「学者商売」と「学者公害」――悩ましき現実 2012年10月01日



の夏、自宅の書庫で資料を探していて、たまたま「学者」という言葉を冠した4冊の本を見つけた。はじめの2冊は、野々村一雄『学者商売』(新評論、1978年)と『学者商売その後』(同)である。1913年生まれ。満鉄調査部などを経て一橋大学教授になった経済学者で、一時代前の大学教授の生活の裏話、論文の書き方や原稿料の話、古本屋との付き合い等々、ユーモラスな語り口で、学者の「貧乏生活」の内幕を見せてくれる本だった。34年前、私が大学院生時代に読んだものだ。その時の書き込みや線(当時は万年筆の青線)が懐かしい。東京・国立市のローカルネタもあるので、高校時代に通った書店や喫茶店なども出てきて、個人的にも興味深い本だった。「停年退職始末」を軸にした『その後』の方は、一度ザッと読んだが、すぐ忘れてしまっていた。

 この2冊のタイトルには「商売」という言葉が使われているが、今ならさしずめ「大学教授の日常」のようなものになるだろう。野々村氏は多少卑下して、例えば学界を「業界」と呼ぶような感覚で、「商売」と表現したのだと思う。だが、もうこの言葉はマジに使えない。「3.11」によって、「原子力ムラ」の実態が一般にも知られるようになり、原発のための「学者商売」が批判を浴びるに至ったからである。「『御用学者』はオイシイ商売」(『日刊ゲンダイ』2012年1月4日付)とか、「学者は無責任な商売だ」(橋下徹大阪市長のツイッター:『産経新聞』同1月19日付)という形で、「商売」という響きはより一層、ネガティヴに響くようになっている。いま「学者商売」なんて本を書けば、「原子力ムラ」や「日米安保ムラ」(「防衛ムラ」『朝日新聞』9月14付社会面トップ見出し)などの「ムラ」の世界を描かねばならないからである。

 ここで、あらかじめお断りしておくが、私は、「学者」というのは他人からそう呼ばれることはあっても、自らは「研究者」と称するのが適切と考えている。本稿でも「学者」という言葉を使うが、上記の観点からそれを用いることにしたい。

 さて、書庫の奥で見つけた「学者」関連本の3冊目は、故・西山夘三氏(京都大学名誉教授、1911年生)と弟子の早川和男氏(神戸大学名誉教授、1931年生)による共著『学問に情けあり――学者の社会的責任を問う』(大月書店、1996年)である。建築学者の本だが、発売直後に購入して一気に読了と、表紙の下に書き込みがあった。本の間には、黄色く変色した「学者」関係の新聞切り抜きも挟んである。この夏、この本を16年ぶりに再読した。

 まず、収録されている西山・早川「対話」が注目される。タイトルは「学者不信が広がっている」である。小見出しを拾うと、「審議会にみる『学者公害』」「学者を『荒づかい』する行政・企業」「官僚が審議会を操作する」と来て、「学問の自由、自治は忘れられたのか」「戦争責任をきちんとしなかったツケ」と続く。ここには、大学や学者をめぐる問題の「いま」がある。「学者公害」という言葉は鮮烈だった。

国や地方自治体の審議会には、たくさんの学者が参加している。金太郎飴のような常連もいる。肩書を利用して、官僚の作文を権威づけるために。西山氏はこれを官僚による学者の「荒づかい」と呼ぶ。審議会に関わると、関連企業や経済団体から講演依頼や、原稿料の高い企業・団体のPR誌などの執筆依頼がくる。当然そこに経済的なメリットが生じてくる。また、官庁や関連団体からの資料なども得やすくなる。西山氏はこれを、学者の「餌付け」と呼ぶ。こうして「権力に迎合する学者」が生産されていくというのだ。

 この指摘を受けて思うことがある。1983年の国家行政組織法の改正である。かつて審議会の設置は法律事項だった。法制審議会も中央教育審議会もすべて国会を通さないと設置できなかった。その状況を変えたのが中曾根政治である。国家行政組織法8 条を改正して、「法律の定めるところにより」を、「法律又は政令の定めるところにより」に改めた。「又は政令」という4文字が加わっただけで、巨大な変化が生まれた。首相が「これは」と思ったら、内閣の政令を出せば、簡単に審議会が設置できる。国会での審議と可決が不要となったからである。

