「官から民へ」で、いま「官」は  2007年8月6日

倍首相は大敗が確定しても、政権続投を表明した。本人は「使命」 とか 「責任」だのと、まるで自分で自分に言い聞かせるように語っている。たくさんの首相をみてきたが、ここまで目に力がなく、言葉が浮ついた人を見たことがない。安倍首相は、9月の内閣「改造」や「人心の一新」を語るが、何よりの人心一新は自身の辞任ではないか。いずれにせよ、「安倍首相」という単語の使用期限は確実に短くなった。昨年、「『失われた5年』と『失われる○年』」という直言で、安倍政権の誕生を書いたが、いまからみると、「失われる○年」と書いたのはミスだった。「○カ月」とすべきだった。1年半だったら、「18カ月」である。おそらくそれよりも長いことはあるまい。自民党の「話し合いのマーチ」という歌のなかには、「云いたいことは何でも云える 自由がここに あるんだぜ 話しあおうよ どこまでも」という下りがある。安倍首相の政権運営や国会運営はこの歌のイメージとはかけ離れており、そうした方向に対して、この選挙で国民は、明確なノーを突きつけたのである


   さて、今日は62回目の「8.6」である(62年前も月曜日)。「原爆投下、しょうがない」発言による大臣辞任があって最初の「8.6」であり、核兵器をめぐる内外の状況についても語りたい。ヒロシマナガサキの平和記念(祈念)式典の「平和宣言」(「長崎平和宣言」)にも注目したいところである(「闘う平和宣言60歳」『朝日新聞』大阪本社版2007年8月4日も参照)。
   しかし、今週も繁忙期(試験採点)のため、以下は前回同様、選挙前に書いておいたストック原稿(転載原稿を含む)をUPする。今週は、62年前の8月6・9日の意味を想起することに加えて、2年前の8月5・8日の参議院郵政民営化特別委員会採決・参議院本会議否決の意味も想起していただきたい。

  「プロの意識」。こんなタイトルのメルマガが届いた。「安倍内閣メールマガジン」第37号(2007年7月12日午前7時送信)である。何だろうと思ってあけてみると、九州地方の大雨の話や年金問題への最近の対応などがダラダラと書いてある。終わりのところでは、7月11日の大リーグ・オールスター戦で、イチロー選手がランニングホームランを打ち、かつMVP に輝いたことが書かれ、「どんな状況にあろうとも、自らのなすべきことを見失うことなく、そして、それを必ず成し遂げる、イチロー選手のプロ意識に、身の引き締まる思いでした。(晋)」とある。何のことはない。イチロー選手の偉業達成に自分を重ねているだけである。それにしても、この文章のタイトルに「プロ意識」とつけ、人の「タイトル」と自分とを結びつけてしまうナルシストぶりに驚く。過剰なナショナリズムと偏愛に近いナルシズムは響き合うのかもしれない。

  参院選の公示日(7月12日)、安倍首相は第一声を秋葉原でやったのだが、その際、「社会保険庁をぶっ壊す」と叫んだ。一国の首相が政府機関の破壊を絶叫するシーンはおだやかではない。その一週間前、5日夜の日本テレビの報道番組に出演して、「消費税から逃げるつもりはない。消費税を上げないなどということは一言もいっていない」と述べた。何をそんなに力んでいるのか。メディアに対する挑戦的な態度がこの人の特徴である。「美しい国といわれても、馬鹿にされたような気がする」と批判した高知選挙区の自党候補者の応援をドタキャンして、四国では高知だけをパスして帰京した。総裁ならば、あえて批判した候補者を力強く応援することで、人間の大きさと包容力を示そうと努力する(そう見せようとする)ものだが、この首相(側近たちを含む)にはそうした配慮も計算もできないらしい。こんな日本に誰がした、である。
  思い出してみよう。ほんの2年少し前のことである。稀代のデマゴーグが髪を振り乱し、マイクを握って叫んだ。「みなさん!どうして公務員でなければできないのか。まだ公務員がやっているのが郵政なんです」と。そして一言。「官から民へ!」。続いて立った党幹事長は、「皆さん、これは郵政民営化の国民投票なんです!」と。総選挙のテーマを「郵政民営化」に強引に論点を絞り込み、反対する与党議員には「刺客」まで立てて、与党が圧勝した。何よりも参議院を壊してしまった。私はこれを「9.11政治テロ」と呼ぶ
  以来2年間、政治家の節操が問われることが続いた。私がその著書を直言で写真入りで紹介して、その姿勢を評価した自民党総務会長経験者も、「そんなこといったっけ」という態度で、さっさと復党してしまった。この書物は一体何だったのか。復党の記者会見(2006年12月4日夜)をみながら、好意的に紹介したことを後悔したものである。


