ドイツ軍少佐からの白バラ —— 軍人の抗命権・抗命義務 2009年8月17日

年の「8.15」関連のテレビ番組のなかで秀逸だったのは、NHKスペシャル「海軍400時間の証言」全3回だろう。右田千代ディレクターらのチームワークの成果である。番組は、開戦に至る過程、特攻作戦の決定過程、さらには東京裁判での極秘工作に至るまで、海軍のトップエリート、軍令部の佐官クラスの肉声(テープ)を使って明らかにしていく。とりわけ軍令部メンバーと前線にいた指揮官・参謀とのやりとりは圧巻だった。上原良司のような将来ある若者を死に追い込やった「軍上層部」の一端が、具体的な顔とともに見えてきた。佐官クラスの頭のいい「小僧」が机上の作戦を展開し、その権限を超えて政治を動かす。怒りというよりも、「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯」と自らいってしまう、妙に突き抜けた「達観」が怖かった。他方、間違いであると確信しても、それに批判も反対もしないで黙認する。これを「やましき沈黙」といった将校がいた。無謀な特攻はこうして生まれた

暴力を独占的に管理する超エリートたち。海軍軍令部は、陸軍側の東條英機に戦争責任を押しつけ、海軍から絞首刑の戦犯を出さないように、周到な工作もやっていた。開戦時の嶋田繁太郎海軍大臣を終身禁錮刑にとどめるための「言い訳」を工夫し、証人に手をまわす。「講和条約までの辛抱だ。そうすれば釈放される」。そこまで予測して、こまめに動いていたわけである。どこまでも頭のいい人たちだが、そこには「海軍あって国家なし」という、組織保全が第一義だった超エリートたちの素顔が見えてくる。310万の犠牲の上に、実のところ、「海軍あって、国家すらなし、もちろん国民など全くなし」だったのではないか(その意味で海上自衛隊「あたご」事件も忘れてはならない)。毎回、番組の結びを取材デスクがやるのだが、現代の組織社会に生きる「私」の立場から、常に「いま」の問題として主体的に向き合う言葉で終わるのが印象に残った。

現代も同じである。郵政民営化を軸とした「構造改革」の荒野にしても、最近では、改正臓器移植法A案の一発成立にしても、流れに飲み込まれていく「やましい沈黙」の連鎖が続いている。小泉首相は「どこが非戦闘地域でどこが戦闘地域かと今この私に聞かれたって、わかるわけないじゃないですか」という荒っぽい答弁をして、自衛隊をイラクに派遣した。ここまで居直り。あきれて声も出ないのか、「やましい沈黙」は続いた。部内からこれを批判する声は出なかった。

だが、ドイツでは、イラク戦争を国際法違反として、それへの協力を公然と拒否する職業軍人があらわれた。階級は陸軍少佐。自衛隊でいえば三等陸佐、幹部自衛官である。

フローリアン・プファフ氏。52歳。戦闘職種ではなく、後方支援部門が長い。戦場での情報管理をより効果的にするためのソフトウェアの開発に従事していた。これが完成すれば、ドイツ軍のみならず、米軍も利用する。2003年4月、自分が違法と考える米軍のイラク戦争を支援することはできないとして、ソフト開発に携わることを拒否した。

最初、プファフ氏は連邦軍中央病院精神科での検査を受けさせられる。「国際法違反のイラク戦争への協力を拒否する」ことが精神病院行きとは、何ともおそれいった。1週間の検査の結果、彼は健康であるとされた。そこで、彼の件は、命令違反として、部隊服務裁判所で審理された。2004年2月、同裁判所は、イラク戦争との関係については触れずに、プファフ氏の命令違反を形式的に認定して、少佐から大尉に降格する判決を下した。パファフ氏は、軍人法は、違法な命令に従わないことを求めているとして、連邦行政裁判所に控訴した。

2005年6月、連邦行政裁判所は、「国連憲章および国際法の禁止する武力行使に鑑み、イラクに対する戦争には重大な法的疑義がある」として、良心の自由に基づく命令拒否を認め、1審判決を取り消した。プファフ氏は少佐の地位を確保した。この判決に同時に、検察官は、彼の命令拒否と不服従の罪での捜査手続を中止した。

