「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴            2014年3月24日

集団的自衛権墨塗文書

「消費税10%にして、いいかな?」「いいとも〜」。この国の庶民は何と従順なことか。来週から消費税が8%になるというのに、巷では、「いかに節約するか」「意外な駆け込み需要!」 「値上げ前に結婚指輪。消費税が少子化対策に?」等々、メディアから垂れ流される「報道」を笑って見ている。この危機感のなさは何だろう。

極めつけは、国会開会中にもかかわらず、内閣総理大臣がテレビのバラエティ番組(「笑っていいとも! 」)に出演したことである(3月21日正午)。前代未聞、空前絶後、驚天動地、軽挙盲動…。「96番」の背番号を思い出す。衆参両院の議院運営委員会でどんな議論をしているのか。もはや国会は、「愚かな坊ちゃん総理」(古賀誠・元自民党幹事長、『読売新聞』3月18日付)の暴走の前になすすべもなく、「子どものケンカ国会」以下に成り下がったのか(直言「『子ども国会』と『子どものケンカ国会』」)。 

安倍政権の対外政策の歪みについては「積極的平和主義」ならぬ「政局的平和主義」としてすでに論じた。それにしても安倍晋三首相の「傲慢無知」ぶりには恐れ入る。追い立てられるようなしゃべり方、余裕のない圧迫感のある答弁は、このところますます「進化」しているように思われる。国会の論戦も、野党の質問能力(内容のみならず、質問の仕方も)の劣化に加えて、首相の妙に挑戦的な答弁によって、中継を見ようという意欲をさらに減退させている。

6つの約束

答弁だけではない。外国での記者会見もひどい。いまの日中関係を第一次世界大戦前の英独関係に例えたのは論外である。あとで言い訳的な追加説明をするくらいなら、最初からそんな例えをしなければよい。いや、してはならない。第一次世界大戦前の英独関係は戦争という最悪の結果につながった事例だから、その例えを出しただけで、日本の首相は日中関係がそういう方向になると考えているメッセージになってしまう。侵略の定義から、慰安婦をめぐる「強制性」の有無に至るまで、安倍首相は自己の狭隘な歴史観をおおらかに披瀝している。学生時代の思想形成に影響を与えた本(特に古典)に言及することはほとんどなく、愛読書は雑誌『諸君! 』(文藝春秋社の保守系雑誌〔2009年6月廃刊〕)だというから驚く。「お友だち」の証言(『日本経済新聞』2013年11月17日付、八木秀次氏)だから精度は高い。「いいね」に酔うこの「フェイスブック宰相」には、とにかくしゃべるな、「沈黙こそ国益」という声が官僚のなかにも深く沈殿している。

安倍首相の「愚かな坊ちゃん」性は、とりわけ集団的自衛権行使を憲法上容認することへの異様な執着にあらわれている。この問題では、他党からの批判だけでなく、自民党総務会での慎重論に対しても聞く耳をもたぬ姿勢に驚く。「私が最高責任者だ」という言葉は、与党関係者でさえもひいてしまうほどだった。

集団的自衛権行使は従来、「米国からの要請」だったし、いまも基本は変わっていない。だが、オバマ政権は安倍政権のもとでの行使容認は危ないと考えているような節があり、むしろ最近では慎重な対応が目立つ。

この間の国会論戦のなかで、首相が安保法制懇の報告書に過剰かつ過度に重きをおく不自然さが問題にされた。国民から選ばれた国会よりも、自分の好みで選んだ私的諮問機関の意見を重視するのは異様である。4月に安保法制懇の報告書が出れば、それに基づいて閣議決定をするという。だが、この懇談会は法的根拠がなく、メンバー14人全員が安倍首相に近いとされる人物であり、しかもその運営は座長代理の独り舞台のように見える(彼一人の記者会見で、重要な論点が出てくる)。

中曾根内閣入閣記念品

そこで想起されるのが、30年ほど前、中曽根康弘首相(当時)が靖国神社に参拝しようとしたとき、政教分離違反の声が出たため、とりあえず「靖国懇」(閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会)を設置して、まずはその意見を聞いてからという段取りをとったことである。懇談会メンバーは15人。そこには安倍首相が名前も知らないと国会で答弁した憲法学者芦部信喜東大教授も含まれていた。芦部教授は首相の靖国参拝に対して明確な反対意見を述べた。結局、靖国懇は参拝に賛成は8人にとどまった。顔ぶれをみれば、最終的に参拝にゴーサインを送る懇談会であることは容易に察しがつくのだが、それでも中曽根首相は、参拝に批判的ないし消極的な意見をもつ人もメンバーに入れたのである。答申を首相に出したあと、雑誌『ジュリスト』848号で、懇談会メンバーがオープンな議論を展開している。

当時、内閣法制局第1部の参事官で、懇談会の事務方を担当した阪田雅裕氏(元内閣法制局長官)は、その著『「法の番人」内閣法制局の矜持――解釈改憲が許されない理由』(大月書店、2013年)のなかで、靖国懇は「いまの安保法制懇とは違って、本当に各界の有識者という感じです(笑)」と語っている。少しは反対意見の人を含める。結果的に1票差だったが、それだけの「政治的芸」ないし余裕が少なくとも中曽根首相にはあった。

