ドイツ・ヨーロッパ・ロシア

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も

2024/2/19:雑談(142)音楽よもやま話(34)「世界のオザワ」のこと――ブルックナーとP-51

2024/2/12:雑談(141)「食」の話(19)博多手一本「祝うてサンド」から考える

2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景

2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”

2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/10/2:「平和憲法のメッセージ」の持続的発展のために――読者の皆さまへのお願い

2023/9/11:ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではなかった――障害者から女性同性愛者まで

2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?

2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」――岸田政権の暴走を止めるために

2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に

2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由

2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/4/17:雑談(138)音楽よもやま話(33)「チェコ事件」とチェコフィル――非暴力抵抗を続けた『わが祖国』

2023/4/10:プーチンと親密な元首相は除名されなかった――ドイツ政党法と党員除名手続

2023/3/13:戦で死ぬ兵たちのこと――「その他大勢」の思想

2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」

2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)

2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス

2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」

2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年

2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で

2023/1/9:雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁

2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」

2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策

2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く

2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年

2022/10/24:雑談(133)音楽よもやま話(31)コンサートの余韻と「予韻」

2022/10/10:連立政権23年、公明党のディレンマ――安全保障と政教分離

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀

2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年

2022/8/22:雑談(132)「アラ古稀」の心境――「最終模擬講義」を終えて

2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に

2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返しに」?!

2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/7/11:安倍晋三銃撃事件――立憲政治の前提を壊した人物の死

2022/6/20:アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは

2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ

2022/6/6:雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」

2022/5/30:NATO「北方拡大」は何をもたらすか──「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相

2022/5/23:戦争をいかに止めるか――『ロシア 小さき人々の記録』から考える

2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感

2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?

2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に

2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」

2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち

2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場


2022/3/21:「大本営発表」はロシアだけではない──メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」

2022/3/14:戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層

2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明

2022/2/28:「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで

2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル

2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?

2022/1/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界

2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」

2021/11/15:日本学術会議問題の本質は何か――ニコラウス・クザーヌス「専門家-素人」相関の視点から

2021/10/4:「安倍院政権」の誕生へ――権力の私物化と「生業としての政治」(その2)

2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」

2021/9/13:メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ

2021/8/9: 雑談(127)映画『お名前はアドルフ?』――「ホロコースト」をコントにする日本へ

2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020

2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文

2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点

2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/22:子どもの夢は会社員――「末は博士か大臣か」は死語

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語

2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー

2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)

2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本

2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?

2020/9/28:議会におけるヤジ――日本とドイツの比較

2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣

2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果

2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない

2020/5/18:検察庁法改正をめぐる政権の恣意――「法が終わるところ、暴政が始まる」

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告

2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/2/3:「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く

2019/12/2:雑談(121)「世界トイレの日」に寄せて――「れいわ」議員の初質問

2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」

2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年

2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)

2019/10/07:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)

2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?

2019/8/12:ヴァイマル憲法100周年――「時代」と憲法の関係を考える

2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち

2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選

2019/7/15:逆走をいかに止めるか―憲法政治の「幽霊ドライバー」(その2)

2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」

2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/5/20:ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?

2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/4/15:雑談(119)「断捨離」と「終活」――「緑寿」を契機に

2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす

2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ

2019/3/4:「私は立法府の長」――権力分立なき日本の「悪夢」

2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用

2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって

2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走

2018/11/26:「過去の克服」のかたち――ノイエンガンメ強制収容所 (北ドイツ・デンマークの旅(その4・完))

2018/11/05:首相の「改憲扇動」の違憲性――「憲法改正の歪曲」

2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3))

2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))

2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具

2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))

2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?

2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク

2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か

2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ

2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの

2018/6/4:「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国

2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して― ―映画「否定と肯定」と

2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて

2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景

2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル

2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回

2017/12/4:議会は「民主主義の心臓」――ドイツ憲法政治のいま

2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに

2017/11/13:雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪――中欧の旅(その6・完)

2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)

2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)

2017/10/18:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その2)――「国家の三要素」は「謎の和製ドイツ語概念」なのか

2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義

2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)

2017/9/25:ヒトラー山荘とオーストリアのナチ強制収容所――中欧の旅(その3)

2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)

2017/9/11:ハンガリー国境の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の現場へ――中欧の旅(その1)

2017/9/4:雑談(115)「スマートなアホ化」と政治

2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース

2017/7/24:「次期首相候補」だった2人の女性大臣と新手のリクルート施策

2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)

2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと

2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野

2017/4/17:「立憲主義からの逃走」――ドイツとトルコの大統領

2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日

2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?