 中曾根内閣以降、竹の子のように審議会が増えていった。そして委員の定数も増えて、中曾根首相好みの作家や学者たちがあちこちの審議会に顔を出すようになった。審議会の委員のポストという「利権」も生まれた。

 この内閣以降、国会の委員会における法案の趣旨説明の際、「審議会で時間をかけてご審議頂きましたので…」などという無礼な言葉が普通になった。日本の国会は委員会中心主義をとっているので、しっかり審議するのは委員会のはずである。それが、選挙の洗礼を受けない、首相や官僚の好みで選ばれた審議会で議論済みだというのである。そして、80年代以降、各省庁のもとにたくさんの審議会が出来て、それが国会の各委員会の前に結論を出してしまう。かつて手島孝九州大学名誉教授が使った「審議会は新議会(しんぎかい)」という洒落が、ことの本質と深刻さを言い当てている。選挙なしの審議会が、選挙で選ばれた議会に取って代わる存在にまで肥大化していったのである

 再び西山氏の本に戻る。「審議会の学者もタレントだと思います。何度も出席しているうちに、こんなことは発言しちゃいかんと暗黙のうちに『訓練』されるんですな」。「肩書の効能」は「権威づけによって問題を誤魔化すためによく使われる」と。

 これも鋭い指摘である。私なら「馴致」と言いたいところだ。もっとも、大学教授の存在も軽くなったから、「肩書の効能」も昔に比べたら相当低くなっているはずなのだが、まだまだ「商品価値」はあるようである。市場原理主義は大学を覆い、今や「博士多売」の時代であるドイツでは「コピペ博士論文」で、大臣が辞任している。学位の方も限りなく軽くなっているが、審議会は委員数が必要なので、「学者」(教授、博士)の「需要」には今後とも事欠かないだろう。

書庫で見つけた「学者」関連の4冊目は、3冊目の共著者の一人、早川和男氏の単著『権力に迎合する学者たち――「反骨的学問」のススメ』(三五館、2007年)である。西山「対話」も収録されていて、若干ダブリもあるが、やはりメインは雑誌『世界』に掲載された「権力に迎合する学者たち――権力追随の諸相」と「知識人の震災責任を問う――続・権力に迎合する学者たち」だろう。ともに初出の『世界』発売時にすぐに読んだ記憶がある。

 早川氏は、より具体的に「権力迎合への構図」を明らかにしていく。特に80年代、全党与党だった神戸市政の「超翼賛体制」における「左翼学者の権力迎合」に切り込む筆致は鋭い。「保革」「左右」を問わず、主体性を失えば学者は腐る。早川氏はそうした「構図」には、「甘い蜜としての委託研究」と「産官学癒着の学会」と並んで、トップに「審議会委員という落とし穴」があると指摘する。そして、審議会への関わり方として、次の5つを挙げる。


(1) 行政権力出張型(高級官僚が自ら大学教授になって、審議会委員として出身官庁などの政策を合理化していくタイプ)


(2) 権力迎合型(学者を装いながら、実態は行政の代弁者になる。あらゆる関係の審議会に顔を出し、座長などを務める「最も悪質で最低の『学者』」のタイプ)


(3) 行政追随型(中央に呼ばれるのが名誉だと考える地方の御用学者、資料・情報欲しさに委員になるタイプ)


(4) 沈黙型(学者としての社会的責任感が弱く、結果として追随型の御用学者になってしまうタイプ)


(5) 見識型(専門家としての見識と能力をもち、学者の社会的責任も自覚しているタイプ。行政はこういうタイプを呼びたがらないし、彼らは行政に利用されることを警戒して就任を断ることが多い)

 私の知る範囲でも、(5)のタイプで、国や自治体の審議会や委員会などに入って筋を通し、言うべき時には言い、修正案を出して反映させるなど、絶妙の綱渡りをしている学者もいる。このようなタイプはわが同僚や知人にもいて、貴重かつ重要な存在として敬意をもって見守っている。官僚主導で作られたある法律改正に、関係分野の同僚たちが反対したことも記憶している(直言「無邪気ゆえに危ないエリートたち」参照)。これらの誠実な対応とは別に、(1)や(2)のタイプも、残念ながら私の大学のあちこちの学部や研究科などにいて、近年、増殖傾向にある。

