政治 (政治家・政党も)


2024/9/30:軍事的合理性にこだわる首相の誕生――「最短」総選挙の後に

2024/9/30:石破茂内閣発足の意味――「改憲大連立」への道?

2024/9/16:雑談(145)「食」のはなし(20) ドイツパン

2024/9/9:自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?

2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う

2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル

2024/8/5:3選した都知事の罪――虚偽事項公表罪を中心に

2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会

2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件

2024/7/8:安倍晋三殺害から2年――踊る岸田政権

2024/7/1:「7.1閣議決定」から10年――徳島で考える

2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足

2024/6/10:国民は政治を「自分事」にできるか――岸田流「他人事」の1000日を前に

2024/5/27:ドイツの「憲法記念日」(その2・完)――「防御的民主制」が焦点に

2024/5/20:ドイツの「憲法記念日」(その1)――フランクフルト憲法175年とボン基本法75年

2024/5/13:防衛副大臣の「適性評価」は大丈夫か――「セキュリティ・クリアランス」制度の落とし穴

2024/4/29:政治家にとっての「学位」とは──剽窃・盗用と詐称・粉飾

2024/4/22:大軍拡の時代――「行動原理としての戦争適性能力」

2024/4/15:「戦争可能な正常国家」――日米軍事一体化と「統合作戦司令部」

2024/4/8:雑談(143)大学教員のお仕事(その3・完)――「人生のVSOP」と「出会い」再論

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/3/25:さようなら、早稲田大学――大学入学から52年

2024/3/11:「1.1大震災」から70日――なぜtoo late, too littleは繰り返されるのか

2024/3/4:今こそ「納税者の権利宣言」を――政治家に「納税の自由」はない

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/2/5:政治家たちの「再犯」防止のために――底が抜けた日本政治

2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2023/12/25:「日本を取り戻す。」自民党のブーメラン?――キックバックも大麻も「文化」か

2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年

2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪

2023/12/04:安倍晋三の「野望の階段」の終わり――米ドラマ『ハウス・オブ・カード』を診る

2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)

2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景

2023/10/30:三笠宮崇仁と憲法9条――憲法制定過程における発言から

2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/10/9:「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの――この国の民主主義に熟議はない

2023/9/25:「総理・総裁」が関与した大規模買収事件――「すがっち500」メモが示すもの

2023/8/21:「非正規」が歪めた社会――1995年財界報告書起草者の弁明

2023/8/14:大日本帝国も「自衛のための必要最小限度」?──戦後78年に問う「自衛」なるもの

2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?――岸田政権の暴走を止めるために

2023/7/10:マイナンバーカードは「日本人の在留カード」に?――ある外国人留学生の意見

2023/6/26:解散権をもてあそぶ首相の「まさか」――議院内閣制の壊れ方

2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由

2023/6/12:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ・再論

2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」

2023/5/29:日本はE20(死刑執行国20カ国)の一つ――孤立する岸田政権

2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/5/8:権力者が改憲に前のめりの奇妙な風景――「古稀の年」の憲法記念日講演

2023/5/1:19年前に改憲案を起草した統合幕僚長――憲法尊重擁護義務の射程

2023/4/24:わが歴史グッズの話(52)国会みやげの首相お菓子――2009年「秘密の太郎ちゃん」饅頭、再登場

2023/4/10:プーチンと親密な元首相は除名されなかった――ドイツ政党法と党員除名手続

2023/4/3:雑談(137)70歳に思う――「直言」連続更新1385回

2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)

2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス

2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年

2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で

2023/1/16:台湾危機は「リスクもどき」――台湾徴兵制に対する当事者の意見

2023/1/9:雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/12/26:「壊された10年」――第2次安倍晋三内閣発足の日に

2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」

2022/12/12:中村哲さんの殺害から3年――日本は武力を行使する国になるのか

2022/12/5:統一教会の家族観に「お墨付き」――安倍晋三の置き土産

2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策

2022/11/14:「はんこ」と「ベルトコンベア」――法務大臣という職(その2)

2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年

2022/10/31:「「無知の無知」の突破力」考――第2次安倍政権発足10年を前に(その2)

2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/26:「安倍国葬」と統一教会――自公政権の葬送狂騒曲

2022/9/19:「台湾でドンパチ、日本で戦争」?――台湾の大学院生の批判的応答

2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀

2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年

2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.

2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返しに」?!

2022/8/1:「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権発足10年を前に(その1)

2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/7/11:安倍晋三銃撃事件――立憲政治の前提を壊した人物の死

2022/7/4:第4回参議院選挙の風景――「3分の1」の問われ方

2022/6/27:有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか――コロナで広がる「黙」の世界

2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ

2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?

