大宰相か、「大災相」か—「安倍3選」というカタストロフ
2018年8月20日

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象庁は7月23日、記録的な暑さについて異例の緊急会見を開き、「気温が高い状態は8月上旬にかけて続き、熱中症で命を落とす危険性もある」として、「一つの災害と認識している」とした。猛暑を「災害」と表現したのは、気象庁の歴史上初めてのことではないか。

その猛暑のなか、「8.6」から「8.15」まで、年の1度、人の命に思いをいたす時期が終わった。「8.15」には、現天皇の30回目の、そして最後の「お言葉」が注目された(2015年のそれについては直言「「8.14閣議決定」による歴史の上書き—戦後70年安倍談話」参照)。

それにしても、「8.6」「8.9」「8.15」における安倍晋三首相の式辞は、内容も言葉を発する態度も薄っぺらだった。まったく気が入っていない。毎年、NHK長崎は、平和祈念式典における安倍首相の表情をアップで撮っている。2014年の式典の際、集団的自衛権行使容認を批判する被爆者代表に対して、「見解の相違ですね」という捨てぜりふを吐いたことは記憶に新しい。敵意と無関心は、顔にも態度にも出る。被爆者の批判に不快な顔をする安倍首相のシーンがこれである。今年(2018年)はもっとすごい。冒頭左の写真(NHK長崎の中継画像)では、田上富久長崎市長が、核兵器禁止条約に署名しない日本政府を批判した下りで、一瞬顔を上向ける仕種をした。もっとはっきりしたのは、被爆者代表の田中煕巳氏が、「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って「核兵器禁止条約」に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日総理自ら公言されました」と語ったところで、それまで冒頭右の写真(NHK長崎の中継画像)のような冷たい目をしていたのが、一瞬、唇の端が上がる含み笑いをしたのである(ここをクリック)この首相の場合、批判に対する耐性のなさがよく指摘されるが、それが表情によく出ているではないか。

さて、『週刊ポスト』8月17/24日合併号(8月6日発売)の特集タイトルは「日本をダメにした10人の総理大臣」である。企画段階のタイトルは「歴代「最低の」総理大臣」だった。7月末に私にもアンケートがメールで届いた。質問内容は、「(1)戦後の総理大臣の中で最低だと思われる方について、上位「3人」をお教えください、(2)その理由をお教えください」というものだった。私は次のように編集部に回答した。

第1位:安倍晋三
「情報隠し」、「焦点ぼかし」、「論点ずらし」、「友だち重視」、「異論つぶし」の「安倍流統治手法」で改憲に爆走している。4年前の「7.1閣議決定」により、憲法に基づく政治という立憲主義の「前提くずし」をやった。「憲法違反常習首相」という意味で、安倍は祖父を超えた。

第2位:麻生太郎
漢字をまともに読めず、漫画に夢中で、日本政治の劣化度を一気に加速させた「未曾有(みぞうゆう)」の首相である。公の場で官僚を呼び捨てにする「最悪の上から目線」。G20などの国際舞台にマフィア・スタイルで参加する日本の恥。

第3位:森喜朗
2000年4月に小渕恵三首相が意識不明となり、「総理大臣が欠けたとき」(憲法70条)の微妙なケースで首相の座を得た人物。アメフト部やボクシング連盟などに君臨する「老害」たちの先駆として、五輪組織委会長を務める「パワハラキャラ」。

番外編:中曽根康弘
1985年8月12日の「日航123便事件」を隠蔽した史上最悪の首相。元内務官僚らしく、権力の操縦には非常に有能で、まさに国家の全機能を使って「あったことをなかったことにした」。その意味で、「史上最低」の首相にはカウントできないので「番外」とする。

『週刊ポスト』には、私のコメントは使われず、名前だけが2箇所で使われていた。ネット上では、ネトウヨによって、コメントした人々を列挙して非難する言葉が大量にリツイートされた。私もそこに含まれていた。ただ、ネトウヨたちが非難するのは、安倍晋三と麻生太郎を批判した人々だけで、森喜朗などに対する批判者には無反応。現政権のサポーター(「アベシンジャー」)ということがわかる。

