二人に一人しか投票しない「民主主義国家」            2014年12月15日

投票率の低下

47回衆議院総選挙の投票日とその前日、宮崎市に滞在した。宮崎県弁護士会の講演(PDFファイル)が主な仕事だ。市内は静かだった。これが投票前日の県都とは思えない。「最後の最後までよろしくお願いします」と絶叫するような候補者カーにも会わなければ、繁華街での選挙活動も見かけなかった。静かだった。本当に静かだった。帰宅後、新聞を読んで納得した。宮崎県の投票率は49.86%である。52.66%という「戦後最低の投票率」を更新した今回の総選挙で、宮崎県は都道府県別の下から数えて8番目の低さだった(最低は青森県46.83%)。二人に一人しか投票にいかない。民主主義国家では考えられないような悲惨な現実がここにある。

どこの国でも下院の選挙は投票率が高い。国政における最重要選挙だから当然だろう。日本でも地方選挙や参院選が低投票率でも、衆院総選挙の投票率だけは相対的に高かった。中選挙区制の時代は誰が当選するかわからない。いきおい開票速報も逆転に次ぐ逆転で、国民の関心も高まった。しかし、現行の小選挙区比例代表並立制が導入され、その最初の適用となった1996年総選挙からは、のきなみ投票率が下がりだした。小選挙区制のため、「出口調査」で開票前に結果がわかってしまうことも大きい。

近年、NHKの開票速報も、8時の開票開始と同時に当選確実者が画面に出てきて、選挙結果が一目瞭然となるようになった。NHKは、大河ドラマの最終回を1週間先送りするという初めての荒技をやって、18時50分から選挙特番を開始した。1分前からカウントダウンを始め(これは意味不明)、8時になると同時に、「自・公3分の2に届く勢い」というこの画面を出した。

自・公3分の2に届く勢い

2年前の総選挙の投票率は59.32%と「戦後最低」を記録した。投票日直後の直言で、「多党乱立とメディアによる『結果はもう出ている』という報道の連鎖のなかで、一票を使う気力を失せさせてしまったところに、別の意味での『一票の軽さ』があるように思われる。「非選挙人」〔棄権者のこと〕の『選択』の結果は投票率の低さであり、それは自民党に圧倒的に有利に作用したと言えよう」と書いた(直言「もう一つの『一票の軽さ』――総選挙終わる」)。

今回、2年前よりもさらに投票率が低下して、「戦後最低」を記録したのはなぜだろうか。いろいろな原因が考えられる。第1に、最大の原因は、私のいう「小選挙区比例代表制」の弊害が最大限に発揮されたことだろう。この点については、前回総選挙の時に書いた直言「政治の劣化と選挙制度」をお読みいただきたいと思う。なお、この制度の弊害について書いた直言「小選挙区比例代表「偏立」制はやめよ」でも紹介したが、この制度を導入したときの細川護熙元首相は「小選挙区に偏りすぎたのは不本意」と語り、河野洋平元自民党総裁(元衆院議長)は「今日の状況を見ると、それ〔並立制〕が正しかったか忸怩たる思いがある」といって、政治の劣化の原因をこの制度に求めていた。河野元総裁は最近、この制度の導入をはかったことについて「大きな間違いを私は犯した」と反省しているという。

「戦後最低の投票率」の第2の原因は、野党の選挙準備ができないうちに解散に打って出るという「電撃戦」の結果だということである。野党だけでなく、選挙管理委員会にとっても準備不足となった(在外邦人や遠洋漁業の船舶での投票などに不備が出た)。何より、解散理由がよくわからず、国民が関心を高めていく余裕がないままに投票日を迎えることになったことが大きい。投票率の低さをあえて演出する作戦だったのではないかと思えてくる。

第3に、政権側が争点の極端な絞り込みと単純化をはかり、それをメディアが後押ししたことである。衆院総選挙は政権選択につながるため、外交・安全保障政策から国内政策全般にわたり政権公約を競う選挙である。今回、「マニフェスト」はいずれの側からも出てこなかった。安倍首相は「この道しかない」と、「アベノミクス」の是非に争点を絞り込んだ。集団的自衛権行使容認の閣議決定という狼藉、特定秘密保護法、原発再稼働の是非、経済・財政政策の行き詰まり、社会保障の危機的状況など、たくさんの課題があった。世論調査では、政権に批判的意見が半数近くを占めるものもあった。もし、論戦が徹底して行われ、各党の政策をメディアが対比すれば、国民の投票行動に確実に影響しただろう。だが、そのいとまを与えず、安倍首相は、「アベノミクス」を続けるのか否か、「この道しかない」と有権者に強引に迫った。

「この道しかない」(TINA: There is no alternative.)という手法は、政治の邪道である。多様な選択肢のなかから熟議に基づき適切な結論を選びとっていくことを放棄するもので、国民の関心が高まらなかったのも無理はない。野党、とりわけ民主党はこれに有効に反撃できなかった。海江田万里代表の演説の力なさは格別だった。問題を羅列するだけで、与党側の争点の単純化・一面化に対して切り返す言葉は最後まで聞かれなかった。

