第2次高市政権と「2.26事件」の90年――「日本型リベラル」の壊滅?
2026年2月26日


高市自民の圧勝は「日本型リベラル」の壊滅?―産経コラムの仰天の感覚

日、2026年2月26日は、「2.26事件」から90年である。個人的な話だが、ちょうど90年前の2月27日、私の父の一家は東京競馬場の移転に伴い、目黒から府中に引っ越すため移動していたところ、戒厳部隊の兵士の検問を受けている(直言「「軍」の自己主張―帝国憲法の緊急事態条項と「2.26事件」80周年」参照)。冒頭の写真は、「わが歴史グッズ」のなかで手元に残した「2.26事件」関係新聞・号外の一部を並べたものである(余談だが、左下に『二六新報』があるのに気づいた。明治26年創刊からとったというが)。

  ところで、高市自民党の圧勝を伝える『産経新聞』2月9日付1面コラム「産経抄」が物騒な主張を展開していた。「歴史が動くとき、東京に大雪が降る」という思わせぶりの書き出しで、「2.26事件」や「赤穂義士」の討ち入り(「赤穂事件」)について触れる。その上で、「選挙戦で「憲法9条を改正すれば戦争の道につながる」という相も変わらぬ妄説を声高に語る野党幹部」を批判しつつ、「占領下のお仕着せをいまだに有難がっている方がおかしい。いずれにせよ、歴史は動いた。令和8年2月8日もまた雪とともに語り継がれるだろう」と結ぶ。この論説委員からすれば、今回の総選挙は「2.8事件」だったというところか。しかし、「東京(江戸)と大雪」という関係でいえば、「赤穂事件」よりも「桜田門外の変」の方が一般的と言えるだろう。

 それにしても、「2.26事件」と高市自民の圧勝を「歴史が動いた」としてパラレルに扱い、デジタル版の見出しを「「日本型リベラル」が壊滅した日」として「雪とともに語り継がれるだろう」と結ぶ産経論説委員の興奮気味の筆致がすごい。石破茂政権時代に欲求不満気味だった産経の論調は、高市政権になって、この世の春を謳歌するが如くである。

「2.26事件」の90年

「2.26事件」については、冒頭で紹介した10年前の「直言」で扱っている。そこでは、「2.26事件」から日中全面戦争までわずか1年半であるという事実から、「皇道派が起こしたクーデターは失敗したが、統制派とされる軍中央は、この事態を巧みに利用。戒厳が布告されていた141日間に、軍事独裁体制への布石を敷いていたのである」として、帝国憲法の緊急事態条項(14条の戒厳宣告権)の問題に着目して論じている。また、安倍政権下で防衛省設置法12条の改正が行われ、日本型の「文官統制」が崩れたこと、自衛隊制服組のなかから「政治的軍人」の動きが目立つようになったことなども指摘した。

2年前の直言「「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か―「2.26事件」88周年に」では、軍事的なマンパワーの確保のために、「心も武装せよ」とばかり、さまざまな形での「思想動員」が始まっていることについて書いた。また、自民党副総裁の麻生太郎が台湾での講演で、「戦う覚悟」を説いたことなど、政治家たちの督戦的発言についても触れた。

そこで、「2.26事件」をめぐる具体的な問題やその意味については上記「直言」をお読みいただくことにして、今回は、90年前、「2.26事件」によって、「日本型リベラル」がどのように壊滅したかについて書くことにしよう。

「日本型リベラル」の息の根を止めた

高校や大学入試で日本史を勉強した人は記憶していると思うが、日本では、1910年代から20年代にかけて「大正デモクラシー」と呼ばれる思潮・運動が展開された。「第一次護憲運動」(1912年)から普通選挙法成立(1925年)前後までを区切りとするのが一般的である。この頃、政党政治や普通選挙運動が高まりをみせたが、それらを理論的に支えた思想として重要なものが、吉野作造の「民本主義」(1916年)である。吉野は、天皇制支配の枠内で、政治は民衆の利益を第一にすべきと主張し、普選運動や政党政治を理論的に支える思想となった。
   1918年には原敬が首相となり、日本初の本格的政党内閣が成立した。第二次護憲運動(1924年)は普通選挙実現へのターニングポイントとなった。そして1925年の普通選挙法は、納税資格による制限選挙を撤廃し、25歳以上の男子に選挙権を与えた。しかし同年に制定された治安維持法が、運動の取り締まりを行うための強力な武器となっていく。

