スポーツ


2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで

2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」

2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点

2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語

2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性

2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」

2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2020/11/23:公文書改ざん事件と「赤木ファイル」――衆議院「予備的調査」

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様

2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年

2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)

2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書

2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙

2013/11/04:皇后と山本太郎議員の憲法感覚

2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」

2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」

2013/5/13:「憲法デマゴーグ」の96条改正論

2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?

2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点

2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日

2008/10/20:「はなむけ」と「おもいやり」の関係

2008/9/22:わが歴史グッズの話(27)幻の第12回オリンピック東京大会

2008/8/18:ベルリンと北京の間

2006/6/12:WBC「イチロー」にみる指導者の条件

2006/5/29:W杯ドイツ大会と連邦軍

2006/3/6:1通のメールと1個のメダル

2005/6/27:「愛○心」について

2004/10/4:あのエアバスを撃墜せよ!

2004/9/27:「たかが選手」の投げたボール

2002/3/4:たかが一人、されど一人

2000/11/5:「憲法愛国主義」について

1998/6/29:フーリガンと「戦う民主制」

1998/4/20:もう一つの第9条――オリンピック憲章

1998/2/11:緊急直言・7年目の湾岸戦争に反対する

1997/1/18:改憲の先頭に立つ「巨人」新聞社

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