2017/2/20:雑談(114)ドイツでの生活(2-完)+音楽よもや話(22)ドイツで聴いた音楽

2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに

2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債

2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?

2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒

2016/10/24:「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)

2016/10/10:憲法97条は条文整理の対象にならない――「アベコベーション」の日本へ

2016/10/3:2つの「ドイツ統一の日」――欧州の揺らぎのなかで

2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回

2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く

2016/9/5:連邦憲法裁判所に入る――建物の軽さと存在の重さ

2016/8/29:ドイツで「冤罪事件」に巻き込まれる――車内改札制度の盲点

2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)

2016/8/1:ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)

2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)

2016/7/18:「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える

2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読

2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙

2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz

2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ

2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン

2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議

2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち

2016/5/23:雑談(112)ドイツの生活(1)トイレ編――トイレの話(その3)

2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に

2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)

2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)

2016/4/11:「自由」と「安全」と――ドイツからの「直言」(2)

2016/4/4:17年で変わったこと、変わらないこと――ドイツからの「直言」(1)

2016/3/28:きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ

2016/2/22:権力の私物化と「生業としての政治」

2016/2/1:ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」

2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ

2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び

2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト

2015/9/21:安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよ

2015/8/17:「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話

2015/8/3:新たな「戦前民主主義」の時代――国会前で起きていること

2015/6/22:「憲法の番人」とは誰か――高村正彦弁護士に問う

2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階

2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣

2014/11/17:「念のため解散」は解散権の濫用か

2014/11/10:「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀――1年ゼミ生の視点

2014/10/20:わが歴史グッズの話(36)日独伊三国同盟――「ともに血を流す関係」

2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?

2014/6/16:憲法が「根底からくつがえされる」――正念場の公明党

2014/4/14:「戦死者を出す覚悟」?――自らは決して「戦場」に赴くことのない政治家の勇ましさ

2014/2/24:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策

2014/1/13:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その2・完)

2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ

2013/11/18:高級ワインも特定秘密?――1999年ボン日本大使館事件

2013/11/04:安倍首相の「意志の勝利」――おごれる権力者は久しからず

2013/10/15:雑談(102) 焼き切れたタイヤキャップの思い出

2013/8/5:秘密保全法は何を守るのか―スノーデン事件が問うもの

2013/7/01: 日本の「ハイテク・トイレ」―トイレの話(その2)

2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)

2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ

2013/2/4:焚書と「美しい国」の80年

2012/12/31:「憲法突破・壊憲内閣」の発足

2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙

2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる

2012/9/17:権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル

2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)

2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア

2012/8/6:大学の文化と「世間の目」

2012/7/30:選挙法は憲法違反――ドイツ連邦憲法裁判所判決

2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化

2012/1/2:「2012問題」の年頭に――「故郷を求める権利」

2011/10/17:小選挙区比例代表「偏立」制はやめよ

2011/10/10:「海賊党」の躍進――日本では?

2011/9/19:大臣の「一挙手一投足」――軍服を着た独副首相

2011/8/22:「壁」を作る側の論理――「ベルリンの壁」建設50周年

2011/7/25:早川弘道さんのこと

2011/7/18:政治家の剽窃――ドイツでも政治不信が深刻

2011/3/7:コピペ時代の博士号――独国防相の辞任

2011/2/28:菅直人は「日本のヨシュカ」か?

2010/12/6:国会議事堂を覆う――日本とドイツ

2010/8/23:どこからでも見える「塔」の記憶――東ベルリンテレビ塔と東京スカイツリー

2010/6/7:政治家の言葉――首相と大統領の辞任

2010/3/29:学位が売られる?