4月18日(土)、そのプファフ少佐が来日して、渋谷の法学館で講演した。プファフ講演は、市川ひろみさん(今治明徳短大教授)の努力で実現したものである。ドイツでプファフ氏と会い、自著で紹介したという関係から、今回の企画につながった。通訳も彼女が行った。その著『兵役拒否の思想―市民的不服従の理念と展開』(明石書房)でプファフ氏のことに触れているので、参照されたい。

ちなみに、市川さんとは18年前、在外研究中の旧東ベルリンで偶然知り合った。旧東ドイツ「建設部隊兵士」(Bausoldaten) についてのエッセーは、12年前から私のホームページに収録している

以下、2009年4月18日、法学館憲法研究所主催の講演会「軍人の抗命権・抗命義務 —— イラク戦争への加担を拒否したドイツ連邦軍少佐に聞く」の冒頭における概説的講演の抄録を転載する。プファフ氏の講演を聴く上での必要な知識を提供するという性格の講演であり、概略的なものにとどまっていることをお断りしておきたい。文責は法学館憲法研究所である。また、プファフ氏の講演の概略は、市川さんがまとめているので参照されたい(後掲『法学館憲法研究所報』創刊号42~52頁)。

プファフ少佐は講演の最後に、ドイツから持参した白いバラを私に手渡してくれた。「打倒ヒトラー」を市民に訴え、ギロチンの露と消えたミュンヘン大学生ゾフィー・ショルら非暴力の反ナチ抵抗運動「白バラ」グループ。以来、白いバラは「良心的な抵抗の証」を意味する。プファフ氏の気持ちがありがたかった。

なお、講演当日および活字にしたものではPfaff少佐の発音を「パフ」と表示しているが、今回の直言では「プファフ」に改めた。例えば、マインツを州都とするRheinland-Pfalz州は、「ラインラント・パルツ州」ではなく、「ラインラント・プファルツ州」と表示するのが一般的だからである。その他、最小限の字句の修正を加えた。


軍人の抗命権・抗命義務


こんにちは、水島です。今日の講演会は、大変重要なものになると思います。この後、ドイツ連邦軍の陸軍少佐フローリアン・プファフさんがお話しします。日本の場合、自衛隊の内部からの声というのはほとんど聴こえてきませんが、今回話をされるのは、陸軍少佐、現役の将校です。日本とはかなり事情が違います。これは、ある程度風通しがよいというドイツの軍隊の特徴のひとつですが、一方で大変厳しい現実もあります。それらを学ぶことは、私たちがこれからの日本の平和を考える上で、大変重要な意味を持つと私は考えております。

まず、最初に紹介することがあります。プファフさんは、1999年、ユーゴスラビアへのNATOの空爆にドイツ連邦軍が加わったことについても、国際法および憲法に違反するものという立場をとっておられます。ユーゴ空爆の際には、「他に手段がなかった」「人道のための爆弾」あるいは「人権のための空爆だ」などの理屈をつけて、シュレーダー首相(当時)やフィッシャー外務大臣(当時)らは人権のための戦争を語ったわけですが、それも全く嘘だった。これはコソボ紛争における嘘です。今日のお話には「嘘」というキーワードが後ほど何度も出てくると思います。私たちはこんにち、このような「嘘」をたくさん目にしています。大量破壊兵器があることを理由としたイラク戦争。大量破壊兵器は一体どこにあったのでしょうか。

また、今回の海賊問題でも内閣が提出した法案には「嘘」が含まれています。海賊、海賊と騒いでいますが、一体ソマリア沖で何が起こっていたか。それについて、誰も正確な情報を持たないまま軍艦を送り、“海賊”を叩こうとしています。しかし、あの海賊と言われている人々は、実はソマリアの漁船員、漁民であり、また国境警備隊員でもあった。つまりあれだけ国家が崩壊したソマリアに、EUやアメリカや日本の船が行って乱獲をし、核廃棄物を領海内に捨てた。それに対し、彼らは一種の損害賠償金の取立てを海賊行為でやっているわけです。もちろん、海賊行為は確かに誤りですし、取り締まらなければなりませんが、軍艦で叩き潰すというのはどうなのか、という議論があり得る。にもかかわらず、残念ながら日本も海上自衛隊の護衛艦やP3C哨戒機まで使ってそれをやろうとしているわけです。

