北東アジアの危うい現実――六カ国協議の再起動に向けて        2013年2月18日

2012年5月に「遊園地総局」を設置して、各地の遊園地を熱心に視察してまわった北朝鮮の三代目。民衆は十分な食料も与えられずに飢えに苦しんでいるというのに、莫大な費用をかけ、2月12日、三度目の核実験を行った。核兵器という物騒な玩具をもてあそび、それで遊園地でも作って自慢したいのか。21世紀になお存在する奇怪な家産国家(「朝鮮君主主義臣民共和国」)の現実は深刻である。

 9年前、板門店で目撃した忘れられない光景がある。植木職人らしき男が木を剪定しているのだが、それを3人の兵士が取り囲み、韓国側に走り込まないよう監視しているようだ。思わずシャッターを切っていた。皆でやればすぐ終わる作業なのに、監視のために人をさく。「軍事・監視活動に人も金も使いすぎた、北の体制を象徴するシーン」と当時書いた

 その三代目が主導して2010年11月、韓国の延坪島を突然砲撃。住民にも死傷者を出したことは記憶に新しい(「北朝鮮の『1ミクロンの論理』」)。ここ10年ほどのスパンでこの国のやり方を見ていると、さまざまな節目に必ず「何か」をやって世界の注目をひこうとしてきた。最近では、やらないと油断させて突然やるなど、フェイントをかける小技にも長けてきたようだ。とはいえ、「嘘と恐怖とやせ我慢」の3点セットでかろうじて存続しているこの国を、これまで支えてきた中国も、さすがにもてあまし気味である。

 ソウル大学の張達重教授のいう「全面的対決関係」から「制限的対決関係」「制限的相互依存関係」、さらに「全面的相互依存を通した平和的関係」へという移行過程に着目するならば、三代目による現在の北朝鮮と、朴槿恵政権が発足する韓国との関係は、「制限的対決関係」が悪化した状況と位置づけることが可能だろう。朝鮮戦争休戦60周年を前にして、「全面的対決関係」に戻ることのないよう、韓国の新政権の胆力が試される。

 偶然だが、2006年10月に北朝鮮が核実験を行ったのは、安倍内閣の発足まもない時期だった。当時の「直言」では、「安倍内閣の発足に合わせたかのように、北朝鮮の『瀬戸際政策』は迷走を続けている」と書いた。 その3カ月前の7月、北朝鮮は「テポドン2」を含む7発のミサイルを発射している(「『テポドン』とミサイル防衛」)。当時の安倍首相は、ミサイル防衛(MD)という壮大なる無駄に莫大な税金を投入する恰好の理由づけを獲得するとともに、集団的自衛権行使の解釈変更のため、この状況を最大限に利用しようとした(「美しい国から2006年秋」)。勢い余って、著書のなかで、集団的自衛権を「自然権」とまで書いてしまうほどだった(立憲主義の観点からすれば、自然権は個人にのみ帰属し、国家ないし国家群が「生まれながらの権利」を持つはずもないのに)。ことほどさように、「テポドン」と「核実験」の連続は、安倍内閣に追い風になったのだが、2007年9月、首相の突然の辞任により頓挫してしまった。

 その後、2009年4月、北朝鮮の「飛翔体」発射をめぐって、日本は右往左往した。この時の内閣では、現在の副首相(財務大臣)である人物が首相をやっていた(「『関東防空大演習を嗤ふ』と『国民の立憲的訓練』」)。

 ミサイル実験にせよ、核実験にせよ、北朝鮮はこれらの手段を使って寸止めのところまで行く際どい緊張状態を創出し、交渉相手をテーブルにつかせ、譲歩を引き出そうとしてきた。これを「瀬戸際政策」、その手法を用いた外交を「瀬戸際外交」という。この一定の期間を置いて、ミサイル発射や核実験を繰り返して世界の注目を集める手法も文字通り瀬戸際まできたようだ。初代の祖父は、1992-94年に核カードを使って経済援助を引き出し、二代目の父もこのカードを何度か使った。三代目はそうした「瀬戸際外交」も引き継いだつもりだろうが、最大の誤算は、「瀬戸際」まで向かう足元(国内基盤)が祖父・父に比べて脆弱であることである。

北朝鮮が一番困ること。それは世界から孤立することではない。世界、なかんずく米国から無視されることである(「核時代のピエロ」)。三代目が稚拙な「瀬戸際政策」を続ける状況にどう対処するか。北朝鮮の周辺諸国の状況や相互関係は、近年できわめて複雑である。

昨年11月に発足したばかりの中国の習近平政権。太子党(党幹部の子弟)出身の二代目だが、自信のなさが傲慢・強引な手法に向かう危うさを持っている。いま、日中間では、尖閣諸島をめぐる対立が、射撃管制レーダーの照射問題にまでヒートアップしている。射撃管制(統制)装置(FCS)の運用については、本来、どこの国でも秘密になっている。「照射した」「照射された」を含めて、そもそも表には出ない。冷戦時代、米ソ間では相当際どい照射合戦が行われていたようである。現在でも、双方が黙っている事柄のはずなのだが、安倍首相はこれを公表した。中国側の初動の乱れと、その後の居直り方を見ていると、中国側にも脇の甘さと奢りがあったことは否めないが、このまま行くと対立のレヴェルがどんどんエスカレートしていくことが危惧される。

 いつの時代でも、こういう場面では、対立する二国間だけで問題を解決することは困難である。北東アジア地域では「六カ国協議」の枠組みがまだ存在している。トップが三代目の北朝鮮と日本、二代目の中国と韓国、二期目の米国、一回休んで三選禁止をすり抜けて大統領に復帰したプーチン2.0。これらの国々はそれぞれに対立要素を抱えている。ここまでトラブルがこじれ、深まっている状況はかつてなかっただろう。日本を軸に考えると、まさに「全周トラブル状況」である。それだからこそ、またそれゆえに、協議のテーブルの存在が重要なのである。六カ国協議なんてリアリティがないし、この場面では不適切という向きもあろう。北朝鮮が簡単にのってくるとは考えにくい。こういう状況だからこそ、むしろ協議の場をあえて設ける努力を怠らないことが問題解決への着実な一歩ではないだろうか。

 と、ここまで書いてきてテレビをつけると、「PM2.5」という言葉を一気に流行らせた中国の大気汚染問題が深刻である。これから春にかけて日本や朝鮮半島全域、ロシア極東にも影響が及んでくる。また、先週15日、ロシア・ウラル地方の上空で起きた隕石爆発。よりによって、55年前に核廃棄物の貯蔵施設の爆発事故で大規模な放射能汚染が起き、多数の住民が被曝し、その事実を旧ソ連が隠し続けたチェリャビンスク地方だった(ジョレス・メドベージェフ=梅林宏道訳『ウラルの核惨事』[技術と人間、1982年]参照)。「原子力施設に隕石」がSFの話ではなくなった。北朝鮮の核問題とともに、北東アジアにおける大気汚染問題や核汚染問題(日本は当事者である!)等々、周辺各国が同じテーブルについて知恵を出し合って協議すべき事柄はたくさんある。メディアはもっと冷静に、多面的に問題のありかを伝える努力をすべきだろう。


《付記》  冒頭の写真は、軍事境界線から7キロ南の臨津閣にある、朝鮮戦争当時の兵器の屋外展示の一部。韓国軍のホーク地対空ミサイルである(2004年6月9日撮影)。なお、板門店の植木職人の写真も同日撮影

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