「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」
2019年6月24日

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日は、沖縄「慰霊の日」であると同時に、「6.23」の59周年であった。日米安保条約が発効した日。来年のこの日で60年になる。「日米同盟」という言い方がされて久しいが、そもそも「同盟」とは軍事同盟のことである。日本国憲法は、国際協調主義(前文・98条)と、憲法9条の無軍備平和主義とがセットになって、軍事同盟を原理的に否定している、と私は考えている。だから、「日米同盟」は括弧抜きでは使えないものなのだが、1981年5月、鈴木善幸首相とレーガン米大統領との日米共同声明において、初めて「同盟関係」という言葉が使われた。もっとも、鈴木首相は帰国後、「同盟には軍事を含まず」と憲法を意識した発言をして、立場を失った外相が辞任する事態になった(直言「これが「同盟」なのか?(その1)」)。続く中曽根康弘首相の時代に、「日米同盟」路線は一気に進められ、今日に至っている。

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この60年近くの間、日米安保条約によってこの国は、米国の実質的な従属国のような存在であり続けた。主権国家の首都のど真ん中に外国軍事基地があって、膨大な特権と便宜を与え、フリーパスで出入りさせている国は、先進国では他に存在しない。同じ敗戦国の旧西ドイツは、米占領地区で、近隣に米軍基地のあるフランクフルトではなく、英国占領地区にあったボンを首都にすることで、首都に外国軍事基地の存在しない国として出発した。米国に対してものが言えるドイツとの差は、すでにここから始まっていた。米国に対して何も言えず、ひたすらご機嫌をとる屈従的な関係が60年間、「瓦(かわりま)せんべい」である(2018年3月、国会売店)。

私の場合、幼少期から米軍基地が近くにあった。子ども心に基地と安保は常に「異物」であり続けた。日米安保条約の本質について、その50周年の時に、「迎合と忖度と思考停止」と特徴づけたことがある(直言「日米安保改定から半世紀」)。農業や漁業、国民生活に密着した問題に関連して、米国による経済圧力の根拠にもなっている(直言「TPPと日米安保条約第2条」)。安保条約に対する地裁の違憲判決を破棄し、エセ・統治行為論を使って、これを正当化した砂川事件最高裁判決についても、米国の「介入」があったことが知られている(直言「砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」」)。私は一貫して、日米安保の呪縛からの離脱を主張してきた(「「同盟」思考から脱却を―基地提供の前提見直せ」)。ここまでくると、普通の人々も、米国の軍事戦略にこれ以上日本を深入りさせ、米国軍産複合体に国民の税金を投入する安倍政権の行いについて、少しは懸念や危惧をもち始めてきたのではないか。

冒頭右の写真は、先月のトランプ訪日時の「媚態外交」の無様な場面の写真を使いながら、「ゴルフ友だちのためのミッション」として、安倍首相のイラン訪問を伝える記事である(Süddeutsche Zeitung vom 14.6.2019)。そこで安倍は米国のメッセンジャーと見られている。6月13日、安倍首相はイランのロハニ大統領と最高指導者のハメネイ師と会談した。ハメネイ師の態度は最初から硬く、「トランプとメッセージを交換する価値はない。今も今後も返答することはない」と厳しい。叱責に近い言葉が続いた。それでもハメネイ師が安倍首相に会ったのは、長年にわたる日本との友好関係の「貯金」のおかげである。トランプの忠実なメッセンジャーボーイでしかなかった安倍首相と会うことなど、この「貯金」なしには考えられない。トランプと「100%一致」する安倍首相へのイランの厳しい態度は当然だろう。長年にわたる「貯金」を、安倍首相はこの一回の訪問によってかなり減額してしまった。何とも罪深い。

