「念のため解散」は解散権の濫用か            2014年11月17日

年内総選挙

か問題が起きて、首相の責任が追及される場面が起きると、唐突に局面が切り替わる。それまで熱く議論されていたことが、新聞の紙面やテレビの画面からあっけなく消えてしまう。次々に起きる新たな問題に目が奪われて、じっくり考える時間などない。問題は先送りされ、責任の所在は曖昧のまま、安倍内閣の支持率は高いという状況が続いている。

1年前の今頃、特定秘密保護法案でメディアは連日キャンペーンをはっていた。この法律に含まれる重大な問題点が何一つ是正されないまま、12月10日に施行される。メディアで報道されることはほとんどなく、国民の関心は驚くほど低い。

ほんの半年前、安倍首相は珍妙なパネルを使って、「私は国民の命と暮らしを守る最高責任者だ」とハイテンションで語っていた。だが、7月1日に集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされるや、関連法制の整備もガイドライン見直しも来年に先送りしてしまった。その一方で、豪雪被害、台風被害、土砂災害、そして火山噴火と、「国民の命と暮らし」が重大な危機に陥る場面が続いたが、安倍首相はゴルフや外遊を続け、救援活動の先頭に立つという気構えや気迫は感じられなかった。

内閣改造後は、目玉の女性閣僚たちの不祥事が続発。同じ日に2人の大臣が辞任するという異常事態が起き、さらなる大臣辞任は不可避かと思えたその週の金曜日、突然の追加的金融緩和が行われ、世間の目はまったく別の方向に向けられてしまった。景気は好転せず、円安で中小企業は青息吐息で、「アベノミクスの失敗」が誰の目にも明らかになってくるや、首相はAPEC参加のために国外に出かけてしまった。16日の沖縄県知事選での大敗北を見越すかのように、17日に帰国。消費税10%の先送りを発表する。問題大臣たちの任命責任や、沖縄県知事選敗北の責任について触れることもなく、消費税増税の先のばしと「アベノミクス」失敗の責任について国会で追及する時間も与えずに、間髪を入れず衆議院を解散してしまう。「丁寧にご説明申し上げる」と口先では言いながら、大事な問題についてきちんと答えることをしないで、責任追及からひたすら逃げ続ける。

もともと安倍首相は自分が批判されることを極端に嫌い、すぐに論点をずらし、相手の落ち度や弱点をあげつらってムキになって反論する癖がある。自分で「最高責任者」といってしまうわりには、「責任」の意味がわかっていない。国会で責任を追及されると、首相とは思えない乱暴な言葉でやりかえす。この答弁の仕方と内容のひどさ(「捏造」という言葉の多用を含め)は、憲政史上例がない。一方、自分を歓迎してくれる国々を中心に50カ国以上もまわって、満面の笑みを浮かべて日本国民の税金をばらまく。家の財産を自分のために食いつぶす放蕩息子ならぬ、「放蕩首相」が、衆議院解散という「伝家の宝刀」を抜こうとしている。

「伝家の宝刀」。この言葉は要注意である。閣僚や幹事長、与党代表に「総理の専権だから」「伝家の宝刀だから」と言わせて、まさに「私が決める」という場面を演出させている。だが、何のために解散をするのかという理由がさっぱり見えない。この点で、自民党の機関紙というよりも、いまや安倍首相とご一党の私的機関紙と化した『産経新聞』。その11月12日付一面の紙面構成の異様さが際立つ。

リード文の主語は「安倍晋三首相」である。「月内に衆院を解散し、12月中に総選挙を断行する意向を固めた」「消費税率10%への再引き上げについて1年半後の29年4月に延期する方針を決めた」「29年4月まで延期すると現衆院議員の任期(28年12月)を超えることから、延期判断について国民の審判を仰ぐ必要があると判断した」。述語は「固めた」「決めた」「判断した」と言い切っている。他紙は与党幹部の言葉とか、創価学会幹部会の動きなどから「首相解散検討」(『朝日』)、「年内総選挙で調整」(『毎日』)と、解散の方向性を伝えるにとどまっている。『産経』の断定調はきわめて不自然である。NHK政治部・岩田明子記者の「安倍総理大臣としては…」という語り口で首相の意図を無批判に垂れ流す手法と同様、ジャーナリストとしての仕事ではなく、官邸広報のそれである。

