末尾"9"の年と憲法  2009年1月12日

日の国道20号線、長野県某所。交通量の多い道路脇に、倒れかかっているポスターを見つけた。かの「逃亡首相」のポスターも、7カ月以上、野ざらしになっていた。先週、通常国会が始まった。自民党内にも微妙な動きが始まった。このポスターと、麻生内閣の本体と、どちらが先に倒れるかわからないが、いずれにしても時間の問題だろう。

テレビの天気予報で、末尾が"9"の年は暖冬という話を聞いた。歴史をふりかえると、末尾"9"の年に大きな出来事が起きている。1689年(名誉革命後の権利章典)、1789年(フランス人権宣言)、1889年(大日本帝国憲法)、1989年(「ベルリンの壁」崩壊)というように、"89"の年は憲法史的に重要である。これは樋口陽一氏が「4つの89年」で指摘している。そのほかにも"9"が末尾に来る年には、憲法にとって重要な出来事が起きている。

1月2日付のドイツ保守系紙は、"9"のつく年を「ドイツ的運命年」とする論説を掲載した(E. Fuhr, Deutsche Schicksalsjahre fallen gern auf die Neun, in : Die Welt vom 2.1.2009) 。160年前の1849年3月28日(水)、ドイツ3月革命の結果、フランクフルト憲法ができたが、旧勢力の抵抗により施行されなかった。次いで、1919年8月11日(月)のワイマール憲法。これも必要な推進力(Schubkraft)を欠いていた。だが、「人たるに値する生存」、財産権の社会的被制約性、団結権、労働者の経営参加など、15カ条の豊富な社会権条項をもち、日本国憲法もこれを社会権のモデルとした。そして1929年10月24日(木)の世界大恐慌。その10年後の1939年9月1日(金)、ナチスドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まった。1949年5月8日(日)、分断国家西ドイツの戦後憲法であり、後に統一ドイツの憲法になるドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)制定された。そして、1989年11月9日(木)の「ベルリンの壁」崩壊。この夜に生まれた子どもたちが20歳になる。

さらに1999年、「ドイツ基本法50周年」の夏、首都がボンからベルリンに移った。私は在外研究中、現地でこれに立ち会ったので、いろいろと感慨深い。この年の3月24日、コソボ紛争でNATO軍が旧ユーゴスラヴィアに爆撃を行った。国連決議もなく、自衛権の発動要件も充足されていないのに、NATO軍は旧ユーゴを爆撃した。これは「人道的介入」のケースでは断じてなかった。「NATO域外派兵」を禁じられてきたドイツも、初めて「域外」に出動した。そのNATOが2009年4月、創設60周年を迎える。この10年、欧州連合(EU)や全欧安保協力機構(OSCE)の着実な発展のなかで、冷戦期の遺物であるNATOはその存在証明に躍起になり、無理に「出番」を拡大してきた。私は10年前の旧ユーゴ空爆は、OSCEによってコソボ問題が解決されることを恐れたNATOによる、平和的紛争解決妨害のため軍事行動だったと見ている

2009年は、1989年からカウントすると重要な節目となるため、元日付の新聞各紙も、この点に着目したものが多かった。例えば『産経新聞』1月1日付は、ハウ元英外相への単独インタビュー記事(「サッチャー・ゴルバチョフ会談の真実」)を軸にして、「冷戦終結から20年『グローバル化経済』危機」「ベルリンの壁崩した『自由』の限界」を1面、2面から総合面まで使って論じていた(早々と「『大きな政府』への揺り戻しの危険」を説くあたりは『産経』的だが)。

さて、前述のドイツ保守系紙は、2009年が「民主制と市場経済という西欧のシステムが根本的に試練に立たされている」として、民主制、法治国家、対内的平和(治安)、社会保障などが正念場を迎えることの意味をさまざまに論じている。2009年は「始まる前からドイツ的運命年」となることがわかっていた。なぜなら、6月にEU議会選挙、9月には総選挙が行われるから。現在、ドイツは保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU) と社会民主党(SPD) との大連立政権だが、さまざまな軋みがすでに音をたてはじめており、9月にどのような政権が生まれるかは予断を許さない。

ドイツと同様、今年9月、日本でも衆議院議員の任期が切れる。最悪のシナリオは任期満了選挙(これは小泉純一郎が4年前の総選挙直後に述べていた)であるが、どのタイミングで解散・総選挙となるかはわからない。日本でも、2009年の遅くない時期に政権交代が起きる可能性は高い。ただ、この9月に大連立政権が解消される確率の高いドイツと違って、日本では、総選挙後に「大連立」に向かう可能性が十分ある。日本ではさまざまな点で、ドイツを周回遅れで追っている面がある

前回「直言」では、2009年のコンセプトを「改革の荒野」からの復興とした。今回はやや手前味噌に響くかもしれないが、「復興」の基礎に置くべきもの、それは日本国憲法であるといいたい。憲法が影に日向に焦点となるのは、さしあたり6 点である。

第1に、今年は総選挙の年となる。任期満了選挙にならない限り、選挙は解散による。この解散が憲法7条でいくのか、69条でいくのかはわからない。69条は、衆院で内閣不信任決議案が可決(または信任決議案が否決)される場合の解散である。これを「69条解散」という。これに対して「7条解散」は、解散が天皇の国事行為とされ(7条3号)、その国事行為には内閣の助言と承認を必要とすることから(3条)、7条から内閣の解散権限を引き出すものである(7条内閣説)。麻生太郎の祖父、吉田茂は、野党議員に対して「バカヤロー」と叫んで解散になだれ込んだ(1953月3月14日「バカヤロー解散」)。孫の麻生太郎は、人に「バカヤロー」といわれて解散するかもしれない。いずれにしても、今年は憲法の衆議院の解散に関する規定が注目される年になるだろう。

