ドイツ基本法60周年に寄せて 2009年6月1日

々週の土曜日、5月23日は、ドイツの「憲法記念日」だった。「ドイツ基本法公布60周年」。この日、連邦大統領にホルスト・ケーラーが再選された。日本では、このニュースが外報面に載った程度で、「60周年」についてのメディアの注目度は低かった。私個人は、その前日に基本法60年関連の書籍が7 冊一度に届いたこともあり、またドイツ各紙のサイトに関連記事や論説がけっこう掲載されたので、「60周年」の意味を考えるよい機会となった。

在外研究で家族と一緒に過ごしたボンと、そこで迎えた「基本法50周年」に特別の思いがある。1999年3月から2000年3月まで「ドイツからの直言」としてボンから毎週欠かさず発信したが、そこには、「戦時下の基本法50周年」という文章も含まれている。コソボ紛争に介入したドイツがユーゴ空爆を続ける最中の「50周年」だった。これは2 回連載した

「基本法50周年」はのっぺりとした50年ではない。「40+10の50年」という視点が、当時、ボンの歴史博物館の展示には貫かれていた。売店で入手した50センチ定規は、1 センチ1 年で50年間の出来事が書き込まれていた。それは冷戦時代の40年と、ベルリンの壁崩壊後の10年とを合わせたものだった。

1949年、ドイツは東西に分裂し、旧西ドイツは「基本法」(Grundgesetz) を制定した。いつの日にか統一を達成したら正式の「憲法」(Verfassung)を制定するという展望を、最終条文(146条) に込めての出発だった。ボンはあくまでも暫定首都という建前で、連邦議会や首相官邸を含めて、公的機関の建物は驚くほど安普請。これは「仮の宿」という姿勢を示すためだった。しかし、40年間、「ベルリンの壁」に象徴される東西分断は続き、「暫定憲法」と「暫定首都」のまま40年が経過した。1989年の「壁」崩壊で、ドイツは1990年10月に統一を達成したが、それは基本法146 条に基づく正式の憲法制定の手続によるものではなく、旧東ドイツに新しい5 つの州を編成して、それらがドイツ連邦共和国に編入するという、基本法23条の州の再編によるものだった。それゆえ統一後も、「憲法」ではなく、「基本法」という名称が維持されたわけである。

なお、この基本法は占領下(米英仏の3 カ国統治)の制憲である。だが、ドイツの人々は、誰も基本法のことを「押しつけ憲法」とはいわない。「暫定憲法」と「暫定首都」のまま、ドイツは半世紀にわたり歩みを続け、ヨーロッパのなかで確固たる地位を占めた。私は、「素晴らしき仮の宿」という直言で、首都移転を前にした「暫定首都」ボンの様子を描写している。

ボンからベルリンへの連邦議会の移転を、河川の名前を使って、「ライン川からシュプレー川へ」(Vom Rhein an die Spree)ということがある。娘が通ったラインアレーに近いボン・インターナショナルスクールには、当時は68カ国から生徒が通っていたが、この年の6 月頃から、「あの子もベルリンに行くの?」という会話が生徒間でなされていた。そして、その年の9 月から議会も首相府も、ベルリンで活動を開始した写真は、ベルリンに移転した直後に私が撮影したドイツ連邦議会議事堂の透明のドーム。観光客が夜10時近くまで訪問できる)。

「50周年」に憲法問題として注目されたのは、直接民主制だった。ヴァイマル憲法の「民主主義の行き過ぎ」がヒトラー独裁を招いた(とされる)ことへの反省から、ドイツ基本法は「国民不信」の視点を一貫させ、さまざまなところに「民意の暴走」に対する安全装置を仕込んでいる。「自由の敵に自由なし」の「たたかう民主制」のシステム(全体主義政党の禁止条項等)、連邦大統領の儀礼的地位、「建設的不信任制度」(議会解散や内閣不信任が簡単にはできない仕掛け)、そして直接民主制の徹底排除である。だが、基本法施行後半世紀が経過して、直接民主制の要素の導入も主張されるようになったわけである。

では、「60周年」の風景はどうだろうか。ベルリンでは、6250000 人が参加した大イベントが行われた。再選されたケーラー大統領も列席した。祝賀ムードの反面、統一を「併合」と捉える旧東の勢力など2000人が、基本法60周年に反対するデモを行った(Die Welt vom 23. 5) 。積極にせよ、否定にせよ、基本法について関心を寄せる人は少なくないが、普通の人々の意識はさほど高くはないようだ。5月23日が何の日だか知らないドイツ人もけっこういる。日本在住のドイツ人に聞いたところ、「5月23日」のことは知らなかった。日本でも、大型連休中の5月3日を「憲法記念日」として特別に意識する人は多くはないから、ドイツでも同様なのだろうか。この点、アレンスバッハ世論調査研究所が、「基本法60周年」を前にして行った世論調査の結果はなかなか面白い(Th. Petersen, Die angesehene Verfassung, in: FAZ vom 20. 5)。

例えば、「あなたは基本法がいつ施行されたか知っていますか。何年ですか」という問いに対しては、37%が正しい答えをしたが、52%が「わからない」と回答したという。ちなみに、1940年から1948年の間に制定されたが6%、1950〜1969年に制定されたと答えたのが5%。戦後認識はかなりいい加減である。

