ゲゲゲのゲーテ――教員養成に必要なこと 2010年9月27日

「小 泉改革」周辺で生まれた大学院がうまくいっていない。 法科や教職の「専門職」大学院には制度設計上、重大な問題があった 。教員養成に特化した「教職大学院」も、発足早々に赤信号がともった。すでに24のうちの11で定員割れを起こしている。「専門性を高め、中核教員の養成を目指す」ということで、2006年の中央教育審議会答申にその設置が盛り込まれ、08年にスタートしたのだが、このあり様である。就職までに時間がかかり、経済的負担も大きいのに、その狙いがよく見えないと、教員志望者の意欲をそぎ、その減少にもつながると危惧されてきた。「教職大学院は何が目的なのか、いまだはっきりしない。このままでは廃止もやむを得ない」とまで言われている(『東京新聞』2月24日付社説)。チャレンジした人々の人生を翻弄したあげく、「設計ミスでした」ではすまないだろう。

民主党は、昨年の「マニフェスト」 で、「教員養成課程6 年制」を提唱した。外国の制度をそのまま直輸入する愚策は、いろいろな分野で枚挙にいとまがない。「教員養成課程6年制」は、たまたまその時点で政策を動かせる地位にあった人が、たまたま北欧に留学していて、その体験から6年制を強く主張したようである。これは、司法制度改革にかかわった大学教授たちが、自己の米国留学体験をもとに、かの国の仕組みを日本の法曹養成の現場に接ぎ木したのとよく似ている。民主党は、「教員養成課程6年制」を見直すべきだろう。そして、マニフェストの細目『民主党政策集INDEX 2009』にあった、「産業振興的な側面ばかりでなく、学問・教育的な価値にも十分に配慮を行います」「自公政権が削減し続けてきた国公立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します」という 公約を実現すべきだろう 。菅内閣の新しい文科大臣は、まずは民主党のマニフェストとINDEXの教育・大学関連項目をしっかり読みなおしてもらいたいと思う。

ところで、教員養成との関係で、半年ほど前、『朝日新聞』のオピニオン面「私の視点」で興味深い一文を読んだ(2010年2月17日付)。筆者は小口正明氏(都立高校教諭)、タイトルは「教員資質の向上 体験を咀嚼する時間を与えよ」である。

「人間を相手にする仕事である以上、教員は生徒とのかかわりあいにおいて成長する。そのことを30年の教員経験の中で実感してきた」という小口氏は、教員向けのメンタルヘルスの調査報告のなかで、教員をしていて「最もやりがいのあることとは何か」と「最もストレスを感じることは何か」という質問への回答が、いずれも「生徒とのかかわり」だったことに注目する。生徒集団をいかにコントロールし、また学校に適応できず苦しむ生徒とどう向き合うか。教職とはそれに尽きるという。

そこで小口氏は、「教員養成課程6年制」や教員免許更新制よりも、まず整えなければならないのは、「教員の脳に蓄えられたかかわりの記憶を主体的に振り返り、それを把握するための時間の確保である」と主張する。かつて都立高校には、「研修日」という週1 日の自主研修日があった。「この時間こそ、自らの体験を『明日に向かえる知恵としての経験』に転化させ得る装置であった」。「『遊んでいる』という批判や、週休二日制の実施の中で消滅したが、せめて半日でもこうした制度が復活できないかと思う」という。そして、「教員は養成課程で作られるものではない。現場での体験を咀嚼し、生徒とのかかわりの物語を紡ぎ直して初めて現場を見直す目を持て、自信が得られる。多くの心ある教員にその時間を与えてほしい」と結ぶ。まったく同感である。

小口氏が言うように、かつて高校教員に「研修日」があったことは、私も高校時代、教師たちとの会話のなかで記憶がある。その頃の教師は学者肌の人もいて、本当に個性的だった。何よりも、我々生徒と真剣に接してくれた。「高校紛争」の最中、1カ月にわたり授業がなかったが、その間、連日のように「教育とは何か」「評価とは何か」「大学になぜ行くのか」といった根本問題を生徒同士、あるいは生徒と教師で真剣に話し合った。クラスごとの討論の記録は、ガリ版印刷にして全校に配る。教師たちは印刷室を生徒に開放。責任者の名前を明記すれば、何枚印刷してもよいことになった。個人、クラスごと、生徒会などさまざまな単位で、膨大なビラやチラシ、冊子がつくられた。41年前の高校紛争時に配付された文書はファイルで5 センチほどの厚さで、すべて保存してある。あの頃の教師たちは、授業ができないことを嘆くというより、生徒と議論することにむしろ喜びを感ずる人が少なくなかったように思う。制服や生徒心得も、生徒総会で廃止した。それを教師たちも認めた。当時の教師が生徒にそのように向き合えたのも、教師自身が自由だったからではないか。研修日もあったし、何よりも当時の高校教師は自由闊達だった。管理が「行き届いた」現在の高校では想像できないことである。