冒頭左側の写真は、6月13日の安倍・ハメネイ会談とほぼ同時刻に、オマーン近郊で日本企業タンカーが攻撃され、炎上する「ミステリアスな爆発」の場面である(Der Spiegel, Nr.25 vom 15.6.2019,S.82f.)。誰が、何のためにやったのかは不明だが、米国はすぐにイラン革命防衛隊説を押し出した。イエメンの親イラン武装組織「フーシ」説、米国説、イスラエル説、イランと敵対するスンニ派の過激派説など諸説あるが(『毎日新聞』6月20日付国際面)、イラン政府がやったとは考えにくい。おそらく、日本企業タンカーへの攻撃は、安倍首相の安易で不用意なイラン訪問がなければなかったことであろう。本来、紛争の仲裁役をすることができるのは、対立する両当事者から信頼され、中立的な立場を維持できる人物でなければならない。つい数週間前にトランプとゴルフに興じたり、大相撲観戦したりする姿を世界に発信した人物が、信用を得られるはずもない。加えて、6月16日、イスラエルは、シリア領内にあるゴラン高原に「トランプ高原」という名称の新たな入植地をつくり、巨大看板を掲げた(『朝日新聞』6月17日付)。少しでもイスラエルと中東の歴史を学んだ者ならば、ゴラン高原にそんな看板をつくることは、背筋が凍る思いがするだろう。トランプと「100%一致」は「安倍晋三の悪夢」である。しかも、こうした「不要不急なイラン訪問」も、「外交やってる感」を参院選挙前にアピールするための国内政治的力学の産物だとしたら、イランや中東との関係における日本の対外的地位は大きく損なわれたと言わざるを得ない。

まもなく60年を迎える日米安保条約は、条文こそ一文字も改訂されていないが、その運用や機能はまったく別物になっている。在日米軍基地の使用条件は「日本国の安全」と「極東における国際の平和及び安全」の維持である(6条)。しかし、アジア・太平洋に拡大され、今日では「グローバル安保」にまで変質している。森英樹・渡辺治・水島朝穂共編『グローバル安保体制が動き出す』(日本評論社、1998年)を出してから20年になるが、2015年の安保関連法の制定により、日本の側からも、このタイトルが本格化してきたと言えるのではないか)。

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正面装備から見ると、このところ、防衛計画の大綱→中期防衛力整備計画→年度防衛関係予算→装備の調達という形ではなく、最初からある装備を買うことが前提となって、その装備を買う理由づけとして防衛計画が作文されていく傾きが強い。安倍晋三は本当に米国軍産複合体にとっては便利な政治家である。米国にたてつく民族派右翼のようなポーズをとりながら(「戦後レジームからの脱却」「押しつけ憲法」「美しい国、日本」)、その実は米国に最も忠実なエージェントとして、日本を安売りしてくれる、超親米派である。

ちょうど12年前の2007年6月、第1次安倍内閣の時に、最新鋭ステルス戦闘機F22Aラプターを最大100機購入するということについて、ブッシュ・安倍会談で話し合われたことがある。1機240億円とされていたから2兆円を超える出費である(直言「二つの“22”とニッポン」)。ところが、米国内の風向きが変わり、F22は米軍にとって、ステルス技術など高度の軍事機密のため、輸出禁止(日本国内での生産禁止)となった。まことに勝手な言いぐさだが、次期主力戦闘機(FX)として、二番手のF35Aを押しつけてきた。仮にFXをまともに決めるなら、英独など欧州諸国の共同開発のユーロファイター タイフーンなども検討対象にあがっていいはずだが、結論先にありきで、F35Aに決まった。米国内では「ポンコツ戦闘機」と呼ばれ、かなりの高額にもかかわらず問題点だらけといわれている代物である(直言「年のはじめに武器の話(その1)―空母、爆撃機、ミサイル」)。

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2017年11月の安倍訪米の際、トランプは、「非常に重要なのは、日本が膨大な兵器を追加で買うことだ。我々は世界最高の兵器をつくっている。完全なステルス機能を持つF35戦闘機も、多様なミサイルもある。米国に雇用、日本に安全をもたらす」と、本音むきだしで述べていた(直言「トランプ・アベ非立憲政権の「国難」―兵器ビジネス突出の果てに」)。今年4月26日までにまとめられた米政府監査院(GAO)報告書によれば、F35は2018年5月~11月、必要な部品の不足により、米国で3割近くが飛行できなかったという。GAOによれば、4300の部品の修理が未処理で、またF35が常に改良が加えられているため、事前に購入していた部品が使えなくなるケースがある。購入済みの部品の44%が海兵隊に配備されたF35に適合しなくなっているという(『朝日新聞』2019年4月28日付)。日本政府は現在取得を進めている42機に加え、計105機を追加する予定である。日米首脳会談の際、トランプが「晋三は飛行機をたくさん買うぞ」とはしゃいでいたことが現実のものとなったわけだが、ここにきて、とんでもないポンコツの可能性があることがわかってきた。

