わが歴史グッズの話(30)くらま&あたご etc. 2009年11月23日

が歴史グッズ」シリーズも30回となった。前回は「オバマグッズ」を集めたが、今回は、ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「くらま」(5200トン、艦番号144)と、イージスシステム搭載ミサイル護衛艦(DDG)「あたご」(7700トン、艦番号177)関係のグッズである。なぜ、この二つの艦なのか。「くらま」は護衛隊群の旗艦を務め、「あたご」は1400億円以上もする超高額艦6隻のうちの1隻という、海自艦艇のなかのエリート艦であり、かつ、海難事故を起こしているという点で共通しているからである。

先月27日午後7時56分。本州と九州の間にある関門海峡で、護衛艦「くらま」と韓国のコンテナ船「カリナスター」(7401トン)が衝突。双方とも炎上した。韓国船は40分後に鎮火したが、「くらま」の方は10時間半も燃え続けた。衝突原因は調査中なので確定的なことはいえないが、コンテナ船の船長は、前方の貨物船に接近したので「左から追い越そうとした」と話しているという。衝突海域は幅が約500メートルと狭く、大型船がすれ違うにはかなりの難所で、大規模海難事故の起こりやすい「ふくそう海域」に指定されていた。港則法細則により「追い越し」が禁止されているともいわれ、潮流の激しいところなので、無理な追い越しをかけたコンテナ船が、バランスを崩した可能性も指摘されている(『朝日新聞』10月28日付夕刊など)。海保7管「海上安全センター」の「管制」(指示か、アドバイスか)をめぐる問題も指摘されている。

ただ、事故原因の問題とは別に、いくつか注目されることがある。一つは「くらま」の船首部分の損害が、コンテナ船と比べてきわめて甚大で、大破に近いことである。旧海軍の戦艦や巡洋艦に比べれば、速度重視の観点から全体として軽く作ってあり、船首部分の装甲は意外と薄い。「基本的に護衛艦は敵艦の正面からの砲撃を避けるために船首が細長く造られるため、衝突には弱い」ともいう(海自三等海佐の話『週刊ポスト』11月13日号)。高額・ハイテク艦の意外な脆さが明らかになってしまった。また、「くらま」は1981年就役の老朽艦で、1、2年のうちに退役予定だったという。そんな船の修理費用として、また税金が使われていく。行政刷新会議はもっと「防衛費」の中身に踏み込むべきだろう

もう一つは、「くらま」はなぜ、10時間半も炎上したのかである。海上幕僚監部によると、「くらま」は船首部分にある倉庫にペンキやシンナーを積載していたという。それに引火して燃え続けたようである。「なぜペンキ?」という疑問は直ちに氷解した。実は10月25日、相模湾沖で「2009年観艦式」が行われ、「くらま」はそこで「観閲艦」という晴れがましい役目を担っていたのである。だから、艦全体をペンキで塗装して、最後の晴れ舞台のため、化粧をしたわけである。大炎上の原因は、「老朽艦の厚化粧」のせいだったわけである。それにしても、船首部分に可燃物とは。もう少し先には5インチ単装速射砲の砲塔があり、艦首付近にはその弾薬庫もある。なお、私は「くらま」の部内記念ライターを持っているが、事故を考えるとちょっと物騒ではある。

さらに、「観艦式」の帰りということも気になる。「観艦式」というのは、陸自の総合火力演習と並ぶ、税金を大量に使った「お披露目興行」で、自衛隊の最高指揮官(本来は鳩山首相だが、外遊中のため菅直人副首相が代行)が臨場する。「くらま」は名誉ある「観閲艦」の役目を担ったわけである。

今回の観艦式には、艦艇40隻、航空機31機、人員8000人が参加した。自衛隊の準機関紙『朝雲』10月29日付によると、「自民党以外の政府首脳が観閲官を務めるのは平成6年の村山富市首相(旧社会党委員長)いらい15年ぶり」であり、北沢俊美防衛大臣(民主党)をはじめ政務三役、事務次官、統合幕僚長、三幕僚長らトップクラスが「くらま」艦橋に勢ぞろいした。

荒れ模様のなか、灰色の海を受閲部隊の旗艦「あしがら」(イージス艦の6番艦)など艦艇20隻が200メートルの距離ですれ違った。菅副総理はシルクハットを胸にあてて、神妙な顔で「登舷礼式」の敬礼をしたという。菅副総理の眼前で展開された洋上ページェントは、ある種の政治的メッセージが含まれていた。

まず、最新鋭のヘリコプター搭載護衛艦(16DDH)「ひゅうが」が前面にあらわれ、続いてソマリア沖海賊対処任務から戻った護衛艦「さざなみ」、最新型の潜水艦「そうりゅう」がX舵を見せて浮上航行。そして、1991年にペルシャ湾で自衛隊初の海外任務を担った掃海部隊、「インド洋補給支援」に参加した補給艦「イラク復興支援」で陸自部隊をクウェートに運んだ輸送艦「おおすみ」が続く。まるで海上自衛隊の「海外派遣史」を展示して、新政権の閣僚など政務三役に実地教育を施しているかの如くであった。