2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に

2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年

2022/4/18:反戦デモは「グレーゾーン事態」か?――2020年陸幕記者説明資料と「60年安保と治安出動」

2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」


2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち

2022/2/28:「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの戦争」が始まるなかで

2022/2/14:雑談(130)音楽よもやま話(29)アナログレコードが売れている

2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?

2022/1/31:Netflix『新聞記者』を見る──アベノリアル

2022/1/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界

2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/12/20:大学にガバナンス?――「大学の自治」はどこへ

2021/12/13:『彼は早稲田で死んだ』――早大川口君事件50年を前に

2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年

2021/11/29:武蔵野市住民投票条例の何が問題なのか――憲法蔑視の荒野

2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」


2021/11/15:日本学術会議問題の本質は何か――ニコラウス・クザーヌス「専門家-素人」相関の視点から

2021/11/8:「学問の自由」の危うい状況、さらに――「だから日本に帰らない」

2020/11/1: 自民と維新の「改憲連立」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その3)

2021/10/25: 「10.31」、国民のもう一つの選択──最高裁判所裁判官国民審査

2021/10/18: 衆議院解散、その耐えがたい軽さ(その2・完?)――憲法蔑視9年の結末

2021/10/11:憲法をなめていませんか――岸田文雄内閣の発足にあたって

2021/10/4:「安倍院政権」の誕生へ――権力の私物化と「生業としての政治」(その2)

2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」

2021/9/20: 「アベなるもの」の終わりの始まり――回想2012年9月26日総裁選

2021/9/13:メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ

2021/9/6:アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年

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021/8/23: パラリンピックは中止すべきである――この国に「総理」大臣はいるのか

2021/8/2:「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史

2021/7/12:どうやったら投票率はあがるか―「マニフェスト」+「選択しない選択」

2021/6/28:夫婦同氏制と婚姻の自由――最高裁判例における反対意見の意味

2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」

2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで

2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」

2021/5/24:「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三

2021/5/17:なぜ、日本はワクチン接種が進まないのか――個人的体験も交えて

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/5/3:究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74年

2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点

2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/22:子どもの夢は会社員――「末は博士か大臣か」は死語

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係

2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語

2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」

2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2021/1/18:「複合災害」にいかに対処するか――国土交通省発足20周年に

2021/1/4:安倍晋三氏は議員辞職すべし(その3)――13年前の「直言」から

2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー

2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年

2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)

2020/12/7:雑談(124)コロナ禍の雑感2題――対面とオンライン+笹子トンネル事故から8年

2020/11/30:日本議会史上の汚点ではないか――「黙れ」事件から82年

2020/11/23:公文書改ざん事件と「赤木ファイル」――衆議院「予備的調査」

2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて

2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本

2020/10/12:学問研究の自由の真正の危機――沈黙するなかれ

2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?

2020/9/28:議会におけるヤジ――日本とドイツの比較

2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣

2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/17:在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/8/3:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その3・完)――過大評価と過剰対応

2020/7/27:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)――法的、軍事技術的視点から

2020/7/20:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その1)――韓国との事前協議が必要

2020/7/13:雑談(123)「140字の世界」との距離+親指シフト・キーボードの終わり?

2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?

2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ

2020/6/22:イージス・アショアの「もったいない」(その2・完)―グローバル安保からスペース安保へ?「宇宙作戦隊」新編

2020/6/15:臨時会召集義務53条違反を問う判決+砂川事件調査官メモ発見――安倍首相の国会嫌い

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない

2020/5/25:ネバー・エンディング無責任――遠隔授業をやりながら考える

2020/5/18:検察庁法改正をめぐる政権の恣意――「法が終わるところ、暴政が始まる」

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ

2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告

2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法

2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走

2020/3/2:検察官の定年延長問題――国家公務員法81条の3の「盲点」

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/1/27:公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの

2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/12/23:「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪夢」

2019/11/25:首相の「責任」の耐えがたい軽さ―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ

2019/11/18:安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果

2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」

2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年

2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)

2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)

2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)

2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/9/2:憲法改正論議の「土俵」とは何か――安倍流「前提くずし」

2019/8/26:安倍色に染まった日本――なぜ日韓関係はここまで悪化したか

2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?

2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選

2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム

2019/7/15:逆走をいかに止めるか―憲法政治の「幽霊ドライバー」(その2)

2019/7/8:映画『新聞記者』を超えるリアル――逮捕状を握りつぶした人物が警察庁長官に?!

