ブッシュ政権の終わりの始まり~Ver.2.0 the last episode(その2・完)  2007年3月26日

週24日のNHKラジオ第一放送「新聞を読んで」においては、時間の関係から「イラク戦争から4年」というテーマを省略した。以下、イラク戦争がもたらした問題について、特に米国内部の変化に着目しながら書いていきたい。題して、「ブッシュ政権の終わりの始まり(その2・完)」である。3年半前、ブッシュ政権2期目に入ったところで、同じタイトルで書いたことがあるので、参照されたい

  さて、「負の記念日」というのがある。3月20日もそうである。2003年のその日、世界の世論に逆らって、ブッシュ政権はイラク戦争を始めた。この戦争こそ、直接、間接にその後の世界の不幸のさまざまな根源になっている。小泉前首相は、世界のどこの国の首脳よりも早く、何のためらいもない断定口調で、「ブッシュ大統領の行動を理解し、支持します」とやった。これは、日本の対外政策の巨大な歪みを象徴するものとなった。

  この「直言」では、すでに2002年9月30日の段階で、「ブッシュの戦争・パート2に反対する」として、ブッシュ政権がイラク戦争を準備していることを警告した。そして、イラク戦争を始めれば在独米軍基地の使用に制限をかけるべきだという、ドイツ連邦行政裁判所裁判官の主張も紹介した2003年元旦には、イラク戦争に向かう動きを批判し世界にイラク開戦に反対する世論が高まっていることも紹介した。また、湾岸戦争の「トラウマ」から、米国への協力に向かう傾向を批判した。そして、開戦後は、「国際法違反の予防戦争が始まった」以降5回連続でイラク戦争についてさまざまな角度から論じた小泉政権が「ブッシュの戦争」に協力して、自衛隊をイラクに派遣したことについても、その計画段階から批判を続けてきたイラク戦争を推進する米国の事情(「永遠の戦争」)戦争をむしろ必要とする理由なども分析し、「民主主義の輸出」論を批判的に検討した。そして、陸自の「撤退」から対イラン戦争の可能性まで論及した

  先週、3月20日前後、新聞各紙は「イラク戦争から4年」の社説を出した。ほとんどの論調は、イラク戦争に対する疑問であり、米軍の撤退を求めている。もっとも『読売新聞』は、もっぱらイラクの宗教指導者を非難している。戦争開始の責任にはまったく触れていない。これに対して、『朝日新聞』社説は「過ちから何を学ぶか」ということで、「始めた」責任から説き起こしている。大量破壊兵器はなかった。パウエル前国務長官は「人生の汚点だった」と回顧しているそうだ。ちなみに、現内閣の久間防衛大臣は、イラク戦争開戦の過ちに言及したが、「閣内不一致」ということで批判された。だが、そもそも、いまだにブッシュ政権を支持する「閣内一致」が問題なのである。安倍内閣がブッシュ政権を支持し続け、何の注文もつけず、距離もとらないことによって、世界(ブッシュ政権を除く米国を含む)から、いま確実に孤立している。

  もしあの戦争がなければ、死ななくてよかった人々がどれだけいるか。この4年間、毎日のように人の死を数えつづけている「イラクボディカウント」(Iraq Body Count)というサイトを久しぶりにのぞいて、驚いた。イラク国内で、最小で59408人、最大で65246人が亡くなっているのである。このサイトは、英米の研究者などにより運営されているが、このサイトを使って記事や社説を書いたところもある(例えば、『東京新聞』3月19日付夕刊)。
  ディ・ヴェルトというドイツの保守系新聞は、3月20日付で、「開戦から4年のボディカウント」という見出しで、米軍のみならず、イラクに派兵している18カ国の死者の数を並べている(Die Welt vom 21.3.2007)。イラクの警察・治安組織の死者は12000人。米軍が3220人、英軍が133人。イタリア軍32人、ポーランド軍19人、ウクライナ軍18人、ブルガリア軍13人、スペイン11人(あとは一桁台が12カ国)と続く。外国軍隊の死者の総数は3477人である。たいへんな人数である。 そのかけがえのない一人ひとりの個人の人生を途中で奪ってしまうにしては、あまりにも戦争開始時のブッシュ大統領の判断は不確かな根拠に基づいていた。「大量破壊兵器」も見つからず、テロ支援国家という疑いも怪しく、国境を超えてミサイルをぶちこむ資格も権限も、米国にはなかった。それを実施してしまったところに、根本的な問題がある。

