政治家の言葉――首相と大統領の辞任 2010年6月7日

6 月2日、鳩山由紀夫首相が突然辞意を表明した。 小沢一郎幹事長との「W辞任」と言われたが、それは民主党代表が幹事長とともに辞任するということである。首相が幹事長と一緒に辞めるのではない。 あくまでも民主党内部の事柄である。内閣総理大臣としての辞意の表明は、引き続き首相官邸で、「第一党の代表を辞任した結果、内閣総理大臣としての職を辞する」という記者会見を別途行うべきだった。 だが、鳩山首相はそれを拒否し、「ぶら下がり」と呼ばれる定例会見で、ごく短時間、辞任について語った。思えば政権交代前、1年しかもたなかった自民党3首相がいる。特に福田首相の辞任表明はひどかった。辞任理由は、端的に言えば、“自分では総選挙に勝てないから、勝てる総裁で選挙を”というもの。 自民党総裁としてならともかく、一国の首相の辞任会見として見れば、無責任の極みだった 。 記者に向かって発した「あなたとは違うんです!」という「キレた」言葉とともに記憶に新しい。 これでは、「総理総裁」 という特殊日本的惰性が、 政権交代後も続いているとしか思えない 。「首相としての辞め方」の場面における無責任性についても、メディアはもっと敏感であるべきだろう。

 その無責任な辞め方をした鳩山首相は、「国民が聞く耳を持たなくなった」という言葉を繰り返し使った。この言葉を聞いたとき、圧倒的な違和感が残った。 『フランクフルター・アルゲマイネ紙』がこれを翻訳したものを見ると、“ Die Öffentlichkeit hat die Arbeit der Regierung nicht verstanden,wir haben ihr Gehör verloren.”となっている(FAZ vom 2.6.2010)。「我々は国民(世間)のことを聞く耳を失った」と、 「我々」(wir) という言葉を補って独訳している。どう考えても、「国民が政府の言うことを聞こうともしなくなった」と訳したら、首相が国民を非難したようにとれる。ドイツの読者は、日本の首相は何と傲慢なのだろう、と誤解したに違いない。鳩山首相が、「政府の言うことを国民に聞いてもらえなくなった」という意味でこの言葉を使ったことは、前後の脈絡から理解できる。だが、「国民が聞く耳を持たなくなった」と言ってしまった以上、そう誤解されても仕方がないだろう。 『毎日新聞』6月3日付第1社会面は「国民が聞く耳持たなくなった」という縦8段見出しで、これを批判している。

政治家の言葉の「軽さ」が言われて久しい。 漢字の読み方だけでなく 、 「聞く耳を持たない」というような表現も怪しくなってきた。鳩山首相の場合は宇宙人だから、もともと言葉にG (重力)がかかっていない、と考えれば納得もいく(これは冗談)。 なお、鳩山内閣の「功罪」について、「直言」でいろいろ書いてきた(8カ月での15本)。 「普天間」問題も、「辺野古回帰」という「最低」の結果で終わった 。先週、菅内閣が発足したが、政治家の言葉という点で、その「軽さ」がメディアで頻繁に取り上げられることのないことを望みたい。

さて、先週(5月31日)、その発した言葉のために大統領が辞任した。 ドイツのホルスト・ケーラー連邦大統領である。財務官僚出身で、国際通貨基金(IMF)の専務理事などを務め、2004年5月に連邦大統領に選出された。 昨年再選されたばかりで 、任期を4年も残していた。任期途中での大統領辞任は、1969年、ナチ時代の過去を問われて辞めたハインリヒ・リュプケ第2代大統領以来、40年ぶりである。

戦後「ボン基本法」のもとにおける連邦大統領は、ヴァイマル憲法下で強力な権限をもつライヒ大統領とは異なり、儀礼的な存在となっている。 私のドイツ滞在中、たまたま連邦大統領選挙が行われた 。「連邦会議」において、党議拘束をかけずに選ぶのだが、どことなく儀式的な感じがしたのを覚えている。

連邦大統領の場合、その儀礼的存在のゆえに、その発する言葉は格段に重く扱われる。 戦後40年の時点で、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領(当時)の演説はあまりにも有名である 。ケーラー大統領は、「テロリスト」にハイジャックされた航空機を撃墜する権限を与える 「航空安全法」 について疑義を呈し、その施行にあたり、認証署名をすぐに行わず注目された。 このことについて「直言」では、 「大統領の抵抗」として詳しく書いた 。なお、 航空安全法は、後に連邦憲法裁判所によって違憲と判断された 。また、 2005年連邦議会の解散にあたっても、ケーラー大統領の言動が注目された