2010/2/15:「公用」と「私用」の間

2010/1/18:何のための「戦死」か――アフガン戦争9年目の現実

2009/11/9:「ベルリンの壁」崩壊20周年――世界の西と東の風景

2009/10/5:ドイツの「政権交代」――二大政党の退潮

2009/9/21:「政権交代」の意義と課題

2009/8/27:特別直言 「投票の秘密」は守られているか

2009/8/24:核時代のピエロ

2009/8/17:ドイツ軍少佐からの白バラ――軍人の抗命権・抗命義務

2009/6/8:ハンバッハと天安門

2009/6/1:ドイツ基本法60周年に寄せて

2009/5/18:雑談(73)音楽よもや話(12)私の音楽遍歴

2009/4/27:国会で海賊法案を批判する

2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年

2009/3/16:海賊対策のもう一つの道 ―― 海賊と日本(2・完)

2009/3/9:「海賊新法」は何が問題か ―― 海賊と日本(1)

2009/2/23:雑談(72)「食」のはなし(14)戦闘食

2008/12/8:ソマリア沖の海賊と自衛隊

2008/11/10:さまざまな“11.9”

2008/10/13:「対テロ戦争」とドイツ連邦軍――勲章と改憲

2008/9/1:政治家の歴史認識の貧困

2008/8/18:ベルリンと北京の間

2008/8/11:わが歴史グッズの話(26) 焼夷弾

2008/7/7:洞爺湖サミットがもたらす「例外事態」

2008/6/9:ドイツでも海外派遣に「違憲判決」

2008/4/7:立憲主義と民主集中制

2008/2/18:雑談(66)音楽よもや話(10)元旦と「運命」

2008/2/11:死刑で日中「友好」はやめよう――韓国〔ドイツ〕の途

2008/1/28:洞爺湖町民上空/噴火湾上空の民間機を撃墜せよ!?

2008/1/7:柚子と煙草――2008年の年頭にあたって

2007/12/10:わが歴史グッズの話(24)ナチス

2007/9/10:テロ特措法延長問題――前提から問いなおす議論を

2007/8/27:新型艦のもつ意味――日独海軍物語

2007/8/20:自衛隊にも「レンタル移籍」

2007/6/18:G8にトーネード

2007/2/12:海外出動「本来任務」化の意味――ドイツの教訓から

2006/8/21:「レバノン戦争」は「9.11」になるか

2006/5/29:W杯ドイツ大会と連邦軍

2006/4/17:「心のコートを脱ぎ捨てて」

2006/4/3:ベルリンの学校の「壁」

2006/2/20:「ハイジャック機撃墜法」の違憲判決

2006/2/6:「民主主義国」の拷問と拉致

2006/12/26:雑談(46)音楽よもや話(8)早稲フィルの「第九」

2005/11/28:「考え直す時間」と外交

2005/11/21:「壁とともに去らぬ」――旧東独の傷口

2005/10/24:「心に刻む」ということ

2005/10/17:日独伊三国の選挙法物語

2005/9/26:「並立」と「併用」の弊害

2005/7/25:「不安の専制」のもとで許される拷問?

2005/7/18:憲法の「トリビア」話

2005/7/11:「賛成の反対なのだ」

2005/6/27:「愛○心」について

2005/6/20:攻撃は最大の防禦?

2005/5/23:ベルリンの「壁」から「石碑」へ

2005/5/9:映画「戦争のはじめかた」の「おわりかた」

2005/4/4:ドレスデンのねじれ

2005/3/21:雑談(40)音楽よもや話(5) WPOのこと(その1)

2005/3/14:「小さな親切」と「大きな害悪」の間

2005/2/7:大統領の「抵抗」

2004/12/13:ある駐屯地の虐待事件から見えるもの

2004/10/4:あのエアバスを撃墜せよ!

2004/9/6:それぞれの「記念日」

2004/3/29:「コソボ戦争」5周年

2004/2/2:いま、大学がおかしい

2004/1/5:年のはじめに武器の話(その1)

2003/6/16:イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ

2003/6/9:6月17日事件から半世紀

2003/5/12:追悼ハインツ・シュミット

2003/4/28:雑談(23)清兵衛とピアニスト

2003/3/24:国際法違反の予防戦争が始まった

2003/2/3:ヒトラーとブッシュ

2003/1/27:軍隊が国内出動するとき

2003/1/20:外務省設置法4条9号

2002/12/30:逝く都市、来る都市

2002/12/16:AWACSとイージス艦

2002/10/7:在独米軍基地使用拒否の論理

2002/5/11:映画「トンネル」から見えるもの

2002/4/22:徴兵制がなくなる日――ドイツのジレンマ2

2002/3/25:「普通の国」先輩国ドイツのジレンマ

2002/1/21:権力者が「常識」を説くとき

2001/12/17:なぜ教育基本法の改正なのか

2001/12/10:雑談(14)2人の超高齢指揮者

2001/11/12:日独伊の派兵の意味

2001/10/29:わが歴史グッズの話(2)ガスマスク

2001/10/22:「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」

2001/7/30:東チモールとマケドニア

2001/6/11:「第九のふるさと」訪問

2001/3/12:防衛オンブズマンのお引越し

2000/12/11:48回目の憲法改正

2000/11/20:米大統領選挙の「幻の号外」

2000/11/5:「憲法愛国主義」について

2000/10/23:「護憲政党」という誤訳

2000/10/09:ドイツ統一から10年の風景

2000/9/4:極右政党の違憲訴訟と民主主義

2000/8/28:46対0でドイツの勝ち?

