「厳罰化社会」に思う  2007年1月29日

海道や広島にいたとき、あるいは在外研究でドイツに住んだときは、車中心の生活だった。その体験からいえば、車についての感覚は、国や地方により異なるということだ。欧州統合といっても、国により交通ルールや「交通感覚」は微妙に違う。特にドイツからイタリアへ車で行ったとき、そのギャップに驚かされた。狭い日本のなかでさえ、地方により「いろいろ」である。面積が格段に広い北海道は別格として、狭い沖縄も車社会である。鉄道が発達しなかった沖縄では、交通手段はもっぱら車である。家族全員がそれぞれ自分の車をもっている家も少なくない。飲酒運転にも「おおらか」な気風がある。
  『沖縄タイムス』2006年9月8日付コラム「大弦小弦」(平良武)は、県外から来た友人を、広い駐車場付きの居酒屋に案内したとき、その友人が示した違和感と険しい表情について書いている。居酒屋の広い駐車場。さりげない風景でも、考えてみるとおかしな話である。車できて、酒を飲んで、車で帰っていく。沖縄県は、死亡事故に占める飲酒運転の割合が全国一高い。

  06年は、その飲酒運転がかつてなく問題化した。ワイドショーなどでも繰り返し取り上げられ、「飲酒運転撲滅」に向けた動きが活発化した。とりわけ公務員における「一発懲免」(酒気帯び運転で検挙されたら、理由の如何を問わず懲戒免職)の動きは全国に波及した。そして昨年末、警察庁は道路交通法の改正試案を発表したのである。
  酒気帯び運転は従来の1年以下の懲役(30万円以下の罰金)から、3年以下(50万円以下)へ、酒酔い運転は3年以下(50万円以下)から5年以下(100万円以下)へと「厳罰化」している。加えて、酒類の提供者、酔っぱらいに車両を提供した者も、運転者と同じ罪に問われるようになる。さらに、酒気帯び運転の車に同乗した者も2年以下の懲役(30万円以下の罰金)、酒酔い運転の場合は3年以下(50万円以下)と、かなり厳しい。ひき逃げが5年以下の懲役(50万円以下の罰金)から10年以下(100万円以下)に引き上げられ、アルコールの探知拒否も従来は30万円以下の罰金だったが、それが3月以下の懲役(50万円以下の罰金)になる(『毎日新聞』2006年12月28日付夕刊)。
  ひき逃げ行為を厳しく処罰する方向を世間は好意的に受けとめるが、罪刑均衡(バランス)の観点から疑問もある。業務上過失致死罪は、人が死亡したケースでも懲役5年が上限だから、ひき逃げという行為だけで10年というのは罪刑のバランス上どうなのか。

  警察庁の試案は、「飲酒運転に甘いとも指摘される社会全体の意識変革を促し、事故の『抑止』から『根絶』へ踏み込むのが狙い」といわれている(『東京新聞』12月28日付夕刊解説)。メディアが煽り、世論が後押している「いま」がチャンスと見たのだろう。だが、厳罰化ないし重罰化の方向に傾きすぎると、市民社会が息苦しいものとなるから注意が必要である。飲酒運転をなくしていくという目的は正当だが、手段として、厳罰化に安易に依存するのはいかがなものか。『北海道新聞』12月31日付社説は、「飲酒運転・厳罰化だけで減るのか」というタイトルで、警察庁試案への疑問を呈している。そのなかで、内閣府の国民意識調査でも、酒類の提供者や同乗者への罰則強化を求める人は4割台にとどまっていることを指摘。「刑罰の範囲をここまで広げ、厳しくすることは、慎重に考えるべきだ。さまざまな犯罪がある中で、飲酒運転だけ従犯の正犯化に踏み込むなら、十分な説明が必要だろう」と書いている。

  「試案」についての解説記事で『読売新聞』は、「同乗罪・一緒に飲めば即適用」という見出しを打ったが(12月29日付)、そ の特集記事に 批判的視点はない。とりわけこの「同乗罪」(メディアが使う言葉なので、ここでは括弧に括っておく)は曖昧である。運転者と一緒に宴会で飲酒をして、その帰りに同乗した場合は、飲酒と飲酒運転との間に密接な関連があるが、飲酒運転の事実を知らずに知人の車に乗り、車内で酒のにおいに気づいたような場合はどうか。このような場合まで同乗者の責任を問うのは酷ではないか。こういう意見は、警察庁内部にもあるという。また、飲酒運転のバスやタクシーにたまたま乗ってしまった客の場合はどうか。乗客は、まさか運転手が酒を飲んでいるとは乗車前に確認できないから、飲酒運転のバスやタクシーの乗客はこの罰則の対象外だという(以上、『東京新聞』同)。でも、このような事情や例外まで法律に書き込むのだろうか。刑罰法規は一度書き込むと、一人歩きをするおそれがある。曖昧な表現は、犯罪構成要件の明確性の要請にも反する。

