2011年の年頭にあたって 2011年1月3日

年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

8年前に年賀状の「廃止」を宣言した 。私が出すことをやめただけで、教え子、友人、知人、あるいは講演で知り合った方々からの年賀状は、ありがたく拝見している。「結婚しました」「子どもができました」「私の地域もがんばっています」など、「年賀状報告」は実は楽しみにしている。返事を出さない失礼を、この場を借りてお詫びしておきたいと思う。

昨年は、私にとって試練の年だった。10月に突然の発作に襲われ、授業も重要会議もすべてキャンセルして静養した。いまの職場にきてから、この4月でちょうど15年。ほとんど休まずに走り続けてきた。2005年に過労で倒れたときは、 2006年の年頭挨拶で復活宣言をしたが 、今回は慎重を要するので、少しゆっくり目の復活宣言をしておきたい。58歳になる今年は、仕事のテンポを落として、定年までの12年間を過ごしたいと思う。それから先のことは、12年後の新年第1 回の「直言」で書くことにしよう。

 さて、 2009年の新年挨拶は「復興の年」について語った 。「小泉改革の荒野」からこの国をいかにして再建させるか。その課題に応えるかのような「政権公約」(マニフェスト)を掲げた政党が総選挙で圧勝し、その年の9月に政権交代が起きた。だが、そこから政治の迷走が始まった。これを「民主主義の学習」というには、あまりにも失うものが大きかった。沖縄問題は最たるものである。

 2010年(「安保50周年」)の新年挨拶では、普天間飛行場問題が山場を迎えていたこともあって、世界トップクラスの「経済大国」が、米国に対する屈従的な関係をかくも長期にわたって続けている、この不自然で異様な状況を何とか転換して、 日本の外交や安全保障をまともな形にリセットできるかがカギであると書いた 。だが、昨年6月8日、「最低でも県外」といっていた鳩山由紀夫首相が、在任266日間(職務執行内閣の時期を含む)で政権を放り出した。「次の衆院選には出馬しない」と語ったのも束の間、国会議員をやめることもやめてしまった。

鳩山内閣に続いて誕生した菅内閣については、年頭にあれこれ書くのも虚しい気がするほどである。内閣は迷走、閣僚の軽口は暴走、何より「マニフェスト」からの遁走は目を覆うばかりである。「政権公約」は「政権口約」となり、ついには「政権膏薬」(内股膏薬)と化したのか。「理屈と膏薬はどこへでも付く」とはよく言ったもので、その時々の「世論」に迎合するだけ。政策的一貫性など微塵もない。

 菅直人首相は、「(首相就任から半年間の)仮免許を経て、これからが本番だ」と語った(『毎日新聞』2010年12月13日付)。日本国という超大型特殊車両の運転を、普通免許の仮免の感覚でやっていたとは仰天である。半年間、アクセルとブレーキを同時に踏み込み、ハンドブレーキまでかけ、急ハンドルをきる運転を続けてきたわけで、無駄なガソリン(税金)が大量に使われた。何がエコか。エコノミーでもエコロジーでもない。政権維持のための政権エゴでしかない。さんざん期待させ、盛り上げておいて裏切るのが最も罪深い。

  この点で言うと、メディアはあまり注目しなかったが、昨年12月17日と21日の首相・外相の沖縄訪問は、この内閣のでたらめぶりの極致と言えるだろう。17日、菅首相は沖縄で仲井真知事と会談した。首相は、「辺野古がベストではないが、ベターだ」と語って、知事に「県内はすべてバッド(悪い)」と切り返された。何ともお粗末だった。その4日後に前原外相が沖縄入りして知事と会談したが、辺野古移設を盛り込んだ「日米合意」への理解を求めただけ。一体、首相は外相の沖縄入りをどう考えていたのだろうか。首相の後に外相が行って、同じことを頼むというのは、どうみても不自然である。首相は「露払い」だったのか。『琉球新報』の2010年12月22日付社説タイトルは、「何のかんばせあって沖縄に」である。「どの面さげて…」という意味に近いだろう。

