憲法 (一般、憲法史・憲法改正論も)


2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も

2024/3/4:今こそ「納税者の権利宣言」を――政治家に「納税の自由」はない

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/2/12:雑談(141)「食」の話(19)博多手一本「祝うてサンド」から考える

2024/2/5:政治家たちの「再犯」防止のために――底が抜けた日本政治

2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2023/12/04:安倍晋三の「野望の階段」の終わり――米ドラマ『ハウス・オブ・カード』を診る

2023/10/30:三笠宮崇仁と憲法9条――憲法制定過程における発言から

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/10/9:「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの――この国の民主主義に熟議はない

2023/9/4:長沼事件一審判決から50年――憲法9条2項が「在ること」の意味

2023/8/28:「憲法に固執する力」――小野梓の憲法構想

2023/8/21:「非正規」が歪めた社会――1995年財界報告書起草者の弁明

2023/8/14:大日本帝国も「自衛のための必要最小限度」?──戦後78年に問う「自衛」なるもの

2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?――岸田政権の暴走を止めるために

2023/7/24:雑談(139)今時の学生について(4)――1年導入講義(法学入門)を終えて

2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に

2023/7/10:マイナンバーカードは「日本人の在留カード」に?――ある外国人留学生の意見

2023/7/3:高額兵器爆買いの岸田政権の安全保障政策――いま、「現場」で何が起きているか

2023/6/26:解散権をもてあそぶ首相の「まさか」――議院内閣制の壊れ方

2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由

2023/6/12:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ・再論

2023/5/29:日本はE20(死刑執行国20カ国)の一つ――孤立する岸田政権

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/5/8:権力者が改憲に前のめりの奇妙な風景――「古稀の年」の憲法記念日講演

2023/5/1:19年前に改憲案を起草した統合幕僚長――憲法尊重擁護義務の射程

2023/4/24:わが歴史グッズの話(52)国会みやげの首相お菓子――2009年「秘密の太郎ちゃん」饅頭、再登場

2023/4/10:プーチンと親密な元首相は除名されなかった――ドイツ政党法と党員除名手続

2023/3/27:統一教会との関係は「大昔から」――最高機関の最低議長

2023/2/13:雑談(136)水島ゼミ25年間の最終回――セミナーリウム(苗床)物語(その2・完

2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」

2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/12/26:「壊された10年」――第2次安倍晋三内閣発足の日に

2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」

2022/12/5:統一教会の家族観に「お墨付き」――安倍晋三の置き土産

2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策

2022/11/14:「はんこ」と「ベルトコンベア」――法務大臣という職(その2)

2022/10/31:「「無知の無知」の突破力」考――第2次安倍政権発足10年を前に(その2)

2022/10/10:連立政権23年、公明党のディレンマ――安全保障と政教分離

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/26:「安倍国葬」と統一教会――自公政権の葬送狂騒曲

2022/9/19:「台湾でドンパチ、日本で戦争」?――台湾の大学院生の批判的応答

2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年

2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.

2022/8/22:雑談(132)「アラ古稀」の心境――「最終模擬講義」を終えて

2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返しに」?!

2022/8/1:「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権発足10年を前に(その1)

2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/7/11:安倍晋三銃撃事件――立憲政治の前提を壊した人物の死

2022/7/4:第4回参議院選挙の風景――「3分の1」の問われ方

2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?

2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に

2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年

2022/4/18:反戦デモは「グレーゾーン事態」か?――2020年陸幕記者説明資料と「60年安保と治安出動」

2022/3/14:戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層

2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明

2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?

