「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
       (2008年8月1日午後4時収録、 8月2日午前5時35分放送

   1.北京オリンピックまで1週間

  北京オリンピックの開会まで1週間をきりました。中国人ジャーナリストの、「一日も早く閉会してほしい」という言葉を見出しに使った『アエラ』(朝日新聞社)8月4日号や、新聞各紙もどこか冷めたまま、開会目前の中国・北京の様子を伝えています。大気汚染はなお改善されず、バス爆破事件など各地に不穏な動きもある。『朝日新聞』7月30日付はそのことを伝える特派員報告の上に、JOC(日本オリンピック委員会)が576人の日本選手団全員に配った「危機管理マニュアル」のことをカラーで詳しく紹介しています。そのマニュアルでは、汚染・病気対策のほか、テロへの心構えが一段と詳しく書かれており、ミュンヘンオリンピックの際、イスラエル選手団11人がゲリラに襲撃されて死亡した事件が写真入りで紹介されているそうです。スピルバーク監督作品でも知られる、あの「ミュンヘン」から36年。国家によるテロ対策の周到さ、過激さはかつての比ではありません。

  『東京新聞』28日付は、「中国、非常時モード」という見出しで、密告の奨励をはじめ、公安機関による予防的検束を「人狩り」として詳しく伝えています。ネット規制も厳しく行われ、『毎日新聞』31日付夕刊はカラー写真を使い、ネット閲覧中に突然、「仮想警察官」というキャラが画面上にあらわれ、警告を発する様子を伝えています。何とも不気味です。『読売新聞』30日付夕刊は、外資系ホテルに対し、宿泊客が接続・閲覧したインターネット情報を監視する機器を強制的に設置させられたとして、米国で問題化していると書いています。

  さらに、『東京新聞』31日付特報面は、ハンセン病患者の入国を禁止した北京オリンピック委員会が、一転してこれを撤回したことについて触れ、「あらゆる差別の排除を掲げるオリンピックで、時代錯誤な問題が起きたのはなぜか」と、その背景を分析しています。中国は、この6月、国連でハンセン病差別撤廃決議の共同提案国になり、人権重視をアピールしようとしましたが、外国人出入国管理法の細則に、ハンセン病患者の入国禁止を定めていたことには無頓着だったようです。6月下旬、この問題が判明すると、中国側はこの規制を全面撤回しました。この問題を最初に指摘した藤野豊・富山国際大准教授は、その背景に、戦前の日本の隔離政策の影響があると指摘します。そして、日本でも96年に「らい予防法」が廃止されるまで患者の入国が禁止されていたこと、「今の中国は少し前までの日本の姿」だと述べ、熊本のホテルが患者の宿泊を拒否した事件も挙げて、「自分たちの問題として受け止める必要がある」とコメントしています。オリンピック期間中もその後も、具体的で建設的な批判により、中国政府の人権意識の鈍感さを正し、状況の改善のために努力していくことが必要です。                             


2.労働者派遣法改正へ

  さて、7月28日、厚生労働省の有識者研究会が、労働者派遣制度に関する報告書をまとめ、日雇い派遣の原則禁止や、違法派遣への制裁強化を打ち出しました。7月30日から、厚生労働大臣の諮問機関「労働政策審議会」の部会で、労働者派遣法改正の審議が始まりました。そして31日、日雇い派遣の大手グッド・ウィルが廃業しました。『東京新聞』8月1日付は、「労働者をモノのように動かしてきた以上、廃業は当然だ」とする厳しい調子の社説を掲げ、派遣事業の規制強化を主張しています。『産経新聞』7月29日付社説も同様のトーンで、非正規雇用が生む社会のひずみの是正を政府に求めています。

  1986年に労働者派遣法が施行されてから20年あまりで、派遣が約22倍、321万人に急増した背景には、労働市場の規制緩和があります。小泉「構造改革」で2004年、規制緩和は一段と進みました。『朝日新聞』のシリーズ連載「派遣はいま」はすぐれたレポートで、グローバル化が日本の働き方を直撃して、雇用の劣化を招いたことを具体的に明らかにしています。この点で興味深い世論調査結果が今週公表されました。『読売新聞』31日付の連続世論調査「勤労観」です。そこでは、非正規雇用の増大について、「多様な働き方ができるようになった」とする人が15%、「働く人の立場が不安定になった」とする人が82%と、不正規雇用に否定的見方が強いこと、また、終身雇用が望ましいと思う人が77%に達していることが注目されます。「構造改革」で年功序列・終身雇用の日本的雇用システムは大きく変質させられましたが、『読売』調査が「終身雇用、高まる支持」という見出しを打っていることは示唆的です。

  派遣事業をめぐっては、二重派遣や給与の不当天引き、労災隠しなど、組織的・系統的な労働法違反が行われてきており、厚生労働大臣も日雇い派遣の原則禁止の方向を指示したそうです。さらに進んで、登録型派遣の禁止も重要であると、労働組合などは指摘しています。また、偽装請負などの場合、派遣先企業が直接雇用をする「みなし雇用」を実施すべきだという主張も強くなっています。労働者保護のないまま規制緩和を行うことで今日の状況が生み出されてきたわけで、政府の責任は重大です。