すべての展示が終了した後、菅副総理が訓示に立ち、「グローバル化が進展する中、自衛隊の活動の場は海外に広がっている。わが国が長く平和と繁栄を享受できるよう使命を深く自覚し任務に精励を」と述べたという。「国家戦略」担当大臣なのだが、前政権との違いもなく、官僚作文を読み上げたのか、政務官などが起案した「政治主導」の文章なのかは不明だが、「マニフェスト」が「専守防衛」を強調して、安易な海外派遣に抑制的な新政権にしては、あまりにも見識のない挨拶である。『朝雲』紙によれば、菅副総理は「『ひゅうが』に関心」と書かれているから、北沢大臣との笑顔のツーショットは「教育効果あり」というところだろうか。旧海軍の「日向」は「航空戦艦」に改装したので護衛艦「ひゅうが」もヘリ空母に改装したということだろう。

「くらま」艦上で、新政権の副総理が「グローバル化と自衛隊」について語った後に大炎上したわけで、海外展開に急なあまり、内海で事故を起こすという「脇の甘さ」が際立つ。「くらま」は、2001年のテロ特措法に基づき、アラビア海に展開した。それを記念して、隊員たちが思い出の品物として、Tシャツライターを作った。これについては一度書いたことがある。部内限りのもので、図柄は「アラビア海にかかる虹」である。立ち寄った国は、シンガポール、インド、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーン。なぜかそのなかに、インド洋上の小さな島、英領ディエゴガルシア島が含まれている。戦車や重砲、弾薬などを事前備蓄しておく、米軍の前方展開基地である。なぜ、この島に「くらま」が立ち寄ったのか。補給のためでもないし、テロ特措法とはまったく関係ない。「くらま」の航海日誌を公開させて、ディエゴガルシア島寄港の理由を明らかにさせるべきだろう。

そう言えば、昨年2月に漁船との事故を起こしたイージス艦「あたご」もまた、ハワイ沖で、1発20億円もするミサイル(SM3)の発射実験を終え、4カ月ぶりに横須賀に戻る途中だった。東京湾の過密海域に入るのに見張りの手抜きをするなど、きわめて弛緩した航行をしていたこの事故については、NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」でも詳しく語った

そのイージス艦「あたご」であるが、1400億円以上もする超高額艦である。ロッキード・マーチン社がこの「あたご」ポスターを製作したものを入手した。ご覧いただけると分かるのだが、実に不気味な構図になっている。最新鋭イージス艦の背後には、旧日本海軍の「愛宕」が亡霊のように寄り添う。当初、「愛宕」は「八八艦隊」の巡洋戦艦として計画されたが、建造中止となった。重巡洋艦として就役したものの、あまりいい「戦歴」はない。有名なのは、1944年レイテ沖海戦で、栗田健男中将座乗の第2艦隊旗艦として、フィリピンの日本軍を支援することなく帰投したことがある。「レイテ謎の反転」として知られる。もし第2艦隊がレイテ湾に突入していれば、米輸送船団はかなりの打撃を受けていただろう。栗田長官は突入の決断が出来なかった。この「怯み」は、「愛宕」の名とともに「謎の反転」の艦として後世に語り継がれることになる。その「愛宕」を背後霊のようにする図柄を、なぜロッキード・マーチン社は考えたのだろうか。ポスター下には、ロッキード・マーチンのロゴがはっきり見える

なお、事故や火災といえば、2年前の12月14日、ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)「しらね」(5200トン、艦番号143)の指揮所が炎上して、修理に50億円もかかった。原因は、隊員が飲み物を冷やすため、中国製保冷温庫を無許可で持ち込み、そこから出火したというもので(『毎日新聞』2月19日付)、何とも間が抜けた話である。

研究室の奥から偶然、「しらね」艦長のメッセージ付き「乗艦記念パンフ」が出てきた。誰にもらったかは失念したが、かなり昔のものである。第1護衛隊群の旗艦というエリート艦だったが、この「しらね」の名称はいわくつきである。金丸信防衛庁長官の時代、最新鋭のヘリ搭載護衛艦の就役に際して、海幕はその名称を「こんごう」としていた。ところが、金丸長官が横やりを入れ、「しらね」にしたのだという。護衛艦は山の名前だから、「白根山」(群馬県)と思うところだが、実は、南アルプスの赤石山脈にも白根山がある。金丸氏の選挙区である山梨県中巨摩郡白根町(現在は南アルプス市)の山である。そのためか、「しらね」には、白根町の金丸後援会の人々がよく見学に訪れたという。

「しらね」は不自然な形で名前をつけられ、火災で司令部施設・機能を焼失するという不運を味わった。「くらま」は「しらね」型護衛艦の2番艦であり、思わぬ事故で長時間炎上するという点で、不運を継承しているかのようだ。「あたご」もまた、「謎の反転」で知られる重巡「愛宕」を背後霊にいだいて、不運を重ねている

なお、このキャップは、米海軍がリムパック(環太平洋合同軍事演習)2002の記念として、同演習に参加した関係者に限定配布されたものである。2002年6月25日からハワイ沖で行われたこの演習には、日米、カナダ、オーストラリア、韓国、チリ、英国に加え、初めてペルー海軍が参加した。海自はイージス艦「きりしま」など護衛艦4隻、潜水艦1隻、P3C哨戒機8機と隊員1100人を派遣した。「亜米利加海軍」と星条旗と自衛艦旗(旧軍艦旗)の構図は何とも形容のしようがない。このキャップが韓国海軍にも配布されたのかは不明である。

 

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