『産経』と同様に、政権の意図を先行的に流す点では横綱級の『読売新聞』は、11月9日付でどこよりも早く「増税先送りなら解散 首相検討 年内にも総選挙」というアドバルーンをあげ、11月12付社説で、「安倍内閣の支持率が高いうちに解散を断行して局面を打開し、新たな民意を得るとともに、陣容を一新して政治を前に進めるのは、有力な選択肢と言える。民主党は、295小選挙区のうち半分以下の候補しか選定できていない。維新の党などとの選挙協力も手つかずで、野党の衆院選準備は大幅に遅れている」と、安倍首相に「いまがチャンスだからやれ」といわんばかりの論調である。

これに対して、『毎日』社説は、「政権与党が税率引き上げの環境を整える努力を尽くさず、しかも増税に慎重な世論に乗じて選挙にまで利用しようという発想が感じられる。民意を問う大義たり得るか、今の議論には疑問を抱かざるを得ない。…増税先送りを奇貨として、世論の追い風をあてこんだ解散論とすれば、あざとさすら感じる」と、「あざとさ」という厳しい言葉を投げかける。ジャーナリズムとして、ごく当然の指摘であろう。

そもそも衆議院の解散とは何か。衆議院議員の身分を任期満了前に奪う行為である。憲法69条は、衆議院で内閣不信任決議案が可決され、あるいは信任決議案が否決されたときは、「十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない」と定める。憲法7条は天皇の国事行為を10個並べており、その3号に「衆議院を解散すること」とある。解散について、憲法にこれ以外の規定はない。しかも、69条は内閣総辞職の規定で、内閣に衆議院解散権が帰属するという明確な定め方をしていないことに注意する必要がある。そこで学説上評価が分かれてくるのだが、いまは一応、7条説が通説・実例となっている。「対抗的解散」(憲法69条解散)と「裁量的解散」(7条解散)という言い方がされることもあるが、いずれにしても、憲法は、誰に解散権があるのかについて、明文の規定を置いていないのである。

だから、自明のように首相の「伝家の宝刀」という形で、首相にフリーハンドを与えたかのように聞こえる表現は妥当ではない。首相が解散権を使って、与党内部を政治的に引き締めることにも使われてきた。逆に、永田町用語で解散を意味する「重大な決意で臨む」という言葉を安易に使って、辞任に追い込まれた海部俊樹首相の例もある。

保利茂氏の解散権論

飯田忠雄氏の解散権論

中曽根内閣の「死んだふり解散」(1986年)、小泉内閣の「今のうちに解散」(2003年)野田内閣の「近いうちに解散」(2012年)などさまざまある。特に「今のうちに解散」の身勝手については、当時新聞に、「首相人気が高止まりのうちに、落ち込んでいた経済が少し持ち直しているうちに、イラク派兵で自衛隊に犠牲者が出ないうちに、年金制度改革で国民負担の増大が明らかにならないうちに、道路公団と郵政民営化の結果が問われないうちに…」解散、と書かれた(直言「今のうちに解散」)。

そこで、「今のうちに解散」のようなものは解散権の濫用ではないかという論点がある。左の写真は35年前の新聞記事で、保利茂前衆議院議長(当時)の遺稿「解散権について」を紹介したものである。保利氏は、衆議院の解散が行われる場合として、(1)「議院内閣制のもとで立法府と行政府が対立して国政がマヒするようなときに、行政の機能を回復させるための一種の非常手段」、(2)「その直前の総選挙で各党が明らかにした公約や諸政策にもかかわらず、選挙後にそれと全く質の異なる、しかも重大な案件が提起されて、それが争点となるような場合には、改めて国民の判断を求める」の2つを挙げて、「特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる」「7条解散の濫用は許されるべきではない」と説いた(『朝日新聞』1979年3月21日付)。この指摘は、69条解散に限定されるというのでなく、7条解散の慎重な運用を求めたものといえるだろう(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」)。

さらに進んで、7条解散も69条解散も憲法上許されないという主張を展開した人がいる。公明党衆議院議員(当時)飯田忠雄氏である。右の写真は『朝日新聞』1979年8月10日付「論壇」に投稿した「内閣に衆院解散権はない―法的根拠になり得ぬ憲法69条」で、保利氏の上記の論稿に触発されて書かれたものである。