ところで、「日本型リベラル」とは、欧米の個人主義や民主主義の徹底ではなく、天皇制国家秩序との調和を指向する「穏健な」自由主義であった。吉野ですら、民衆が主人公の「民主」ではなく、天皇制と調和すべき「民本」主義として考えていた。また、美濃部達吉の「天皇機関説」も、帝国憲法の枠内での立憲主義的解釈だった。官僚たちはこの美濃部説で試験に受かり、合理的支配を目指した。その影響か、軍部の政治介入に対して、重臣たちも抑制的だった。

     そうしたなか、世界大恐慌(1929年)が日本に「昭和恐慌」をもたらし、大量失業や農村部における貧困拡大などの経済的困窮・社会的混乱が進んだ。汚職や派閥抗争を繰り返す政党政治への不信感が高まっていく。国民の間では、「自由」より「秩序」を求める心理が強まった。さらに、「スピード感」のある決断と実行、強い国家を求める空気が広まった結果、対外的な活路を求め軍事行動支持へと傾いていった。

「満州事変」は、戦争への道の「最初の一突き」となった(直言「過去の歴史といかに向き合うか―第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年」参照)。軍部の独走は止まらず、ついに1932年、犬養毅首相(立憲政友会総裁)が首相官邸において、「昭和維新」を唱える海軍青年将校に暗殺された(直言「平成の「5.15事件」―戦後憲法政治の大転換」参照)。

「2.26事件」は、高橋是清大蔵大臣や斎藤実内大臣といった「日本型リベラル」の象徴的ともいえる人物が殺害されて、当時すでに衰退していた「日本型リベラル」に止めを刺した形になった。かくて、軍部に対して表立って批判もできない空気が広がり、「沈黙」が支配していく。

  なお、「2.26事件」の前年、1935年には東京帝大教授・美濃部達吉の「天皇機関説事件」が起きている。19年前の直言「憲法研究者の「一分」とは(その1)」や直言「再び、憲法研究者の「一分」を語る―天皇機関説事件80周年に」でも書いたことだが、当時の文部省は、全国の大学の憲法担当教授たちに圧力をかけて、天皇機関説を一掃しようと動いた。19人に対して「処置」がなされたが、書物の発禁処分は美濃部だけで、ほとんどの教授たちは教科書を絶版にしたり、こっそり改訂したりして文部省に逆らわないようにした。それは、『秘・各大学ニ於ケル憲法学説調査ニ関スル文書』(文部省思想局)に生々しく記録されている。大学当局の文部省への迎合や、教授たちへの圧力のかけ方などが見えてくる。
    1935年10月から11月までの1カ月間で、憲法学の一つの学説が全国の大学から「粛清」されてしまった。蓑田胸喜のような日陰者意識をもつエリートが、東大憲法学や「日本型リベラル」の学者を攻撃する鉄砲玉の役割を担った。なお、詳しくは、平山周吉『天皇機関説タイフーン』(講談社、2025年)参照のこと。

 
「2.8事件」で「日本型リベラル」は壊滅したか

 さて、産経論説委員が「歴史が動くとき」として強調した、「東京に大雪が降る日」(「2・26事件」)が、当時の「日本型リベラル」を壊滅させたことについては上述してきたが、「2.8事件」(今回の総選挙)についてはどう考えたらいいか。

