「壁とともに去らぬ」――旧東独の傷口  2005年11月21日

事通信文化部から書評の依頼を受けた。自宅に郵送されてきた本は、アナ・ファンダー著=伊達淳訳『監視国家――東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆』(白水社)である。「史上最も監視体制の徹底していた国」(ファンダー)とされる旧東独。その「超管理社会の恐怖」を描いた「魂を震わす渾身のルポ」(帯の言葉)である。著者は39歳のオーストラリア人女性弁護士で、テレビやラジオのプロデューサーも兼ねる。「壁」が崩れたとき23歳だった著者が、多くの関係者に取材してまとめた本である。その書評を書くため、14年前に旧東ベルリンに滞在したときに集めたシュタージ関係資料のファイル・ボックスを久しぶりに開いた。ほこりにまみれた資料が出てきた。当時のことが生々しく思い出された。

  旧東独国家保安省Ministerium für Staatssicherheit)。ドイツ語の“シュターツジッヒャーハイト”を縮めて「シュタージ」。ナチ時代の秘密国家警察(Geheime Staatspolizei) を縮めた「ゲシュタポ」はあまりにも有名だが、「シュタージ」の方はまだそこまで一般に知られてはいない。
  今月の9日、「ベルリンの壁」崩壊から16年が経過した。広島大学時代、1991年2月から8月末まで、在外研究で、旧東ベルリンの中心、アレクサンダー広場前の高層アパートに住み、東西ドイツ統一直後の旧東側社会の澱(よど)みと軋(きし)みを体感した。その8年後、在外研究でボンに1年滞在したときは、車で旧東独地区を取材して、「壁がなくなって10年」という「直言」を2回連載したこともある。時の流れの早さを感じる。

  さて、私の書評原稿には、こういう下りがある。「ある時、駅前で『アンデレ』という市民団体の機関紙が配布された。すぐに人だかりができた。秘密警察「シュタージ」職員の実名、生年月日、年収を記したリストが毎回2000人も公表されたのだ。4週間にわたった連載中、私は火曜夕方になると、駅前に足を運んだ。5部も買う私に、幾重もの鋭い視線が向けられた。住宅の近くまで後をつけられたこともある。本書を読みながら、その時背筋に流れた冷たい感触を思い出した」。
  
『アンデレ』(Die Andere) は、旧東独の市民運動の機関紙である。その1991年3月20日号が、シュタージの正職員の実名、生年月日、年収額を公表した。4月17日まで、5回連続で計10000人分が明らかにされた。シュタージ職員は9万7000人といわれている。その9分の1の実名が手元にある。リストの一番初めには、エーリッヒ・ミールケ国家保安大臣の名前も出てくる。年収はダントツの一番である。同紙は水曜発売だが、毎週火曜日夕方4時半から、アレクサンダー広場駅前で先行販売された。私はアパートの部屋からずっと見ていて、人だかりができるとエレベーターで降りて、必ず5部買った。そのことを書評でも書いたのだが、原稿を出したあと、記者がメールで質問してきた。「なぜ5部も買ったのですか」と。当然の疑問だろう。実は、当時、旧東ベルリンのモーレン通りにプレスセンターがあって、そこに日本の新聞社や放送局の東ベルリン支局があったのだ。知り合いの特派員に渡すために毎回まとめ買いしたのである。1マルク80もする新聞(当時、ベルリン新聞は0.5 マルクだった)を5部も買うので、周囲の人から「日本人は何でも買い占める」と皮肉をいわれたこともある。自分や身内の名前があるかもしれないと不安げな人。シュタージにひどい目にあって、関係者の名前を知ろうと見にきた人。ベンチで食い入るようにリストに見入る中年男性…。4月中旬まで、毎週火曜日の駅前広場は、異様な雰囲気に包まれていた。