2000/7/24:1年前の沖縄サミット論

2000/7/17:日本の気分はルート3

2000/6/19:自衛官の自殺と防衛オンブズマン

2000/6/5:21世紀の日独軍隊物語

2000/5/15:原発が遊園地に

2000/4/24:動物保護のための憲法改正?

2000/3/27:さようなら、ボン!

2000/3/20:番外編(5・終)イタリアの交通事情

2000/3/13:ライン川からシュプレー川へ

2000/3/6:基本法は押しつけ憲法か?

2000/2/28:4月3日は「危険な日」

2000/2/21:番外編(4)ナンバープレートの話

2000/2/14:ウェストファリア条約と現代

2000/2/7:連邦軍創設の父に会う

2000/1/31:エジプトのコプト教徒

2000/1/24:軍隊の雇用機会均等

2000/1/17:憲法調査会が動きだす

2000/1/10:番外編(3)交通ルールの話

2000/1/3:2000年の花火

1999/3/31:きな臭い見送りと出迎えと

1998/12/21:ドイツ軍にも「従軍慰安婦」

1998/11/9:4月から「ドイツからの直言」に

1998/11/2:「プライベート・ライアン」を観る

1998/10/19:コソボ問題とドイツの「周辺事態」

1998/10/5:ドイツの政権交代

1997/10/27:「小盗聴」と「大盗聴」

1997/8/11:オーデル大水害とドイツ連邦軍

1997/6/23:ドイツ議会の臓器移植法案

1997/4/14:旧東独の軍事演習上問題が「解決」へ

1997/3/24:隠蔽と嘘は核施設の本質

1999/6/21:緊急直言・「赤と緑にイエローカード」

1999/5/30:緊急直言・シェルター内で考えた周辺事態法

1999/4/6:緊急直言・軍人への戦争参加拒否の呼びかけ(紹介)

1999/12/27:ボン空襲55年に寄せて

1999/12/20:電子メールの「解雇通知」

1999/12/6:ヒトラーと自署した男

1999/11/29:番外編(2)トイレ編

1999/11/22:連邦軍元総監の安全保障論

1999/11/15:「壁」がなくなって10年(その2・完)

1999/11/8:「壁」がなくなって10年(その1)

1999/11/1:軍事演習場の「森のデモ」

1999/10/25:「自衛のための軍事力」合憲論?

1999/10/18:元男性が当選した選挙

1999/10/11:東チモールのこと

1999/10/4:軍人が政府批判の「デモ」

1999/9/27:インターネットの「敵」

1999/9/20:新しいベルリンの壁?

1999/9/13:アウシュヴィッツの笑い声

1999/9/6:ポーランド「危行」

1999/8/23:音楽よもや話

1999/8/16:8月6日の「ヒロシマ通り」

1999/8/9:東ベルリンの「暗黒の水牢」

1999/8/2:185枚の証明写真

1999/7/26:海外から見た「旗と歌」

1999/7/19:「法律的不法」の世界へ

1999/7/12:「素晴らしき仮の宿」に別れ

1999/7/5:元反戦活動家による戦争

1999/6/28:ドイツ「水軍」の求人航海

1999/6/21:ユーゴ発、笑えぬジョーク

1999/6/14:「オルブライト」の戦争

1999/6/7:「レマゲン鉄橋」の星条旗

1999/5/30:基本法50年と直接民主制

1999/5/24:哲学者ハーバーマスとコソボ戦争

1999/5/17:ハーグ平和会議と緑の党大会

1999/5/10:戦時下の基本法(その2)

1999/5/3:戦時下の基本法50周年(その1)

1999/4/27:連邦議会、ベルリンへ

1999/4/15:コソボとルワンダの類似性

1999/4/6:「家の前での戦争」

1997/10/13:日独の「第2次大戦後初めて」

1998/6/29:フーリガンと「戦う民主制」

1997/2/11:日の丸をめぐる「未だ決せぬ論議」

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