2021/12/20:大学にガバナンス? ――「大学の自治」はどこへ

2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年

2021/11/29:武蔵野市住民投票条例の何が問題なのか――憲法蔑視の荒野

2021/11/15:日本学術会議問題の本質は何か――ニコラウス・クザーヌス「専門家-素人」相関の視点から

2021/11/8:「学問の自由」の危うい状況、さらに――「だから日本に帰らない」

2020/11/1: 自民と維新の「改憲連立」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その3)

2021/10/25:「10.31」、国民のもう一つの選択──最高裁判所裁判官国民審査

2021/10/18: 衆議院解散、その耐えがたい軽さ(その2・完?)――憲法蔑視9年の結末

2021/10/11:憲法をなめていませんか――岸田文雄内閣の発足にあたって

2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」

2021/9/20: 「アベなるもの」の終わりの始まり――回想2012年9月26日総裁選

2021/9/13:メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ

2021/8/30: 雑談(128)「断捨離」で再会した本のこと――『植木枝盛選集』

2021/8/2:「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史

2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文

2021/7/12:どうやったら投票率はあがるか―「マニフェスト」+「選択しない選択」

2021/6/28:夫婦同氏制と婚姻の自由――最高裁判例における反対意見の意味

2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」

2021/5/24:「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/5/3:究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74年

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係

2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語

2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性

2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2021/1/4:安倍晋三氏は議員辞職すべし(その3)――13年前の「直言」から

2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー

2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年

2020/11/30:日本議会史上の汚点ではないか――「黙れ」事件から82年

2020/11/23:公文書改ざん事件と「赤木ファイル」――衆議院「予備的調査」

2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて

2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本

2020/10/12:学問研究の自由の真正の危機――沈黙するなかれ

2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?

2020/9/28:議会におけるヤジ――日本とドイツの比較

2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から

2020/8/17:在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/8/3:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その3・完)――過大評価と過剰対応

2020/7/27:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)――法的、軍事技術的視点から

2020/7/20:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その1)――韓国との事前協議が必要

2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?

2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ

2020/6/22:イージス・アショアの「もったいない」(その2・完)―グローバル安保からスペース安保へ?「宇宙作戦隊」新編

2020/6/15:臨時会召集義務53条違反を問う判決+砂川事件調査官メモ発見――安倍首相の国会嫌い

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/5/25:ネバー・エンディング無責任――遠隔授業をやりながら考える

2020/5/18:検察庁法改正をめぐる政権の恣意――「法が終わるところ、暴政が始まる」

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ

2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/3/2:検察官の定年延長問題――国家公務員法81条の3の「盲点」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/1/27:公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの

2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く

2019/12/9:『戦争とたたかう』ということ――久田栄正没後30年

2019/11/25:首相の「責任」の耐えがたい軽さ―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ

2019/11/18:安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果

2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」

2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年

2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)

2019/10/7:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)

2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)

2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年

2019/9/2:憲法改正論議の「土俵」とは何か――安倍流「前提くずし」

2019/8/26:安倍色に染まった日本――なぜ日韓関係はここまで悪化したか

2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?

2019/8/12:ヴァイマル憲法100周年――「時代」と憲法の関係を考える

2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち

2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選

2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム

2019/7/15:逆走をいかに止めるか―憲法政治の「幽霊ドライバー」(その2)

2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/5/20:ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?

2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪

2019/5/6:「憲法にのっとる」のか、「憲法をのっとる」のか――安倍流改憲

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/4/22:なぜ、加計学園獣医学部にこだわるか――忘れてはならないこと

2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様

2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす

2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ

2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年

2019/3/4:「私は立法府の長」――権力分立なき日本の「悪夢」

2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用

2019/2/18:「フェイスブック宰相」は「フェイク宰相」――安倍晋三とネトサポ

2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年

2019/2/4:雑談(118)今時の学生たち(3)――16021人の「法学」受講生

2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって

2018/12/31:安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年

2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走

2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす

2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務

2018/11/19:「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から――歪められた行政の現場へ(その2)

2018/11/05:首相の「改憲扇動」の違憲性――「憲法改正の歪曲」

2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3)

2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅)(その2))

2018/10/08:憲法政治の危機のなかで――今関源成『法による国家制限の理論』

2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク

2018/7/30:ゆがめられた選挙法――総裁3選の手段に?