「…衆議院の解散は、国民の直接選挙によって選任された衆議院議員が、自ら組織した衆議院の構成を解体することである。このような衆議院の構成に関する問題について、実質的に決定権を有する機関は、憲法が特別の明文規定をもって内閣であると指定していない現在の憲法の下では、衆議院自体である。…憲法69条は『衆議院が解散されない限り』内閣に総辞職義務を課した規定にすぎず、内閣に衆議院解散権を与えたものでも、衆議院解散か総辞職かの選択権を与えたものでもないからである。結論だが、憲法は、衆議院の解散権を内閣に与えていない。衆議院の解散は衆議院の議決を必要とする。従って休会上の解散は、憲法上あり得ない。…」

首相の「伝家の宝刀」を否定しており、その論旨は明快である。「自律的解散説」をとっているという点でも興味深い。なお、飯田氏はその後、衆議院議員から、解散のない参議院議員になって、2012年に99歳で死去している。

ところで、解散権の濫用を防ぐという点では、ドイツの例が参考になる。ワイマール憲法が、大統領の議会解散権を広く認めたために濫用され、ナチズムへの道を開いた反省から、ドイツ基本法は、首相(内閣)不信任案や議会解散権を厳格に制限した。「建設的不信任制度」であり、後任首相を選出して初めて現首相に対して不信任案を出すことができる。議会解散権も制限され、信任決議案が否決された場合だけ解散を求めることができる。だから、首相が連邦議会を解散するには、自らに対する「信任」案を出して、それを自分の党の議員たちによって否決してもらうしかないのである。2005年にシュレーダー首相は実際にそれを行って解散した

とはいえ、ドイツのように、解散のハードルを高めすぎるのも問題かもしれない。重大な政策変更が行われ、国民の信を問う必要性が出てきたとき、解散できないというのも問題だろう。ただ、日本では、解散は、本来民意を問うべき場面では回避され、逆に、政治家の都合で唐突に行われることがしばしばあった。今回の安倍首相による解散を何と呼ぶか。「アベノミクス」の失敗を含めて、安倍内閣がこの2年間で行ってきた狼藉が「ばれないうちに解散」とでも呼ぼうかと思っていたところに、高村正彦自民党副総裁が「念のため解散」と語ったということが、時事通信11月14日11時37分配信でネット上に伝播した。政策を確認するため「念のため」に解散するというのである。保利氏がいった「立法府と行政府が対立して国政がマヒする」といった事態は起きていない。国会は30日まで開かれている。そこでの審議がまともに行われなくなったのは、安倍首相が海外から「解散旋風」を吹かせたからである。

消費税増税の延期を国民に問うという理由も成り立たない。消費税増税法の附則18条(景気条項)がすでにあって、「経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、前項の措置を踏まえつつ、経済状況等を総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる」ことは折り込み済のはずだろう。先延ばしを総選挙で問うというのは筋が通らない。

加えて、定数是正について努力することを怠って、任期半ばで解散するわけで、この点、『信濃毎日新聞』11月12付社説は、「『1票の格差』の是正が遅れていることも見過ごせない。抜本是正を怠ったままでは、選挙後に最高裁から選挙無効判決を突きつけられることも考えられる」と批判する。

「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」というが、政権投げ出しの前歴のある安倍首相が、すさまじいリスクを伴う解散を行い、そのあとに「2度目」が起きる可能性がないとはいえない。この解散がどのような結果をもたらすか。それを決めるのは、まさに有権者である。2012年12月16日の「戦後最低の投票率」がもたらしたのがいまの日本の惨状だとすれば、そこからの回復は、12月14日に「戦後最高の投票率」をもって、安倍内閣の2年を「総括」する以外にはないだろう。

だが、弱小野党の現状のままでは、さらなる低投票率が続き、政治への虚無感を加速するおそれなしとしない。そのあとには、「脳のないタカ派が爪を隠すことなくむき出しにしてくる」ことが深刻に危惧される。原発国家、軍事国家、秘密国家、警察国家、大増税国家としての「美しき強き国」の登場である。

トップページへ。