さて、今日のプファフさんのお話の画期的な点は、「ドイツにおいて軍人が内側から告発をした」ということであります。そのことの意味を、より深くご理解いただくために、まず、ドイツの憲法と軍事的システムについて基本的な事柄をご説明したいと思います。

ドイツの憲法と日本の憲法はかなり違います。今から60年前、1949年5月23日、ドイツ連邦共和国基本法(憲法)が制定されました。その後54(ないし52)回改正されています。直近の改正は2006年です。1956年の第7回の改正で徴兵義務、軍人の基本権、連邦議会防衛委員会、防衛オンブズマンに関する条項が、基本法に盛り込まれました。ドイツの場合、再軍備は憲法を改正して行いました。そして、1968年の第17回改正で包括的な緊急事態法制も導入しました。

つまりドイツでは、軍事的な、あるいは非常事態の仕組みは、憲法の改正を通じて行われてきたわけです。基本法改正は両院の3分の2の多数で可決ですから、野党の賛成を得なくてはならない。そこですり合わせが行われる。とりわけ1956年改正では、新たな軍の創設、再軍備をするわけですから、当時の首相アデナウアーは、ポーランドとフランスに配慮して、たくさんのイクスキューズを考えた。つまりまたナチスが復活するのかという声に対して、「ドイツ連邦軍(Bundeswehr)は、『制服を着た市民』(Staatsbürger in Uniform)であって、ナチス時代のような無批判で、盲目的な軍人ではない」ということを説明するための仕組みをたくさん入れました。

このような経緯で生まれたドイツの軍事システムで重要なポイントは4つあります。

第一に、この「制服を着た市民」というコンセプトの下、基本法に軍人の基本権という条文を入れたことです。基本法第17条です。つまり軍人も基本権の担い手だということが明記されましたから、いろいろ制約はあるにせよ、基本的にそれを根拠にたたかえる。

ドイツの軍人は、Mitdenkende Soldaten、盲目的服従ではなく批判的な「共同思考的」軍人であることが理想とされ、これも「制服を着た市民」というコンセプトの具体化と理解されました。連邦軍連盟(BundeswehrVerband)もそのあらわれです。そこには軍人が階級抜きで集い、団体交渉もやればデモもやる。国防大臣に対して直接、軍人が屋内でデモンストレーションをしたのを、私は1999年、ベルリンで直接取材したことがあります〔水島「なぜドイツで軍人デモは行われたのか ―― 軍事の政治的自由と軍事法」『法学セミナー』2000年1月号〕。一種の労働組合的な側面も持っていまして、基本的には労働組合ではないのですが、勤務条件その他について交渉できる。

さらに、作業グループ「ダルムシュタット・シグナル」(Arbeitskreis “Darmstädter Signal”)という、プファフさんが参加している批判的軍人の団体があります。200人あまりで、人数はさほど多くはありませんが、戦争に反対し、将校が会長を務める活動家集団が軍隊の中にあって、それが禁止されていない。これがポイントの第一です。

第二に、日本とは異なり、議会の力が大変強いことです。連邦議会の防衛委員会が、防衛政策全般に対してチェック機能を持ち、厳格な議会統制が行われる。日本のように、議会を無視して政府が勝手に事後承諾でやるということがないわけです。

第三に、議会の任命する防衛オンブズマン(防衛監察委員)の存在です。ドイツ軍人や家族の訴えをこのオンブズマンが調査して、毎年一回、連邦議会に報告書を出します。軍隊内部のいじめ事件や自殺事件、あるいはさまざまな待遇の不満、これを議会に直接報告する中立の機関が、日本にもあれば、もみ消されるようなことがないはずです。これは憲法9条により自衛隊は違憲だという立場をとる憲法学者でも、二次的抗弁として、法律に基づいて自衛隊内部に風通しを良くする議会オンブズマンをつくれという提案は可能だということを強調したい。

第四に、ドイツの場合、「命令は命令だ」、「法律は法律だ」という考え方を採らないということです。違法な命令でも命令には従わなくてはいけないという考え方が、ナチスの時代、親衛隊のみならずドイツ国防軍によるユダヤ人虐殺を招いたという反省がある。「悪法も法である」という考えは、こと軍人の命令に関して否定されたわけです。