  激しい利益追求競争の渦中にある企業には、人員整理が容易で、人件費を抑制できるという目先の願望があり、「構造改革」時代はそんな企業側の発想に寄り添った、過度で一方的な規制緩和が進みましたが、いまはむしろ、労働者保護の観点も踏まえた、バランスのある規制のありようが求められています。この局面では、むしろ規制強化が必要になっているわけです。企業サイドでも、長期的にみれば、非正規雇用の拡大は決してプラスにならないことを知るべきでしょう。

  この点で、先週22日に発表された2008年版『労働経済白書』に注目すべき記述がありました。全体を貫くテーマは「働きがいのある社会の実現に向けて」。「正社員削減と非正規雇用拡大が労働生産性の上昇に停滞」をもたらし、「働く意欲の低下」につながるという指摘です。労働生産性の低いサービス業での非正規労働者の割合が急増。就業者に占める割合は1992年の24.6%から、2007年の39.4%に拡大した結果、生産性上昇率は年1.9%から0.5%。低下しました。バブル崩壊後、企業が導入した業績・成果主義的賃金制度は正社員の働く意欲を低下させている」とも指摘しています。

  憲法27条は勤労権(right to work)を保障し、賃金、労働時間、休息の3つを具体的に挙げ、法律できちんと規制するよう求めています。同一労働同一賃金という原則が、非正規雇用で揺らいでいます。働く人々が、働きがいを回復することが求められています。

 

  (さて、話題を再度海外に移しますと、興味深い出来事が今週ありました。『東京新聞』31日付夕刊によると、29日、米議会・下院は、本会議を開いて、黒人に対して、かつての黒人奴隷制を謝罪する決議を賛成多数で採択しました。決議は、黒人奴隷制と人種隔離政策が「残虐で非人道的な行為だった」ことを認めた上で、「奴隷制の結果、アフリカ系米国人の苦しみは今もなお続いている。下院はアフリカ系米国人に謝罪する」としています。議会が正式に黒人奴隷制について謝罪したのは、米国史上初めてのことです。なぜこの時期、このタイミングだったのかなどの詳しい分析はありませんが、大統領選挙とその後の転換をにらんだものであることは明らかでしょう。しかし、議会が正式に謝罪したことの意味は大きいです)〔※時間の関係で省略〕。                  


    3.神戸・都賀川事件から

  さて、毎日暑い日が続きますが、今年の夏の暑さは尋常ではありません。突然の雷雨にも驚かされます。28日午後、 神戸市灘区 の都賀(とが)川で起きた鉄砲水の事故は悲惨でした。わずか10分で134センチも水位が急上昇して、河川敷などで遊んでいた約10人の人たちが流され、子ども3人を含む5人が亡くなりました。テレビニュースは、短時間で川が様相を一変させた映像を繰り返し伝えましたが、新聞では『毎日新聞』が東京本社版でもこの事故を一面トップにもってきて、しかも「嵐の前」「増水始まる」「水位急上昇」「猛烈な濁流」という4枚の写真で刻々の変化を伝えました。『朝日新聞』や『読売新聞』は嵐の前と濁流の2枚だけでした。『東京新聞』も4枚使いましたが、『毎日』が最もリアルで、今回の現象の凄まじさと恐さを読者に伝える点ですぐれていたと思います。津波の場合でもそうですが、すばやく安全なところに避難するという瞬間的判断が重要です。この事故では、都市型水害の恐さも浮き彫りになってきました。都市はアスファルトで固められ、雨水は川に注ぐしかない。川もコンクリートで囲まれ、豪雨により一気に「暴れ川」に変わる虞れがあります。また、六甲の山並みが海に迫る地域の場合、山に降った雨は短時間に下流を増水させます。『信濃毎日新聞』30日付は「“都市急流”の危うさ」と題する社説を出して、「長野県内には、市街地のすぐ背後に山が迫る地形があちこちにある。周りをコンクリートで囲まれて、夕立が降っただけで水かさが一気に増す川が少なくない。都賀川の事故が県内でいつ再現されないとも限らない」と書いて、こう結びます。「天候の急変にも予兆がある。急に冷たい風が吹く、の流れの勢いが変わる。自然の中にいるときは五感を研ぎ澄ませて、わずかな変化も見逃さないでほしい」と。

  夏休みといえば、『東京新聞』26日付夕刊コラム「放射線」で、東京外国語大学教授の酒井啓子さんが面白いことを書いています。「勉強してから冒険しよう」という一文は、大学でアジア、アフリカの言語・文化を学ぶ学生たちは途上国に出かけることが多いが、4年前のイラク人質事件以来、日本人は「自己責任」として、学生の冒険旅行に風当たりが強いことに触れています。イランで誘拐されて8カ月後に解放された学生にも、外務大臣が直接「お小言」をいうというご時世です。酒井さんは、危険なところに行くのは無謀だという言い方に対しては、「中東全部が危険だと思い込んでいるキミのほうが、勉強不足だよ」と書き、「勉強すべきことは、その国や地域が歴史的にどういう紛争を抱えてきたのか、周辺国との関係はどうかということである」と指摘し、「4年前にイラクで殺害された若者は、イラクが危険だと知らなかったことが勉強不足だったのではない。イスラエルに長期滞在した後、アラブの国たるイラクに入ったことが、問題だった。アラブ諸国の多くは未だにイスラエルと和平を結んでいない。学生さん、勉強しよう!」と結んでいます。同感です。

    夏です。思い切り冒険できるのも夏の醍醐味です。自然も、外国のことも事前にしっかり勉強してのぞむことが大切でしょう。この放送を終えてから、私も南アルプスに向かいます。皆さん、よい夏をお過ごしください。

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