東京新聞の半田滋氏によれば、米国は今年3月、来年度からの5年間でF15EX戦闘機を80機調達することを決定したという。なぜF35でなくF15なのか。ダンフォード統合参謀本部議長は上院軍事委員会で、「機体価格でF15EXは、F35と比べて少し安い程度だが、維持管理費はF35の半分以下、機体寿命はF35の二倍以上である」と説明したそうだ。一方、米会計検査院はF35について、昨年指摘した深刻な欠陥が改善されておらず、今後数年解決しない問題もあると発表した(『東京新聞』6月12日付「私説」より)。トランプがこのようなことが米国内で明々白々になっている欠陥機のF35を日本に売り込むのだから、これは相当な悪徳商人である。105機、1兆2000億円以上の税金を日本国民は使わせていいのか。すでに、F35が欠陥機である疑いが出ている。

4月9日、三沢の第3航空団第302飛行隊のF35Aが青森県沖に墜落した。ベテランパイロットの三佐の命が失われた。機体や遺体の引き上げも早々に切り上げ、墜落の原因は三佐の「空間識失調」(平衡感覚を失った状況)ということで一件落着にされてしまっている。F35に問題があるとなれば、その事故原因の解明は軍事秘密に触れることになる。おそらく曖昧のまま、「死人に口なし」にされるのだろうか。

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この超高額兵器の爆買いには、「対外有償軍事援助」(FMS: Foreign Military Sales)という仕組みが使われている。「援助」というのは誤訳で、「売り込み」(セール)である。しかも、米国から「言い値」で、しかも納期もすべて米国政府まかせ、日本にこれ以上ないほど不利な条件で、高額兵器を買わされる。2015年度からFMS調達は急激に増加して、2019年度は7013億円に達した。「トップダウンの高額兵器には惜しみなく金をつぎ込む。無用かつ無意味な豪華・巨大戦艦を揃える「大艦巨砲主義」の変型版というところか。それが国の財政構造を大きく歪めている。「放漫運営」としか言いようがない。」(直言「国政の「放漫運営」―高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす」参照)。

5月のトランプ訪日の際、安倍首相はトランプを海上自衛隊横須賀基地のいずも型護衛艦「かが」に乗艦させた。飛行甲板から第1エレベーターで格納庫に整列する500人の隊員らのところに「降臨」する演出までしている。やりすぎである。安倍首相は「強固な日米同盟の誇示」を狙ったが、トランプは、日本は「同盟国の中で最大規模のF35戦闘機群を持つことになる」こと、そして、「(横須賀が)米海軍艦隊と同盟国の海軍艦隊が並んで司令部を置く世界で唯一の港」であり、「かが」がF35Bを搭載できるようにアップグレードされて、「この地域とさらに離れた地域におけるあらゆる複雑な脅威から私たちの国々を守ってくれるだろう」と述べた。米国ロッキード・マーチン社に日本国民の税金1兆2000億(国民1人あたり1万円)が入金される。「さらに離れた地域」にも、「いずも」や「かが」がF35Bを艦載して出動することになるだろう。「いずも」型護衛艦はSTOVL(短距離離陸・垂直着陸)空母に変身する。ホルムズ海峡での日本企業タンカーへの攻撃は、中東石油に依存するわが国の「存立危機事態」であるとして、この海域に自衛艦隊を派遣してしまうのだろうか(直言「ホルムズ海峡の機雷掃海―安倍首相の「妄想」」)。

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そして、目下注目されているのは、イージス・アショア(地上イージス)の配備候補地をめぐり、防衛省が5月に公表した「適地調査」の報告書に、代替地の検討に関連して事実と異なるずさんなデータが記載されていることが、『秋田魁新報』6月5日付1面トップのスクープで明らかになった(記事のコピーは、早大法学部助手の望月穂貴君提供)。電波を遮る障害になるとするデータを過大に記し、配備に適さない理由にしていた。秋田市の陸上自衛隊新屋演習場以外に適地はないという結論先にありきの報告書であることが暴露されてしまった。