そしてドイツの軍人法(Soldatengesetz)第11条には、違法な命令には従ってはならない、人間の尊厳を侵害するような命令に従わなくても、不服従は成立しないという趣旨の規定があります。たとえば上官が「子どもを殺せ」と命令したとき、「これはしてはならない、違法だ」と言ってその命令に逆らっても処分されないという規定が法律にあります。抗命をしてもよろしいということが法律に書いてある。

プファフさんは、違憲のイラク戦争、国際法違反のイラク戦争に参加しないことが、自己の良心に忠実であると同時に、このドイツ連邦軍を作ったときの理念、それにも適合的だという信念をお持ちです。彼自身の政治信条は、CDU(キリスト教民主同盟)を支持するいわゆる保守派ですが、違法な戦争に加担しないという彼の信念は、ドイツ連邦軍設立の理念なのです。ドイツではナチスへの反省から、再軍備の際には、ここまで述べたような一連の「安全装置」を、憲法や法律で組み込んでいって軍隊をつくった。しかし現実にはこれを換骨奪胎する動きがドイツにもあります。

実際に時の政権は、これを換骨奪胎してきました。シュレーダー政権のときドイツ軍はユーゴ空爆に加わり、さらに、イラク戦争へも実質的参加。表では反対しておきながら、裏では実質的にアメリカ軍に協力するという嘘を積み重ねてきたわけです。

そこで次に、ドイツ軍の海外派遣の歴史をざっとお話しようと思います。ドイツの場合、ポーランドとフランスという国を常に意識して、その批判を自覚していたからこそ、先ほど述べたように軍人の基本権を保障し、軍事オンブズマンを作り、議会の統制を強化して再軍備を果たしました。しかしながら同時に、やはりドイツの軍隊も国家の装置として、政治の道具として使われます。そして、冷戦まではまだ良かった。冷戦のときは海の向こうではなく、国境の向こうの東ドイツからT72などの戦車が押し寄せてくるというのが、ドイツにとっての戦争でした。ですからドイツの軍隊の構成は陸軍を要として、ソビエト軍と向き合う態勢になっていました。

それが1979年12月、流れは変わります。アメリカがパーシングミサイルと巡航ミサイルをドイツなどに配備しようとした。ソビエトのSS20という中距離核兵器に対抗して反撃するミサイルです。そのとき、東西ドイツを越えて反核運動が盛り上がりました。当時陸軍少将だったゲルト・バスティアンも核配備に反対して、首相に辞表を叩きつけて平和運動に入っている。軍人としてのその姿勢は、プファフさん同様、まさに凛としたものがありました。核ミサイル配備に軍人も抵抗し、最終的にソビエトの方でゴルバチョフが登場した。最終的にソビエトの方でゴルバチョフが登場した。ゴルバチョフとレーガンが署名して、中距離核戦力全廃条約が誕生した。反核運動の世界的な広がり、市民の闘いが中距離核全廃の方向を決定したのです。

冷戦体制崩壊後、各国の軍隊は生き残りを賭けて海外に敵を求めた。つまり戦争のネタを海外に求めて、地域紛争や宗教紛争、民族紛争にヨーロッパの軍隊が介入し、いわば食い扶持をつなごうとする。そういう中で、海外派遣が始まった

最初ドイツは、カンボジアへ衛生部隊、ソマリアへ輸送部隊を出す。このあたりは日本とよく似ていて、当初は、非軍事的な形でしか出せないと言っていた。ボスニア紛争の際も、最初はコール政権ですら、ドイツ軍の海外派遣に慎重でした。そこでまず、アドリア海に駆逐艦を出した。それからAWACS早期警戒管制機をボスニア上空に飛ばしました。これすら憲法違反だという訴訟が、連邦憲法裁判所に出されています。1994年7月20日、連邦憲法裁判所は、これに限定的合憲判決を出しました。海外に軍隊を出すときには、連邦議会の過半数の同意を必要とする。そういう条件付きで海外派遣への道が開かれました。しかし、戦闘出動には限界がありました。ドイツの軍隊は戦闘出動できない、これも日本と似ていて、ずっと後方支援が中心になった。

ところが、1999年3月24日、コソボ紛争の際に、ドイツ連邦軍はトルネードという戦闘機を出して、遂に戦闘出動をやってしまいました。そこから一気にタガが外れていきます。そして、アフガン戦争でも戦闘部隊を出し、現在いわゆる特殊部隊(KSK)をアフガニスタンに送って、実際に人を殺しています。今日本でも、陸上自衛隊が中央即応集団を編成して、その実動部隊の中央即応連隊を宇都宮に置いている。これをいよいよ使うことになります。まずは海賊退治から。そして、武器使用を正当防衛以外の任務遂行射撃でもできるように拡大する。