 昨年の10月に「石破おろし」の動きに批判的な直言「高市・麻生自民党の政権はあり得ない」を出し、「「停波の高市」総裁は首相になれない」と予測した手前、あり得ないタイミングで行われた「高市解散」(通常国会の冒頭解散と、自民単独3分の2超という総選挙のあり得ない結果に直面して、筆者も何ともいえない精神状況で過ごしてきた。特別国会が始まると、その議場の風景は、1942年4月30日の翼賛選挙後の帝国議会の風景と重なった。この時は、大政翼賛会推薦議員が81.8%を占めた。それでも 非推薦議員がいた。彼らは、院内交渉団体「同交会」を結成して、翼賛政治に対してギリギリの抵抗を行った。そのなかには、尾崎行雄、鳩山一郎、芦田均、片山哲、三木武夫らがいた(直言「わが歴史グッズの話(22)大政翼賛会」参照)。だが、まもなく東條内閣は議会を完全に一元化するため、同年5月20日、翼賛政治会を新設した。同交会もこれに吸収され、実質解散させられた。

今回の「2.8事件」で野党は見る影もなくなった。「中道改革連合」は49議席で、予算を伴う法案提案権(50人以上。国会法56条但し書)も出せなければ、野党の切り札である内閣不信任決議案も、単独では出せない(51人以上。衆議院規則28条の3)。野党すべてを合わせても、臨時国会の召集を求めることができる総議員の4分の1に満たない(憲法53条後段)。戦後、野党がここまで弱体化したのは初めてではないか。その責任の一端以上が、衆議院・立憲民主党を解体した、かつて「どじょう総理」と呼ばれた人物にあることは明らかであろう。2012年に続く、(万死に値する)「二度目の大罪」である。

  戦後一貫して国会に議席を占めてきた日本(にっぽん)社会党の後継政党である社民党が姿を消し、れいわも9議席から1議席になった。共産党は8議席から半減の4議席へ。1963年の5議席よりも後退した。現在の選挙制度のもとで2014年には21議席も獲得しているから、まさに歴史的後退である(2024年10月28日「直言」の「共産党の長期低落傾向の背景」参照)。産経論説委員がいう「日本型リベラル」の壊滅は、「2.26事件」から90年の年に起きた「2.8事件」によっても、もたらされたということだろう。

「高市一強」が「一凶」に転化するとき―リベラル再生への道

 投開票の翌9日の記者会見で高市首相は、「「国の理想」の姿を物語るのは憲法です。この国の未来をしっかりと見据えながら、憲法改正に向けた挑戦も進めてまいります」と、一瞬目を光らせて語った(冒頭の写真はTBS『報道特集』2月14日から)。権力統制規範としての憲法の意味をわかっていない、安倍晋三譲りのミスリードではあるが、憲法改正については総選挙期間中、「国論を二分するような大胆な政策」として、その内容についてはほとんど触れずに有権者を煙にまいた。しかし、結果がでるや否や、まさに「国論を二分する」であろう改憲に本腰を入れようとしている。

 だが、そう簡単にいかない国内外の事情というものがある。国内的に見れば、「高市一強」の弱さというものがある。これは高市個人の人間力の限界と政治的手腕の稚拙さもさることながら、「2.8事件」のきっかけとなった通常国会冒頭の解散・総選挙という無理筋がもたらす副作用のあらわれといえるだろう。年度内の予算成立を焦って国会運営に手を突っ込み、予算委員会の審議時間やテレビ中継まで制限すれば、その傷は存外大きいものとなろう。すでに第1次安倍政権と同じ末路をたどると予測する見方も出ている。
    あまりにも勝ちすぎたことによる「おごり」と「油断」は一体のものであり、巨大化しすぎた自民党はかえって脆さをはらむ。「高市チルドレン」66人は確実に地雷(失言・不祥事の発生源)になる。「官邸幹部」 (今井尚哉ら旧安倍側近も)に依存しすぎて、党内合意を軽んじてきた後遺症は確実に広がり、やがて「党内野党」でも生まれてくれば、求心力も低下していくだろう。正論を語る村上誠一郎前総務相を比例下位にして落とそうとしたことも、逆効果になりそうである。高市的な保守強硬派ではない、「日本型リベラル」の再編成の可能性にも注目したい。今後の「高市一強」の暴走は、むしろそれを促進していくのではないか。また、自民党のみならず、野党にも石橋湛山のDNAを継承する政治家たちが消えたわけではない。「高市一凶」になるのもそう先のことではない、と私は見ている。