2019/7/1:魚と政権は頭から腐る――隠蔽・改ざんから麻薬汚染まで

2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/5/27:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(1)

2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪

2019/5/6:「憲法にのっとる」のか、「憲法をのっとる」のか――安倍流改憲

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/4/22:なぜ、加計学園獣医学部にこだわるか――忘れてはならないこと

2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様

2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす

2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ

2019/3/18:菅原文太さんのこと(その2)――八ヶ岳の農園にて

2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年

2019/3/4:「私は立法府の長」――権力分立なき日本の「悪夢」

2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用

2019/2/18:「フェイスブック宰相」は「フェイク宰相」――安倍晋三とネトサポ

2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年

2019/2/4:雑談(118)今時の学生たち(3)――16021人の「法学」受講生

2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって

2018/12/31:安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年

2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走

2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす

2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務

2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語

2018/11/19:「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から――歪められた行政の現場へ(その2)

2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録

2018/11/05:首相の「改憲扇動」の違憲性――「憲法改正の歪曲」

2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3)

2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)

2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具

2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ

2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))

2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震

2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?

2018/8/27:「新聞を読むな」という政権――「新聞を読んで」の今は昔

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖

2018/7/30:ゆがめられた選挙法――総裁3選の手段に?

2018/7/23:「学位」をめぐる規制緩和の「効果」

2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」

2018/7/9:「ゆがめられた行政」の現場へ―獣医学部新設の「魔法」

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か

2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ

2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの

2018/6/4:「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国

2018/5/21:「安倍カラー」で空洞化する大学― ―入口から出口まで

2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して― ―映画「否定と肯定」と

2018/5/7:読売マッチポンプの罪― ―安倍流「憲法改ざん」と前木政治部長

2018/4/30:わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ

2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件

2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法

2018/4/9:安倍政権の終わり方――「アッキード事件」と「日報」問題

2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも

2018/3/26:「いくらなんでも」政権の終焉へ――首相の「責任」とは

2018/3/19:「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を

2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に

2018/3/5:憲法改正のアベコベーション――「フェイク改憲」

2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」

2018/2/19:安倍政権と日本社会の「赤報隊」化

2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて

2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊

2018/1/29:首相の怪しい憲法理解と官房機密費

2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相

2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景

2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル

2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回

2017/12/25:「憲法違反常習首相」――安倍政権下の失われた5年

2017/12/11:天皇退位めぐる法と政治――安倍流権力私物化はどこまでも

2017/12/4:議会は「民主主義の心臓」――ドイツ憲法政治のいま

2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年

2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)

2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)

2017/10/2:「自分ファースト」の翼賛政治――保身とエゴの「暴投解散」

2017/9/25:ヒトラー山荘とオーストリアのナチス強制収容所――中欧の旅(その3)

2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)

2017/8/21:憲法は究極の「岩盤規制」――安倍式改憲の最終コーナー

2017/8/7:日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

2017/7/24:「次期首相候補」だった2人の女性大臣と新手のリクルート施策

2017/7/17:『平和の憲法政策論』を世に問う――安倍改憲の時代に

2017/7/10:「即席の受け皿」の危うさ――東京都議選の効果

2017/7/3:「ねじれ解消」からの脱却――安倍「自爆改憲」を止める

2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて

2017/6/19:わが歴史グッズの話(40)――「特高」を必要とする「共謀罪」法

2017/6/12:介入と忖度――『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)

2017/5/29:「全く問題ない」内閣官房長官――「介入と忖度」の演出

2017/5/22:安倍晋三トルクメニスタン大学名誉教授の改憲論と大学論

2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに

2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと

2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年

2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野

2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2017/3/27:「構造的忖度」と「構造的口利き」――「構造汚職」の深層

2017/3/6:第96代内閣総理大臣の「恥ずかしい」政治言語

2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?

2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」

2017/2/6:雑談(113)「直言」20年のこと――管理人の視点から

2017/1/30:「無知の無知」の突破力――安倍流ダブルスピーク/a>

2017/1/23:トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年

2017/1/16:わが歴史グッズの話(39)――「靖国合祀遺族セット」

2017/1/9:「憲法くん」の古稀――日本国憲法施行70年へ

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに

2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債

2016/12/12:カジノ賭博解禁法案の闇と影――この国に国会はないのか

2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?

2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に

2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒

2016/10/24:「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)

2016/10/17:「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」

2016/10/10:憲法97条は条文整理の対象にならない――「アベコベーション」の日本へ

2016/10/3:2つの「ドイツ統一の日」――欧州の揺らぎのなかで

2016/9/19:沖縄「高江」から見えるもの――それにもかかわらず(Trotz alledem)

2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く

2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)

2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読

2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙

2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz

2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ

2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン

2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち

2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に

2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)

2016/4/4:17年で変わったこと、変わらないこと――ドイツからの「直言」(1)

