「日米同盟」からの「圏外」移設 2010年4月26日

当かどうかはわからないが、20年前、まことしやかに流れた話がある。1990年8月、クウェートにイラク軍が侵攻し、湾岸危機が起きた頃のこと。H.W.ブッシュ米大統領は海部俊樹首相(いずれも当時)に対して、自衛隊派遣を含む積極的協力を求めた。首相官邸とワシントンとのホットラインは「ブッシュ・フォン」と呼ばれた。これを使って、大統領が自衛隊派遣を“Yes or No”で迫ると、海部首相は思わず“or”と答えた。そんな話である。当時の日本政府の状況や、海部首相の性格からすれば、いかにもありそうだ、と受けとめられた。ちなみに、海部首相の背後には、小沢一郎自民党幹事長がいた。

20年の月日が経過し、いま、鳩山由紀夫首相の背後にも、小沢一郎幹事長がいる。そして、相手は“Yes,we can”の大統領である。辺野古・現行案への“Yes or No”を迫られているが、明確な態度を示さず、1月の名護市長選挙後、3月末、そして5月末と、決断を先延ばしにしてきた。 この点、主要メディアの報道パターン。 いわく「決断できない首相」、いわく「ぶれる首相」、いわく「米国に相手にされない首相」等々。もう散々である。主要メディア(『朝日』も含め)は程度の差こそあれ、「日米同盟を損なうな」の大合唱である。これは異様である。 私は一昨日のNHKラジオ「新聞を読んで」のなかで、「『寝ても覚めても日米同盟』の危うさ」という『毎日新聞』コラム「反射鏡」を紹介し、 主要メディアの論調を問題にした。

鳩山首相は 「日米同盟の深化」 を言いながらも、「沖縄県民の負担軽減」を重視するとして、 辺野古・現行案を受け入れることを留保し続けている。 対して、同じ首相でも、 国際法違反のイラク戦争を始めたG.W.ブッシュ大統領に「理解」と「支持」を、世界の首脳のなかで誰よりも早く表明をしたのが、小泉純一郎首相だった。 この時はイラク戦争目前で、ドイツとフランスが最後までこれに反対した。小泉首相の支持表明は、イギリスよりも早かった。それだけに目立った。そして、アラブ世界での日本の評価を著しく下げていくことになる。

国の意向を過度に忖度し、過剰な遠慮と配慮を行い、迅速に迎合していく。 これが歴代自民党政権に染みついた対米姿勢である。小泉首相はそれをさらに加速して、 「世界のなかの日米同盟」とまで持ち上げてしまった。 鳩山首相の「すぐ決められない」と見られる姿勢は、優柔不断と言われるが、 見方を変えれば、「時間」を使って交渉の条件をつくっているのかもしれない。 少なくとも、辺野古・現行案をごり押しして、 米国に対してすぐに“Yes”と言わなかったことは評価できるのではないか。

4月18日、移設が取り沙汰されている鹿児島県徳之島で、全人口25000のうちの15000人が参加して反対集会が開かれ、基地受入れを明確に拒否した。 左の写真をご覧いただきたい。3紙だけを比較したものだが、その報道の仕方は象徴的である。 何よりも『朝日』が鳩山内閣支持率低下をトップにもってきて、徳之島集会は一面肩に置いた。 写真もヘリコプターからの「上から目線」。 見出しは「徳之島に正式要請へ」である。記者も校閲デスクも、どこから見ているかがよくわかる。 これに対して、『読売新聞』と『琉球新報』は集会を一面トップにもってきた。 『読売』が「普天間建設断固反対/徳之島1万5000人集会」、『琉球新報』が「1万5000人が『ノー』/徳之島で『普天間』反対集会」と、実によく似た見出しを付けている。 写真も、両紙は一人ひとりの表情やスローガンがよくわかる構図である。 『朝日』のように、上から目線で「数」を強調した写真とは随分異なる。 『朝日』と『読売』の、この種の問題の取り上げ方・紙面構成にお いて、ここまで逆転がみられるのは興味深い。政権交代で「迷走」 中なのはメディアも同じかもしれない。

沖縄県民大会が9万人(主催者発表)を超える参加で行われた。 会場となった読谷村は、私が通いなれた場所である。 また、13年前に基地受け入れを拒否した名護市民投票については、 「地方自治の清き一票」と書いた。 そして、米軍艦載機受け入れをめぐる山口県岩国市の住民投票については、 「たかが一票、されど一票」という視点から詳しく言及した。 4月25日の県民大会の影響がどう出るかは未知数である。 鳩山首相はまだ手の内を見せていない。 県民投票を控え、ここ数日、少しずつ変化が生まれてきてはいた。 メディアのバッシングのなかで、日本が辺野古・現行案を受け入れたと、『ワシントン・ポスト』紙が伝えたのに対して、首相はこの報道を即座に否定し、こう明言した。 「私はあの辺野古の海に立って、辺野古の海が埋め立てられることの自然に対する冒涜を大変強く感じた。…従って、(日米合意の)現行案が受け入れられるような話はあってはならない」(『朝日新聞』4月25日付)。 これは5月末までの決定の兆候と言えるか。

昨日の県民集会でも配られた『琉球新報』4月25日「識者インタビュー」において、 私はこの県民集会の意義についてコメントした。 「鳩山首相への援護射撃になる可能性がある。徳之島も沖縄もノー、日本各地がノーとなれば、民意をベースに誕生した鳩山首相は、米国に対して『もはや日本のどこにも移設することはできません』と言えばよい。 5月末に首相が『(国内の移設先は)どこも決められません』と言うことになれば、 そのこと自体が、日本が戦後初めて基地問題について米国に対して明確に意思表示したことになる」 「私は県外ではなく圏外移設を主張してきた。多角的な思考を求められる安全保障の問題で、政府も主要メディアも『日米安保は絶対』として、米国に異をとなえることすらできないできた。同盟思考の圏内から抜け出し、海兵隊の抑止力に疑問を示し、在沖米海兵隊の全面撤退を求める圏外移設をすべきだ」と。

  私がいう方向で5月末の決定をすれば、 そこから、新しい日本の外交、安全保障が始まる。 米国もまた、日本に対して、緊張感をもって臨むことになるだろう。 逆に、現行案またはその修正案に落とし込めば、鳩山内閣は散々引き延ばした上で迎合したという点で、 沖縄の怒りは沸点に達することはもちろん、米国からも低い評価に終わるだろう。 ここは正念場である。

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