歴史・「わが歴史グッズ」
2024/9/9:自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?
2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など
2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会
2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足
2024/5/27:ドイツの「憲法記念日」(その2・完)――「防御的民主制」が焦点に
2024/5/20:ドイツの「憲法記念日」(その1)――フランクフルト憲法175年とボン基本法75年
2024/5/6:憲法記念日に朝ドラ『虎に翼』を見る――日本国憲法施行77年に
2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題
2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も
2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に
2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して
2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括
2024/1/1:「次世代」と広島を訪れ、ヒロシマを考える―2024年の抱負
2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年
2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪
2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)
2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景
2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”
2023/11/6:雑談(140)牧野富太郎と水島正美――NHK連続ドラマ「らんまん」を契機に
2023/10/30:三笠宮崇仁と憲法9条――憲法制定過程における発言から
2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは
2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に
2023/10/2:「平和憲法のメッセージ」の持続的発展のために――読者の皆さまへのお願い
2023/9/11:ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではなかった――障害者から女性同性愛者まで
2023/8/28:「憲法に固執する力」――小野梓の憲法構想
2023/8/14:大日本帝国も「自衛のための必要最小限度」?──戦後78年に問う「自衛」なるもの
2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?
2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?――岸田政権の暴走を止めるために
2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に
2023/7/3:高額兵器爆買いの岸田政権の安全保障政策――いま、「現場」で何が起きているか
2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由
2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」
2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー
2023/5/8:権力者が改憲に前のめりの奇妙な風景――「古稀の年」の憲法記念日講演
2023/4/24:わが歴史グッズの話(52)国会みやげの首相お菓子――2009年「秘密の太郎ちゃん」饅頭、再登場
2023/4/17:雑談(138)音楽よもやま話(33)「チェコ事件」とチェコフィル――非暴力抵抗を続けた『わが祖国』
2023/4/10:プーチンと親密な元首相は除名されなかった――ドイツ政党法と党員除名手続
2023/4/3:雑談(137)70歳に思う――「直言」連続更新1385回
2023/3/27:統一教会との関係は「大昔から」――最高機関の最低議長
2023/3/20:わが歴史グッズの話(51)イラク戦争から20年――もう一つの侵略戦争
2023/3/13:戦で死ぬ兵たちのこと――「その他大勢」の思想
2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)
2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス
2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」
2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年
2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で
2022/12/26:「壊された10年」――第2次安倍晋三内閣発足の日に
2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策
2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く
2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年
2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年
2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀
2022/9/26:「安倍国葬」と統一教会――自公政権の葬送狂騒曲
2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀
2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.
2022/8/22:雑談(132)「アラ古稀」の心境――「最終模擬講義」を終えて
2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に
2022/8/1:「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権発足10年を前に(その1)
2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬
2022/7/4:第4回参議院選挙の風景――「3分の1」の問われ方
2022/6/20:アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは
2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ
2022/5/30:NATO「北方拡大」は何をもたらすか──「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相
2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感
2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?
2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年
2022/4/18:反戦デモは「グレーゾーン事態」か?――2020年陸幕記者説明資料と「60年安保と治安出動」
2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」
2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち
2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場
2022/3/21:「大本営発表」はロシアだけではない──メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」
2022/3/14:戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層
2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明
2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル
2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか
2021/12/13:『彼は早稲田で死んだ』――早大川口君事件50年を前に
2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年
2021/10/25: 「10.31」、国民のもう一つの選択──最高裁判所裁判官国民審査
2021/9/6:アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年
2021/8/30: 雑談(128)「断捨離」で再会した本のこと――『植木枝盛選集』
2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回
2021/8/9: 雑談(127)映画『お名前はアドルフ?』――「ホロコースト」をコントにする日本へ
2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020
2021/7/5:身近な戦争体験から考える――「蘆溝橋事件」84周年を前に
2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」
2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」
2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に
2021/5/3:究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74年
2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点
2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ
2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法
2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾
2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2020/11/30:日本議会史上の汚点ではないか――「黙れ」事件から82年
2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの
2020/10/19:科学者が戦争に協力するとき――「科学技術非常動員」文書から見えるもの
2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?