2016/3/28:きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ

2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章

2016/3/14:子どもの情景――アベノミクス「出生率1.8」と待機児童問題

2016/3/7:憲法研究者と安保関連法――元最高裁判事・藤田宙靖氏の議論に寄せて

2016/2/29:「軍」の自己主張――帝国憲法の緊急事態条項と「2.26事件」80周年

2016/2/22:権力の私物化と「生業としての政治」

2016/2/15:会計検査院と特定秘密保護法――憲法90条の今日的意義

2016/2/1:ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」

2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ

2015/1/18:「直言」19年、1000回――さまざまな反響

2015/1/11:メディア腐食の構造――首相と飯食う人々

2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び

2015/12/28:立憲主義が問われた年――2015年の終わりに

2015/12/21:介入三昧・安倍的「国家先導主義」――賃上げから「就活」まで

2015/12/14:「歴史の危機」のなかで――「直言」1000回記念 

2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点

2015/11/9:「沖縄処分」――安倍政権による地方自治の破壊

2015/11/2:「1000分の1程度の解釈改憲」と憲法学

2015/10/26:臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/10/12:お友達政治の頽廃――安倍乱造内閣

2015/10/5:国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか

2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト

2015/9/21:安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよ

2015/9/14:気分はすでに「普通の軍隊」――アフリカ軍団への道?

2015/9/7:55年目の国会前の風景――「民主主義ってなんだ!」

2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果

2015/8/24:「平成の三矢作戦研究」――統幕部内資料の既視感

2015/8/17:「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話

2015/8/10:「日航123便墜落事件」から30年

2015/8/3:新たな「戦前民主主義」の時代――国会前で起きていること

2015/7/30:緊急直言 「先制攻撃」と「先に攻撃」を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために

2015/7/27:NHK憲法研究者アンケートのこと――合憲・違憲の決着はついている

2015/7/20:「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!――安倍政権の傲慢無知

2015/7/13:集団的自衛権は「自然権」ではない――「合憲」学者の謬説

2015/7/6:「違憲立法」成立に加担する維新の党――「独自案」の本質

2015/6/29:95日間の会期延長――「衆議院の超越」は二院制の否定

2015/6/22:「憲法の番人」とは誰か――高村正彦弁護士に問う

2015/6/15:安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」

2015/6/8:「自衛隊員のリスク」と「国民のリスク」

2015/6/2:緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)

2015/6/1:外国領土での抗命の処罰規定を新設――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その1)

2015/5/25:子どもを米国の戦争で死なせない――女性週刊誌と安保法制

2015/5/18:再び、憲法研究者の「一分」を語る――天皇機関説事件80周年に

2015/5/11:戦後70年の憲法記念日――「安倍カラー」に抗して

2015/5/4:「つぶやき民主主義」の陥穽

2015/4/27:協議の中身は「例外なき事後承認」――『ライブ講義』を応用して嘘を見破れ

2015/4/20:「新要件」から「新事態」?――箍が外れた安保法制論議(3)

2015/4/6:「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して

2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)

2015/3/23:日本型文民統制の消滅――箍が外れた安保法制論議(1)

2015/3/16:参議院で「憲法とは何か」を語る

2015/3/9:安倍首相の「責任」の意味を問う――人質殺害事件

2015/3/2:「武器等防護」で米軍も守る?――安保法制論議の迷走

2014/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)

2015/1/5:年のはじめに「憲法97条のはなし」

2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階

2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣

2014/12/15:二人に一人しか投票しない「民主主義国家」

2014/12/8:菅原文太さんのこと――久田栄正没後25年に

2014/12/1:総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す

2014/11/24:「安倍晋三解散」の異様な風景

2014/11/17:「念のため解散」は解散権の濫用か

2014/11/10:「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀――1年ゼミ生の視点

2014/11/3:安倍政権の「異次元の政策」――常に国民を置き去り

2014/10/27:雑談(108)閑話本題――写真編

2014/10/20:わが歴史グッズの話(36)日独伊三国同盟――「ともに血を流す関係」

2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)

2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)

2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か

2014/8/18:「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)

2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか

2014/8/4:「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ/a>

2014/7/28:答弁を引き出す国会質疑を――31年前の公明党市川雄一議員の例

2014/7/21:公明党の「転進」を問う

2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」

2014/7/7:「7.1事件」――閣議決定で「憲法介錯」

2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書

2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」

2014/6/16:憲法が「根底からくつがえされる」――正念場の公明党

2014/6/9:大学を職業教育の場に?!――「傲慢無知」政権の大学政策

2014/6/2:学問の自由が危ない――広島大学で起きたことへの憲法的視点

2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換

2014/5/5:「学長が最高責任者だ ! 」――学校教育法改正で変わる大学

2014/4/21:集団的自衛権行使を国民は支持していない――最近の世論調査

2014/4/14:「戦死者を出す覚悟」?――自らは決して「戦場」に赴くことのない政治家の勇ましさ

2014/4/7:「禁じ手」破り――武器輸出三原則も撤廃

2014/3/24:「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴

2014/3/10:雑談(104)おじさん、おばさんがいない世界

2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉

2014/2/24:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策

2014/2/17:『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと

2014/2/10:安倍色に染まる日本――「ねじれ」解消の果てに

2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙

2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に

2014/1/20:辻井喬さんと品川正治さんを悼む

2014/1/13:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その2・完)

