裁判員制度が始まるけれど(3・完)  2007年12月3日

い服を着た女優が笑みを浮かべ、右手を前に出す。この女優のファンにはたまらない眼差しなのだろう。これは昨年あたり、最高裁パンフレットの表紙(最高裁HP〔今年現在は別の女優〕)、新聞の全面広告(2006年10月25日付等々)に頻繁に登場した。新聞広告は、最高裁、法務省、日弁連の連名。判・検事・弁護士の法曹三者が一体となって広告を出すのは、かなり珍しい現象である。高額な広告費を3分割して負担したのだろうが、最高裁と法務省は税金を使えるが、日弁連は独自に支出したわけである。
   なお、同じ女優がこれまた白い服をきて微笑む雑誌広告をみて、「ここでも裁判員?」と思ったら、風邪薬の宣伝だった。「カゼのタイプにあわせて、カゼ薬を選んでいますか?」。何とも意味深長な言葉である。鼻水が出る程度で強力な解熱剤を飲んだら、体に良いわけない。薬には「併用禁忌」ということもある
   裁判も同様である。欧米においては、陪審制(素人の市民が事実認定に関与する。量刑を決めるのは裁判官のみ)と参審制(数名の参審員が職業裁判官とともに合議体を構成し、審理を進める。量刑を含む判決に関与する)の経験が長い。陪審制も参審制も、裁判の「タイプにあわせて」選択されれば、合理的な仕組みとしてメリットがある。
   参審制についていえば、例えば、ドイツの労働裁判所の場合、経営側と労働側からそれぞれ選ばれた「名誉職裁判官」が参加する。経営側と労働側は利益代表として対立する主張を展開するのではなく、職業裁判官にそれぞれの立場から専門的な助言を行い、適切な判決に導くように協力するわけである。
   他方、陪審制の場合は、映画「12人の怒れる男」で知られるように、12人の一般市民が「24の瞳」を凝らして法廷を観察し、有罪か無罪かの評決を行う。職業裁判官だけでは見抜けないような証拠の疑問点を見抜いたりする。実は、この陪審制は、日本でも、10数年あまりの体験があるのである。

  大正デモクラシーの時期、原敬内閣が陪審制の導入に動いた。大正陪審法である。施行は1928(昭和3)年。大正の陪審制は、実施までに5年の準備期間をおき、284万部のパンフレットに、11巻の映画が作成され、3339回の講演会にのべ124万人が参加したという。1943年に戦時を理由に「停止」されている。運用上さまざまな問題があって、「年々利用されなくなり、制度が定着しなかった」という評価もあるが、その間に行われた陪審裁判484件のうち、無罪率は16.7%だった。81件も無罪判決が出たという事実は軽視できない。事実認定に普通の人々の体験や感覚を生かすという制度設計自体には合理性があり、また意味もある。来年80周年を迎える「大正陪審法」の制度と実践については、もっと知られていいように思う。これは、風邪のタイプや症状にあわせて適切な風邪薬を飲むことと似ていて、どのような制度を設計するか、が重要である。

  その点で、陪審制に一般的な陪審員数(12人)の半数で、事実認定のみならず、量刑にまで関与するという裁判員制度はどうだろうか。英米型の陪審制と大陸型の参審制の折衷形態のようにもみえるが、参審制の方にやや傾斜した設計になっている。これは、日本の司法制度にとって、従来の弱点を補う、発展への契機となり得るのか、それとも、これまでの刑事裁判の欠陥を拡大し、新たな困難を引き起こす要因になりかねないものなのか。この制度の発足がカウントダウンに入った現在、その問題性や危険性について指摘する書物や発言が目立ってきたのは、偶然ではないだろう。


   やや横道にそれるが、「郵政民営化」に無理やり焦点を絞った「9.11総選挙」の暴走は、「7.29参院選」によってブレーキがかかった。この国の二院制が、「民主主義のクーリングオフ」的な機能をもった一例である。この間に行われた各種「改革」の行き過ぎを見直す動きも、さまざまな分野でみられるようになった。「改革」の熱に浮かれて、長年にわたって機能してきた仕組みを急激に改変したことのツケは、庶民生活に及んでおり、「改革」の中身を「クール(冷静)」に見直し、場合によっては「オフ」にする勇気と決断も求められている。