それに比して、安倍首相には芸も余裕もまったくない。安保法制懇の14人全員が「思想的身内」のオトモダチであり、反対意見は皆無、ゼロである。日銀総裁、法制局長官、NHK会長、同経営委員と、第二次安倍内閣の閣僚人事、党人事、国会同意人事(しかも、国会などないかの如き強引さで)等々、安倍首相の人事には本当に余裕がない。これがいずれ自らの墓穴を掘ることにつながるだろう。

それにしても、アベトモの安保法制懇の議論というのは実にいいかげんである。この点に関して、岩波書店の雑誌『世界』5月号(4月8日発売)に論文を書いたので参照していただきたい。

筆者は憲法研究者として自衛隊違憲論(災害救助隊への「解編」論)に立つが、そこでは、あえて政府解釈を基軸において、その「自衛力合憲論」と安倍首相の集団的自衛権の行使合憲化は整合しないことを内在的に明らかにした。安倍首相が驀進する「憲法破壊」路線を阻止するためには、憲法改正や自衛隊をめぐる立場の違いを超えた「立憲的合意」が求められていると考えたからである。

そもそも、集団的自衛権の行使を解釈変更によって行うことが許されないのはなぜか。それを行えば、「自衛のための必要最小限度」という論拠を捨てることを意味し、それは、「自衛のための必要最小限度の実力」たる「自衛隊」の存立根拠の説明にも連動しうる性格のものだからである(水島朝穂「戦争の放棄、第9条」小林孝輔・芹沢斉編・別冊法学セミナー『基本法コンメンタール憲法』〔第5版〕日本評論社、2006年49頁)。

政府解釈はこれまで、集団的自衛権の行使は「自衛のための必要最小限度の範囲を超える」ので違憲としてきたが、安倍首相は、集団的自衛権の行使は「絶対概念」ではなく「量的概念」であって、「必要最小限度を超える集団的自衛権の行使はできない」と解するのである。1954年以来政府がとってきた「自衛のための必要最小限度の実力は合憲」という解釈は今年で還暦を迎えるが、この解釈は、あくまでも「わが国」を「防衛」するという「個別的自衛権」の範囲内の論理操作であった。「わが国」が武力攻撃を受けていないのに他国を攻撃することを正当化する集団的自衛権の行使はできないというのがその帰結だった。それを安倍首相は「必要最小限度の集団的自衛権の行使」というすり替えを行うのである。

集団的自衛権行使の要件について、安保法制懇座長代理の北岡伸一氏は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の見直しに関し、5つの要件をあげた。@密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、A放置すれば日本の安全に大きな影響が出る場合、B当該国から明確な要請があった場合、C第三国の領空・領海など領域通過には許可を得る、D首相が総合的に判断し国会承認を受ける。これを、来月、安倍首相に提出する報告書に盛り込むという(『読売新聞』2014年2月22日付)。08年安保法制懇報告書は、「集団的自衛権、集団安全保障等は、本来国際法上の概念であり、国際法及び国際関係の十分な理解なしには適切な解釈は行い得ないものである」といっておきながら、北岡氏は、日本記者クラブで、5つの要件で「国際標準よりもより抑制的に集団的自衛権の行使を定義」したと述べた。これこそ、安保法制懇の報告書がいう「国際法との整合性に欠ける場合」ではないか。つまみ食いもはなはだしく、理屈が破たんしている。

正確にいうと、国際法上「抑制」になっているのはAの要件だけで、その他は現在の国際法の確認等にとどまり「抑制」になっていないのだが、一般市民が国際法に詳しくないことにつけこみ、あたかも「抑制」のように語っているのである。安保法制懇の上記@〜Dの主張についての各論的批判も、来月8日発売の『世界』5月号の拙稿で論じたので、そちらに譲りたい。

砂川事件関係文書

最後に、憲法研究者としてどうしても言っておきたいことがある。それは1959年12月の砂川事件最高裁判決についてである。この判決は、一審判決(東京地裁、1959年3月)が旧安保条約による米軍駐留を憲法9条違反としたのに対して、短期間でこれを取り消したものだが、その背後には米国の介入があった。

地裁判決が出た直後に、米国駐日大使が外相に高裁への控訴ではなく、最高裁への跳躍上告のアイデアを披瀝し(直言「砂川事件最高裁判決の『仕掛け人』」)、当時の最高裁長官が米側に判決期日や一審判決を取り消す見通しなどを事前に漏らしていたという一大司法スキャンダルが近年、資料的に裏付けられた(直言「砂川事件最高裁判決の『超高度の政治性』」)。そのため、当時有罪判決を受けた元被告人たちが最近、免訴を求めて再審請求を行う(『東京新聞』2014年2月27日付といういわくつきの判決である。

よりによって、その砂川判決について、安倍首相は「自衛隊を認めるという最高裁判決がそもそもは砂川判決としてあった」などと答弁したのである(2013年10月22日衆院予算委)。これはとんでもない誤りである。

「砂川判決が自衛隊を合憲と判示しておる、判決しておるというようなことは全く言っておりません」(1973年9月13日参院内閣委山中防衛庁長官)というのが政府解釈でも明確にされている。自衛隊を合憲とする最高裁判断は存在しないのである。憲法の授業に必ず出てくる「砂川事件」とその判決。安倍首相は、母校で必修科目「憲法」の単位をとったはずなのだが、この程度の理解では再履修が必要だろう。

なお、ネット上には、南野森氏(九州大学)の切れ味鋭い論稿があるので参照されたい(南野森「現在に至るまで、最高裁判所が自衛隊を合憲と判断したことはない」YAHOOニュース個人2014年3月14日)。

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