   話は一気に変わるが、2007年1月8日夕方のTBS 「ニュースの森」は印象的なシーンを特集していた。 京都府舞鶴市 。山の上に高等専門学校がある。そこに設置された郵便局のATMが撤去されたのである。高等専門学校のATMが重機で破壊されるのを、そこの学生たちが見守る。そこがなくなると、何と1キロも歩いたところにあるATM まで行かなければならない。何人かでお金をおろしに歩いていく。女子学生は、途中が怖いので、3000円だけおろすという。周辺ではその市役所のATMしか残されなかった。地方の、しかも限られた利用者とはいえ、そこしかないという人々へのサービスも削られるのか。
   ここでは、ATM の利用件数のみを基準にするところが問題である。番組中、郵政公社の、若いキャリアらしき人物がサラリと答える。「年間取扱い件数3万5000件が基準。それに満たないATMは存続できない」と。記者が、都会と地方とでは事情は異なるのではないかと質問すると、若い担当者は、「地方も都市も『一回は一回』とカウントする。基準を適用するとこうなります」というだけだった(この番組は1月31日に追加取材を加えて再放送されていた)。

  郵便局は、全国一律の公共サービスを行う。ユニバーサル・サービスと呼ばれる。どんな遠くでも、ハガキは50円と「一律」である。郵政民営化後は、採算と収益性の基準が「一律」に適用される。もうからない分野は撤退。採算を考慮して、もうからない地方は切り捨てる。これである。
   商店街の人々がATM存続のために、郵便局の口座をつくって、ATMを使ってほしいという運動をやっている。その社長いわく。「民間人の観点からすれば、郵政民営化は便利になると思ったのに、不便になった」と。うどん屋さんはATMの利用回数を増やすため、従業員の給料を手渡しにしていたものを、あえて振込にしたという。地方のATM存続のための涙ぐましい努力である。かつて、ゼミで郵政民営化をとりあげたとき、法案の賛否は、自宅生と地方からきている下宿生で鮮やかに分かれた。都会の学生は、郵便局のATMがなくても別に困らない、という感覚だった。

  なお、「郵政民営化」についての私の意見は、「『小さな親切』と『大きな害悪』の間」として書いた。郵政民営化法案は「郵便局ネットワークの維持」など15項目の附帯決議がつけられた。附帯決議としては多い方であり、それだけ成立の時点でいろいろな問題が予想されていた。ATMを一律の基準で廃止するのも、附帯決議の精神からいって問題があるように思える。だから、今後、附帯決議を活かしつつ、郵政民営化に歯止めをかける課題が、参議院を中心に起きてくるだろう。


   ところで、参議院選挙では年金に関心が集中したが、社会保障法の体系としては、次の四つの分野がある(三省堂『新六法2007』社会保障法編解説)。①公的扶助(生活保護法など)、②社会保険(国民年金法、厚生年金保険法、国民健康保険法、介護保険法など)、③社会扶助手当(児童手当法、児童扶養手当法など)、④社会福祉(児童福祉法、老人福祉法、身体障害者福祉法など)。「構造改革」で最も「壊された」のは社会保障と教育の分野である。社会保障の分野では、その「切り下げ」「切り捨て」「切り縮め」は徹底して行われた。「おにぎりが食べたい」といって餓死した北九州市の男性の例などは、その氷山の一角のかけらにすぎない。大いに問題にしていく必要があろう。
   そして、前国会で強行採決された社保庁「改革」法。社保庁は2010年1月をめどに廃止され、年金業務は非公務員型の「日本年金機構」に移される(社保庁職員16800人を2012年までに13000人まで削減) 。多くの業務が民間委託される。だが、これはたくさんの問題がある。このところ、社保庁職員の自己都合退職が急増しているという(『朝日新聞』2007年7月4日付夕刊トップ記事)。若い世代と50代が多いのは、未来のない組織に見切りをつけているからだろう。