   司法制度改革も同様である。この「改革」は、市民や法曹からの強い要求で動きだしたというよりも、第145国会で成立した「司法制度改革審議会設置法」で内閣に置かれた「司法制度改革審議会」を通じて、まさに政府主導で推進されたといってよい(ここにも、「審議会」の「新議会」的問題性がある)。司法審が本答申を出したあと、それを引き継いだ「司法制度推進本部」が内閣に設けられ、本部長には小泉首相が就任した(2001年)。「国策」として強力に推進された「改革」のなかには、法曹養成における専門職大学院の発足も含まれる。米国モデルのこの制度には、耐震構造の偽装を生んだ建築基準法改正(「建築確認の効率化」のための検査確認業務の民間開放)と同じように、米国「年次計画要望書」の具体化という側面があったことは否定できない。公平性、透明性、公開性などの響きのよい「原則」は、十分な議論もなしに「国策」として急ぎ適用され、さまざまな分野に軋みと歪みを生んでいる。「マイホーム」のマンションをすぐに建て替えることを余儀なくされた住民の苦痛は、「国策」に翻弄される人々の「マイライフ」にもかかわる重大問題を含んでいる。


   そのような各種の「改革」同様、政府主導の「改革」のなかで、法曹三者が連名で推進することになった裁判員制度もまた、その発足後にさまざまな問題を引き起こす可能性がないとはいえない。元裁判官が2年半前から、「違憲のデパート」という激しい言葉でこれを批判していた(『判例時報』1883-4号)。国会でも、保坂展人議員がこの間、裁判員制度について何度も質問している(保坂議員のブログ参照)。発足を前になお払拭しきれない疑問が多々あり、憲法や刑事訴訟法の観点からさまざまな論点があるが、ここでは、憲法の観点からの「そもそもの疑問」を3点のみ指摘しておきたい。それらは、この制度が提案された当時から指摘されてきた問題であり、その意味では古いといえるが、しかし、発足を目前にして新たに強調すべき問題点でもある。

  その第1は、憲法76条3項との関係でのそもそもの疑問である。司法においては、個々の事件を担当する裁判官の「職権の独立」がいかに実効的に確保されているかが決定的に重要である。裁判官は当該事件を担当するに際して、いかなる裁判所内外の力学や事情・要因に影響されることなく、独立して職権を行使することが求められる。その際に従うべきものは担当裁判官の「良心」と「この憲法及び法律」のみである。このことを憲法76条3項は保障している。他方、裁判官には強い身分保障がある(78条)。憲法は、最高裁については裁判官のみで構成されることを明示しているが(79条1項)、下級裁判所については構成についての明確な規定はない。
  ここから、最高裁以外の下級裁判所について、法律により、裁判官以外の者を合議に加えても違憲とはならない、という議論が出てくる。76条3項の職権の独立は、裁判官に唯一かつ終局的な決定権限が与えられているという意味ではなく、合議体の裁判での多数決の結果、少数意見の裁判官が多数意見の裁判官に従うということを予定しているということから、裁判員の評決に裁判官が拘束されることも、職権の独立に違反しない、というわけである。だが、裁判官の間での多数決と、裁判官以外の者が加わったなかでの多数決とでは、その質が違う。憲法に何も定めがないということは、大正陪審法の経験もあって、陪審制などの可能性を完全に否定するような規定を置かなかったまでで、憲法は、職業裁判官による裁判を基本と考えており、裁判官以外の者の参加は、あくまでもこの基本的属性を侵害しない限りで許容されると考えるべきである。裁判員法8条も、裁判官の職権の独立をうたってはいるが、実際の運用のなかで、裁判員が参加したことで、裁判官に対する心理的プレッシャーがかかり、自己の「良心」が揺らぎ、あるいは影響されるような環境がつくられた場合、「独立」が微妙に損なわれるおそれなしとしない。この微妙な負荷をどう評価するかにもよるが、裁判官の職権の独立は大変デリケートなものであることは強調しておきたい。裁判員制度は、憲法76条3項との関係でなお鋭い緊張関係にある。

