災害(地震、津波、原発、台風など)、特に東日本大震災・コロナウイルス感染症2019年型
2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語
2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2021/1/18:「複合災害」にいかに対処するか――国土交通省発足20周年に
2021/1/11:雑談(125)音楽よもやま話(27)コロナ禍のコンサート――早稲フィル第83回定期演奏会のこと
2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー
2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年
2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)
2020/12/7:雑談(124)コロナ禍の雑感2題――対面とオンライン+笹子トンネル事故から8年
2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本
2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと
2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい
2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から
2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて
2020/7/13:雑談(123)「140字の世界」との距離+親指シフト・キーボードの終わり?
2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?
2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ
2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない
2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ
2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告
2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに
2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために
2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本
2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点
2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法
2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走
2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」
2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」
2020/2/10:雑談(22)音楽よもやま話(26)早稲フィル創設40周年のこと
2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀
2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意
2019/12/2:雑談(121)「世界トイレの日」に寄せて――「れいわ」議員の初質問
2019/11/18:安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果
2019/10/28:>憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)
2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)
2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)
2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年
2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム
2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ
2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年
2018/12/31:安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年
2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語
2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録
2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)
2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))
2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震
2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?
2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ
2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖
2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」
2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも
2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に
2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年
2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/8/7:日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ
2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?
2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回
2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務
2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)
2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)
2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)
2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ
2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと
2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?
2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻
2014/11/3:安倍政権の「異次元の政策」――常に国民を置き去り
2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か
2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書
2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉
2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙
2013/12/16:権力の暴走が始まった日――第二次安倍内閣の1年
2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」
2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」
2013/7/8:被災地から考える参院選――震災遺構と復興予算
2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年
2013/02/18: 北東アジアの危うい現実――六カ国協議の再起動に向けて
2013/1/2:還暦の年を迎えて――激動の2013年への抱負
2012/11/12:「子ども国会」と「子どものケンカ国会」
2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア
2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化
2012/3/26:ゼミは「苗床」である――14期生を送る 2012/3/19:「復興」と「仮の町」――東日本大震災から1年(その2) 2012/3/12:学校被災――東日本大震災から1年(1) 2012/2/13:絆は「深める」ものなのか――政府言論・異聞 2012/1/2:「2012問題」の年頭に――「故郷を求める権利」 2011/11/28:田中正造と3.11と憲法 2011/11/7:早稲フィル(WPO) in 陸前高田&閖上 2011/10/3:漢字4つに要注意――「復興増税」 2011/9/12:「9.11」10周年から見えてくるもの2011/6/27:雑談(86)音楽よもや話(16)追悼音楽
2011/6/20:大震災の現場を行く(6−完)――大槌町吉里吉里
2011/6/13:大震災の現場を行く(5)――陸前高田の人々
2011/5/30:大震災の現場を行く(4)――南三陸、気仙沼、釜石等:被災地の自衛隊
2011/5/23:大震災の現場を行く(3)――石巻と大船渡:被災地における新聞
2011/5/16:大震災の現場を行く(2)――「避難所」になった女川原発
2011/5/9:「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)
2011/5/2:大震災の現場を行く(1)――郡山から南相馬へ
2011/4/25:原発のない社会へ――チェルノブイリから25年
2011/4/18:災害派遣の本務化へ――大震災と自衛隊(1)
2011/4/11:想定外という言葉――東日本大震災から1か月
2011/3/28:見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)