災害(地震、津波、原発、台風など)、特に東日本大震災・コロナウイルス感染症2019年型


2024/3/25:さようなら、早稲田大学――大学入学から52年

2024/3/11:「1.1大震災」から70日――なぜtoo late, too littleは繰り返されるのか

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2023/10/9:「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの――この国の民主主義に熟議はない

2023/7/3:高額兵器爆買いの岸田政権の安全保障政策――いま、「現場」で何が起きているか

2023/1/9:雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁

2022/12/26:「壊された10年」――第2次安倍晋三内閣発足の日に

2022/12/12:中村哲さんの殺害から3年――日本は武力を行使する国になるのか

2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.


2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/6/27:有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか――コロナで広がる「黙」の世界

2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?

2022/1/24:追悼・外岡秀俊さん――いま、ジャーナリストに求められるもの

2022/1/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界

2022/1/10:雑談(129)音楽よもやま話(28)コロナ禍のコンサート(その2)――早稲フィル第85回定期演奏会のこと

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」

2021/10/11:憲法をなめていませんか――岸田文雄内閣の発足にあたって

2021/9/13:メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ

2021/8/23: パラリンピックは中止すべきである――この国に「総理」大臣はいるのか

2021/8/2:「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史

021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020


2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文

2021/7/5:身近な戦争体験から考える――「蘆溝橋事件」84周年を前に

2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで

2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」

2021/5/24:「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三

2021/5/17:なぜ、日本はワクチン接種が進まないのか――個人的体験も交えて

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/5/3:究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74年

2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点

2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/22:子どもの夢は会社員――「末は博士か大臣か」は死語

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語

2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2021/1/18:「複合災害」にいかに対処するか――国土交通省発足20周年に

2021/1/11:雑談(125)音楽よもやま話(27)コロナ禍のコンサート――早稲フィル第83回定期演奏会のこと

2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー

2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年

2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)

2020/12/7:雑談(124)コロナ禍の雑感2題――対面とオンライン+笹子トンネル事故から8年

2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/7/13:雑談(123)「140字の世界」との距離+親指シフト・キーボードの終わり?

2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?

2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ

2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ

2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告

2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法

2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/2/10:雑談(22)音楽よもやま話(26)早稲フィル創設40周年のこと

2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/12/2:雑談(121)「世界トイレの日」に寄せて――「れいわ」議員の初質問

2019/11/18:安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果

2019/10/28:>憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)

2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年

2018/12/31:安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年

2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語

2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録

2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)

2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))

2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震

2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖

2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」

2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも

2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に

2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年

2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)

2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)

2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース

2017/8/7:日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン

2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)

2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)

2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/10/12:お友達政治の頽廃――安倍乱造内閣

2015/8/10:「日航123便墜落事件」から30年

2015/6/8:「自衛隊員のリスク」と「国民のリスク」

2015/3/16:参議院で「憲法とは何か」を語る

2015/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2014/11/3:安倍政権の「異次元の政策」――常に国民を置き去り

2014/10/27:雑談(108)閑話本題――写真編

2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か

2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書

2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉

2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙

2013/12/16:権力の暴走が始まった日――第二次安倍内閣の1年

2013/11/04:皇后と山本太郎議員の憲法感覚

2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」

2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」

2013/7/8:被災地から考える参院選――震災遺構と復興予算

2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年

2013/02/18: 北東アジアの危うい現実――六カ国協議の再起動に向けて

2013/1/2:還暦の年を迎えて――激動の2013年への抱負

2012/12/3:3.11と総選挙――岩手県沿岸部再訪

2012/11/26:シロアリ取りがシロアリに――復興予算

2012/11/12:「子ども国会」と「子どものケンカ国会」

2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア

2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化

2012/6/25:原子力基本法が改正された

2012/3/26:ゼミは「苗床」である――14期生を送る

2012/3/19:「復興」と「仮の町」――東日本大震災から1年(その2)

2012/3/12:学校被災――東日本大震災から1年(1)

2012/2/13:絆は「深める」ものなのか――政府言論・異聞

2012/1/2:「2012問題」の年頭に――「故郷を求める権利」

2011/11/28:田中正造と3.11と憲法

2011/11/7:早稲フィル(WPO) in 陸前高田&閖上

2011/10/3:漢字4つに要注意――「復興増税」

2011/9/12:「9.11」10周年から見えてくるもの

2011/8/29:東日本大震災と憲法

2011/8/8:田中角栄の演説の「間」

2011/8/1:大震災と公務員

2011/7/11:電気事業法27条と大学

2011/7/4:空転と節電の国会――会期延長8日目の風景

2011/6/27:雑談(86)音楽よもや話(16)追悼音楽

2011/6/20:大震災の現場を行く(6-完)――大槌町吉里吉里

2011/6/13:大震災の現場を行く(5)――陸前高田の人々

2011/5/30:大震災の現場を行く(4)――南三陸、気仙沼、釜石等:被災地の自衛隊

2011/5/23:大震災の現場を行く(3)――石巻と大船渡:被災地における新聞

2011/5/16:大震災の現場を行く(2)――「避難所」になった女川原発

2011/5/9:「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)

2011/5/2:大震災の現場を行く(1)――郡山から南相馬へ

2011/4/25:原発のない社会へ――チェルノブイリから25年

2011/4/18:災害派遣の本務化へ――大震災と自衛隊(1)

2011/4/11:想定外という言葉――東日本大震災から1か月

2011/3/28:見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)

2011/3/21:これは真正の非常事態だ

2005/1/17:阪神淡路大震災から10年

1998/5/15:阪神・淡路大震災と憲法

1998/1/19:阪神淡路大震災から3年

1997/2/4:いま、そこにある危機とは何か?(その2)

1997/1/28:いま、そこにある危機とは何か?(その1)

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