  第2は、裁判員になりたくない人々の問題である。これは切実である。不出頭には10万円以下の過料が課せられる(83条)。裁判員候補者になった場合、質問票に虚偽の記載をしたり、裁判官の質問に虚偽の陳述をした場合、50万円以下の罰金となる。前回紹介した名古屋地裁に呼出しを受けた会社員(水島ゼミOB)は仕事上の理由で辞退したが、例えば、かりに同僚と結託してことさらに仕事が忙しく装ったと認定されれば、虚偽記載(陳述)になりかねない。早稲田祭での模擬ゼミで行った「裁判員辞退事由クイズ」でも、それをやった高校生の感想は、「なぜこれが認められ、これが認められないのか」という疑問だった。裁判員法16条に列挙された辞退事由も、運用のなかで国民の不公平感を生む可能性がある。宗教上の信念、あるいは思想的な理由から、死刑判決が予想される事件には参加したくないと辞退した場合はどうなるか。裁判員法の政令案では「精神上または経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由」という抽象的文言で対応される。これは、選任に関わる裁判官の判断に左右されるだろう。

  そもそも、この制度は市民の側が求めたものではない。日弁連は一貫して陪審制の復活を要求してきた。それがいつの間にか、参審制もどきの制度に変わってしまった。司法制度審議会の議論もお寒いもので、最終的に6人という数字になるあたりは、「さじ加減」の議論である。「裁判ざた」などという翻訳不能な言葉がまだはびこるこの国で、裁判や法律の世界にうぶな人々を、突然、死刑か無期かを決める過程に放り込むような制度設計には、そもそもの疑問があった。もっと身近なところから裁判に関わるような仕組みであるべきだった。その意味では、市民の負担は単に時間だけでなく、心理的負担も軽視できない。

  第3に、裁判員制度が法廷に過度のささくれだった、気ぜわしい空気を持ち込むおそれはないか、ということである。殺人や強盗殺人などの重大刑事事件に限定されている(2条1項1号)。このことと、被害者の訴訟参加(改正刑訴法)などの動きがセットになることで生ずる問題が危惧される。日本の場合、無罪率が極端に低く、ほとんどが情状立証になる。そこで、裁判員の役回りは、勢い量刑の判断のところで「発揮」されることになる。だが、素人に量刑判断させることは危ない。ワイドショーにより反復継続して「厳罰感覚」刷り込みを受け、「両親の気持ちを考えれば、死刑にすべきだ」と主張する人が出てくるだろう。殺人事件の場合、本人、すなわち直接被害者は死亡していて直接声をあげることはできないから、そこで登場する被害者は常に家族、親族である。つまり間接被害者である。間接被害者の訴訟参加が、冷静な審理を必要とする法廷を、「仇討ち」ないし「復讐」的心象風景で覆うおそれなしとしない。近代的刑事司法が、そのような「仇討ち」を禁止したところから出発したとすれば、昨今のこの国の空気には危ないものを感じる。刑事裁判が不必要にささくれだってくるのではないか。
   また、公判前整理手続(49条)や、多忙な裁判員への配慮としての、審理の迅速性の重視(51条)などが、裁判にマイナスに働くこともあり得る。例えば、重大否認事件などで慎重な審理が必要なのに、複数の鑑定を突き合わせていると時間がかかるということで、裁判官が一つの鑑定だけで審理を終える。あるいは、公判前整理手続で、その時点では落とした証拠のなかに、法廷での証言との関係では新たな事実の発見に寄与できたものが含まれていたということもないとはいえない。この制度により、法廷が気ぜわしくなることが、危惧される。それは「改革」にさらされたものの一つとして、かつては、ゆったりと研究・教育にいそしめた大学が、いまや、何とも気ぜわしい、「忙しい場所」に変わったこととも共通するものを感じる。
  まだまだたくさんのことがあるが、とりあえず、これで中間的なまとめとする。いずれまた、必要に応じてこの問題に触れることになるだろう。

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