2018/7/9:「ゆがめられた行政」の現場へ―獣医学部新設の「魔法」

2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か

2018/6/4:「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国

2018/5/21:「安倍カラー」で空洞化する大学― ―入口から出口まで

2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して― ―映画「否定と肯定」と

2018/5/7:読売マッチポンプの罪― ―安倍流「憲法改ざん」と前木政治部長

2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件

2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法

2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも

2018/3/26:「いくらなんでも」政権の終焉へ――首相の「責任」とは

2018/3/19:「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を

2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に

2018/3/5:憲法改正のアベコベーション――「フェイク改憲」

2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」

2018/2/19:安倍政権と日本社会の「赤報隊」化

2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて

2018/1/29:首相の怪しい憲法理解と官房機密費

2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相

2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景

2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル

2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回

2017/12/25:「憲法違反常習首相」――安倍政権下の失われた5年

2017/12/18:わが歴史グッズの話(41)象徴天皇制を象徴するもの

2017/12/11:天皇退位めぐる法と政治――安倍流権力私物化はどこまでも

2017/12/4:議会は「民主主義の心臓」――ドイツ憲法政治のいま

2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年

2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに

2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)

2017/10/20:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって

2017/10/19:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その3)――憲法前文とその意義

2017/10/18:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その2)――「国家の三要素」は「謎の和製ドイツ語概念」なのか

2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義

2017/10/2:「自分ファースト」の翼賛政治――保身とエゴの「暴投解散」

2017/9/25:ヒトラー山荘とオーストリアのナチス強制収容所――中欧の旅(その3)

2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)

2017/8/28:映画「恵庭事件 知られざる50年目の真実」に寄せて

2017/8/21:憲法は究極の「岩盤規制」――安倍式改憲の最終コーナー

2017/7/31:公文書は「民主主義を支える知的資源」―公文書管理法1条

2017/7/17:『平和の憲法政策論』を世に問う――安倍改憲の時代に

2017/7/10:「即席の受け皿」の危うさ――東京都議選の効果

2017/7/3:「ねじれ解消」からの脱却――安倍「自爆改憲」を止める

2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて

2017/6/19:わが歴史グッズの話(40)――「特高」を必要とする「共謀罪」法

2017/6/12:介入と忖度――『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)

2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)

2017/5/29:「全く問題ない」内閣官房長官――「介入と忖度」の演出

2017/5/22:安倍晋三トルクメニスタン大学名誉教授の改憲論と大学論

2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに

2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと

2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年

2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野

2017/4/17:「立憲主義からの逃走」――ドイツとトルコの大統領

2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2017/3/27:「構造的忖度」と「構造的口利き」――「構造汚職」の深層

2017/3/13:韓国憲法裁判所による大統領弾劾審判――立憲主義と民主主義の相剋

2017/3/6:第96代内閣総理大臣の「恥ずかしい」政治言語

2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?

2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」

2017/1/30:「無知の無知」の突破力――安倍流ダブルスピーク/a>

2017/1/23:トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年

2017/1/16:わが歴史グッズの話(39)――「靖国合祀遺族セット」

2017/1/9:「憲法くん」の古稀――日本国憲法施行70年へ

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/12:カジノ賭博解禁法案の闇と影――この国に国会はないのか

2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に

2016/10/24:「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)

2016/10/10:憲法97条は条文整理の対象にならない――「アベコベーション」の日本へ

2016/10/3:2つの「ドイツ統一の日」――欧州の揺らぎのなかで

2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く

2016/9/5:連邦憲法裁判所に入る――建物の軽さと存在の重さ

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)

2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読

2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙

2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz

2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ

2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち

2016/5/23:雑談(112)ドイツの生活(1)トイレ編――トイレの話(その3)

2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)

2016/4/11:「自由」と「安全」と――ドイツからの「直言」(2)