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この『週刊ポスト』の記事のなかで、政治ジャーナリストの野上忠興氏は次のように述べている。「昔の自民党では、総理総裁候補と呼ばれる政治家は権力の怖さ、正しい使い方を身につけていた。それは総理大臣の権力は国民のためにあるもので、抑制的に使われなければならないということ。権力を私物化するような政治家は総理候補にしない良識があった」と。それほど「昔の自民党」が立派だったとは思わないが、少なくとも党内にさまざまな意見があり(つまり派閥)、意見の対立も許容され、「云いたいことは なんでも云える 自由がここにあるんだぜ」(自民党結党14年のイメージソング「話しあいのマーチ」(歌・水前寺清子、1969年))という空気が存在したことは確かだろう。いまの「安倍一強」体制は、このかつての自民党が持っていた「貯金」をことごとく食いつぶし、非常に「不自由」で「非民主」な政党のイメージを強く印象づけてしまっている。これでは、スターリン的「民主集中制」よりも稚拙な、手続の形骸した「非民主集中制」と言われても反論できるか。それもこれも、安倍晋三的「無知の無知」の突破力のなせる技だろう。

9月20日に自民党総裁選が行われる。12年前の同じ時期、安倍晋三氏が総裁選に立候補した時、直言「「失われた5年」と「失われる○年」—安倍総裁、総理へ」を出して、「安倍晋三」が首相となることに警鐘を鳴らした。第1次政権の直前のものだが、「失われる〇年」は、第1次から第3次までで「失われた6年半」になっている。

「・・・安倍政権発足の本質的な問題は、安倍が何をやるか、である。安倍晋三という人物の思想と行動が、一議員や一閣僚(官房長官)にとどまっていた段階とは異なり、いよいよ内閣総理大臣という最高ポストを得て、本格的に動きだす。その危なさは、交通法規〔憲法〕を確信犯的に無視するドライバーが、大型トラックの運転席に座り、道路に走り出したのに近い。このトラックは行く先々で、たくさんのトラブルを起こすだろう。ドライバーは、饒舌に語りながら、「お目々キラキラ、真っ直ぐに」トラックを走らせていくのだろう。この国の不幸は続く。・・・」と。

2018年の総裁選は、自民党の歴史のなかで初めて3期連続の総裁を選ぶ。3選を禁止する規定(党則80条)を改めるとしても、それを行う本人ではなく、次の総裁から適用するというのが手続規定を改変する際の作法といえる。しかし、安倍首相にそうした自覚も遠慮も自制もない。「総理・総裁」という言葉が存在する日本においては、自民党の党則の改正は、内閣総理大臣の「任期延長」に連動する(直言「「総理・総統」へ?—権力者が改憲に執着するとき(その3)」)。その結果、安倍首相の在任期間は3500日以上となり、大叔父・佐藤栄作の2798日を超え、内閣制度発足以来最長の桂太郎の通算2886日をも上回るかもしれない。「安倍総裁9年」を達成したいからではなく、桂太郎を抜くことが狙いなのか。そして、憲法改正。どの条文でもいい。憲法改正を行った首相になりたいのだろう。改憲の自己目的化ではないか。

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8月8日、沖縄のために命を削って奮闘した政治家が亡くなった。翁長雄志沖縄県知事である。67歳の急逝だった。市議、県議、那覇市長、自民党県連幹事長も務めた根っからの保守政治家である。2014年11月に知事に当選してから、安倍首相は一度も会わず、翌15年4月になって菅官房長官がようやく会うという非礼を行ったその後の安倍政権の沖縄への対応は、「沖縄処分」としか言いようのないひどいものだった。当然、沖縄の人々の、安倍首相への眼差しはきつくなる。この写真は、昨年の沖縄全戦没者追悼式において、翁長知事のあとに続いて会場に入る安倍首相である(ネットから撮影したもの)。上目づかいに知事を見つめるその顔に、「アウェー感」いっぱいの、心の内が透けて見える。

それでも、安倍首相を持ち上げる人はいるものである。元米国務省日本部長でジョンズ・ホプキンス大教授のラスト・デミング氏は、「大宰相になる可能性がある」と言い切った(『産経新聞』2013年5月20日付)。この一言がきいたのか、その年の11月3日、デミング氏は「旭日中綬章」を授与されている(「平成25年 秋の叙勲について」)。安倍政権の特質の一つは、「権力の著しい〔みえみえの〕私物化」ということである。内閣府賞勲局の権限をフルに使って、内外のお友だちに勲章を乱発している。デミング氏は「大宰相になる可能性がある」の一言で勲章が与えられた。すごい世界である。なお、直言「勲章は政治的玩具か—「イラク戦犯」に旭日大綬章」参照のこと。

猛暑も「一つの災害」という時代である。安倍晋三の存在そのものがまさにこの国にとってすでに「大災害」と言えるのではないか。その意味では、「大宰相」ならぬ、「大災相」という呼称こそふさわしい。

一刻も早く、昨年2月の国会答弁、すなわち「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」(2017年2月17日、衆院予算委)を実践してもらおうではないか。

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