「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ              2013年5月6日


年の憲法記念日は、2 日から4日まで、48時間で札幌、岡山、水戸の3都市で講演した。テーマは「憲法96条問題」。「96条について話を聞きたい…」と、どこでも主催者の予想を上回る聴衆が参加した。1年前、96条なんて憲法条文を知っている人がどれだけいただろうか。憲法記念日について報ずる『産経新聞』5月4日1面トップ見出しは「『96条』高まる議論」。だが、一般の国民が96条改正を求めたわけではない。憲法が邪魔で仕方ない政治家たちが、一方的に96条改正を煽り、議論を「高めてきた」だけではないのか。

安倍晋三自民党総裁・首相は、ついに憲法96条改正を参院選の自民党公約に入れた。立憲主義にとって、これは真正の危機である。私は、憲法研究者としての職命(Beruf) から、生身の命を削ってでも、この問題の本質を訴えていきたい。そういう決意で、これからも各地で講演していく。憲法96条をめぐる問題の展開については、来週の直言で詳しく書くことにして、今回は「主権回復の日」について再度述べておくことにする。

記念日というのは一定のサイクル(年単位)で、歴史的な出来事を想起させる「装置」である。このことは、9年前、「それぞれの『記念日』」でも書いた。ドイツのG.シュレーダー首相(当時)は戦後60年を前に、フランスのノルマンジー(6月6日)とポーランドのワルシャワ(8月1日)を訪れ、また帝政時代の旧植民地ナミビア(8月11日)に閣僚を送って、「過去」と向き合った。これでドイツは、ヨーロッパのみならず、かつての植民地諸国においても支持と信頼を確実なものにして、国際的な地位を確固たるものにした。見事な「記念日外交」である。

 同じ頃、日本の首相と閣僚は靖国神社参拝をやって、周辺諸国とのあつれきを深めていた。かくして、2004年の時点で、「過去の克服」の問題に関する日独の差は圧倒的に開いてしまった

昨年12月、村山談話や河野談話まで覆して、過去の蓄積を台無しにする第二次安倍内閣が誕生した。戦後68年を前に、この国は、長年にわたって築いてきた周辺諸国との関係を失いかけている

日本の政治家に「記念日外交」ができないのは、歴史的知見や教養が足りないからだけではない。特殊な「価値観外交」を過度に押し出すため、不必要な摩擦を広げてしまう点も無視できない。ドイツの対外政策を長年にわたり観察してきた者として、ドイツの政治家の多くは過去の歴史を踏まえ、「記念日」に配慮しつつ、それぞれの国に慎重かつ周到に向き合ってきたことを指摘したい。日本の政治家のように、7月7日(蘆溝橋事件)に首相が尖閣国有化を表明し、9月11日(満州事変の1 週間前)にその閣議決定を行う無神経さは、ドイツの政治家からすれば信じがたいことである。

安倍首相は最近、「記念日」の使い方において、二つの重大な誤りをおかした。

 その一つは、閣僚の靖国問題に対する中国や韓国の批判に対して、「どんな脅かしにも屈しない」という異例に強い言葉を使ったこと(4月24日参院予算委員会)、歴史認識について、「侵略という定義は定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかでも違う」(4月23日同)と述べたことである。他国の批判を「脅迫」と受け取る感覚は理解できない。内心が相当歪んでいないと、このような余裕のない言葉は出てこないものである。もしドイツの政治家が「1939年9月1日」について、「国と国の関係でどちらから見るかでも違う」と言ったら、即刻辞任だろう。「イスラム原理主義者」を批判する安倍首相は、他国から見たら危ない「靖国原理主義者」に見えるのかもしれない。これは日本のイメージを相当ダウンさせていることになる。私は使いたくない言葉だが、まさにこういう首相の存在そのものが「国益に反する」のではないのか。

 調子にのる安倍氏は4月27日、戦車兵の服装をして、10式戦車の12.7ミリ重機関銃横の天蓋から手をふってみせた。若者へのサービス程度の軽い気持ちだったのだろうが、写真は全世界に広まってしまった。ドイツ週刊誌『シュピーゲル』は、首相公用車と警察車両との追突事故を報ずる記事にこれを使った(Der Spiegel(WEB) vom 27.4.2013)。文章と写真との、何とも皮肉な組み合わせである。

各国メディアに批判されるのは、安倍氏の「不徳のいたすところ」である。一国の首相たる自分の立場をもっと自覚し、心に思っていても口にしない、不必要に心の揺れ、怒り、焦りを顔にあらわさない。国政上の総合調整機能をもつポジションにある者として(だから「総理」大臣なのである)、すべてに目配りをして、適切な言葉と指示を出す。首相には最低、これが求められる。だが、残念ながら、それを安倍氏に求めることは、超がつくほどの高望みなのだということがわかってしまったのが、「記念日」の使い方のもう一つの失敗である。