  松原芳博「国民の意識が生み出す犯罪と刑罰」(『世界』2007年2月号)は、近年の刑事立法の特徴として、国民に「不安を抱かせる行為」を広く処罰対象にする、国民に「安心感」を与える立法が行われていることを挙げる。犯罪件数は決して増加傾向にはないのに、「不安」の拡大再生産のなか、法益を侵害した行為を処罰するという刑法の原則が変容しつつある。法益そのものの不明確化も進んでいる。松原氏は、国民の処罰感情が立法や裁判にそのままつながっていく昨今の傾向に警鐘を鳴らし、理性的な刑罰制度はいかにあるべきかを丁寧に説いている。私がこの論文に示唆を受けたのは、「安心感」を演出する「象徴立法」のことである。国民の「安心感」を保護法益とするような立法。これは、法規制を根拠づける「立法事実」との間の具体的な関連性を欠き、実際的な効果を度外視した自己目的的な「象徴立法」により、処罰範囲の拡大と重罰化が推進される、と松原氏はいう。報復感情の充足が、ストレートに立法や裁判に反映していく社会は歪んでいると思う。悲惨な交通事故や飲酒運転をなくすために、同乗者処罰は果して効果があるだろうか。ひき逃げの厳罰化で、ひき逃げがなくなるはずもない。遺族・被害者の報復感情を利用して、規制側がいままで得られなかったような権限を獲得できるようになったことは大いに問題であろう。

  国民の報復感情に便乗した「象徴立法」と並んで、死刑判決増大の問題も同一線上にある。昨年のクリスマスに、一度に4人の死刑が執行された。小泉内閣の杉浦正健法相は自己の信念から死刑執行命令書に署名をしなかった。安倍内閣が発足。長勢甚遠法相のもとで、06年に死刑執行ゼロの統計が残らないための「駆け込み処刑」といわれても仕方がないだろう。他方、06年は死刑判決が最多だったことも記憶されるべきである。死刑判決は、法務省矯正統計年報によると、この20数年間、一桁台からせいぜい20件のランクだった。それが04年あたりから急増し、06年にはついに44件と、この26年間で最も多い数字となった。その結果、死刑囚は現在94人である(『山梨日日新聞』2006年12月31日付)。

   と、ここまで書いてきて、時間切れとなった。入試繁忙期に入ったため、ここからは既発表の原稿を転載して穴を埋めたいと思う。以下の文章は昨年10月に発表したものだ。執筆は9月中旬。その後、さまざまな事件が起きており、新しい立法提言や法律案なども出ている。したがって、以下の文章は昨年9月時点の認識をもとに書いていることにご留意いただきたいと思う。
        

酒と車と溜め息と

 ◆ 最悪の組み合わせ

  「食べ合わせ」という言葉がある。「梅干しとウナギ」はよくわからないが、「酒とカラシ」は根拠があるようだ。一緒にとると、血行がよくなりすぎて、高血圧などの生活習慣病を助長するそうである。「飲み合わせ」というのもある。「酒と薬」、特に経口抗凝固薬(血栓塞栓症の治療・予防)を酒と一緒に飲むと、脳出血などを引き起し、命にかかわるという。
  だが、最悪の組み合わせは、「酒と車」だろう。「酒を飲んで車を運転する」、あるいは「車を運転しながら酒を飲む」がこれにあたる。「酒は涙か溜息か」(作詞・高橋掬太郎、作曲・古賀政男)ではないが、「心のうさの 捨てどころ」というよりも、「己(おのれ)の職の 捨てどころ」となる公務員が続出。溜め息すら出ないような状況である。
  飲酒運転(酒気帯び運転と酒酔い運転)は、道路交通法65条(117条の2、117条の4)を持ち出すまでもなく、「やってはいけないこと」の最たるものの一つである。車は「走る凶器」と言われ、「ハンドルを握ると人が変わる」という人がいる。「酒を飲むと人が変わる」という人もいる。それを二つ一緒にやったら、きわめて危険というのは道理である。だから、法律も、「酒と車」の同時追求を、「飲酒運転」として、罰則付きで禁止している。「運転免許を持っている以上、車をどう使おうと勝手でしょ」とか、「酒を飲むのは個人の自由だろう」というそれ自体は当然の主張も、それを「同時に」主張することは許されないのである。
  ところが、実際の生活のなかでは、飲酒運転を違法と知りながら、「少しならいいか」という甘えやゆるみ、地域によっては「悪しき惰性」も根深く存在する。警察庁の調べでは、死亡事故を起こしたドライバーが飲酒運転だったという割合は、沖縄県が30.5%と、ダントツの第1位という(『朝日新聞』06年9月15日付)。そういえば、取材で沖縄をまわると、広い駐車場をもつ郊外型の居酒屋に出くわす。駐車場は満杯。店内は、泡盛を酌み交わす客であふれている。鉄道のない沖縄は、典型的な車社会である。居酒屋の広い駐車場は、飲酒運転を暗黙の前提とした施設といえなくもない。
  私は二つの地方大学に12年勤務したが、いずれでも通勤・生活は自家用車が中心だった。私自身は酒を飲まないが、深夜まで電車や地下鉄が走る大都市圏と異なり、地方の場合、酒を飲む場所へ(から)のアクセスの不便さはよく理解できる。だからこそ、「飲む」と決めたときは、「帰りの足」のことを考えてから行動することが求められるのである。

 ◆ ワイドショー的さらし首への?