2014/1/6:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その1)

2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ

2013/12/16:権力の暴走が始まった日――第二次安倍内閣の1年

2013/12/09:「ねじれ解消」の深刻な効果――特定秘密保護法成立

2013/12/02:特定秘密保護法の「還暦条項」

2013/11/25:過度の厳罰化と「象徴立法」――自動車運転死傷行為処罰法

2013/11/18:高級ワインも特定秘密?――1999年ボン日本大使館事件

2013/11/11:皇后と山本太郎議員の憲法感覚

2013/11/04:安倍首相の「意志の勝利」――おごれる権力者は久しからず

2013/10/28:特定秘密保護法の不特定性と有害性

2013/10/21:国民投票有権者だけ18歳以上に?――『はじめての憲法教室』発刊に寄せて

2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」

2013/9/23:「ダイヤモンド安保」と「価値観外交」

2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」

2013/8/19:「フェイスブック宰相」の靖国参拝

2013/8/12:憲法9条効果のリアル――「国防軍」改憲は時代錯誤

2013/8/5:秘密保全法は何を守るのか―スノーデン事件が問うもの

2013/7/29:「ねじれなくなった政治」の先に――海兵隊と軍法会議

2013/7/23:「ねじれ解消」と「3 分の2 」の間――2013年参議院選挙

2013/6/24:自衛隊と「サンダーバード」――国防軍でなかったからこそ(2)

2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)

2013/6/3:『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)

2013/5/27:「96条の会」発足―立憲主義の定着に向けて(1)

2013/5/20:SF政治(催眠政治)にご用心――「アベノミクス」とTPP

2013/5/13:「憲法デマゴーグ」の96条改正論

2013/4/29:権力者は「9」のつく憲法条文がお嫌い?――9・19・59・90・92・94・96・97・99条

2013/4/22:三國連太郎と軍隊

2013/4/15:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

2013/4/1:「憲法96条研究会」と選挙無効判決

2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視

2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年

2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?

2013/2/4:焚書と「美しい国」の80年

2013/01/21:わが歴史グッズの話(34)警察予備隊63周年――なぜ国防軍なのか

2012/12/31:「憲法突破・壊憲内閣」の発足

2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙

2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/12/3:3.11と総選挙――岩手県沿岸部再訪

2012/11/26:シロアリ取りがシロアリに――復興予算

2012/11/19:違憲状態の総選挙――「近いうちに解散」の結果

2012/11/12:「子ども国会」と「子どものケンカ国会」

2012/10/29:「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・

2012/10/22:首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1)

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/10/1:「学者商売」と「学者公害」――悩ましき現実

2012/9/24:改憲への「大連立」――『毎日』憲法世論調査への疑問

2012/9/17:権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル

2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完) 2012年9月10日

2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと

2012/8/27:攻め込んでいく防犯?――「安全・安心社会」の盲点(2)

2012/8/20:監視カメラは何を監視しているのか――「安全・安心社会」の盲点(1)

2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア

2012/8/6:大学の文化と「世間の目」

2012/7/30:選挙法は憲法違反――ドイツ連邦憲法裁判所判決

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2012/7/16:日米安保を揺るがすオスプレイ

2012/6/25:原子力基本法が改正された

2012/6/18:防衛大臣における「文民」と「民間人」

2012/6/4:秘密保全法で何を「保全」したいのか(その2・完)

2012/5/28:秘密保全法で何を「保全」したいのか(その1)

2012/5/7:憲法施行65周年と自民党「憲法改正草案」

2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年

2012/4/2:憲法改正の動向――日弁連憲法委員会での挨拶

2012/3/19:「復興」と「仮の町」――東日本大震災から1年(その2)

2012/2/20:大阪市職員アンケートは何が問題か

2012/2/13:絆は「深める」ものなのか――政府言論・異聞

2011/12/12:沖縄防衛局長「発言」の底に流れるもの

2011/12/5:憲法審査会「そろり発進」――震災便乗型改憲

2011/11/28:田中正造と3.11と憲法

2011/11/21:TPPと日米安保2条

2011/10/24:なぜ、まだ辺野古なのか――思考の惰性を問う

2011/10/17:小選挙区比例代表「偏立」制はやめよ

2011/10/10:「海賊党」の躍進――日本では?

2011/10/3:漢字4つに要注意――「復興増税」

2011/9/19:大臣の「一挙手一投足」――軍服を着た独副首相

2011/9/5:松下政経塾内閣の終わりの始まり

2011/8/29:東日本大震災と憲法

2011/8/8:田中角栄の演説の「間」

2011/7/18:政治家の剽窃――ドイツでも政治不信が深刻

2011/7/11:電気事業法27条と大学

2011/7/4:空転と節電の国会――会期延長8日目の風景

2011/5/9:「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)

2011/4/11:想定外という言葉――東日本大震災から1か月

2011/2/28:菅直人は「日本のヨシュカ」か?