普天間問題をはじめ、沖縄に対する無配慮と無神経な対応を繰り返してきた日本政府だが、その無神経さの極致が「主権回復の日」だった。安倍首相は、沖縄に深い思いを寄せる天皇・皇后まで利用して、自分の思い入れを実現しようとした。この壮大なる勘違い。まさに「アベコベーション」の面目躍如だった。

冒頭の写真を見ていただきたい。各紙4月29日付は見事に分かれた。天皇に「万歳」をする写真しか載せない『産経新聞』、政府式典のみの『読売新聞』、政府式典と沖縄の「屈辱の日」大会の写真を完全に半々にした『朝日新聞』東京本社版、沖縄の写真を少し大きくして上下に配した『毎日新聞』、そして、「屈辱の日」大会を大きな写真付きでトップにもってきた『東京新聞』。地元『沖縄タイムス』とその速報版を入手したが、全体から怒りがほとばしる紙面構成である

 この写真は『朝日新聞』西部本社版(福岡)と東京本社版を対比したものである。西部本社版は沖縄にも配達される。明らかに東京とは紙面の雰囲気が違うことがわかるだろう。朝日東京の近年の論調の揺れは、この紙面構成にも反映しているように思う。朝日西部は沖縄を管内にしているから、記者も編集サイドも沖縄の現場の空気を踏まえた報道をする。いま、現場の空気とはどんなものか。

 国道58号線を北上して、沖縄本島最北端の国頭村の辺戸岬に着くと、そこに「祖国復帰闘争碑」が立っている。私も何度か行った。「…平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ『平和』条約第3条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躪した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。…」。熱い言葉が連ねられている。

「主権回復の日」がいかにKY(空気が読めない)ではなく、KM(空気が見えない)だったのかを安倍氏に教えるため、『沖縄タイムス』4月28日付特集面の作文を紹介しよう。祖国復帰闘争碑の写真を添えて、当時小学校2年生だった大城知佐子さんの作文が掲げられている。米軍統治が続く1966年、沖縄教職員会が『作文は訴える 沖縄の子ら』を発行したが、その58編のうちの1 編である。

海に線が引かれた

うみに、せんがひかれて、
日本のうみ、おきなわのうみと、わかれているというが、 ほんとうかな。
ほんとうに、せんがみえるかな。
うみのうえで あくしゅして、早く日本に、かえるようにするそうです。
しんせきの、きよしおじさんは、
いま、日本で、はたらいています。
きよしおじさんは、日本人になれて いいなあと思います。
わたしは、大きくなったら、日本にいって、かんごふさんになりたい。
 はやく、みんな、日本人になりたいと思います。

 「北緯29度以南の南西諸島」(サンフランシスコ講和条約3条)が、1953年の奄美諸島復帰後は「北緯27度以南」になった。その27度線の南北で、本土と沖縄から祖国復帰を求める人々が船で漕ぎ寄せ、海上デモを行ったことは私も覚えている。大城さんの「うみのうえで あくしゅ」はそのことを言ったものである。沖縄のことを日本史で勉強した大学受験生なら当然知っている事実である(安倍氏はトータル推薦入学だから勉強していないおそれがある。法学部卒だが憲法の理解も怪しい)。

 海に見えない線が引かれて、沖縄の人々は本土と切り離された。どれだけ日本に帰りたかったか。その思いは大城さんの作文にもあらわれている。「沖縄の人々が耐え忍ばざるを得なかった戦中、戦後のご苦労に対して、通り一遍の言葉は意味をなさない」と安倍首相は政府式典で語った。だが、「通り一遍の言葉」の方がまだましである。沖縄の人々は「また言っている」と呆れるところで済んだかもしれない。安倍氏が「首相主導で」強行した4月28日政府式典こそ、「通り一遍の言葉」ではなく、式典という形を伴う行為によって、沖縄を深く傷つけたのである。

元白梅学徒の一人、中山きくさんは「屈辱の日」沖縄大会で、政府式典の「不条理と無念さ」を嘆き、「61年間の沖縄の苦悩をまったく顧みない歴史認識を欠いた心ない行為」を批判しつつ、「政府式典は平成の沖縄切り捨て」と特徴づけた(『沖縄タイムス』2013年4月29日付総合2面)。「4.28」を「主権回復の日」として、政府主催の記念式典で祝ってしまった安倍氏は、おそらく沖縄の歴史のなかで、「屈辱の首相」として語り継がれることだろう。

このKM首相が次に多くの人を怒らせる「記念日」は「8.15」になるだろう。日本では「終戦記念日」だが、韓国では「光復節」、「光を取り戻した日」という意味で、国の祝日になっている。植民地支配からの解放の日、独立記念日である。「8月15日」に間違ったメッセージを世界に発信するのではないか。いまからかなりの確度で気がかりである。

         

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