  今回、久しぶりに『アンデレ』紙を開いてみて、なぜか投書欄に目がいった。そこには、シュタージ追及の意義を一般的に唱えるものから、リスト公開で家庭が破壊されたと訴えるものまで多彩だった。「前号の○○は私と同姓同名だが、全くの別人であることをここに宣言する」といった声明も載った。編集部への脅迫文もそのまま掲載されていた。「あなた方は意見の違う者を迫害するという点で、ナチスよりも悪い。〔…〕あなた方は人道主義の社会において生きる権利はない。その清算は、しかるべき時に無慈悲に下されるだろう」というドスのきいたものから、「これが最初で最後の警告である。500人以上の戦闘員が行動を準備している。戦闘集団91」という直截的なものまである。14年前、毎週こうした投書や脅迫文の類を見ながら、国としては統一したが、明らかに「一つの国家に二つの社会」が存在していることを痛感した。

  シュタージ職員の氏名公開が始まった翌週、91年3月28日、市民フォーラム系の公開シンポジウムが開かれることを新聞で知り、地下鉄のローザ・ルクセンブルク駅で下車して、ディミトロフ通りのエルンスト・テールマン公園内の文化センターに向かった。駅と通りと公園の名前を聞けば、まさに旧東ベルリンにいることを実感する。公園内のこじんまりした建物はすでに人でびっしりだった。ビデオカメラをもつ私はジャーナリストと思われて、前の方に通された。その時の写真が『アンデレ』にも載っている。パネラーのなかには東独市民革命の指導者の一人、バーバラ・ボーライ(メソジスト世界平和賞受賞)の姿も見える(前列左から2人目)。左端の男がシュタージの非公式協力者(IM)である。私は、向かって右側の端からこの場面の写真を撮った(『法学セミナー』1991年8月号の拙稿「ベルリン発・緊急レポートB『二つの過去の克服』」に写真あり)。
  
旧東独では、この非公式協力者(IM)の存在が深刻な問題を生み出していた。今回書評した『監視国家』によれば、IMやパートタイムの情報提供者を含めれば、6.5人に1人が監視情報を提供していたという。尾行、密告、盗聴…。夫婦生活の回数までシュタージに報告されていた。お互いが密告を疑い、統一後は離婚が続出した。『アンデレ』は、30万人のIMのうちの256人のリストも公開した。まさに「密告社会」である。
  
冬季五輪で金メダルを獲得したスケート選手カタリーナ・ビットの告白記『メダルと恋と秘密警察』(畔上司訳、文藝春秋社)も生々しい。そこには、「20時00分からセックス。20時07分終了」というシュタージ報告書のことが紹介されている。ビットの怒りは、「こんな短いはずがない」ということ以上に、密室の行為を誰が報告していたかに向けられている。

  旧東ベルリンを訪れると、シュタージゆかりの場所があちこちにある。ホーエンシェーンハウゼンにあるシュタージ監獄。91年のベルリン滞在時にはまだ閉鎖されていたが、99年のボン滞在中には、何度か人を案内して訪れたこともある。ここに収容された人々は、受刑者ばかりではない。多くの政治犯が精神病扱いされ、薬漬けでボロボロにされたという。
  ノルマンネン通りのシュタージ記念館は有名である。町全体が巨大なシュタージ組織になっていて、学校から幼稚園、住宅などが揃っている。私が91年に訪れたとき、ドイツ連邦鉄道の建物になっていたが、その一角にある1号館は、シュタージ本部で3階には国家保安相の執務室もある。シュタージは、調査対象者の「においのサンプル」まで大量に保管していた。ビンに入ったハンカチなど、個人の「におい」をここまで揃えて、警察犬の追尾に使ったのかは不明である。この「においのサンプル」は、私自身、シュタージ記念館で見た記憶がある。何のために、そこまでやったのか。「党の盾と矛として」「党を人民から守るために」…。ここに当時の「民主共和国」の本質が透けて見える。今回書評した『監視国家』のなかの、ある男性の言葉は印象的だ。「制度が人々を操作する。シュタージさえも操られていた」。巨大秘密組織の自己増殖運動の恐怖である。

