憲法施行61周年と「直言」600回  2008年5月5日

本国憲法施行61周年を迎えた。当日は、気温32.3度という真夏日のなか、「5.3高知県民のつどい」で講演した。1993年に集中講義で1週間ほど滞在して以来、15年ぶりの高知である。3日間、土佐料理を堪能した(特にウツボのたたきが美味しかった)。講演は午後からなので、午前中、高知市内の歴史名所をまわった。今回は、中江兆民の生家跡にも行った。その前の通りが「兆民通り」となっていたのだそうだが、今回はその標識はなかった。高知市立の自由民権記念館も15年ぶりに訪問した。西田館長や学芸員の宮崎篤子さんのご配慮で、展示に関係する資料も頂戴した。植木枝盛が1881年に「東洋大日本国々憲案」を執筆した旧植木邸にも行った(右写真)。彼の日記によると、8月28日〔日曜〕「大風雨幽居、日本国憲法を草す」、8月29日〔月曜〕「大風雨。幽居日本憲法を草す」とある。憲法草案は、まさに暴風雨のなかで執筆されたことがわかる。民権の時代への知的ワープをたっぷりやったこともあって、午後の講演には熱が入った。

  演題は「憲法とは何かを改めて問う――日本国憲法施行61周年の日に土佐から」とした。講演時間が80分しかなかったので、憲法9条関係の話は必要最小限にして、ほとんどを、憲法とは何か、立憲主義とは何かといった基本問題と、植木枝盛草案の先駆性に重点を置いて語った。そのためか、『毎日新聞』5月4日付高知県版は「土佐の歴史を学ぶことは憲法を学ぶこと」という4段見出しで、私の講演を紹介していた。私自身、「立憲の故郷」土佐の歴史に刺激されて、市民はもっと主体的に憲法というものと向き合うことを強調した。感想文をみると、そういうところに聴衆が共感してくれたことがわかる。

  県立高知短期大学名誉教授の外崎光広氏によると、植木枝盛草案の特色は二つある(『植木枝盛の生涯』高知市文化振興事業団刊〔1997年〕103〜106頁参照)。第1に、枝盛らの自由民権運動の課題を条文化したということである。弁士中止の体験や、集会・結社禁止の弾圧体験、信書の秘密の保障も彼らの苦い経験に根ざしていたという。第2に、民権運動に影響を与えたということである。草案には「日本人民ハ兵士ノ宿泊ヲ拒絶スルヲ得」(73条)とあるが、明治21年(1888年)秋に陸軍演習が高知であったとき、松山・丸亀の兵士が民家宿泊することになったが、高知の上町の人々が「兵隊のお宿は出来申さず」とこれを拒否したという。枝盛が米合衆国憲法修正第3条を取り入れたものと思われるが、これが町民の具体的行動の指針となったようである。

  このように、植木枝盛の草案は内容も、その後の影響も大変興味深いものがある(「『疑』を胸にひめて――植木枝盛のリアリティ」今週の一言〔法学館憲法研究所、2007年4月23日〕も参照) 。そこで、憲法記念日の直言として、 読者の皆さんに、植木草案についてもっと関心をもっていただくために、私が4年前、『月報司法書士』に連載した「憲法再入門」の通算7回目、「憲法が注目される時代を考える」から、その一部を引用することにしよう。なお、「○年前」という年数のカウントは、2004年2月の執筆時点から起算したものである


憲法が注目される時代を考える

 

◆連載再開にあたって 【省略】

◆123年前の憲法草案から見えるもの

  半世紀あまり生きてきて、私の活力の源泉は「驚きと発見」だとつくづく思う。だからこそ各地を旅して、問題意識を持ったさまざまな人々と会う。そこから学ぶものは無限である。自分から前に出なければ会えない。「出会い」とはそういうものである。

  11年前、 高知市の自由民権記念館で、思わぬ「発見」をした。常設展示のなかに、三つの憲法(案)の比較対象表があった。大日本帝国憲法(全76カ条)と日本国憲法(全103カ条)との比較ならば、講義や講演で何度もやっている。ところが、そこでは1881(明治14)年の植木枝盛「東洋大日本国国憲案」(全220カ条。以下、国憲案という)の条文が、二つの憲法の条文と比較対照できるように並べられていたのだ。それを何気なく眺めていてハッとなった。国憲案45条「日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハサルヘシ」。日本国憲法の方に目を転じると、対応する条文はない。周知のように31条には、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」とある。ここでは死刑は明示的に否定されていない。この31条に対応するのが国憲案46条である。「日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ何等ノ刑罰ヲモ科セラレサルヘシ」。国憲案45条との絡みで見れば、この46条の「刑罰」から生命刑は排除されていると解するのが自然だろう。

  さて、国憲案には、近代市民革命期の政治思想と憲法(構想)への初々しい感動と共感に基づくフレーズが随所に盛り込まれている。粗削りで、素朴な形ではあるが、プロイセン憲法に限りなく準拠した大日本帝国憲法に対する「もう一つの憲法構想(オルターナティヴ)」がそこにある。植木が描いた国家のありようは、各州からなる「日本連邦」であるが、そこには皇帝が存在する。興味深いのは、国憲案では「女帝」が想定されていたことである(97、98、102条)。また6条には、「日本ノ国家ハ日本国民各自ノ私事ニ干渉スルコトヲ施スヲ得ス」とある。ここには、「私事」(プライバシー)の考え方が早くも示されている。他にも興味深い条文が多いが、ここでは省略する。

