雑談(61) 「食」の話(11) オムライス  2007年5月28日

ま、早稲田大学は「はしか」による「全学休講・出席停止」という125年近い歴史のなかでも、初めての事態である。写真は、5月の平日の異様な風景。二度と見たくないものである。

  さて、「国民投票法」に続き、 「教育三法」「イラク特措法延長」「犯罪被害者訴訟参加制度」などの「悪法」がサクサクと成立、あるいは成立しつつある。これらについてもこの直言で書きたいのだが、なかなか時間がとれない。今回はストック原稿に加筆したものでお許し頂きたい。

  久々の雑談「食」の話である。このシリーズは、吉村作治教授がやっておられたエジプト料理店「パピルス」(2003年閉店)などの紹介に始まり、マムシ料理蕎麦ラーメン珈琲寿司缶詰おでんなどを扱ってきた。金平糖地方銘菓についても書いた。11回目の雑談「食」の話は、オムライスである。

  オムライスというと、ある種のイメージが定着している。オレンジ色のチキンライスを黄色い薄焼き卵でくるみ、その上に真っ赤なケチャップがかかっている。お子様向けの、デパート最上階の「お好み食堂」の定番という感じである。あまり大人の食事という感じではない。
   だが、そんなイメージを一変させるオムライス専門店が早稲田にある。近年、「卵料理専門店」が増えて、高級感のある、さまざまな種類のオムライスが楽しめるようになった。今回はそうした店の一軒、「3つのオレンジへの恋」(新宿区戸塚町1-102-101、電話03-3209-3151) を紹介しよう。なお、この店名は、プロコフィエフの歌劇「三つのオレンジへの恋」(L'amore delle tre melarance, 作品33)からとったものだろう。

  店の場所は、早稲田大学法科大学院のある「小野梓記念館」(27号館)裏手にある。地下鉄「早稲田」駅から大隈講堂に向かって歩けば、数分の距離である。店主は山内通生さん。奥さんの君枝さんとお二人で店を切り盛りしている。お二人のことは、テレビで二度ほどおみかけした。一度目は、たまたまつけたチャンネルでやっていたグルメ紹介番組で、もう一つは、これまた偶然みた団塊世代の生き方を紹介する番組だった。本来、こういうシリーズは写真があればいいのだろうが、それでは普通のグルメサイトになってしまう。私の「食」シリーズは読者の想像力に委ね、読むだけで、唾液が出てくるようにしたいのだが(笑)。

  さて、オムライスの語源は、オムレツとライスの合成語のようである。オムレツもomelet, omeletteが日本語読みになったようで、昔からある「西洋料理」の一つである。オムレツの中身は挽き肉やハム、細かく切ったタマネギが入っているのが定番だが、わが家には、「ニュルンベルクのオムレツ」という、家族にしか通用しない言葉がある(『憲法「私」論』で初紹介)。
   広島大学に勤務していた1991年。在外研究で東ベルリンに単身滞在したが、その年の8月に、家族を数週間だけドイツに呼び寄せた。家族の希望でロマンチック街道を車でまわった。その時、ベルリンからニュルンベルクまで列車で行って、駅前でレンタカーを借りたのだが、ちょうど昼食時だったので、駅構内のレストランに入った。当時8歳の娘は、オムレツを注文した。出てきたのは、フルーツ添えの「オムレツ」だった。娘は口に入れるなり、「ウッ」という顔をした。なかから真っ赤な苺ジャムが出てきたからだ。娘は機嫌が悪くなり、すべて残してしまった。以来、わが家ではオムレツが食卓に出てくると、「ニュルンベルクのオムレツ」を思い出して笑う。欧米でsweet omeletといえば、ジャムが入っているお菓子なのだが、そのレストランのメニューは単にOmeletだったと記憶している。落語の「目黒の秋刀魚」の逆のような話ではある。

  本題に戻ろう。オムライスの場合、薄焼き卵を上手に広げて、チキンライスをくるむのがなかなか難しい。私も単身赴任時代に何度か試みたが、「崩れた玉子焼きを乗せたチキンライス」になっただけだった。
   「3つのオレンジへの恋」のオムライスは、乾いた薄焼き卵でくるんだ定番とはかなり趣を異にする。平たい洋皿ではなく、やや深めの皿で出てくる。そして、卵は薄焼きで巻いているのではなく、とろみを帯びたものをチキンライスにかけている。これが何ともいえない感触で、舌の上でトロ〜〜リと蕩(とろ)けるのである。おそらく、この店のオムライスを食した人のほとんどが、口に入れたときに舌の上に広がる何ともいえない「トロ〜〜リ」感に強い印象を受けるだろう。
   卵料理は多彩である。金糸卵から寿司屋の玉子焼き、目玉焼きからゆで卵まで、まさに卵の七変化である。この店の卵の美味しさは、素材のよさにも起因している。以前、NHKの番組でこの店が紹介されたとき、山内さんが茨城県の農家を訪れ、有機農法で育てられた新鮮な卵だけを直接仕入れている場面をみたことがある。有機農法の特製卵を使っていることも、この店の特徴だろう。なお、卵の下のチキンライスと書いたが、これが「お好み食堂」のそれのように、ケチャップ味のものとは大分違い、いろいろなスパイスを使ってあって、なかなか凝っている。