 そのケーラー大統領は、今年5月21日、アフガニスタン北部に駐屯するドイツ軍部隊を突然訪問した。翌日、同行したラジオ局のインタビューにこたえて、次のように述べた。

「私の評価では、実際はこうである。我々はそこ〔アフガン〕でドイツの我々の安全のためにも戦っている。そこでは、国連の委任に基づき同盟国との同盟のもとで戦っている。すべて、我々が責任を負っているということだ。ドイツでそれについて、次第に疑問符をつけて議論されるなら、それはまともだと思う。 しかし、私の評価はこうだ。全体として我々は途中だが、社会においてもあまねく次のように理解されるべきだ。我々のような大きな国は、外国貿易指向や外国貿易依存とともに知らねばならないということであり、我々の利益を守るために、例えば、自由な通商路を守るために、例えば、貿易や雇用や収益を通じた我々の機会に悪影響を及ぼし得る地域的不安定要因を防ぐために、非常の場合、軍事力行使も必要だということである。 すべてそれは議論されるべきだし、私は一方でそんなに悪い道ではないと信じている」(Die Welt vom 1.6.2010) 。

国家元首として準備した発言というよりも、電撃訪問を終え、ホッとした気分のなかで発せられた言葉なのであろう。私の訳が下手だからという事情だけでなく、そもそも原文がラフで誤解を招く表現になっている。

  下線部、ドイツ語でカウントすると「76単語」(Die Welt vom 1.6)が問題とされた。 アフガン撤退の世論が高まり、現地での活動も停滞し、ドイツ連邦軍の死者も増大の一途をたどるなか 、昨年は、 ドイツ軍の一大佐の命令でアフガン民間人を大量に殺傷する事件も起きている 。アフガン派遣に対する否定的空気のなかで、大統領は「国連の委任」に基づく活動であることを強調し、また、その活動に疑問が出ていることも当然であり、議論の必要性があると述べたのだが、途中の「76単語」には、経済界出身のケーラー大統領の本音が思わず出てしまった。これを経済団体連合会の会長が言うのなら何も問題にならない。 だが、国家元首であり、中立的立場をとるべき大統領が言ったために、大問題に発展したのである。

ドイツの場合、日本と同様、第二次世界大戦の敗戦国であることから、軍事的「国際貢献」に対して抑制的態度を堅持してきた。しかし、 ボスニア紛争やコソボ紛争 、アフガン紛争への派遣など、連邦軍の「外国出動」(Auslandeinsatz)はここ18年ほどの間で活発化してきた。その背景には、安全保障政策の転換がある。「守るべきもの」は冷戦時代のような国土・領海・領空から、海外における資源や市場、輸送ルートへと重点移行してきた。 これが国益として「安全保障利益」に読み変えられてきた 。「国防」とは、「衛」から「衛」となってきたわけである。表向きは、連邦軍の「外国出動」の目的は国連の委任であり、NATOの「同盟義務」により正当化されてきた。その本音が国益・経済権益保護にあることは誰しも分かっていたが、それを表立って言うことは控えられてきた。 それを大統領がおおらかに語ってしまった。「大統領が、連邦軍の外国出動をドイツの権益保護と結びつけたことは、 高度に産業化された国の生活様式と常に死をもたらす戦時暴力の行使との間の内的連関が存在すると理解されてしまった」(FR.vom2.6.2010)のである。

危険地帯への電撃訪問の緊張感から解放されて、思わず発せられた言葉だったのだが、これが命とりになった。重大な「失言」として扱われ、大統領辞任にまで発展してしまった。このように、大統領や首相のようなきわめて重要な地位にある者にとっては、 どんな場面においても、その言葉に責任を持たなくてはならない。公式記者会見の場であっても、危険地帯から帰還する機内のゆったりとしたファーストクラスで、ワインを片手に談笑する場合であっても、 相手はジャーナリストである。言葉を選ばなくてはならない。前後関係を抜いて、76単語だけが紹介される。日本でも、特定の言葉だけが抜き出され、それが一人歩きしていく。そうやって辞任した政治家がどれほどいるか。  ドイツでは、まもなく新大統領の選出が行われる。その一方で、「我々は連邦大統領を必要とするのか」という制度への根本的疑問も生まれている(die taz vom 2.6.2010)。

この「76単語による辞任」は、ドイツ連邦軍のアフガン撤退の声をさらに強めるだろう。 防衛同盟から「介入同盟」となった北大西洋条約機構(NATO) の存在根拠もまた、ますます問われていくことになろう。まもなく6月23日である。日米安保条約50周年。普天間問題とも絡んで、 今後、「何のための安保なのか」を問いなおしていく機会にすべきである。

付記:写真は、アフガニスタンのドイツ軍部隊を訪問したときのもの。 Hannoversche Zeitung vom 24.5.2010より。

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