私に関しては、助教授になった1983年から30年近く、北海道、広島、東京と大学を移ってきたが、その間、ただの一度も、国や自治体の審議会や委員会に入るよう要請されたことはない。一回限りの講演や意見陳述ならば、国や地方自治体のさまざまなところから依頼がきたが、審議会や委員会にはまったく縁がなかった。弟子や友人・知人、後輩たちは、自治体の審議会や委員に何らかの形で関わっており、なかには会長までやっている者もいる。

数年前、ある中央官庁の知人から、所管する審議会委員の人選を非公式に依頼されたことがある。3人ほど候補者を挙げたが、「ところで、私は対象にならないの?」と聞いたら、相手は電話口で絶句していた。「考えたこともありませんでした」と。その通りだと思った。間違って私がノミネートされたとしても、このホームページの「直言」を1、2本読んだだけで、話は雲散霧消するに違いない。

 他方、テレビをつければ、毎日、どこかに「早大教授」が登場して何かをコメントしている。ワイドショーの常連もいる。私自身、映像メディアにかなり出ていた時期があるから、メディアによる学者の「荒づかい」の手法は体験的によくわかる。関わりすぎると危ないことも。

 ところで、一般の方はあまりご存じないが、実は「教授もいろいろ」なのである。これはどこの大学でも同じなのだが、一番分かりやすいのは、福島原発事故直後にNHKや民放に出ずっぱりで、被爆量は「レントゲン検査の10分の1」などとコメントしていた「東大大学院特任教授」MM氏の例である。電気メーカーの原発技術部門が長い人である。

昔の大学には専任教員と非常勤講師しかいなかったが、いまは十数種類の呼称があって、雇用形態も「専任扱いの客員教授」と「非常勤扱いの客員教授」等々、さまざまなタイプがある。一般に、大学が企業から多額の寄付を得た場合、講座やプロジェクトに当該企業から人を迎えることがある。当該「特任教授」もそうである。学部で講義やゼミをもち、入試業務から就職相談までやる専任教員とは異なる。だが、テレビに出ると一律に「○○大学教授」である。また近年は画面に、「大学院教授」という肩書きが目立つ。学部教授より偉そうに響くので、好んで用いられるが、「大学院重点化政策」失敗の残滓である。だが、視聴者にはそんな大学側の事情はわからない。「偉そうな大学院教授」がコメントしている。何となく本当のように聞こえる。メディアとしてはこれでいい。これも、立派な「学者公害」である。

そう言えば、民主・自民・公明の三党協議で、「社会保障・税一体改革関連法案」の修正合意で設置が決まった「社会保障制度改革国民会議」というのがある。その全容が7月31日に判明した、と『産経新聞』8月1日付が書いていた。見出しは「委員は業界団体排除」である。国会議員と業界団体の代表者は委員にしないというのだが、その代わりに、社会保障や法律、経済といった分野ごとの「学識経験者」を中心に選任するという。またぞろ、学者の金太郎飴みたいな状態になりそうである。

 業界団体を排除して、「学識経験者」で組織したらいいことをやるのか。はなはだ疑問である。そもそもこの「学識経験者」という言葉が胡散臭い。『大辞泉』によると、「学問上の知識と高い見識を持ち、生活経験が豊かであると社会が認める人」とある。知識はあっても、見識の低い研究者はゴロゴロいる。単なる物知りである。また、研究者が「生活経験が豊か」とは必ずしも言えない。というよりも、「生活経験が豊か」というのがよくわからない。単なる学問的知識にとどまらず、いろいろな人生経験、社会経験を持っているとすれば、大学教授のなかには世間知らずの、非常識なタイプもたくさんいる。「有識者会議」というのは、この「学識経験者」に「実務経験者」を加えたものらしいから、結局、御用学者と官僚、それにマスコミ0Bが加わるのが定番ということになろう。

いま、大学も大きく変わりつつある。大学の自治と早大について熱く語っていた早川弘道さんはもうこの世にいない私自身の決意は、5年前の直言「憲法研究者の一分」でも書いた。定年まであと10年。この「直言」の毎週更新を通じて、私は常に「在野」であり続けたいと思う。 (2012年9月10日脱稿)

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