2011/1/3:2011年の年頭にあたって

2010/11/15:尖閣の切手とビデオ

2010/10/11:次席検事の「眉間の皺」――検察と政治(その2・完)

2010/10/4:「さぬきうどんを捏ねる」――検察と政治

2010/9/20:「理解を求める」側の論理――新聞と沖縄

2010/9/13:任務遂行射撃と「関東軍的思考」

2010/9/6:気象と政治の異常――2010年夏

2010/8/16:ヒトマル戦車と「防衛事業仕分け」

2010/8/9:日航123便はなぜ墜落したのか

2010/7/26:「させていただく」症候群

2010/7/19:沖縄はどこへ行ったのか

2010/6/21:日米安保改定から半世紀

2010/6/14:新聞の衰退は政治の腐敗の始まり?――「新聞をヨム日」

2010/6/7:政治家の言葉――首相と大統領の辞任

2010/5/31:この「日米共同声明」は実現しない

2010/5/24:「政治主導」と憲法改正

2010/5/17:戦争の「無人化」と「民営化」

2010/5/10:「抑止力」を疑え――鳩山首相の最後のチャンス

2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年にして

2010/4/26:「日米同盟」からの「圏外」移設

2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点

2010/4/12:日航123便墜落事件から25年――『天空の星たちへ』のこと

2010/3/15:「広義の密約」とは何か

2010/3/8:鳩山政権の「政見後退」

2010/3/1:「核の傘をたたむ日」に向けて

2010/2/15:「公用」と「私用」の間

2010/2/1:「片山事件」と北海道――自衛隊「事業仕分け」へ

2010/1/18:何のための「戦死」か――アフガン戦争9年目の現実

2010/1/11:なぜ法制局を排除するのか――歪んだ「政治主導」

2010/1/4:2010年の年頭にあたって

2009/12/28:大学と「世間」(その2)――大学「再生」への道

2009/12/7:普天間問題に発想の転換を

2009/11/23:わが歴史グッズの話(30) くらま&あたご etc.

2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日

2009/11/9:「ベルリンの壁」崩壊20周年――世界の西と東の風景

2009/11/2:「平成維新」と「日本一新」

2009/10/26:批判的であること――直言と新聞

2009/10/19:雑談(74)拘束道路と台風休講

2009/10/12:「復興支援活動」の実態が見えてきた

2009/10/5:ドイツの「政権交代」――二大政党の退潮

2009/9/21:「政権交代」の意義と課題

2009/9/7:「総理総裁」が死語になった日

2009/8/24:核時代のピエロ

2009/8/3:「マニフェスト」への違和感

2009/7/27:衆議院解散、その耐えがたい軽さ

2009/7/20:「人の死」を政局で決めていいのか

2009/7/13:「平成の農地改革」で失われるもの

2009/7/6:「報道とともに去りぬ」――メディアと政治

2009/6/29:「国会表決堂」の風景

2009/6/15:ラジオで新聞を語って12年

2009/6/8:ハンバッハと天安門

2009/5/25:中央即応集団(CRF)が動きだす

2009/5/4:国民投票を好む権力者たち

2009/4/27:国会で海賊法案を批判する

2009/4/20:あの法律の施行日が近づいているけれど

2009/4/13:「関東防空大演習を嗤ふ」と「国民の立憲的訓練」

2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年

2009/3/30:緊急:「弾道ミサイル等に対する破壊措置」命令について

2009/3/30:「小沢一郎的なるもの」の十年一昔

2009/3/23:田母神統幕学校長の20カ月

2009/3/16:海賊対策のもう一つの道 ―― 海賊と日本(2・完)

2009/3/9:「海賊新法」は何が問題か ―― 海賊と日本(1)

2009/2/16:「私は、決して逃げません」

2009/1/26:わが歴史グッズの話(29) 合衆国大統領のグッズ

2009/1/19:オバマ新政権と日本

2009/1/12:末尾"9"の年と憲法

2009/1/5:2009年を「復興」の年に

2008/12/29:「事変」への芽を含む年

2008/12/22:「職の安全」も問われている

2008/12/8:ソマリア沖の海賊と自衛隊

2008/12/1:漫画首相と政治の戯画化―首相公選論というレトリック

2008/11/24:危ない空気が漂ってきた

2008/11/17:空幕長「論文」事件をどう診るか

2008/11/10:さまざまな“11.9”