  たかがオムライス、されどオムライスである。この店のランチタイムのメニューでは、「デミハヤシオム」「ドライカレーオム」「特製パンプキンオム」「太陽から生まれたトマトソースモッツァレラ」などがある。舌の上でやさしく溶けていく卵とからんで、これら特製ソースがいい。私はほぼすべてを試してみたが、やはりデミハヤシのオーソドックスなメニューが一番好みである。ドライカレーもなかなかいい。いずれも、ランチにはミニサラダがつく。価格は900円前後で、学部学生にとってはやや高いだろう。また、男子学生にとっては、満腹感を得るには若干距離があるかもしれない。そのかわり、女子学生にはお洒落だし、美容と健康によい昼食である。客の7割が女性客であるというのもうなずける。なお、デザートがこれまた大変おいしいのだが、紹介は省く。

  ところで、山内さんの店は、「団塊の世代」の転職例として注目されている。『日本経済新聞』2006年1月22日付には、「定年前に一国一城のあるじ」という見出しで、「夢を追い商店開業」というコーナーで紹介された。『朝日新聞』2006年4月5日付の「『50歳プラス』を生きる」や『スポーツニッポン』2006年12月3日付「団塊バンザイ」でも紹介された。これらによると、山内さんは早大法学部卒業後、大手総合商社の建設・不動産の営業部門でひたすら働いたが、バブル経済崩壊で所属部署が縮小され、監査部門に異動になった。「性に合わない職場のため心身ともにぼろぼろになった」。まだ40代。このまま埋もれたくない、と28年の商社勤めに別れを告げて、早期退職に応じたという。
   会社勤めはもうこりごりなので、自分で何かを始めようと決心。最初は女性客の入りやすい、お洒落な立ち食いそば屋を考えたそうだ。いろいろと相談した結果、オムライス屋を思いついた。母校近くに空き店舗を見つけ、退職金をつぎ込んで店を改装。高い調理器具も購入したが、なかなかうまくいかなかったという。
   開店から1年。「人任せではうまくいかない」と、従業員に辞めてもらい、奥さんと一からやり直すことに決めた。10数種類あったメニューを数種類にしぼり、一点突破を狙った。これが成功したようだ。店の机にノートを置き、お客さんに自由にコメントを書き込んでもらうようにした。こうして、常連客を獲得していったのである。

  「団塊の世代」の山内さんがフードビジネスを始めるきっかけは、ある思い出に起因している。それは15歳のときに開催された東京オリンピックと関わっている。1964年10月。東京オリンピックのマラソン。私は山内さんより年下で、当時小学校5年生だった。甲州街道に応援にいったのを記憶している。ヒタヒタヒタという音が近づいてくる。私の前をサッと通り抜けていったのがエチオピアのアベベ選手(金メダル)だった。いまもあの「ヒタヒタヒタ」は覚えている。この時、3位銅メダルを獲得したのが、日本の円谷幸吉選手だった。彼は「次は金メダルを」のプレッシャーに耐えかねて自殺した。その円谷選手が親兄弟にあてた遺書はよく知られている。「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、餅も美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しうございました。巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました。…」。何度読んでも胸がつまる。
   山内さんはこの遺書に鮮烈な印象を受け、「食の力は大きい。悩みや苦しみを癒す力にもなる」と思ったという。そして、「お客さんたちの心を明るくし、なごませ、癒すことのできるそんなお店をつくりたい」と考えるようになった(この下りは、「夫婦でおしゃれなレストラン経営」住吉俊彦編『団塊の世代・平均さんの小さな会社を息子とつくる』講談社165〜166頁参照)。店の外装や店内のさまざまな装飾も、円谷選手の遺書を思い出し、「食」の効果を考えてのことだった。なお、「お客さんの笑顔」という点では、我田引水だが、美容師をしているわが娘の話とも通ずるものがある。たかが「食」、されど「食」である。これからも、年に1度くらいの割合で、このシリーズを続けたいと思う。

  そういえば、早大グランド坂下バス停前にある「みづ乃」の「炒り玉丼」も、バターで炒めた半熟状態のフワッとした炒り玉が大変美味である。研究室の引っ越しをやってから行っていないので、「全学休講」措置が解除されたら、久しぶりにあのジューシーな「炒り玉丼」も食べにいくとしよう。

付記:定食屋「みづ乃」は、残念ながら2006年8月をもって閉店しました(との情報をいただきました)

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