雑談(101)緩慢な思考力低下の危うさ――スマホ化の時代に                        2012年8月26日


が28歳で非常勤講師として初めて教えた学生が50歳前後になった。東京オリンピックの年に生まれた人もいる。18歳から22歳までの若者たちと30年以上付き合ってきて、「変わったこと」、「変わらないこと」は何かと思うときがある。いつの時代でも、この年代の若者たちはとりわけ好奇心が強く、パワフルで可能性に満ちている。これは変わることはない。高校生の雰囲気を引きずっていた1年(導入)ゼミの学生に、4年ぶりに卒業式で会うと見違えるように変わっている。この喜びは、大学教師の特権だろう。

 他方、「変わったなぁ」と実感することも少なくない。ワープロもなく、インターネットも、携帯もなかった時代、教員と学生との間のコミュニケーションは、直接話をすること以外は、手紙と電話が主だった。学年末試験の頃は「就職でピンチです。単位下さい」と電報が自宅に届いたこともある。

いまはゼミを除けば、ほとんどがメールである。そのやりとりで完結し、一度も学生の顔を見ないこともある。近年、大学は「コースナビ」(早大独自の学習管理システムLMS)というパソコン上ですべて処理できるシステムを推奨しているが、私はあえてこれをしない主義で、紙媒体で通してきた。だが、毎学期、1000枚を超える答案を採点するため、今期からついに妥協して、採点についてはこのシステムを使うことにした。

 それでもレポートは紙媒体(原稿用紙に手書き)で実施した。ところが、今年は提出する学生が最初非常に少なかった。それで途中からパソコン(ワード)で書いてもよいことにした。そんなか、わずか1年で急速な変化を実感したことがある。それはレポートやメールの文章の圧倒的短さである。どうもスマホ(多機能型携帯電話)やツイッターなどの影響らしい。1年ゼミで見せたビデオの感想をメールで送れと指示したところ、5行程度のメールが何通も届いた。これは初現象である。

レポート用紙1枚ではレポートとは言えない。大講義でレポートを任意提出させたところ、A41枚に半分くらいの短文に表紙を付けて提出した学生が何人もいた。これにも驚いた。「レポートはつぶやきではない」と講義で注意した。だめ押しに、研究室の奥の方に眠っていた「優秀レポート」(何千部から数部を残しておいたもの)の束を出してきて、授業の際、書画カメラで拡大して見せた。それは早大に着任した1996年の夏休みレポートだった。手書きで40頁以上、北朝鮮を旅行した生写真がふんだんに使ってある(当時は通年4単位の授業がほとんどなので、前期試験がない分、夏休みレポートを課した)。これを提出した学生はいま、毎週日曜夜11時の民放の某人気番組のプロデューサーをやっている。このレポートに対しては、ツイッターで「すげえレポート見せられ、びびった」とつぶやいた学生もいて、刺激になったようである。その後はレポートの枚数が少し増えてきた。

 近年の変化のもう一つは、文章に改行がないことである。見事なベタ打ちの文章を提出してくる。手書きの時代は、「清書」という儀式があり、少なくとも人に見せるものは下書きをやり、清書をする。清書前の推敲で、下書きは真っ赤になる。これが普通だった。いまの学生のなかには、友だちにメールを打つ感覚で文章を書き、出来上がってそのまま送信、ないしプリントアウトというのも少なくない。ラフに一人でつぶやくようなことが、そのまま公共空間にあがってくる。

 さらに、もう一つ。予測機能を活用したありきたりの表現、逆に妙にまとまった言葉の使用が目立つことである。手書き時代はレポートの文字から、あるいは決して上手とは言えない文章から、その学生の個性が見えてきた。もちろん、いまも興味をひかれる労作も少なくないが、なぜか妙に平準化されているのが気になる。それは、文章を書いているときに、予測機能に過度に依存して、文章の個性が薄れているからではないか。コピペ(コピー&ペースト)もまじっているが、すぐにバレないようにけっこう凝った作りに驚くことも。ドイツでは、博士論文すらコピペで書かれて政治家が辞任ている。こうしたコピペをもたらすのは、ネット検索の普及によって、瞬時に苦労なく、当該テーマの「先行言及」をキャッチできるからだろう。その問題性については、直言「検索エンジンの功罪」でも触れた。「先行業績」はネット上にあるとは限らない。近年、「ネットにないものは存在しないこと」と思い違いする向きもあり、悩ましい限りである。

文章を「書く」という点では、この4分の1世紀の間に、両手・両指を使ったキーボード(私のような「親指シフト」派はさらに親指を活用)が普遍化した。しかし、途中から携帯メールが参入してきて、これは親指でメールを打つ。最近のスマホは、人さし指などで触って(さすって)文章をつくる。文章を「書く」という営みは、「打つ」から「さする」へ。こうしたツールの発達が教育にどのような影響を与えているかについて、今後、さまざまな学問分野からの解明が求められている。