また、同じ調査で、「基本法は代表民主制と直接民主制のいずれを採用しているか」という質問に対しては、代表民主制と答えた人は40%に過ぎず、直接民主制と答えた人が19%、「わからない」が41%だった。基本法の「人間の尊厳は不可侵である」という条文をきちんと引用できたのは25%にすぎず、47%が「知らない」と答えている。

基本法を一度でも読んだことがある人は49%で、3分の1が学校時代だけという。とはいえ、72%の人々が、基本法に強い信頼感を寄せている。個々の制度についての信頼感は、連邦大統領が60%、連邦政府40%、連邦議会33%、連邦参議院が32%、政党が12%。これに対して、連邦憲法裁判所は67%と、その信頼度はきわめて高い(Petersen, ebd.) 。

「ドイツ人は過去60年において、憲法の個別的な条文ではなく、憲法の精神を本質面において深く受容していきた」といえるだろう。なお、「外からの脅威」から基本法が守られねばならないという印象も増大している。「ヨーロッパ憲法」ができれば、基本法は意味を失うということについて憂慮しているかと問うと、41%もの人がそれを肯定している。これは別の意味での「憲法愛国主義」かもしれない。つまり、「ヨーロッパ憲法」の動きに対して、「ドイツ基本法を守れ」という文字通りの「憲法愛国主義」である(Petersen, ebd.)。これは、30年前の1979年5月に、D ・シュテルンベルガーが初めて使い、ドイツ統一の時にJ ・ハーバーマスが用いた意味とは、かなり脈絡が異なる

基本法についての細かなことは知らなくても、ドイツ人のなかに基本法は定着しているとみていいだろう。K ・グリマー(カッセル大学)は、ドイツ連邦共和国が立憲国家(Verfassungsstaat)であるのは、基本法により成文憲法を持っているからだけではなく、「この憲法が生ける現実(lebendige Wirklichkeit)でもある」からだと指摘して、それが、ヴァイマル憲法・共和政と異なり、秩序、安定性、豊かさ、そして価値の拘束を高い程度でもたらしていると述べている(K. Grimmer, Verfassungspolitik und Grundgesetz, 2008, S. 7) 。

他方、基本法がこの60年間に50回以上も改正されてきた点を問題にする向きもある。H ・H ・クライン(ゲッティンゲン大学、元連邦憲法裁判所裁判官)の論稿はなかなか切れ味がいい。大要こうである。基本法の原テクストは「寡黙な威厳」(C ・メラース)を放射(輻射)している。「人間の尊厳は不可侵である」(1条1 項) や「すべての国家権力は、国民に由来する」(20条2項) という文言は、諸外国の憲法にも受け入れられ、名声を誇る。だが、クラインによれば、この間54回にも及ぶ基本法改正(政府高官でさえ、52回とカウント違いをしている!という)が行われ、基本法の印象深い作品には著しい損害がおよんでいる。例えば、基本権の章においても、厄介な条文・規定の怪物がみられる。規範テクストの煩雑さ(Umständlickkeit)と理解しづらさ(mangelnde Eingängigkeit)は否定しがたい。憲法が、その時々の政治目的追求のための道具となるならば、根本秩序としてのその性格を喪失する。憲法は瞬間に縛られた政治行動主義の演習場になってしまう。なお、2006年夏に基本法改正で導入された規定が、すでに改正の対象になっているという(H. H. Klein, Ein erbärmliches Zeugnis, in: FAZ vom 11. 5) 。

基本法の頻繁な改正については、これまでも批判がある。特に1968年改正による電話盗聴(10条2項)や、1998年改正で、13条の住居の不可侵条項に、組織犯罪対策との関連で室内盗聴(盗聴器の設置)が認められたことについては批判がある。また、動物保護のための基本法改正。この改正はその後実現するが、私はあまり評価しない。

また、基本法1 条の、基本法の「魂」ともいうべき「人間の尊厳」の相対化も進んでいる。「許される拷問」があるという考え方は、憲法学者の間にもある。

その上で、さらなる改正の主張も出ている。例えば、 B・ツィプリース連邦法務大臣は、「60周年」を前に、別の基本法改正の提言をしている。彼女は、同性婚を基本法上保護することを考えている。同性婚と異性婚との間の平等な取り扱いの必要性を説き、その方向で基本法が補完されるべきだとする。同時に、法相は、基本法上、ドイツ人と外国人との間の区別をなくし、万人のための地方参政権の創出のための基本法改正も主張している(Die Welt vom 23. 5)。ただ、保守のCDU/CSU がこれに賛成する見込みはほとんどないようである。

ちなみに、30年前の1979年11月、大学院生だった私は、ギーセン大学の進歩的憲法学者H・リッダー 教授を訪問した。教授は大学の研究室を案内してくれた。二階建ての研究室(Hein-Heckrotstr. 5にあった) の2階フロアには、部屋がいくつもあって、手前の部屋に、「民主主義と法」(Demokratie und Recht)誌の編集部が置かれていた。そこにいたのが、当時、リッダー教授の秘書だったツィプリース現法相である。彼女を紹介された記憶がある。次の部屋が助手室だった。そこで法学部助手をしていたのが、若き日のF-W・シュタインマイアー現外相である。現在のドイツ政府の中枢には、リッダー学派が二人もいる。シュタインマイアーは、9月の総選挙における社会民主党(SPD) の首相候補である。私のドイツ訪問・滞在は「9」の年が多い。ドイツ憲法史における「9」の年の意味は、次回語ることにしよう。

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