2016/3/28:きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ

2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章

2016/3/14:子どもの情景――アベノミクス「出生率1.8」と待機児童問題

2016/3/7:憲法研究者と安保関連法――元最高裁判事・藤田宙靖氏の議論に寄せて

2016/2/29:「軍」の自己主張――帝国憲法の緊急事態条項と「2.26事件」80周年

2016/2/22:権力の私物化と「生業としての政治」

2016/2/15:会計検査院と特定秘密保護法――憲法90条の今日的意義

2016/2/1:ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」

2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ

2015/1/18:「直言」19年、1000回――さまざまな反響

2015/1/11:メディア腐食の構造――首相と飯食う人々

2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び

2015/12/28:立憲主義が問われた年――2015年の終わりに

2015/12/21:介入三昧・安倍的「国家先導主義」――賃上げから「就活」まで

2015/12/14:「歴史の危機」のなかで――「直言」1000回記念 

2015/11/9:「沖縄処分」――安倍政権による地方自治の破壊 

2015/11/2:「1000分の1程度の解釈改憲」と憲法学

2015/10/26:臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反

2015/10/12:お友達政治の頽廃――安倍乱造内閣

2015/10/5:国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか

2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト

2015/9/21:安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよ

2015/9/14:気分はすでに「普通の軍隊」――アフリカ軍団への道?

2015/9/7:55年目の国会前の風景――「民主主義ってなんだ! 」

2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果

2015/8/24:「平成の三矢作戦研究」――統幕部内資料の既視感

2015/8/17:「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話

2015/7/30:緊急直言 「先制攻撃」と「先に攻撃」を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために

2015/7/27:NHK憲法研究者アンケートのこと――合憲・違憲の決着はついている

2015/7/20:「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!――安倍政権の傲慢無知

2015/7/13:集団的自衛権は「自然権」ではない――「合憲」学者の謬説

2015/7/6:「違憲立法」成立に加担する維新の党――「独自案」の本質

2015/6/29:95日間の会期延長――「衆議院の超越」は二院制の否定

2015/6/22:「憲法の番人」とは誰か――高村正彦弁護士に問う

2015/6/15:安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」

2015/6/8:「自衛隊員のリスク」と「国民のリスク」

2015/6/2:緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)

2015/6/1:外国領土での抗命の処罰規定を新設――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その1)

2015/5/25:子どもを米国の戦争で死なせない――女性週刊誌と安保法制

2015/5/18:再び、憲法研究者の「一分」を語る――天皇機関説事件80周年に

2015/5/11:戦後70年の憲法記念日――「安倍カラー」に抗して

2015/5/4:「つぶやき民主主義」の陥穽

2015/4/27:協議の中身は「例外なき事後承認」――『ライブ講義』を応用して嘘を見破れ

2015/4/20:「新要件」から「新事態」?――箍が外れた安保法制論議(3)

2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)

2015/4/6:「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して

2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)

2015/3/23:日本型文民統制の消滅――箍が外れた安保法制論議(1)

2015/3/16:参議院で「憲法とは何か」を語る

2015/3/9:安倍首相の「責任」の意味を問う――人質殺害事件

2015/3/2:「武器等防護」で米軍も守る?――安保法制論議の迷走

2014/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2015/1/19:雑談(109)「食」のはなし(18)ゼミ「おでん会」の10周年

2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)

2015/1/5:年のはじめに「憲法97条のはなし」

2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣

2014/12/1:総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す

2014/11/24:「安倍晋三解散」の異様な風景

2014/11/17:「念のため解散」は解散権の濫用か

2014/11/3:安倍政権の「異次元の政策」――常に国民を置き去り

2014/9/22:雑談(107)米倉斉加年さんのこと

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か

2014/8/18:「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)

