雑談(100) 日本の「ハイテク・トイレ」―トイレの話(その2)              2013年7月1日


談シリーズが100回になった。その記念すべき回がトイレの話というのは、いささか気がひけるが、実は在外研究中に「ドイツからの直言」として出した「トイレ論」が、結果的にこの雑談シリーズの第1 回となった。あれから14年。いま、安倍内閣による「96条先行改憲」(国民の批判を浴びて少しトーンダウンしたが、「96条潜行改憲」の本質は変わっていない)に抗して、授業や会議の合間をぬって、全国各地をまわって講演している。この2週間では、東京第二弁護士会、立憲フォーラム(衆議院第一議員会館)、旭川(平和フォーラム等)、札幌弁護士会、仙台弁護士会で講演した。今回は、重大事件が目白押しではあるが、ストック原稿の「トイレの話・その2」をアップすることにしたい。

外国を旅行するとき、あるいは外国で生活するとき、切実な問題がある。それはトイレである。誰も決して大きな声では言わない。しかし「急用」になることもあって、これは存外「重大な問題」である。

 文部科学省は、2010年に海外留学した日本人は58060人で、「6年連続の減少」と発表した。ピークの2004年と比べると、30%(25000人)の減という。背景には、「不況が長引いている上に、大学などの留学支援態勢が不十分」いう問題だけでなく、日本人の「内向き志向」があるという(『東京新聞』2013年2月9日付)。

 学生がなぜ留学から遠のいたかというと、やはり就職の問題は大きいと思う。外国に行っている間に同級生が就職の内定をとってしまうことへの不安は、予想以上に今時の学生の海外進出の妨げになっている。わがゼミでも毎年1人は確実に留学してきたし、私は帰国後、その学生を必ずゼミで受け入れてきた。だから、ゼミにそういう5 年生がこれまで何人も存在した。だが、その私のゼミでも、かつては複数いた留学希望者が減ってきていることも事実である。

 最初聞いたときは信じられなかったが、学生が海外に出たがらないのには、実は隠れたもう一つの理由があるという。それは、「ウォシュレットがない国には行きたくない」というものだ。お尻の感覚が人間の全行動を規定する。まさに土台(下半身)が上部構造(頭脳)を規定するというわけでもあるまいが、毎日のことなので、人によっては決定的な理由になるのかもしれない。

 話は突然変わるが、今年の冬休み、荻上直子監督・脚本『トイレット』(日本・カナダ合作、2010年)をみた。自分からみようと思った作品ではなかったが、これが存外おもしろかった。カナダのトロントで撮影されたもので、話はいたって単純。主人公のレイは、英語を一言も話さないおばあさん(もたいまさこ)と住んでいるが、おばあさんは毎朝トイレから出てきて、深いため息をつく。レイはそのため息の理由が知りたい。それがこの映画の大事な伏線である。おばあさん役のもたいの存在感と演技が光る。ネタバレになってしまうのでこれ以上は書かないが、家族について、人生についていろいろと考えさせられ、最後は心地よい感動を与えてくれる作品なので、お時間があるときにどうぞ。

 さて、18歳人口が減少の一途を辿り、大学教育のありようもそれに大きく規定されるようになって久しい。2004年を一つの転換点とする「改革」の嵐は、社会における大学のあり方を劇的に変えてきた。定年までカウントダウン(あと9年半)となった高齢者教員の私としては、大学における常識や文化の変化には驚くばかりである。実はトイレの問題でも、その変化を反映するようなことが起きていることを最近知った。

 2005年2月に完成した新8 号館は、地下2 階、地上12階建て。学生が使う教室、ゼミ室は4 階まで。5 階から上の高層階は教員研究室になっている。最近、ひょんなことから、ある事実を知ってしまった。それは、男女ともに温水洗浄便座(TOTOの商標はウォシュレット。以下こちらを使う)、暖房便座(ウォームレット、同)のトイレは、学生が使う低層階に限られているということである。

 便座に座れば、冬はヒヤッとして身がすくむ。ところが、学生のいない入試期間中に会議があったとき、たまたま学生が授業で使う低層階のトイレを、初めて使うことになった。何とウォームレットで温かく、ウォシュレットで快適だったのである。8年間、我々教員はずっと冷たい便座で過ごしてきたのか、と愕然となった。でも、考えてみれば、このことは、他の教員はとっくに気づいていたことなのだろう。事柄の性質上、なかなか話題にものぼらないので、私はまったく気づかないできた。

そこで、学部の事務所に問い合わせてみた。すぐにメールで返事がきた。「私(職員)は、研究室階のトイレをほとんど使用しないので、今、5 階から上の男子トイレをお調べしましたが、各階の便座でウォームレットにもなっていないことを確認いたしました。もともと2階トイレにはウォームレットとウォシュレットが設置されていて、地下、1 階、3階トイレの一部のみ設置していましたが、先の工事〔数年前の改修〕で地下から4階まで、すべて切り替えたと記憶しております。低層階は、非常勤講師を含めた先生方、学生、一般の方が頻繁に利用するので切り替え、研究室階は利用頻度が低いので、工事していないのかもしれません」ということだった。