  社保庁問題では、「だから公務員はいけない。民間へ」という流れに疑いの眼差しが強まった。社保庁が「日本年金機構」に改編され、職員が非公務員型になって現状よりよくなると考えている人はほとんどいないだろう。むしろ無責任体制は拡大するのではという危惧を多くの人々が思っているのではないか。耐震強度偽装事件に関連して、国土交通省から指定を受け、建築確認などを行っていた民間の確認検査機関(株式会社)の一件は記憶に新しい。現在は、介護サービスのコムスン問題もあって、「官」への不信と同時に、「官」から特別の指定を受けた「民」への不信も大きい。
   そこで、「官のいま」について詳しく書きたいところだが、夏休みということで、ここは別の媒体に書いたものの転載でお許しをいただきたいと思う。公務員労組の調査時報誌に、「公務員って何だ」という一文を書いた。以下、それを転載する。なお、なぜ公務員関係の媒体に私が連載をしているのかについては、連載開始時の直言でその事情を説明しているので参照されたい

 

公務員って、何だ

 ◆ 6年半の国家公務員

  私は6年半、国家公務員をやった。文部教官・国立大学助教授として、毎年の本誌一〇月号「人事院勧告総特集」に出てくる「教育職俸給表」をもらっていたわけである。地方の私大助教授からの転職だったが、着任初日、のっけから公務員を「体感」した。学部事務所に赴いたときのこと。服務宣誓書が置いてあって、「日本国憲法及び法令を遵守し」云々の文章が書いてある。椅子に座った人事係職員が、横に立つ私をジロッと見上げながら、「読んでください」と一言。私がその文章を黙読して、「ハイ、読みました」というと、怪訝そうな顔をされた。「読み上げろ」ということだとわかったが、「私は憲法が専門なので」なんて訳のわからないことをいって、その場を立ち去った。

  それから6年半、国立大学という場ではあったが、公務員のプラスとマイナスを私なりに実体験することになった。例えば、授業コマ数などは、私学の職場からみれば「天国」だった。当時は不満もたくさんあったが、いまと比べれば研究時間は格段に保障されていたように思う。他方、「給料並みに働けばいい」という雰囲気も確実にあって、大講義でたくさんの学生を集めて一生懸命に授業をやっていると、冷やかな眼差しも感じた。また、「教官」という言葉を使わず、教官室の表示も「水島研究室」にかえるという変わり者で通した。

    11年前にいまの職場に移ったが、今度は巨大私学のもつさまざまな問題に直面している。「民から官へ」「官から民へ」と移りながら、それぞれが抱える問題を体験しながら、「公務員」とは何かを、改めて考えている。                                                    

 ◆ 「天皇の官吏」から「シビルサーバント」へ

  31年前に大学院修士課程に入ったとき、高名な労働法学者で、東京都立大学総長だった故・沼田稲次郎先生の授業に出た。大学院なので、さまざまな専門の院生が10数名ほど受講していた。全体テーマは「戦後改革の法思想史的意義」。私に与えられたのは、公務員制度改革だった。「天皇の官吏」から「シビルサーバント」へ。その転換を法思想史的に大胆に分析して報告せよ、というものだった。先生の気迫に負けまいと、図書館にこもって徹底して調べた。

  占領軍の圧力のもと、「官吏制度改正ニ関スル件」(1945年11月13日閣議決定)から官吏制度の改革が始まり、1947年に国家公務員法が施行されるまで、わずか2年ほどではあるが、その間の巨大な変化について報告した。「2.1ゼネスト」あたりに飛んで、占領政策の「転換」に話を向けると、沼田先生は突然大声を出した。「すぐに限界というな。天皇の官吏からどう変わったのかをしっかり見よ」と。