2008/10/20:「はなむけ」と「おもいやり」の関係

2008/10/13:「対テロ戦争」とドイツ連邦軍――勲章と改憲

2008/9/29:麻生お一人様内閣

2008/9/22:わが歴史グッズの話(27)幻の第12回オリンピック東京大会

2008/9/15:人間使い捨て時代を問う・パート2

2008/9/8:総裁選ではなく、直ちに総選挙を

2008/9/1:政治家の歴史認識の貧困

2008/8/18:ベルリンと北京の間

2008/7/28:1年前、安倍晋三氏は何を語っていたか

2008/7/21:わが歴史グッズの話(25)クラスター弾

2008/7/7:洞爺湖サミットがもたらす「例外事態」

2008/6/30:法務大臣という職

2008/6/23:米軍再編の「点と線」――沖縄・岩国・夕張

2008/6/16:後期高齢者医療制度の作られ方

2008/5/26:砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」

2008/5/19:早稲田の杜、08・5・8

2008/5/7:緊急直言 胡錦濤主席の早大訪問歓迎せず

2008/4/21:空自イラク派遣に違憲判断――「そんなの関係ねぇ」?

2008/4/7:立憲主義と民主集中制

2008/3/10:「忘却力」と憲法

2008/2/21:緊急直言 イージス艦、漁船轟沈

2008/2/4:安倍晋三氏は議員辞職すべし

2007/12/31:「偽」の年から「技」の年へ

2007/12/17:メディアがつくる勘違い

2007/12/3:裁判員制度が始まるけれど(3・完)

2007/11/12:小沢一郎的憲法論に要注意

2007/11/5:国政調査権の活性化を

2007/10/22:補給支援活動特措法案の愚

2007/10/15:「安倍色」教科書検定と沖縄

2007/10/1:死刑とベルトコンベア

2007/9/24:ナトー好きの首相――送別・安倍内閣(その2・完)

2007/9/17:送別・安倍内閣(その1)

2007/9/10:テロ特措法延長問題――前提から問いなおす議論を

2007/8/20:自衛隊にも「レンタル移籍」

2007/7/30:「悪質リフォーム」にご用心

2007/7/2:国会「議事」堂はどこへ行ったのか

2007/4/16:権力者が改憲に執着するとき

2007/3/12:人間使い捨て時代を問う

2007/2/26:「美しい希望の国」へ?

2006/12/18:防衛省法案と「政治家の一分」

2006/10/16:「美しい国から2006秋」

2006/9/25:「失われた5年」と「失われる○年」――安倍総裁、総理へ

2006/6/12:WBC「イチロー」にみる指導者の条件

2006/4/24:99年と06年の小沢一郎

2006/3/6:1通のメールと1個のメダル

2006/2/13:わが歴史グッズの話(19)♪話しあいのマーチ♪

2006/1/30:雑談(47)政治家の本を読む

2009/1/5:2009年を「復興」の年に

2005/12/19:「押しつけConstitution」の効果

2005/12/12:「12月8日」にこだわる理由

2005/11/28:「考え直す時間」と外交

2005/11/7:どこが「新憲法」なのか

2005/10/24:「心に刻む」ということ

2005/10/3:「普通の軍隊」への「Dデー」

2005/8/8:自民党新憲法草案を診る

2005/8/29:暑くて熱い夏の「クールビズ」

2005/7/11:「賛成の反対なのだ」

2004/12/20:自衛官の改憲構想と立憲政治

2004/12/6:人気があっても任期で辞める意味

2005/3/14:「小さな親切」と「大きな害悪」の間

2004/11/29:石破前防衛庁長官729日の「遺産」

2004/11/1:「危機」における指導者の言葉と所作

2004/9/13:沖縄ヘリ墜落事件から見えるもの

2004/9/6:それぞれの「記念日」

2004/8/30:武器輸出3原則等も消える?

2004/8/16:どんな武力行使もしないわけ

2004/8/9:二つの自衛隊の半世紀

2004/6/7:イラク戦争と9条改憲

2004/5/24:こんなに簡単に通っていいのか

2004/5/3:たかが憲法、されど憲法

2004/4/26:「ノー」と言うことの意味

2004/4/19:自己責任と無責任

2004/4/10:緊急直言 「今」、自衛隊は撤退すべきか

2004/4/5:「ひいては国益のために…」

2004/3/15:改憲論を論ず

2004/3/1:小さな嘘と大きな嘘

2004/2/16:イラクに派遣される自衛官に

2003/12/22:屁理屈から無理屈へ

2003/12/15:憲法前文つまみ食いと「瞬間タッチ断言法」の危なさ

2003/12/8:米英軍「と」から「ともに」へ

2003/12/1:君、殺されたまうことなかれ

2003/11/17:「毒饅頭」10年目の効果

2003/10/27:「今のうちに解散」

2003/10/13:真の現実主義とは何か

2003/9/22:拉致問題解決に向けて

2003/9/8:わが歴史グッズの話(11)ブッシュグッズ

2003/9/1:世界貿易センター爆破事件から10年

2003/8/25:「傲慢無知」の政治言語

2003/7/7:「サダムゲート事件」――戦争における嘘

2003/6/23:個人の良心が問われる時代に

2003/6/16:イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ

2003/5/19:憲法記念日と民主党の「転進」

2003/4/21:ブッシュの「ブレジネフ・ドクトリン」

2003/4/14:イラク戦争と日本――失われたものの大きさ

2003/4/7:侵略の戦費を負担してはならない

2003/3/31:自由と民主主義のための軍事介入?

