10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その1)             2014年1月6日

靖国神社

年最初の「直言」は、「○○年の年頭にあたって」というパターンが多いが、ちょうど10年前の2004年だけは、自衛隊イラク派遣を目前にした緊張感あふれる状況のもと、「年のはじめに武器の話」というタイトルのものをアップした。あれから10年。元旦の『産経新聞』には、1面と6-7面(対談)に安倍晋三首相が登場し、東京五輪が開催される2020年には「(憲法は)改正済みですね」とハイテンションで語っている。年末の靖国参拝で国際社会に火種をまき散らした安倍首相の改憲一直線の勢いはとまらない。自民党改憲草案を掲げ「国防軍」化をめざす明文改憲路線と同時に、他方で実質的に「普通の軍隊化」をはかる「解釈改憲」の動きも加速している。

「普通の軍隊化」を推進する上では、制服組との距離が近い石破茂氏の役割が大きい。16年前、彼が自民党安保調査会副会長の時、『中国新聞』紙上で対談したことがある。小泉内閣で防衛庁長官となり、創設以来自衛隊に課せられた幾重もの規制や拘束を外していった。これについて詳しくは直言「石破前防衛庁長官の729日の『遺産』」を読んでいただくことにして、ここでは、10年前から頭角をあらわしてきた一人の幹部自衛官に注目してみよう。「武器」の話をする前に、それを求め、使う「人」の変化を診ておくことにしよう。

イラク特措法(平成15年8月1日法律第137号)に基づき「イラク復興業務支援群」が編成された際、第1次隊として最初に派遣されたのは、北海道・名寄の第3普通科連隊だった。連隊長は番匠幸一郎一等陸佐(当時)。10年前の「直言」で私は、「レンジャー資格をもつ優秀な部隊長のもとで、より戦闘を意識した態勢が作られたことそれ自体が問題なのである」と書いた(直言「黄色いハンカチと白いリボン」)。実質は「第3普通科連隊基幹イラク派遣増強大隊」として、これまでの自衛隊海外派遣にない強力な武器・装備が認められた。その先陣を担う第1次隊の指揮官に、番匠氏が選ばれたのには理由がある。自衛隊の新聞『朝雲』の人事欄で10年間、ずっと彼の経歴に注目してきたが、目を見張るような超スピード昇進だった。番匠氏は二等陸佐の時に陸幕防衛部の防衛課の防衛班長に就任する。一佐の時に防衛課長、陸将補の時に防衛部長をやった人間は「さんぼう(三防)」(「参謀」に引っかけている)と呼ばれ、陸上自衛隊トップの陸幕長となる超エリートコースである。番匠氏はイラク派遣部隊の指揮官という、防衛課長よりもある意味ではキャリアを積んだことになる。彼がこのコースに乗っていることは間違いない。

帰国後、すぐに一佐職の陸幕広報室長となった。そして、防大24期のトップで陸将補に昇任し(47歳)、2005年8月に西部方面総監部幕僚副長となった。その9月、佐世保の陸自相浦駐屯地の西部方面普通科連隊の240人を、小銃に銃剣、「迷彩II型ブッシュハット」という姿で、市民が買い物をするアーケード街を行進させた。これまでは地元の平和団体などの反対もあり慎重に行っていたものだが、番匠氏は「武装して何が悪い」という態度で批判をはねつけた。その月に起きた相浦駐屯地内の対戦車ヘリ墜落事故では調査委員長に就任。陸幕広報室長の経験にものを言わせて、地元紙や全国紙の支局記者に突っ込みを入れさせなかった。私は8年前、この番匠氏について、「やがて陸将になって、今後10年間に、師団長(ないし中央即応集団司令官)、方面総監、陸幕長というコースを歩むことが予想されている」と書いた

2009年3月人事で、番匠氏は陸幕防衛部長となる。東日本大震災が起きるや、横田基地内に進出・常駐して、自衛隊の「災統合任務部隊」(JTF)と米軍の「統合支援部隊」(JSF)との調整にあたった。当時私はこれを、「日米防衛協力の指針」(ガイドライン) に基づく日米調整メカニズムの、災害における全面的な「試用」である、と指摘した(直言「『トモダチ』という作戦」)。「有事並みの作戦調整」を、陸海空三自衛隊全体を仕切ることが許される統合幕僚監部付きの危機対応リーダーとなった番匠陸将補が実施したわけである。震災対応が一段落すると、その8月、陸将に昇任して第3師団長となる。しかしこれはわずか11カ月で終えて東京にもどり、陸幕副長となった。おりしも、水陸両用部隊を設置する動きが出てくると、陸幕副長を1年でおりて、九州、南西諸島、沖縄方面を担任する陸のトップである西部方面総監となった(2013年8月人事)。イラク派遣第一陣の指揮官から、「海兵隊」が展開する方面の責任者へ。イラク派遣から10年を経て、この人物が再び一線に立つことになった。

ところで、防大1期生が陸海空のトップである幕僚長になったのは1990年。冷戦が終わり、自衛隊がおずおずと海外派遣を始めたときだった。いま、「専守防衛」時代をくぐり抜けてきた将軍たちではなく、「軍隊で何が悪い」というおおらかなミリタリータイプがトップの座を目前にしている。

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政治と制服組との結びつきが強まる一方で、防衛省内局(背広組)の権限は、石破氏が防衛庁長官の時代から歳月をかけて弱められてきた。「文官スタッフ優位制度」という日本型シビリアンコントロールは崩壊しつつある。その意味で、12月4日の国家安全保障会議(4大臣会合)の1枚の写真は衝撃的だった。ネット検索で発見したものだが、制服の空将(統合幕僚長)が安倍首相の前に手を差しのべ、何かを説明している。日本の場合、防衛省内局の局長、参事官を介して行われることになっていたから、この写真はミリタリーの地位が格段にあがったことを象徴的するものと言える。事実、「4大臣会合」には内局から誰も参加していない。あえてそういう1枚の写真を公表したのだろうか。長年にわたり、制服の意を受けた石破氏の粘着質の努力(防衛参事官制度の廃止等々)が、安倍首相のもとで「開花」しつつあると言えるかもしれない。だが、安倍・石破両氏を含め、いまの政治家たちは、官僚やミリタリーをコントロールする能力が格段に落ちてきている。国家安全保障会議の「4大臣会合」は緊急事態に迅速な決定(「決める政治」)ができると期待する向きがあるが、むしろ逆である。首相を含む「たった」4人の政治家は、「優秀なる外務官僚」と、米国の幕僚教育でしっかり仕込まれ、豊富な軍事知識と経験をもつ番匠氏のようなタイプのミリターにとっては、いたって御しやすい。「シビリアンをコントロールする仕組み」になりかねない。衆参の「ねじれ解消」で国会は翼賛化し、「政高党低」の政治が国民に何をもたらすか。これは次回、新しい「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」による新たな装備(武器)を通じて診ていくことにしよう。(この項続く⇒その2・完

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