  「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」という「政権公約」(マニフェスト)を反故にして、一方的に「沖縄の理解」を求める。米軍再編交付金についても、理解を示す余地のあるなしで、沖縄県と名護市で差別化をはかる。政権与党の幹部からさえ、「そこまでやるか」という声があがったという(各紙12月23日付)。人が絶対にのめないと断っていることに「ご理解」を求める手法の愚かしさについては、この「直言」でも 詳しく論じた通りである

 2010年は、この政権のもと、周辺諸国すべてと紛争をこじらせた「全周トラブル」の年だった。 米国との沖縄(基地)問題 は、各種の「密約」も続々と発覚して、 積年の不自然な関係が浮き彫りとなった 中国 ・台湾との 尖閣諸島問題 、韓国との竹島問題や 北朝鮮との拉致問題 。ロシアとの関係では、北方領土問題をここまでこじらせた政権の責任は重大である。

1年前の年頭「直言」でこう書いた 。「まずは、米国の『基地政治』(Bace Politics) から離脱する必要がある。『日米同盟』のアナクロニズムから脱却して、東アジア地域における集団安全保障の枠組づくりに重点を置く。2010年は、漢字一字であらわせば『変』の年から、『新』の年への移行。何よりも『新思考』が求められている」と。まだ鳩山首相の言葉に淡雪のような「希望」が持てた時期に書いたものだが、菅内閣ではむしろ逆流(これが本流だった?)が一気に進み、自民党政権下でもできなかった 「基盤的防衛力構想」からの決別 も現実のものになりつつある。

 菅内閣は一刻も早く退陣すべきである。今年4 月の統一地方選挙を「菅の看板」で戦うのなら、与党の大敗北は必至である。昨年12月の茨城県議選は、その「初期微動」と言えよう。菅首相が存在する時間だけ、日本の政治の傷は深くなる。ここは「一刻も早く」と言っておこう。もともと期待していない自民党政権の方がはるかにましだったかもしれないと思う人々が増えていること自体、現実の自民党の惨状に鑑み、政治の危機の深さを思う。

 ここまで書いてきて、これでは2011年の年頭「直言」は、管内閣の短命を予告するだけの「無味感想」に終わりそうなので、最後に個人的な抱負を語っておこう。

 昨年は健康が万全でないことを思い知ったので、今年はスローペースで仕事をしていくことにしたい。ただ、「直言」だけは、あと51回分、毎週欠かさず更新していくつもりである。2011年12月末に800回に近づく。1000回をめざしてがんばりたいと思う。

たくさんの単行本が締め切りを過ぎて停滞しているので、今年中には単著と単編著を数冊出版したいと思う。ご迷惑をおかけしている編集者の皆さま方への、これは年頭の決意表明である。

昨年は大講義の途中で初めて息切れを起こし、椅子に座って話すという、私にしては醜態を演じた。大講義3コマで1000人を超える学生に講義し、答案を短期間で採点する。ゼミ3コマと大学院、法科大学院の複数授業も含め、今年は限られた体力でどのようにやっていくかが課題である。近年、 大学の繁忙状態は著しく やるべきことをやっていくしかない

 これまで、45都道府県で講演をしたが、昨年10月に岩手県で講演をしたため、残すところ一つになっていた香川県からも依頼がきて、現在調整中である。今年早々に全国47都道府県すべてで講演をすることになりそうだ。今後も、できるだけ地方講演は受けたいと思う。 東京にいてはわからない各地の感覚を知るためにも 。なお、今年の憲法記念日(5月3日)は、福岡県大牟田市で講演する。

まったく個人的には、 昨年の年頭「直言」 で書いた通り、4月に「おじいちゃん」になった。無限のパワーを秘めた小さな宝石に元気をもらいながら、今年1年、がんばりたいと思う。

最後に、読者の皆さんのご多幸をお祈りします。  本年も「直言」をどうぞよろしくお願い致します。

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