  この夏、「酒と車」にかかわる世間の眼差しは一段と厳しくなった。とりわけ、 福岡市職員が飲酒運転で追突事故を起こし、橋から海中に転落した車に乗っていた幼児3人が死亡する事故は悲惨だった。「公務員」が「飲酒運転」。しかも「ひき逃げ」という要素も加わり、列島を衝撃が走った。テレビ、特にワイドショーが飛びついた。「朝ズバッ!」(キー局TBS)の司会みのもんたも、感情をあらわにして怒る。情にうったえ、「わかりやすさ」をトコトン追求するのが売りである。このところ、被疑者宅の常時撮影など、「ワイドショー的さらし首」の様相も呈してきた。朝早くから、反復継続して、そうした番組に浸っていると、その「刷り込み」効果も軽視できない。
  この種の番組では、「ちょっと待てよ」という言動が目につくのだ。例えば、死刑が求刑されるような凶悪事件の裁判で、無期懲役の判決が出るや、司会のみのもんたは、担当裁判官を激しく非難。その口調と中身に、私は危なさを感じた。刑事事件で、被害者側に過剰に寄り添い、刑事手続の基本原則に対して、怒りの矛先を向けるのはいかがなものか。煩瑣で時間のかかる手続きは抜きにして、被害者のために、「“犯人”を早く死刑にしてしまえ」といった極論もテレビに流れる。一般の人々の間に、刑事手続きに関する誤解や不満を拡大するおそれもある。このような傾向は、飲酒運転の問題についても言えるのではないか。

 ◆ 「違反一回で免職」の「ルール」

  「一発免職」の厳しいルールは、1997年、高知県が先鞭をつけた。県職員が飲酒運転で検挙されたときは、「事情の有無にかかわらず」免職という処分規定である。以来、同種の処分規定をもつ自治体が増えてきた。いま、都道府県と政令市、県庁所在地市の計96自治体のうち、飲酒運転の処分規定を設けているのは56自治体(『毎日新聞』06年9月13日付)。別の調査によれば、「飲酒運転をしたら原則免職」という自治体は、秋田、大阪、高知など11自治体にのぼるという(『朝日新聞』9 月18日付)。
  04年に「飲酒運転は原則免職」というルールを定めた横浜市では、飲酒後に家族を迎えに行った教諭が、途中で一斉検問にひっかかり、罰金20万円の略式命令を受けたのだが、この事実を学校に報告したところ、市教委は教諭を懲戒免職にした。教諭は「処分は重すぎる。裁量権の濫用にあたる」として、横浜市人事委員会に不服申立を行った。横浜市には、「特段の事情がある場合は停職」という例外もあるようで、「一発免職」という規定とその運用の仕方に問題はないか。
  国家公務員法82条は「免職、停職、減給又は戒告」の処分を、地方公務員法29条は「戒告、減給、停職又は免職」の処分を定める。国家公務員は「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」、地方の場合は「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」が処分要件の一つである。禁錮以上の刑に処せられた者は、当然に失職する(国家38条2号、地方76条)。
  ワイドショー的な気分に影響される「世間の声」をバックに、こうした手続きの過度な迅速化や簡素化を行うことは、世間には「わかりやすい」が、同時に、不利益処分におけるデュー・プロセスの軽視につながるおそれもある。
  警察に「酒気帯び運転」を摘発された段階で、すべての結論を出してしまうのはどうか。「事情の有無にかかわらず」というのに問題はないか。警察側のミスの可能性も皆無ではない。やはり性急な処分の仕方には慎重であるべきだろう。憲法31条は実体的デュー・プロセスを保障しているという観点に立てば、罪刑の均衡や刑罰の謙抑性もそこから導き出される。飲酒運転に対しては法律で懲役、罰金という刑罰が科せられるが、同時に、公務員としての地位の喪失(免職)への連動のさせ方については、違反の内容や程度に応じて慎重に対応する必要があるだろう。厳しい処分も当然ありうるが、「みせしめ」的な「一発免職」的な手法については、「飲酒運転撲滅」の手段として安易に依拠すべきでないと思う。埼玉県知事は、「世論に合わせて罪を重くしたり軽くしたりするのはよくない」として、「『厳罰化』は考えていない」と答弁したが、一つの見識だろう。
  「〔職場を〕酒とともに去りぬ」とならないよう、公務員も襟を正すべきことは当然である。

2006年9月18日稿)

「水島朝穂の同時代を診る」連載第23回
国公労連「調査時報」527号(2006年11月号)所収

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