実戦部隊が沖縄に残り、グァムに司令部機能が移ると合意した。沖縄からは「乱暴者の実戦部隊こそグァムに移して」という声が上がったが、日本政府は「それでは抑止力が維持できない」として実戦部隊移駐を拒否した。しかし、2012年には、実戦部隊であるキャンプ・シュワブの第4海兵連隊がグァムに移ることで日米が合意した。2006年の合意の理由が抑止力であったこととの関係で説明できない対応である。米国に対して『イエス』を言い続け、地方には『言うことを聞け』と結論だけを強要する対米追従をやめ、地元の意見を反映させて政策を決めるべきである」と。

屋良氏の海兵隊分析は実証的で、緻密である。半田氏の論点からより踏み込み、こう述べた。「抑止がユクシ(沖縄方言で「嘘」の意)であるのは明らかだ。日本政府は、海兵隊はすべての機能が一緒でないと動けないと繰り返してきたが、分散移転が可能なことが明らかとなった。沖縄の主力部隊である第4海兵連隊がグァムに移駐することになり、沖縄に残る地上部隊は、1年のうちの9カ月、海外をまわる第31遠征隊(31MEU)である。そういう部隊のために、辺野古に基地を新たにつくる必要があるのか。沖縄には第12歩兵連隊がいるが、この部隊も本土への訓練移転で半年以上沖縄にはいない。31遠征隊はアジア・太平洋各地をグルグルまわって教育・訓練をやる。沖縄でなくても海兵隊は十分に機能する。軍隊の配備は政治が決める。辺野古移設も『沖縄はどうせ受け入れる』『金目の問題でしょ』という琉球処分的な発想でやっている。そういうことの本質を隠しているのが『抑止力』や『(沖縄の)地理的優位性』というマジックワードである」と。沖縄の人々には「ユクシ」と言えば誰でも「嘘」とわかる。だから屋良氏の「命名」にかかる、「抑止はユクシ」が出てくるたびに会場から笑いがもれた。

猿田氏は、ニューヨーク州弁護士の資格をもち、長年ワシントンに住んだ経験から、「米側のいわゆる知日派は30人程度で、この人々が対日政策に強い影響力をもっている。米下院の沖縄担当の小委員会の委員長と面談したとき、『沖縄の人口は2000人くらいか』と言われ、びっくりした」と述べ、ワシントンに日本や沖縄の市民の声を届ける必要性を熱く説いた。「鳩山由紀夫首相(当時)が『最低でも県外』と主張したときも、駐ワシントンの日本関係者は米側にまじめに伝えようとせず、むしろ妨害した。沖縄の声を米国に伝えるため、ワシントンに根ざした持続的な働きかけが必要である。米議会の議員に沖縄の実情を訴えても、『話はわかった。で、私は何をすればいい?』で話は止まる。例えば、国防権限法案を担当する実務者と具体的な関係を作り、法案が出てくる前に対案を示すなど、ワシントンからの発信効果を活かし、日本政府にモノを申していきたいと思う」と結んだ。

なお、この4人の話は『沖縄タイムス』8月28日付が2面全部を使って紹介した。詳しくは、新外交イニシアティヴ編『虚像の抑止力――沖縄・東京・ワシントン発安全保障の新基軸』(旬報社、2014年8月25日刊)を参照されたい。

私は直言「抑止力を疑え」などで、「抑止力」論のまやかしを批判してきた。だからこそ、屋良氏の緻密な分析に基づく「抑止力はユクシ(嘘)力」という表現は鋭いと思う。かつて私は、沖縄問題の本質をごまかす時に使う「5つの言葉」に注意を喚起した。この「抑止力」に加えて、「日米同盟」「負担軽減」「経済効果」、そして「専管事項」である。

このうち、基地の「経済効果」論も「抑止力」と同様、すでに破綻している。県民所得に占める基地関係収入(軍用地料、基地従業員所得、米軍の消費支出)の割合が、復帰時(1972年)15.6%に対して、1990年以降は5%台である。今回、水島ゼミ3期生がレストランの2号店をご主人とともに、北谷町美浜の基地返還跡地に開店した。この地域の直接経済効果は174倍増、所得誘発効果188倍増、税収は210倍増になっている(沖縄県知事公室基地対策課報告書参照)。「基地がないと沖縄の経済は立ち行かない」という「基地の経済効果」論も「ユクシ」である。

次回は、辺野古の現場からの報告である。     (この項続く⇒その2

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