  今後、イラク戦争はどうなるのか。先週、二人のネオコン学者のインタビュー記事を読む機会があった。
  まず最初は、ネオコン(新保守主義)の立場から、ブッシュ政権を支持し、正当化してきた学者フランシス・フクヤマである。近年、彼は、ブッシュ政権から距離をとるようになった。冷戦構造の崩壊を意味づけた『歴史の終わり』(1992年)の出版から早くも15年。フクヤマは新たに『アメリカの終わり』(講談社、2006年11月)を出して、ネオコンやブッシュ政権との決別を明確にした。
  ネオコンには、①民主主義・人権、各国の国内政策を重視する姿勢、②米国の力を道徳的目標に使えるという信念、③重要な安全保障問題の解決にあたっては、国際法や国際機関は頼りにならないという見方、④大胆な社会改造に慎重な立場という四つの共通項がある。先制攻撃戦略で軍事介入を行い、単独行動主義に走るのも、こうした発想がバックにある。だが、フクヤマは新著で、ネオコンは米国の外交政策のさまざまな取り組み方の一つであるとする。だから、民主党にもネオコンの立場の人間は少なくないという。ネオコンを相対化してみる視点だが、イラク戦争は、このネオコンと、米国の国益を狭くとらえ、多国間協力に懐疑的で、極端な場合には排外主義から孤立主義への傾きをもつ「ジャクソン流ナショナリズム」との連合が押し進めた、と分析する(ジャクソンは第7代大統領で白人至上主義者)。

  先週の『東京新聞』には、このフクヤマのインタビューが載っている(3月20日付)。そこで彼は、『アメリカの終わり』の視点をより具体的に語っている。フクヤマは、ネオコンの思想は軍事力行使を過度に強調する外交の正当化に使われ、「9.11」以降、ブッシュ政権により実施に移されてしまったと嘆く。そして、テロ集団が核などを持てば封じ込めや抑止という通常の外交戦略は通用しないので、テロ集団に対する「先制攻撃」は理にかなうとしながらも、イラクは国家であり、抑止可能だったのに、これをテロ集団と同一視して対応を誤ったとする。その上でフクヤマは、イラク戦争の教訓として、①中東では軍事力行使は困難なこと、②核拡散防止には先制攻撃は適さないこと、③核不拡散問題では六か国協議のような多国間協調が重要であること、④外交戦略を民主化推進の戦略に使うべきでないこと、⑤米国は野心的な外交政策を捨て去るべきこと、の5点を挙げて、軍事力ではなく、他国の経済発展を支援して世界秩序を構築するなど「ソフトパワー」を重視すべきである、と語っている。イラクからの米軍撤退については、そうした場合、内戦になっても、タリバンのような聖戦国家が生まれる心配はないから、ある時点で疲れ果て、自ら解決策を見つけるまで待て、と突き放した見方をしている。