スマホの影響についてもう一話。日本睡眠学会で大阪の臨床心理学者が発表した研究によると、夜、消灯後にスマホを使う頻度と睡眠との関係について学生に尋ねたところ、「週4日以下」の学生が1 週間で講義中1 時間以上の居眠りをする割合は7.1%だったのにたいして「週5日以上」の学生は17.0%だったという(『読売新聞』2013年7月1日付)。寝床では目とスマホの距離が近く、液晶画面から出る青色光(ブルーライト)が眠りの質に悪影響を与えている可能性があるというのだが。これは、「歩きスマホ危険」という問題(『東京新聞』7月13日付夕刊)以上に、人間の思考への影響という点で深刻な問題をはらんでいるようにも思う。

思考力というのは、『広辞苑』的に言えば、人間のもつ知的作用をいい、感性や意欲の作用と区別して、概念・判断・推理の作用とされる。コンピューターやネットの発達で、人間の発想や趣向がこれに支配されるだけではない。思考や嗜好、さらには思想までも左右されていく(直言「新三猿――読まざる、書かざる、考えるざる」

例えば、ネット上にあったものを検索にかけてヒットさせ、いつの間にか自分の考えたことと勘違いする。「思索」と「検索」は違う。しかし、ネットにつながりすぎた結果、そのあたりの区別がつかなくなる。これは人間の知的作用の劣化につながりかねない。緩慢なる思考力の低下(スマートなアホ化)に要注意である。

 便利なツールで広範に普及したものにパワーポイント(パワポ)がある。「パワポバカになるな」(『アエラ』2012年2月27日号)によれば、パワポでは単純明快さが重視されるから、「物事を一つの筋道で単純化し、不確定要素も確定して考えがちになる」「質問がしにくい」「結局、何がポイントだったのかよくわからないまま会議が終わる」「見た目にこだわるせいか、内容が薄くなってしまいがち」といった問題がある。大学でも同様である。パワポが有効で有用な授業も当然ある。だが、他方で、パワポに過度に依存することのマイナス効果も無視できない。眼前の美しい、わかりやすい画面に支配されて、しっかり聞いて、考えるということが疎かになっている面はないか。

 昔の講義にはレジュメなどなかった。教員の発した言葉を頭のなかで反芻して、ノートにメモをしていく。いまはレジュメを作り、それをパワポでも画面に出すという授業もあると聞く。いまに比べれば、昔は圧倒的に情報が少なかった。その分、学生が自分で考え、図書館に足を運ぶということにもつながったのではないか。情報の過少の効果である。昔がすべていいというわけではないが、いまの大学はサービス過剰で、「痒いところに手が届く」を超えて、「痒いところを作って掻いてあげる」サービスをしている。パワポへの過度依存が、教員の「教える力」の実質的な低下をもたらしかねないという危惧もある。

 私は講義や講演で、あえてパワポを使わない主義である(直言「『脱IT依存』は可能か」)。ゼミでも一時期、パワポを安易に使う傾向があったとき、これを批判した。学生はしっかり議論してくれて、パワポの使い方や使うタイミングなどについて考えるようになった。なお、私はツイッターもフェイスブックもやらない。ブログすらやらない(直言「ブログをやらないわけ」)。このホームページをブログと呼び、「先生のブログを拝見して…」などと書かれると悲しくなる。

 とはいえ、こうしたネット時代の傾向に対して、逆らいすぎることもできないだろう。かつて私は「携帯電話不保持宣言」たことがある。その後、仕事上の必要からやむなく携帯を持ったが、妻名義にして、「『所持』してはいるが、『保持』はしていない」などと屁理屈をこねていた。「携帯電話着信音廃止論」や、授業中の携帯電話についても書いた。

 だが、2004年の沖縄でのゼミ合宿以来、携帯メールを積極的に活用するようになった。ゼミ生たちが5つの取材班に分かれて沖縄各地を移動しているのを、那覇のホテルで携帯メールを使って報告を受け、アドバイスをした。携帯メールを親指で打つので、文字通りの「指導」である(直言「携帯メール効用論」)。

 これからも便利なツールは発達していくだろう。私自身、時代の流れのなかで、スマホを絶対に持たないということも困難になるかもしれない。そうしたなかで思考力を低下させない、一番よい方法は、デジタルとアナログの両刀遣いだと思う(直言「たまには手書きもいいものです」)。たまたま、15歳の高校生(大阪府)の、「スマホ時代だからこそ読書を」という投書に目が止まった。この高校生は、半年に1冊だったものが、月に2、3冊は本を読むようになったこと、本の魅力として、「普段の生活では気付かない出来事や人々の感情などが凝縮されていて、物事への新しい視点を教えてくれます」とある(『朝日新聞』2013年8月5日付)。スマホ時代を生き抜くヒントはこのあたりにもありそうである。

 今日(8月26日)から4日間、ゼミの北海道合宿である。前回の北海道合宿は2009年だった。私は札幌にいて、各地に展開するゼミ生たちを、携帯メールで「指導」する。

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