2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか

2014/8/4:「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ/a>

2014/7/28:答弁を引き出す国会質疑を――31年前の公明党市川雄一議員の例

2014/7/21:公明党の「転進」を問う

2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」

2014/7/7:「7.1事件」――閣議決定で「憲法介錯」

2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書

2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」

2014/6/16:憲法が「根底からくつがえされる」――正念場の公明党

2014/6/9:大学を職業教育の場に?!――「傲慢無知」政権の大学政策

2014/6/2:学問の自由が危ない――広島大学で起きたことへの憲法的視点

2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換

2014/5/12:自己抑制を失った安倍政権――憲法施行67周年に

2014/5/5:「学長が最高責任者だ ! 」――学校教育法改正で変わる大学

2014/4/28:集団的自衛権行使はいかなる「結果」をもたらすか

2014/4/21:集団的自衛権行使を国民は支持していない――最近の世論調査

2014/4/14:「戦死者を出す覚悟」?――自らは決して「戦場」に赴くことのない政治家の勇ましさ

2014/4/7:「禁じ手」破り――武器輸出三原則も撤廃

2014/3/24:「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴

2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉

2014/2/24:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策

2014/2/10:安倍色に染まる日本――「ねじれ」解消の果てに

2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に

2014/1/20:辻井喬さんと品川正治さんを悼む

2014/1/6:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その1)

2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ

2013/12/16:権力の暴走が始まった日――第二次安倍内閣の1年

2013/11/25:過度の厳罰化と「象徴立法」――自動車運転死傷行為処罰法

2013/11/11:皇后と山本太郎議員の憲法感覚

2013/10/28:特定秘密保護法の不特定性と有害性

2013/10/21:国民投票有権者だけ18歳以上に?――『はじめての憲法教室』発刊に寄せて

2013/9/23:「ダイヤモンド安保」と「価値観外交」

2013/9/9:沖縄は「中国の防波堤」?―「核心的利益」と「死活的利益」

2013/8/19:「フェイスブック宰相」の靖国参拝

2013/8/12:憲法9条効果のリアル――「国防軍」改憲は時代錯誤

2013/8/5:秘密保全法は何を守るのか―スノーデン事件が問うもの

2013/7/29:「ねじれなくなった政治」の先に――海兵隊と軍法会議

2013/6/24:自衛隊と「サンダーバード」――国防軍でなかったからこそ(2)

2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)

2013/6/10: 国防軍でなかったからこそ―イラクで死者ゼロの理由

2013/6/3:『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)

2013/5/27:「96条の会」発足―立憲主義の定着に向けて(1)

2013/5/20:SF政治(催眠政治)にご用心――「アベノミクス」とTPP

2013/5/13:「憲法デマゴーグ」の96条改正論

2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ

2013/4/29:権力者は「9」のつく憲法条文がお嫌い?――9・19・59・90・92・94・96・97・99条

2013/4/15:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

2013/4/1:「憲法96条研究会」と選挙無効判決

2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視

2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年

2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?

2013/01/28:アルジェリア人質事件をどう考えるか

2013/01/21:わが歴史グッズの話(34)警察予備隊63周年――なぜ国防軍なのか

2012/12/31:「憲法突破・壊憲内閣」の発足

2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙

2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/12/3:3.11と総選挙――岩手県沿岸部再訪

2012/11/26:シロアリ取りがシロアリに――復興予算

2012/11/19:違憲状態の総選挙――「近いうちに解散」の結果

2012/11/12:「子ども国会」と「子どものケンカ国会」

2012/11/5:憲法理論研究会と鈴木安蔵のこと

2012/10/29:「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・

2012/10/22:首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1)

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/9/24:改憲への「大連立」――『毎日』憲法世論調査への疑問

2012/9/17:権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル

2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完) 2012年9月10日

2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと

2012/8/27:攻め込んでいく防犯?――「安全・安心社会」の盲点(2)

2012/8/20:監視カメラは何を監視しているのか――「安全・安心社会」の盲点(1)