  ネオコンの立場に立つ軍事史学者Max Bootが、ドイツの左派系新聞のインタビューに語ったものも読んだ(die tageszeitung[taz] vom 24.3.2007) 。Bootは、「ネオコンとは、しばしば暴力によって、しばしばそれなしに、民主主義を輸出し、アメリカ的理念を外国で促進するという基本思想」と捉える。そして、次のように続ける(要旨)。
  イラク侵攻がうまくいかなかったのは、ネオコンのアジェンダが間違っていたからではなく、戦術的失敗によるものである。米国の軍事的優位は、全世界の自由な貿易と進歩を保障している。世界貿易やグローバルな資本の還流に依存するこの繁栄せる経済は、米軍事力の保護なしには存在しない。Thomas Friedmanがいうように、「F16なくして、マクドナルドなし」、である。そして、軍事力と経済力は不可分の関係にあり、決して経済的利益のために戦争することを意味しない。ハイチ、ボスニア、コソボ、アフガンですら、経済的理由を見い出せない。石油のためではない。1979年のイラン革命以来、イランは中東や全世界にとって最も不安定な力になった。そこには、軍事介入によるレジームチェンジ(体制転換)ではなく、反対派の平和的支援が重要である。80年代のポーランドのワレサ連帯議長や、ウクライナのオレンジ革命のように。ネオコンの理念は米国の理念であり、多くの民主党員にも共有されており、ヒラリー・クリントン(米大統領候補者)も過去において、ネオコンも関わったすべての軍事介入を支持したのだ、と。

  ブッシュ政権が行なった最も罪深いことは、いかにフセインの独裁政権といえども、イラクという国家を崩壊させたことである。フクヤマも、ネオコンが民主主義を力で押し付けることに傾きつつも、 大胆な社会改造に慎重な立場をとるというのは、国家の崩壊がもたらすリスクをある程度想定してのことだろう。ブッシュ政権の過激な「レジームチェンジ」は、イラクに国家なき状態をもたらした。これは単なる内戦ではなく、「万人の万人に対する闘争」状態に近い。イラクから逃げてきた難民の一人の言葉は印象的である。「イラクにはいま、100人のサダムがいる」(『東京新聞』「こちら特報部」2007年3月11日付)。米国がやった最大の失策は、イラク占領初期において、旧イラク軍50万人をすべて排除したことだとされている(同上)。独裁政権の統一した軍隊は地下にもぐり、あるいはそれぞれの宗教集団に分散した。武器庫から武器をヤミ市場に流す。まさに暴力の攪拌である。殺し合いに疲れ果てて、自然に秩序が作られるのを待つのか。これでは、1648年のヴェストファリア講和条約締結まで30年間も戦争をやったヨーロッパの教訓はどこへ行ったのか。ブッシュ政権がやった「悪」は、350年以上も歴史を逆行させたことかもしれない。

  3月23日、米下院は、米軍を2008年秋までにイラクから撤退させるよう求めた法案を可決した。218対212だった。ペロシ下院議長(民主党)は、大統領にはイラク政策の転換を迫らなければならない、米国民は大統領の戦争遂行に対する信頼を失っている、と述べた。この法案の投票直後に、ブッシュ大統領は記者会見し、拒否権行使を示唆した。この政権はもう末期症状を呈している。

  

普通の政治家の感覚ならば、イラクから「兵を退く」というのがまっとうな判断だろう。すでに英国のブレア首相も撤退の方向である。日本はいま、「戦闘地域ではない」 とはいえないバクダッドに輸送活動を展開している。愛知県小牧の第一輸送航空隊が、この活動にあたっている。イラク特措法自体が著しい憲法違反の法律であるのに、陸自が「撤退」を完了したあと、どさくさまぎれに、「イラク特措法に基づく実施要綱」を改定して、「戦争地域」における輸送活動を継続した。この活動こそ、「復興支援活動」とは到底いえない、米軍に対する直接的な「兵站支援」活動そのものである。ところが、今国会には、イラク特措法の2年延長を求める法案が提出されている。特措法というのは、恒久法の形式をとれない事情があるからこそ、そのような形式をとっているのに、その延長を繰り返していく手法はある種の脱法行為だろう 。 朝日新聞社が行なった世論調査でも、国民の75%がイラク戦争を誤りだったと考えており、69%がイラク特措法の延長に反対している(『朝日新聞』2007年3月15日付)。 イラク特措法は延長せず、直ちに廃止すべきだろう。

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