2003/3/17:「湾岸トラウマ」?――必要な戦争などない

2003/2/17:保守政治家の死刑廃止論

2003/2/3:ヒトラーとブッシュ

2002/12/30:逝く都市、来る都市

2002/12/23:殿様首相が残したもの

2002/12/2:拉致と放置

2002/9/23:日朝首脳会談と拉致問題

2002/8/26:「法による平和」の危機(その2)

2002/8/19:「法による平和」の危機(その1)

2002/6/24:「核兵器は持てるが持たない」論の狙い

2002/4/15:首相公選制とジェニンの虐殺

2002/1/21:権力者が「常識」を説くとき

2002/1/12:緊急直言 小泉流緊急事態法制の危なさ

2001/12/31:「不審船」事件をどう見るか

2001/11/26:ジャイアンとスネ夫の関係

2001/11/12:日独伊の派兵の意味

2001/10/22:「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」

2001/10/15:またも特措法で「法恥国家」

2001/10/08:言葉もて、人は獣にまさる

2001/10/01:「限りなき不正義」と「不朽の戦争」

2001/9/17:最悪の行為に最悪の対応

2001/8/6:靖国「公式参拝」はなぜ問題か

2001/6/4:首相公選論の落とし穴

2001/5/1:緊急直言 バブル総理の「ちょこっと改憲」論

2001/4/16:大虐殺の傷痕(2)――カンボジア・ラオスの旅(2)

2001/4/9:大虐殺の傷痕(1) ―― カンボジア・ラオスの旅(1)

2001/4/2:さようなら、「全恥全悩」の君

2001/2/19:語尾あげと政治的抑揚

2000/12/25:「世に単によい政府なし」(植木枝盛)

2000/11/22:緊急直言 「不信任」と「信任」の間

2000/11/20:米大統領選挙の「幻の号外」

2000/10/23:「護憲政党」という誤訳

2000/10/16:「訂正人語」から見えるもの

2000/9/4:極右政党の違憲訴訟と民主主義

2000/7/24:1年前の沖縄サミット論

2000/7/17:日本の気分はルート3

2000/7/3:総選挙の結果と「政治の言葉」

2000/5/22:俗物が語る「神の国」

2000/4/17:石原都知事と治安出動

2000/4/10:内閣総理大臣が欠けたとき

2000/2/28:4月3日は「危険な日」

2000/1/3:2000年の花火

1999/10/25:「自衛のための軍事力」合憲論?

1999/9/20:新しいベルリンの壁?

1999/6/21:緊急直言・「赤と緑にイエローカード」

1999/6/21:ユーゴ発、笑えぬジョーク

1999/6/14:「オルブライト」の戦争

1999/5/30:基本法50年と直接民主制

1999/4/6:「家の前での戦争」

1999/2/15:そして政府委員がいなくなった

1999/2/1:小沢一郎氏のヤクザ憲法論

1999/1/9:緊急直言・PKF凍結解除と危険な自・自連立

1998/9/28:「組織防衛庁」長官は辞任すべし

1998/10/5:ドイツの政権交代

1998/8/24:「国益」と「人の道」

1998/7/27:参院選の結果と「衆愚政治」

1998/6/29:フーリガンと「戦う民主制」

1998/1/12:「大盗聴」のための憲法改正

1997/12/29:直言一周年に寄せて

1997/12/22:名護市民は負けなかった

1997/12/15:安保があるからあたりまえ?

1997/12/1:名護市民投票への政府の「介入」

1997/11/17:なめたらあかんぜよ―名護からの報告

1997/11/10:海上ヘリ基地建設の愚行

1997/9/22:現代の妖怪よ、政界を去れ

1997/8/25:続・日本は「限りなく透明な近い存在」

1997/6/30:裁判官訴追制度の政治利用

1997/6/23:ドイツ議会の臓器移植法案

1997/6/9:緊急直言・ガイドライン中間報告を斬る

1997/4/26:緊急直言・日本大使公邸の大量虐殺

1997/3/31:沖縄特措法「改正」と"法恥国家"

1997/2/25:なぜ、憲法89条の改正か

1997/1/3:ペルー大使公邸人質事件について

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