  帝国憲法10条は、「天皇の官吏」の任命大権を定めていたのに対して、日本国憲法15条1項は、統治の運営に関わる公務員の選定・罷免権を「国民固有の権利」とすることで、天皇主権から国民主権への転換を鮮やかに示した。憲法15条2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」として、公務員が国民の一部(一階層・一党派・一企業・一会派等々)の利益のため行動してはならないと命じた。後に公務員の労働基本権が焦点となったとき、この「全体の奉仕者」性は、公務員の権利制限の包括的根拠として、実務上も判例上も機能したことも事実である。だが、戦後改革の原点に立ち返るならば、「天皇の官吏」(「一部の奉仕者」)を否定して、国民全体のために公共サービスを提供する「シビルサーバント」になった意味は大きい。官吏服務規律から国家公務員法へ、の歴史的転換である。

    私は、沼田先生のいわれた「何が、どう変わったのか」という面と同時に、「何が、どう変わらなかったのか」という面にも関心が向かった。制度や法律が変わっても、なかなか変わらないのが、意識や儀式、形式や「常識」である。そして、「構造改革」を経由するなかで、公務員の「全体の奉仕者」性と「市民」性・「労働者」性との緊張関係も、改めてさまざまな場面で問われている。いま、公務員のあり方、そして公務員労働運動のありようもまた、正念場を迎えているように思う。    

 ◆ 社保庁問題の根っこにあるもの

  公務員に対する国民の眼差しがいまほど厳しいことは、かつてなかっただろう。従来の公務員批判や「公務員バッシング」と同様と思って、時が過ぎるのを待つという態度は許されない。根本的な自己省察が求められる所以である。

  いまや、年金制度への信頼も地に落ちた。『読売新聞』6月19日付の世論調査によると、国の年金制度に対して「信頼していない」が75.5%に達したという。国民の4分の3に信用されない制度とは一体何なのか。

  そもそも年金という制度は、純粋な貯蓄でもなく、税金のような公課でもない、ある特別な思想に基づいて設計されている。それを端的に表現したものが、国民年金法1条である。

  「国民年金の制度は、日本国憲法第25条第2項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全なる国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする」。これは厚生年金法も同様で、「社会連帯」の視点が根底にある。

  毎月の収入のなかから、一定額を淡々と払い続けてきた人々が、「あなたは未納になっています。領収書はないのか」といわれたときの驚きと絶望感はいかばかりだろう。「社会連帯」を基礎につくられた制度であるだけに、多くの人々が不信をもち、「怒り」さえもつようになることが、制度の根幹をどれだけ傷つけるか。
   5000万件以上あるとされる「宙に浮いた」年金記録がなぜ生まれたのか。原因や背景はさまざまあるだろう。だが、国民の不信を広げているのが、メディアを通じて流れる社会保険庁職員の「働き方」や仕事に対する「姿勢」である。物腰や言葉が丁寧でも、まったく心がないと受け取られるのはなぜか。例えば、85年以降の年金記録オンライン化の際、社会保険事務所で入力作業の学生バイトを経験した男性の言葉は印象的だった(『朝日新聞』6月16日付夕刊)。「自分のせいではないかと、不安で仕方がない」。名前の読み方を職員に何度も確認する。職員は面倒くさそうに「思い当たるのを書いておいて」といったという。銀行の窓口で1円でも帳尻が合わなければ、全員を残して点検する。社保庁の現場はどうだったのか。もちろん誇りとプロ意識でがんばっている人もいるだろう。しかし、目につくのは、公務員の身分保障にあぐらをかき、与えられた仕事をただ「処理」するだけの、愛情のない姿勢である。職員の意識と儀式(先例踏襲等々)と「常識」の無限連鎖の結果が、5000万件のなかに含まれているのではないか。

    パソコン作業を一日5000タッチにするという組合との協定の存在も報道された。このあたりから怒りは組合にも向かう。労働条件改善の施策だったのだろうが、いまや「非常識」にしか見えない。「エゴ」と受け取られ、多くの人々の支持を得られない要求は実現せず、運動は衰退する。もちろん、政治の責任、歴代大臣や官僚の責任は当然ある。だが、組合を含めて、いま、問題に関わるすべての当事者に、根本的な自己省察が求められているのである。                                          

(2006年6月20日脱稿)

〔「水島朝穂の同時代を診る」連載第32回
国公労連「調査時報」536号(2007年8月号)所収〕

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