ドイツでも事情は同じです。そういう反復継続する海外派遣の連鎖の中で、最終的には地上軍を派遣してしまいました。そして遂にアフガニスタンには特殊部隊を送り、海賊問題でも、結局軍艦を送っているわけです。一般的にはシュレーダーはイラク戦争にフランスと共に反対したというイメージがありますが、実際そうではなかった、嘘があったということが、後ほどこのイラク戦争に断固反対したプファフさんのお話の中で暴露されると思います。だから私たちは嘘とたたかわなくてはならない。戦争の前には必ず嘘があって、真っ先に死ぬのは真実であるとよく言われますが、今日会場におられるジャーナリストの人にも、海賊問題も含めて、やはり目の前の報道に追われることなく、プファフさんのような方のお話を聴いて、批判的に検証をする視点を持っていただきたい。このことを、強調したいと思います。

最後に、“平和のための軍人”(Soldaten für Frieden)についてお話しします。「平和のための軍人」。こう言うと、日本人にとっては非常に違和感があります。軍隊は人殺し、軍隊は殺人者、というイメージが強い。しかし、ドイツでは軍隊の中に、プファフさんのような人がいる。軍隊に限らず、警察官の中にも裁判官の中にも、あるいはマルサの中にもいろいろな人がいるわけでして、その中で悩みながら職務を執行している。その職務が、犯罪行為や、人間の尊厳を侵す行為、あるいは国家による嘘と一体化した国民を騙す行為に関わるときには、まさに自己の良心に基づいて告発をしたり、抵抗したり、する。良心的兵役拒否は、ドイツでは基本法に書き込まれている、文字通りの憲法上の権利であります。

これまで、日本の憲法にはそういう規定がないと言われてきました。しかし、今年2月24日岡山地方裁判所で出されたイラク派遣の判決の中で、裁判官は、平和的生存権は当然のように保障される、そこには、徴兵拒絶権、軍事労働拒絶権も含まれる、と判示した。平和的生存権は、このような内容を持っています。

思えば35年半前、長沼事件で札幌地裁の福島重雄裁判長は、判決の中で平和的生存権を明示しました。その福島裁判長は長らく沈黙を守ってきた。そして35年目にして語られた証言を、この間私は本にしました(福島重雄・大出良知・水島朝穂共編著『長沼事件 平賀書簡』〔日本評論社、2009年〕)。35年目の証言というのは重い。しかし、日本ではこういう判決を出した裁判官は長期の沈黙を強いられた。そのような苦労の中で出された平和的生存権があるからこそ、私たちも今この権利を使って戦争協力を拒否できるわけです。ただ、“開かれた裁判所”という観点からすると、日本の裁判官 ―― 裁判官のみならず警察官や自衛隊員 ―― は閉じられた世界にあって、市民という顔を見せることが少ない。

一方ドイツでは、プファフさんの存在が明らかにするとおり、現職の陸軍少佐が日本まで来て、ドイツ政府の批判をする、ドイツ連邦軍は憲法違反の戦争に参加したと告発をする。これをドイツの軍隊はまだ許しているし、大尉に降格されたのを、連邦行政裁判所でこの処分を取り消したという画期的な司法の働きもあるわけです。私はここにも、ドイツにおいて、多様な、批判的思考というものが息づいていると思います。そういうことを許容する社会、そういう市民社会が羨ましいと思うし、それを我々は日本に作っていかなければならない。

日本で自衛隊に反対するというと、すぐ左翼だとか過激派だとかいう話になりますが、プファフさん自身は正真正銘の保守派です。その人が何故こういうことをするのかを目の当たりにすることで、真の市民社会の在り方が、見えてくると思います。その意味で是非今日のお話を通じて、ドイツとドイツの軍隊の在り方とを学び、同時に、最終的に日本国憲法が発するメッセージ ―― 平和の仕組み、平和の守り方と創り方 ―― 、それを学んでいただきたいということを最後に申し上げて終わりたいと思います。

《付記》『法学館憲法研究所報』創刊号(法学館憲法研究所発行、2009年7月)34~41頁所収(文責・法学館)。
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