いま、小中高校から大学、大学院に至るまで、 そこにたずさわる教員たちは時間に追われている 。生徒や学生、院生に直接関係することならば、教員である以上、当然の仕事だろう。だが、「改革」の連鎖のなかで、「何のため?」と言いたくなるような「怪しい忙しさ」が教育界を覆っている。やたら書類が多い。メールやネットの活用で、24時間いつでも、どこまでも追ってくる。ゲーテの死ぬ間際の言葉「もっと光を!」はあまりにも有名だが、全国の教員の多くも、「もっと時間を!」と叫ぶのではないか。

誤解を恐れずに言えば、学問や大学は「暇」や「遊び」の要素が不可欠である。 「われ遊ぶ、故にわれあり」 とは、高名な憲法学者の私家版エッセー集のタイトルだった。ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史学者、ライデン大学学長)の『ホモ・ルーデンス』(中公文庫、1973年)によれば、大学とは「遊び」に起源をもち、それは「自由な行動」、「非日常性」(必要・必然からの自由、目的−手段連関の「外」にあること)、「完結性・限定性」からなる。だが、国立大学独法化や法科大学院など、この間のさまざまな「改革」が現場にもたらしたものは、これとは正反対の「必要」への従属、「結果」への強迫、「自由な時間」の喪失ではなかったか( 直言「大学と『世間』(2)」参照 )。

ここで「暇」という場合、大学教員にとっては、在外研究や国内研究、サバティカル(研究休暇)が重要である。1年ないし半年、若手はさらに延長して、研究に没頭する。外国の文化に浸りきる。これは無限の価値がある。私も11年前に 「研究期間制度」 をとったが(冒頭の写真はそのボン大学)、その後はまったくとっていない。大学によっては何年かに1回の割合で「サバティカル」が与えられるところもある。ただ、年齢が高くなると、授業や学内の仕事の関係で長期留守にするのはなかなかむずかしい。それでも、まとまった時間をとって研究に没頭できる仕組みを充実させることは重要である。それを確実にとれるよう、予測可能性を与えることにも意味がある。あと何年すれば外国に出られるということが計画的に設定されていれば、教員の士気もあがるだろう。「改革」の連鎖と繁忙は、そうした時間をとろうという気力さえ奪っている。

「人は人を育てて、人になる」。 これは「育児と育人」という直言 で書いたことである。教師もまた、児童、生徒、学生を育てて、教師に「なる」のである。小・中学校の教員についても、小口氏的に言えば、教育現場での体験を咀嚼して、「生徒とのかかわりの物語を紡ぎ直して初めて現場を見直す目を持て、自信が得られる」だろう。高校以上に管理が厳しい小・中学校の教員にも、もっと自由な時間が与えられたら、日本の教育水準は確実に上がると思う。だが、夏休みでも学校に出勤させる管理的発想が定着してからは、義務教育段階の学校から「自由」の要素が消えてしまった。これは大きな損失である。

 私に影響を与えた小学校の先生がいる 。あの人たちに、自由な発想、毎日続けることの楽しさ、ビジュアルに「見せる」面白さなどを教えていただいた。私の好奇心は大いに開拓された。故人となった方もおられるが、本当に感謝している。あの頃、教師自身が本当に楽しそうに授業をやり、私たちと向き合ってくれた。「生徒が本当に好きなんだなぁ」という愛情も感じた。私のいまの学生との向き合い方も、間違いなくあの先生たちの影響である。そして、私のゼミや研究室からも、大学や高校で教える人々が誕生している。いまは夢中で授業をやっているだろうが、やがて壁にぶつかり、悩み、苦しむとき、「かかわりの物語の紡ぎ直し」の意味が理解できるだろう。

   と、ここまで書いてきたところで、家族から仕事場に携帯メールが届いた。 NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」 150話(ゲーテの激励) が始まるという。テレビをつけると、今回は、娘の藍子が小学校の教員になるも、クラス運営がうまくいかずに悩んでいる。 教員をやめさせて、水木プロダクションの仕事を任せたい茂は喜ぶが、姉の苦しむのを見かねた次女の喜子が茂に言う。「お父ちゃんが頑張れるのは、好きなことをしているからだよね」。「そりゃそうだ。でも、頑張ったからうまくいく、努力したら報われるというほど、世の中、簡単にはできとらんよ」、「けど、途中であきらめなかったのがよかったんだな」という茂。「それ、お姉ちゃんに言ってあげて!」。 内心は教員をやめさせるチャンスと思っていた茂は喜子の一言で藍子の部屋に向かう。「これ、張っとけ」と、半紙に墨で書いたものを2枚わたす。 「〔精神の〕意志の力で成功しないときには、好機の到来を待つほかない」「人は努力している間は迷うに極まったものである」。茂が戦地に持っていった座右の書、エッカーマン『ゲーテとの対話』(岩波文庫)の一節である。そして藍子に言う。「戦わずして土俵を降りるのが、一番つまらんぞ」。 翌朝、藍子は清々しい表情で学校に向かう。教員をする娘の悩みに、家族が過不足なく絡み、それぞれが適切な言葉を使って向き合う。教員が子どもたちのことで悩むのは、努力している間は、当然のことだ。努力をやめるなら、教員をやめるしかない。でも、努力することができるのは、その仕事が好きだから。わずか15分のなかに、いろいろなエキスがたくさん詰まっている回だった。

《付記》論ずべき問題が多々起きているが、目下執筆時間がとれないため、夏休み中のストック原稿をアップします。

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