昨年10月15日の直言「イージス・アショアの「もったいない」」で書いた通り、一体、こんな装備が日本にいるのかについての検討も十分行われないまま、導入が「スピード感」をもって決まっていった。当初見積もりでは1基800億円だったものが、最新鋭レーダーLMSSR搭載で1340億円となり、2基購入で2679億円に跳ね上がった。海上保安庁の年間予算は2112億3100万円(平成30年度)と比較しても、とてつもない金額である。しかも、これを実際に稼働させるには、本体以外にも施設整備費が数百億円、維持・運用費が30年で1954億円、教育訓練費31億円、新型迎撃ミサイルSM-3 Block ⅡAは1発30億円以上する。SM-3の迎撃実験(2002年12月~17年7月)の成功率は88%とされ、多数のミサイルを同時に発射する「飽和攻撃」を仕掛けられた場合、これをすべて撃ち落とすのは「極めて困難」というのは防衛省幹部も認めているという。設置予定自治体の山口県阿武町長が配備反対を表明した。秋田市でも、住民説明会での不手際が続き、秋田県知事も配備に消極的になっている。しかも、防衛大臣は6月14日、それまでの説明を一転させて、新屋演習場が津波の浸水域の範囲内にあることを認めた(『朝日新聞』6月15日付)。その報道が流れた3日後の6月18日、新潟県下越に震度6強の地震が起きた。すぐに津波注意報が出されたが、なぜか山形県と秋田県の県境までしか注意報が出されなかった。新屋演習場に津波注意報が出れば、イージス・アショアの配備に支障が出ると気象庁が忖度したわけでもあるまい。

そもそもなぜ、秋田と山口(萩)の「その場所ありき」なのか。それは、秋田配備のイージス・アショアはハワイの米軍基地に向かう弾道ミサイルを、山口(萩)配備のそれはグァムの米軍基地に向かうのを迎撃する。端的に言えば、日本列島防衛のためでなく、米太平洋軍の拠点を防御するためのものである。米「戦略国際問題研究所」(CSIS)の2019年5月の日本関係の論文には、「秋田・萩に配備されるイージス・アショアのレーダーは、米本土を脅かすミサイルをはるか前方で追跡できる能力を持っており、それにより、米国の本土防衛に必要な高額の太平洋レーダーの建設コストを削減できる。・・・おそらく10億ドルの大幅な節約が実現できる」という記述がある(『日刊ゲンダイ』6月21日付)。まさに「亡国のイージス・アショア」ではないか。

ここで想起するのは、1983年1月に訪米した中曽根康弘首相(当時)が、「日米同盟」の目的として、「日本列島不沈空母」を挙げたのは、日本をソ連に対する米国の楯にするという発想である。ちなみに、「不沈空母」という名称を使ったのは、太平洋戦争中、東條英樹首相がサイパン島に対して使ったのを思い出す。サイパン島の邦人たちがどういう状況になったかは指摘するまでもあるまい。「守るべきもの」を勘違いした「同盟」に未来はない。

日米安保条約発効59年を契機に、「日米同盟」の怪しさと危なさについて書いてきた。もはや「日米同盟」は、日本の安全保障と日米友好関係にとっての「障害」になりつつあるのではないか。まともな政府ならば、不平等条約である日米地位協定の改定に取り組んでしかるべきなのに、完全タブーにして手を付けようともしない1都8県にまたがる「空の米国」(「横田ラプコン」)を、東京オリンピックを前にして返還させる交渉すらしようとしない。安倍首相は「占領憲法」の改正を声高に説くが、外国軍隊の航空機が航空法特例法に基づき、日本のどこでも低空飛行できる、このおかしな状況を変えようともしない。政治家ならば、「日米同盟」という名の占領状態からの脱却に尽力すべきではないのか。いま、この「迎合と忖度の日米安保」からの卒業が求められている。

石橋湛山(元首相、自由民主党第2代総裁)はいう。「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗させるような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考えをもった政治家に政治を託するわけにはいかない」(『石橋湛山評論集』岩波文庫))。とうの米国すら使わない欠陥機を「爆買い」し、「亡国のイージス・アショア」を秋田・山口に押しつける安倍首相は、「国を滅ぼす」。そういう人物に「政治を託するわけにはいかない」。

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