  「食料品消費税の2年間限定のゼロ化」というフェイク的「公約」の破綻も目に見えている。何よりも、「責任ある積極財政」が「アベノミクス」の「第2の矢」の不出来なリメイクであり、世界と日本の経済状況と財政の現状から見て「絵にもならない餅」で終わるだろう。むしろ、防衛特別所得税1%を2027年1月に開始し、2037年までの「復興特別所得税」を1%下げて相殺する形にして、2047年まで延長するという実質増税について、有権者はどれだけ知っていたか。そうまでして防衛費GDP5%に向けた動きを示してトランプのご機嫌をとっても、日本の「安全保障環境」(この言葉の怪しさはここでは問わない)は、むしろ悪化の方向をたどるだろう。

   国外的には、あろうことか、そのトランプにハシゴを外される可能性がある。便利な女性首相を今のところおだてているが、トランプは中国との関係を強めていくなかで、どんな対応をとってくるか予測できない。破滅的な「対米投資」などに、そのまま乗ればアウトである。自国の最高裁までが違法と断じた無理筋の関税政策を強行するトランプにこれ以上迎合すれば、世界から日本は孤立していくだろう。3月19日の日米首脳会談での高市の言動が、早くも今から懸念される。
    G7では、いま、高市だけが親トランプにカウントされている。逆に、カナダ首相マーク・カーニーは1月のダボス会議で、「人権尊重、持続可能な開発、連帯、主権、領土の一体性といった、私たちの価値観を体現する新たな秩序を構築する能力」を「ミドルパワー(中堅国家)」として鮮明に打ち出した(直言「「トランプ帝国」の暴走に抗して」参照)。トランプに忖度する高市にカーニーとの連携を期待することはむずかしい。昨年秋の「石破おろし」に抗して、石破がもう少し踏ん張っていたならと残念でならない。
    「三木おろし」
のときに三木武夫はよく耐えて、任期満了で総選挙を迎えた。「石破おろし」の結果、任期わずか1年3カ月で解散。もし石破政権のはっきりしない鈍重な政治がもっと続いていたら、選択的夫婦別姓法案も空襲被害者救済法案も成立していただろう。韓国や中国との関係も、もっとよかったに違いない。何よりも、鈍重な石破ならば、トランプにピョンピョンついていくことは不可能だから、トランプから嫌われていただろう。その方がはるかに被害は少なかった。国会も、自民党過半数割れのなか、野党との交渉や熟議の機会や経験も増えていたのではないか。自民党が少数与党になったときの直言「国会の風景が変わった―表決堂から議事堂へ」をお読みいただきたい。いま、再び「表決堂」への道を歩んでいるようである。

 すべて結果論だが、国民が鈍重な政治を嫌い、はっきり、すっきり、スピード感ある首相を選んだということだろう。「2.26事件」を前にした日本の状況とやはり似ているといわざるを得ない。

 「2.8事件」で「日本型リベラル」は大打撃を受けたが、決して壊滅してはいない。今後とも、保守強硬派の高市政権に具体的に向き合うなかで、さまざまな連携や協力が模索されていくだろうし、そうでなければならない。その際、「中道」ではなく、新たなリベラル、「立憲主義」の旗が必要であろう。

【文中敬称略】

《付記》『東京新聞』に毎月連載している「水島朝穂 東京新聞への直言」が2月26日14時に更新される。2月は「「直感」先行の衆院選 正当な批判を「悪口」と切り捨てる空気は看過できない」である。無料会員登録で3本まで読めます。


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