 私の奇妙な質問に対して、この職員はすぐに、本部の担当部局に問い合わせてくれた。その結果、キャンパス内は順次トイレをウォームレット、ウォシュレットに切り替えており、法学部8号館の上層階も改修対象になっていたが、2013年春季工事期間中の対象にはなっておらず、2014年度の夏休み中の改修になる見込みという。この一冬だけでなく、次の冬も教員は冷たい便座で我慢せよということが判明したわけである。

 確かに、入試時期、低層階は受験生やその親御さんも使用する。誰も決して口にしないが、入試期間(冬の寒い時期)にたまたま使った受験生やその家族が、トイレもよく整っている大学だ、と合格後に入学を考える考慮要素の一つにすることもあり得る。その意味では、「トイレは見えない大学の顔」なのかもしれない。5 階から12階まで、各階で研究室は平均23室。助手を含めて各階の利用人数は約25〜6人である。利用頻度は低層階の比ではない。他方、教員は年齢が高く、「お尻」の問題を含め、健康上の問題を抱えている人も少なくないだろう。利用頻度だけであと2回の冬をがまんせよ、というのが大学理事会の発想であることがよくわかった。この4 月から研究費を突然半額にするという暴挙をやった理事会である。研究・教育条件を含めて、教員の優先順位が低い状態が続くのだろう。改修後に入学した現在の1年から4年までの学生たちは、ウォームレットとウォシュレットのトイレしか知らない。学生たちは、我々のような老教員がずっと冷たい便座と付き合っていることも知らない(別に知らなくてもいいが)。

 といって、憚り(はばかり)の問題なので、教授会で大きな声で質問するのもはばかられるので、「雑談シリーズ」の100回記念で、こっそり(インターネットでこっそりはあり得ないか〔笑い〕)書いてしまった。

 ところで、11月19日は「世界トイレデー」だそうである。たまたま読んで保存しておいた、ドイツの保守系紙 Die Welt の記事の見出しは、「日本のトイレは世界最高」。記事によれば、人類の40%、26億人以上が、まともにトイレを使えない状態にあるという。そのなかで、トイレ文化の世界チャンピオン(Weltmeister) は日本だと書いている(Die Welt vom 18.11.2012) 。記事はさらに、「世界トイレ機構」について紹介し、世界のすべての人々が清潔なトイレをもつことができれば、衛生状態は改善され、病気も減らすことができる。この機構の2006年バンコク大会でのモットーは、“Happy toilet,healthy life ”だった。記事は、世界中で「ハッピーなトイレ」の何たるかがわかっているのは日本人だけだとして、日本の「ハイテク・トイレ」〔ウォームレット、ウォシュレット〕を詳しく紹介している。旅行好きのドイツ人としては、世界各国のトイレ事情には特に関心が高い。そういうドイツ人からすれば、前述の映画『トイレット』の結末にも納得するのではないか。

 そう言えば、映画『テルマエ・ロマエ』を見たとき、高文明を誇るローマ人の主人公とウォシュレットとの驚愕の出会いがおもしろかった。トイレに入るや否や、便器のフタが自動的に開き、音楽が流れる。それを見た主人公は、「奴隷もたいへんだな…」とつぶやく。そしてウォシュレットのボタンを押した瞬間、水が直撃してビックリして飛び上がる。が、その気持ちよさに、ついにはため息を漏らす。「クセになりそ〜」。

 とはいえ、この日本の「ハイテク・トイレ」に批判的な学者もいる。フランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュである。この5月、「アベノミクス」に浮かれる日本を訪れ、「脱成長」を説いた(『朝日新聞』2013年6月日付夕刊文化欄)。ラトゥーシュは、「経済成長は、結果的に大多数の人を決して豊かにしない。人の生存を脅かす貧困や飢餓は、経済成長こそが生み出す」として、「私たちの想像力は今や完全に『経済成長』によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる。長期的に考えれば資源は枯渇し、環境は破壊されることは明白にもかかわらずだ」と指摘する。そこで彼は、「脱成長」が必要と思ったら何から始めればよいか、と問い、「まずは、洗浄便座付きのトイレを使うのをやめなさい。あの水を出すための電気だけでも日本全体なら相当なものです。安倍首相は『日本を取り戻す』と言っていると聞く。それは経済成長するということではなくて、『もったいない』精神を持ち、生態系と共存する、古きよき日本を取り戻すという意味でないといけない」と語る。この指摘を受ければ、法学部8号館の研究室階はいまのままでよい、ということになるのだが。この問題提起については考えさせていただきたいと思う。


《付記》
この「直言」を出してから、実は研究室階に二つあるうちの一つがウォームレットとウォシュレットになっていることがわかった。右側の冷たい便座の方はドアが内側になるので常に便器がみえている状態だったのに対して、左側のそれはドアが外側に開くため常に閉まっており、かつやや小さめにみえるため、私を含め(女性教員までが)これはトイレ用具を入れる収納スペースと勘違いしていたのである。この「直言」を読んだ学部事務所関係者が動いてくれて、雪のちらつく2014年3月上旬、研究室階がすべてウォームレット・ウォシュレットに改修された。右側のドアが内側に開くようにする工事も同時に行われた。9年かかったが、これで定年までの次の9年間、年寄りの私としてとホッとした次第である。(2015年3月5日記)

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