  国憲案で最も注目されるのは、憲法というものが、国家権力を拘束し、その暴走をチェックするところに存在意義があることを、抵抗権や革命権の実定化によってさらに徹底しようとした点だろう。「政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得」(70条)、「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得」(71条)。明らかにアメリカ独立宣言やフランス人権宣言の影響を受けていることが看取される。国憲案には、近代立憲主義のエッセンスが鮮度を保った状態で沈殿しているといえよう。なお、全文は、家永三郎編『植木枝盛選集』(岩波文庫)で読むことができる。

◆憲法が注目されるとき

  さて、憲法が熱く語られるとき、その時代は転換期にある。日本が近代的な国の「かたち」を模索していた明治10年代は、自由民権運動の側からさまざまな私擬憲法草案が提起された。一説によると、40種類以上はあったという。植木の案もその一つだが、そこでは、政府の暴走に対するチェックの必要性がことのほか強く自覚されていた。政府が違憲行為を継続反復して行った場合には、人民に「最後の切り札」として抵抗権が留保されていたのが一例である。結局、大日本帝国憲法というコテコテの欽定憲法が制定されたが、それが発布されるまでのわずかな期間、この国に、立憲国家を求める下からの熱い思いと構想と運動が存在したことはもっと知られていいように思う。

  敗戦直後の一時期も、憲法が熱く語られた。フィリピンの捕虜収容所でも、遙か彼方の日本に思いをはせながら、捕虜たちの間で、新しい憲法をめぐる「論争」が展開されていた(拙著『戦争とたたかう ――一憲法学者のルソン島戦場体験』〔日本評論社〕第9章「捕虜収容所の憲法論争」参照)。国内では、各政党だけでなく、民間レヴェルでもさまざまな憲法草案が発表された。そのなかでも特に重要なのが憲法研究会の草案である。GHQ(連合軍最高司令部)は、日本国憲法の原案となる「マッカーサー草案」を作成するにあたり、この憲法研究会草案を参考にしたとされている。憲法研究会草案は、「戦前におけるほとんど唯一の植木枝盛研究者」である鈴木安蔵が、植木の国憲案をも参考にして起草したものである。それゆえ、日本国憲法と植木枝盛草案との間に「実質的なつながり」があるという指摘もある(『植木枝盛選集』家永解説)。

  いま、国会やメディアで改憲論議が盛んである。だが、それはもっぱら、憲法によって拘束され、規制されるべき権力の側が自らの「規制緩和」のために改憲を熱く語っているように思える。はじめに改憲ありきではなく、市民が主体的に関わる真に熱い憲法論議が求められる所以である。

(日本司法書士連合会『月報司法書士』385号〔2004年3月〕38〜39頁)


  一昨日の高知の講演では、「平和のスリーナイン(999)」についても 語った。この言葉は、『琉球新報』1993年5月3日付文化欄に書いた、山内徳信読谷村長(当時)の村長室にあった2本の掛け軸をヒントにしたものである。つまり、憲法9条は99条と一体となって、権力担当者に、平和や安全を守る方法として軍事的手段を選択することを認めない。「市民が9条を守る」のではなく、市民は「権力担当者に99条を通じて、9条を守らせる」という視点を強調したわけである。3年前に、長崎県佐世保の「九十九島9条の会」の発足の会で、私は「九十九島9&99条の会」という名称にすることをすすめた。後に金沢市での講演で「九十九湾」や、水戸での講演でも「九十久里浜」で、「9&99条の会」を、と呼びかけた。今回の高知講演でも、憲法99条の「憲法尊重擁護義務」の意味を特に強調した。イラクでの空自の活動を憲法9条違反とした名古屋高裁の判決について、空幕長が「そんなの関係ねぇ」といったこともあって、高知の皆さんにも、この点はよく理解していただけたようである(感想文による)。

  思えば、昨年の憲法記念日は、安倍晋三内閣のもとで、憲法改正国民投票法成立を目の前にした危機感が強く漂っていた。それが、「7.29」によって「9.12」が起こり、その後始末のピンチヒッターとして登場した福田内閣は、いまや支持率10%台となった。森内閣の最低支持率9%(2001年2月)のレコードに接近すべく、日々支持率を低下させている。憲法改正どころではないかの如くである。だが、楽観は禁物である。「平成の枯れすすき」の安倍前首相が5月1日の改憲の集まりに参加して、「わたくしの内閣」での憲法改正の「成果」について語っている。まるで「再チャレンジ」とは自分のためのことのように。憲法審査会を軸に、改憲の「再チャレンジ」はすでに始まっている。

  今日5日、幕張メッセで開かれている「9条世界会議」のシンポジウム「9条の危機と未来――日本の市民がめざす『戦争なき軍隊なき世界』」で講演する。憲法の特定条文がここまで注目され、あるいは思いや想いを込められ、それが固有名詞のように語られるのは、世界の憲法史のなかでも珍しいことである。「『武力によらない平和』という9条の考え方を、世界共通のものにしたい」ということから、ノーベル平和賞受賞者など、世界各地からゲストを招いて行われる。新聞報道によると、会場収容人員の12000人を3000人も上回ったということである。世界の市民にとって「9条」は共通の財産になりつつあるのかどうか。これについては、また別の機会に触れることにしよう。

  さて、1997年1月3日に短い文章から始めた「直言」の毎週更新も、今回で連続600回を迎えた。年数にして11年4カ月である。サポーターの協力と読者の皆さんの励ましのおかげである。この機会にお礼申し上げたい。2年前の500回目のときに、1000回を目指すと宣言し たとおり、 これからも毎週の更新を続けていきたいと思っている。読者の皆さん、今後ともこの「直言」をどうぞよろしくお願いします。

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