第2に、国会に関する一連の規定も注目されるだろう。国権の最高機関である国会の空洞化が著しいが、「ねじれ国会」状況のなか、短期間に内閣総理大臣が何人もかわる異常事態である。今年は、自民党内部の造反の動きとともに、憲法59条2項(衆院の3 分の2 再可決)も早々に注目されることになろう。そして、場合によっては再可決不能の状態も生まれるかもしれない。また、総選挙は、衆院議員の任期が終わる日(9月10日)の前30日以内に行われ(公職選挙法31条)、その任期が始まる日から30日以内に特別国会(総選挙後の臨時会)が召集されることになるから(国会法2条の3)、どんなに遅くとも9月初旬までには、内閣総理大臣が決まる。そこで注目されるのが、憲法67条(内閣総理大臣の指名、衆院の優越)である。その際、67条2項(指名について衆参両院が異なる議決をした場合)の出番があるかないか。

第3に、憲法の平和主義と国際協調主義の関係である。ソマリア沖「海賊」問題への自衛艦派遣や、「テロとの戦い」をめぐって、洋上補給活動とは異なる活動の形も追求されていくだろう。その際、「海外派兵」と「海外派遣」、「武力行使」と「武器の使用」、「戦闘地域」と「非戦闘地域」、「武力行使との一体化」などの内閣法制局的解釈を突破する動きが出てくる可能性もある。当面、「海賊処罰取締法」という新法が通常国会に提出されるようである(『読売新聞』1月7日付)。海賊問題の基本はすでに書いたので、ここでは、『読売』が、「敵の武装程度などを考慮し、海保巡視船の能力を超える場合にのみ海自艦派遣するとの役割分担を明記する」という紹介の仕方をしていたが、海賊の問題に「敵」云々するのは不適切である。海賊は海上犯罪の問題であり、「敵」云々の問題ではないからである。海賊問題はあくまでも海保で対応すべきである。

第4に、新自由主義の頓挫のなかで、これまで徹底的に蔑視され、切り捨てられてきた「社会的なるもの」の復権が著しい。今後、憲法の社会権規定が一層注目されてくるだろう。すでに27条「勤労の権利」については、「食」だけでない、「職」の安全も問われている、として書いた。雇用の危機をめぐっては、メディアの注目度アップに伴い国民の関心も高まり、年末から麻生内閣のパフォーマンス的政策が打ち出されている。また、今年は、地方、医療(特に小児科、産婦人科、救急医療)、福祉といった、「構造改革」で最も痛めつけられた分野での復興が進むだろう(そうしなければならない)。憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活」の具体化と誠実に向き合った朝日訴訟第1 審判決の現代的読み直しも必要だろう。

第5に、憲法1条から8条(+88条)がさまざまに問題となるだろう。象徴天皇制の「いま」である。2009年は、現天皇の即位20年、結婚50年(金婚式)ということである。正月の各紙、特に『産経新聞』は1月5日付から一面トップで「即位20年」の特集を始めた。20年前の1 月7 日朝、昭和天皇が死去し、1 月9 日、「即位後朝見の儀」で現天皇は、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い…」と宣言した。当時、昭和天皇は「皆」といってきたので、「皆さん」という呼びかけはある種の感慨をもって受けとめられた(その後、「皆」にかわったが)。それよりも、日本国憲法を守るというときの「皆さんとともに」の「皆さん」とは誰かを指すかが当時問題となった。憲法99条は憲法尊重擁護義務の主体は天皇・摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員であって、国民は含まない。ということは、「即位後朝見の儀」で彼の目の前に居並ぶ首相や衆参両院議長らに向かって、「皆さんとともに」と憲法を守ると誓ったと解すべきだろう。メディアのなかには、天皇が国民とともに「日本国憲法を守り」といったと書いたものもあったが、正しくない。象徴天皇制をめぐる現代的問題については、また改めて論ずることにしよう。

第6に、憲法改正問題である。安倍内閣のときに、憲法改正手続法が強引に成立させられた。この法律は来年施行されるので、もっと改憲問題が議論されてよさそうだが、ほとんど開店休業のようにも見える。だが、私は、オバマ政権発足後、今年は少し形を変えて改憲問題が浮上してくると見ている。その際、より国際協調主義を前面に押し出した議論になるだろう。これもいずれ機会を改めて書くことにしよう。

以上のように、「復興の年」2009年は、日本国憲法がさまざまな場面で注目されることになろう。大いに関心をもち、また十分な議論が必要である。

なお、アジアにとって2009年が重要な意味をもってくるのは、中華人民共和国建国60周年と天安門事件20周年とが同時にやってくることである。昨年の北京五輪で国家的威信を前面に押し出した中国においては、社会的、経済的格差はますます深まり、市民的自由に対する抑圧も続いている(「08憲章」への弾圧など)。6月の天安門事件20周年が、10月の建国60周年よりも4カ月早く来るので、再び中国の人権問題が焦点となるだろう。

最後に、私の個人的事情でいうと、今年は、その出会いが私の研究者としての運命を変えた久田栄正氏の没後20年であり、父の没後20年である。そして、今年1月31日には、高田三郎氏の曲を年に1度だけ演奏する「リヒトクライス」(光の輪)の第15回演奏会がある(文京シビック大ホール)。1999年1月、その第5回演奏会に初めて招待された。亡くなった父のことを『朝日新聞』の「一語一会」に書いたことがきっかけだった。レセプションで高田三郎氏と初めて会い、その後まもなく氏は亡くなった。10年前と同様、母を連れて参加したいと思う。

末尾"9"の年は、さまざまな意味で節目となる年である。


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