2012/8/6:大学の文化と「世間の目」

2012/7/30:選挙法は憲法違反――ドイツ連邦憲法裁判所判決

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2012/7/16:日米安保を揺るがすオスプレイ

2012/6/18:防衛大臣における「文民」と「民間人」

2012/5/7:憲法施行65周年と自民党「憲法改正草案」

2012/4/9:ミャンマー2008年憲法をどう診るか

2012/4/2:憲法改正の動向――日弁連憲法委員会での挨拶

2012/2/20:大阪市職員アンケートは何が問題か

2012/2/13:絆は「深める」ものなのか――政府言論・異聞

2012/1/23:最高裁は変わったか――「君が代訴訟」判決と裁量統制

2012/1/2:「2012問題」の年頭に――「故郷を求める権利」

2011/12/05:憲法審査会「そろり発進」――震災便乗型改憲

2011/11/28:田中正造と3.11と憲法

2011/10/3:漢字4つに要注意――「復興増税」

2011/6/6:「君が代起立条例」と最高裁判決

2010/11/22:司法書士と憲法

2010/9/6:気象と政治の異常――2010年夏

2010/6/28: 税金について語る「作法」―‐北野先生のこと

2010/5/24:「政治主導」と憲法改正

2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年

2010/2/8:政教分離原則が問われるとき

2010/1/11:なぜ法制局を排除するのか ―― 歪んだ「政治主導」

2009/6/1:ドイツ基本法60周年に寄せて

2009/5/4:国民投票を好む権力者たち

2009/4/20:あの法律の施行日が近づいているけれど

2009/1/12:末尾"9"の年と憲法

2008/11/3:憲法と18歳

2008/5/5:憲法施行61周年と「直言」600回

2008/4/7:立憲主義と民主集中制

2008/3/10:「忘却力」と憲法

2007/7/30:「悪質リフォーム」にご用心

2007/5/21:この附帯決議は立法史上の汚点

2007/5/14:わが歴史グッズの話(23)憲法施行60年

2007/5/3:特別直言 憲法施行60周年と「体制転換」?

2007/4/16:権力者が改憲に執着するとき

2007/3/19:憲法96条と国民投票法

2007/1/8:憲法研究者の「一分」とは(その2・完)

2007/1/1:憲法研究者の「一分」とは(その1)

2006/11/6:日本国憲法公布60周年の日に

2006/3/13:憲法前文の行方

2006/1/2:憲法公布60年の年頭に

2005/12/19:「押しつけConstitution」の効果

2005/11/7:どこが「新憲法」なのか

2005/9/12:台風下のゼミと「九十九島と九+九十九条」のこと

2005/8/8:自民党新憲法草案を診る

2005/7/18:憲法の「トリビア」話

2005/6/13:雑談(42)引越の効用――書物との再会

2005/5/2:「憲法九章の会」報告書を診る

2005/4/18:「国民的憲法合宿」のこと

2004/12/20:自衛官の改憲構想と立憲政治

2004/5/10:読売改憲試案の勘違い

2004/5/3:たかが憲法、されど憲法

2004/3/15:改憲論を論ず

2003/12/29:年末の憲法談義

2003/8/4:憲法調査会参考人の「君」付け

2003/5/19:憲法記念日と民主党の「転進」

2002/5/6:憲法施行55周年は岡山市で――安全より自由を

2002/1/21:権力者が「常識」を説くとき

2001/5/1:緊急直言 バブル総理の「ちょこっと改憲」論

2001/1/1:21世紀の「ほら話」

2000/12/25:「世に単によい政府なし」(植木枝盛)

2000/11/5:「憲法愛国主義」について

2000/8/28:46対0でドイツの勝ち?

2000/5/8:読売改憲2次試案の狙い

2000/3/6:基本法は押しつけ憲法か?

2000/1/17:憲法調査会が動きだす

1999/8/30:芦部信喜先生のこと

1999/5/30:基本法50年と直接民主制

1999/5/10:戦時下の基本法(その2)

1999/5/3:戦時下の基本法50周年(その1)

1998/5/3:憲法施行51周年に寄せて

1997/6/2:基地内の村役場と憲法

1997/5/5:憲法施行50年行事を終えて

1997/1/18:改憲の先頭に立つ「巨人」新聞社

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