  32年間トップの座にあったエーリッヒ・ミールケ国家保安相(社会主義統一党政治局員)。エーリッヒ・ホーネッカーが党書記長になってから、シュタージは質的に強化され、「二人のエーリッヒ」の操る巨大組織となっていった。この「党の盾と矛」と呼ばれる組織は、子どもたちをも協力者に養成し、家族や先生を密告させた。ミーケル大臣のモットーは、「すべてを知り、すべてを統制する」であった。ドイツ映画「トンネル」にも、シュタージが出てくる。人々の自由と権利を陰湿に破壊したシュタージ。それはトラウマのように、いまもドイツの東部地域の人々の心のなかに重く残っている。

  先月、IMのレッテルを貼られたマンフレート・シュトルペ元ブランデンブルク州首相(シュレーダー政権で最近まで連邦交通大臣を務めた)の勝訴決定が出された。連邦憲法裁判所第1部(法廷)は、10月25日、シュトルペ氏の憲法異議(訴願)を認容し、連邦通常裁判所の判決を取り消し、差し戻す決定を言い渡した。シュトルペをIM(“書記”というコードネーム)だとする意見は、意見表明の自由(基本法5条)によってカバーされず、その一般的人格権(基本法2条)を侵害するものとされた。シュトルペが、ベルリン・ブランデンブルク教会を代表する11人の一人として、国家保安省(シュタージ)との接触を行ったのは、シュタージを利用して教会の目的を達成するためだったという。しかし、彼が逆にシュタージに利用された疑いもある。シュトルペがどの程度意図的にシュタージに協力したのかはなお曖昧である。「IM追及ヒステリー」現象が統一後、ドイツ各地で起こり、「IM狩り」が行われた。失脚した政治家は少なくない。シュトルペはこの連邦憲法裁判所決定により、IMの疑いを晴らすことに成功した。しかし、9月18日の連邦議会選挙で当選した「左派党」54人のなかに、IMの疑いをかけられている議員がいる。旧東独出身というだけで、一般的にはIMの疑いがかけられる傾きにある。それだけ、シュタージが社会に与えた傷は深い。

  旧東独関係者が書いたシュタージ関連文献を読みあさってきた私にとって、比較的若い世代の、しかもオーストラリア人女性弁護士が書いた本書は、恐怖の皮膚感覚という点でやや不満が残った。でも、取材はよく行なわれており、普通の人々によって淡々と行われた監視を、客観的に描いているという点は、本書のメリットと言えるだろう。
  なお、本書には、朝日新聞コラムニストの船橋洋一氏による解説がついている。そこには、国民7人に1人を密告者に仕立てた国の本質がリアルに表現されている。「権力が味方で国民が敵ということがあまりにもはっきり分かってしまった…。それでも人民のニーズ(当局がニーズと認めるものに限る)を満たすことが共産主義の証であり見栄だった。旧東独はそれを偏執狂的に行った」と。船橋解説には、次のような印象的な下りがある。「人々の小さなプライドと小さな優越感と小さな嫉妬と小さな復讐と小さな裏切りが、壁をつくるのである。人々の心の中に『ベルリンの壁』をつくるのである」と。
  
この種の組織は世界各地に今もなお存在する。日本にも、「公安」組織は存在して、「何を守るのか」という観点から甚だ疑問な活動を行っている。その意味で、本書を読む意義が失われることはないだろう。ちなみに、私の書評のタイトルは、「制度が国民を操作する恐怖」である。

付記:今回の直言には、『法学セミナー』1991年8月号の拙稿(拙著『ベルリン・ヒロシマ通り――平和憲法を考える旅』中国新聞社に収録)の一部を使用した。

追記:
書評「制度が国民を操作する恐怖」
アナ・ファンダー著(伊達淳訳・船橋洋一解説)『監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆』(白水社)

時事通信文化部配信
掲載紙:
『福井新聞』2005年11月13日読書欄
『琉球新報』2005年11月13日読書欄
『茨城新聞』2005年11月20日読書欄
『長野日報』2005年11月26日読書欄
『神奈川新聞』2005年11月27日読書欄
『中国新聞』2005年12月4日読書欄

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