投票所の問題

メディアの争点の扱い方も与党に有利に働いた。投票日朝のニュースは、アナウンサーが「アベノミクスの評価を最大の争点とする総選挙の・・・」と始め、テロップでも「アベノミクスなど2年近くの政権運営の評価」と流し続けた(なお、左の写真にある日本的な投票台と「投票の秘密」の関係については、直言「『投票の秘密』は守られているか」参照のこと)。昨年の参院選のとき、「ねじれ解消を最大の争点として・・・」という前振りをアナウンサーが語り続けた結果、「ねじれの解消」、すなわち、参議院が衆議院と同じになることで、自民党の大勝に貢献したことは記憶に新しい。今回は「アベノミクス」なる、分けのわからない和製英語である。それが争点とはどういうことか。本来、メディアには、政権の言語操作に乗せられないための慎重な配慮が求められるのに、NHKをはじめメディアは無批判に政権側の言語操作に乗った。国民はニュースを通じて、この選挙の争点が「アベノミクス」を続けるのか否かにあり、集団的自衛権の問題などは関心の外にさせられた。これでは投票所への足が遠のくのも無理からぬところであろう。

第4に、選挙運動期間が意識的に短くされたことである。もともと衆議院の場合12日間と短いが、解散から投票日まで約3週間と、近年では「超短期決戦」となった。これも与党に有利に働いた。しかも、解散の日は高倉健、公示の日は菅原文太と、大スターの死をメディアは大きく、長く扱った。選挙期間中はノーベル賞とその晩餐会。スポーツ新聞の一面から選挙が消えた。スポーツ紙が政治ネタを大きく扱うと、飲み屋の話題になり、選挙への関心は広がるが、今回はそれがほとんどなかった。テレビ番組の調査・分析会社「エム・データ」によれば、NHKと在京民放5局が選挙関連の放送をしたのは26時間16分で、前回2012年総選挙の74時間14分の約3分の1。小泉郵政解散時が89時間だったことを思えば、ワイドショーが選挙から撤退した影響は大きい(『朝日新聞』12月10付第3社会面)。

FAZ「家業としての政治」

さらに、投票日前後に低温と大雪という「異常天候早期警戒情報」が流れたことで、「無党派層は家で寝ていてくれればいい」という、かつて森喜朗元首相がもらした本音が実現することになった。低投票率についてのNHKニュースの街頭インタビューでも、「寒いから私の周囲は誰も外に出なかった」という声があった。青森や徳島が40%台というのも雪の影響があろう。

国の政治を決定する下院選挙(衆院総選挙)の結果は、外国メディアにも注目された。ドイツの一流紙の「フランクフルター・アルゲマイネ」は、「家業としての政治」「日本の政治は名家が支配する」「安倍首相の国家主義的アジェンダは祖父に負っている」という見出しの長文記事を掲載した(FAZ vom 14.12.2014)。「汚職の疑い」がかかる小渕優子氏が10万票以上とって当選したことを驚きをもって伝え、「世襲政治」が多い日本の政治の構造を分析しつつ、東條英機戦時内閣の閣僚だった岸信介を祖父にもつ安倍晋三首相の国家主義的政策の出自を探っている。

また、日本通だったG.ヒルシャー特派員以来、鋭い日本分析で知られる『南ドイツ新聞』は12月15日付(電子版)で、自民党が沖縄で4議席すべて失ったことにもきちんと言及しつつ、安倍勝利の背後にある問題を鋭く分析している(リンク)。そのなかで、祖父が追求した平和憲法の改正が今後最も重要になると注目している。

祖父の思いにこだわる安倍首相の場合、小選挙区の絶対得票率は25.31%、比例区のそれは17.64%にすぎないのに、国民に「全権委任」を受けたと勘違いしてさらに暴走することだろう。選挙では触れなかった真の争点、「憲法改正」が早晩浮上してくるだろう。すでに投票日当日、安倍首相の口から、「憲法改正に向けてこれから一歩一歩進めていく」という言葉が出たことは要注意である。

私は、衆院解散についての「直言」の末尾で次のように書いた(直言「「念のため解散」は解散権の濫用か」)。

「・・・2012年12月16日の「戦後最低の投票率」がもたらしたのがいまの日本の惨状だとすれば、そこからの回復は、12月14日に「戦後最高の投票率」をもって、安倍内閣の2年を「総括」する以外にはないだろう。
   だが、弱小野党の現状のままでは、さらなる低投票率が続き、政治への虚無感を加速するおそれなしとしない。そのあとには、「脳のないタカ派が爪を隠すことなくむき出しにしてくる」ことが深刻に危惧される。原発国家、軍事国家、秘密国家、警察国家、大増税国家としての「美しき強き国」の登場である。」

危惧した通りになった。「戦後最低の投票率」によって、さらにパワーアップした第三次安倍内閣が憲法改正に向けて始動する。これに対抗するにはいかにするか。沖縄県の4つの小選挙区で示されたような野党共闘の形は注目される。今後とも、基地問題だけでなく、「国のかたち」をめぐっても、沖縄の動きが重要になることは間違いないだろう。

《付記》宮崎から帰宅したのが14日夜になったため、更新が1日遅れたことをご了承ください。

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