2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい
2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗
2020/5/18:検察庁法改正をめぐる政権の恣意――「法が終わるところ、暴政が始まる」
2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法
2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」
2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」
2019/12/16:わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)
2019/12/9:『戦争とたたかう』ということ――久田栄正没後30年
2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」
2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年
2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)
2019/10/07:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)
2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年
2019/8/12:ヴァイマル憲法100周年――「時代」と憲法の関係を考える
2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち
2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム
2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港
2019/6/3:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(2–完)
2019/5/27:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(1)
2019/5/20:ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?
2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様
2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ
2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年
2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」
2019/1/21:防空法の「逃げるな、火を消せ」に抗して――松山、大垣、八王子の空襲
2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって
2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務
2018/11/26:「過去の克服」のかたち――ノイエンガンメ強制収容所 (北ドイツ・デンマークの旅(その4・完))
2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録
2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3))
2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))
2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ
2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク
2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か
2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの
2018/5/28:武蔵野の空襲と防空法――「わろてんか」の「建物疎開」にも触れて
2018/4/30:わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ
2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件
2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法
2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも
2018/3/26:「いくらなんでも」政権の終焉へ――首相の「責任」とは
2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊
2017/12/18:わが歴史グッズの話(41)象徴天皇制を象徴するもの
2017/12/11:天皇退位めぐる法と政治――安倍流権力私物化はどこまでも
2017/11/13:雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪――中欧の旅(その6・完)
2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017/10/20:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって
2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義
2017/10/2:「自分ファースト」の翼賛政治――保身とエゴの「暴投解散」
2017/9/25:ヒトラー山荘とオーストリアのナチス強制収容所――中欧の旅(その3)
2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)
2017/9/11:ハンガリー国境の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の現場へ――中欧の旅(その1)
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて
2017/6/19:わが歴史グッズの話(40)――「特高」を必要とする「共謀罪」法
2017/6/12:介入と忖度――『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)
2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)
2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと
2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年
2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野
2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ
2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日
2017/1/23:トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年
2017/1/16:わが歴史グッズの話(39)――「靖国合祀遺族セット」
2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年
2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?
2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9
2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に
2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒
2016/10/24:「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)
2016/10/17:「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」
2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回
2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く
2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)
2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務
2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)
2016/8/1:ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)
2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)
2016/7/18:「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える
2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙
2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz
2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ
2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に
2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)
2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章
2016/2/29:「軍」の自己主張――帝国憲法の緊急事態条項と「2.26事件」80周年
2016/2/8:雑談(111)映画「野火」をみる――戦争のリアル
2015/12/28:立憲主義が問われた年――2015年の終わりに
2015/12/14:「歴史の危機」のなかで――「直言」1000回記念
2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?
2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果
2015/5/18:再び、憲法研究者の「一分」を語る――天皇機関説事件80周年に
2015/5/11:戦後70年の憲法記念日――「安倍カラー」に抗して
2015/4/20:「新要件」から「新事態」?――箍が外れた安保法制論議(3)
2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)
2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)
2015/3/2:「武器等防護」で米軍も守る?――安保法制論議の迷走
2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く
2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)
2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階
2014/12/1:総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す
2014/11/10:「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀――1年ゼミ生の視点
2014/10/20:わが歴史グッズの話(36)日独伊三国同盟――「ともに血を流す関係」
2014/10/6:NHK連ドラ「花子とアン」と防空法――大阪空襲訴訟最高裁決定にも触れて
2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?
2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か
2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか
2014/8/4:「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ/a>
2014/6/2:学問の自由が危ない――広島大学で起きたことへの憲法的視点
2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換
2014/5/5:「学長が最高責任者だ ! 」――学校教育法改正で変わる大学
2014/3/31:雑談(105)今時の学生たち(2)――大学に生徒会?
2014/3/17:NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」と防空法
2014/2/17:『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと
2014/2/10:安倍色に染まる日本――「ねじれ」解消の果てに
2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ
2013/12/23:雑談(103) サークル会長というお仕事――早大公法研究会
2013/9/9:沖縄は「中国の防波堤」?―「核心的利益」と「死活的利益」
2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)
2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ
2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視
2013/3/11:わが歴史グッズの話(35)艦砲と空襲の破片、そして原爆瓦
2013/1/21:わが歴史グッズの話(34)警察予備隊63周年――なぜ国防軍なのか
2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙
2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」
2012/10/22:首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1)
2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)
2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと
2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣
2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年
2011/8/15:退去を禁ず――大阪空襲訴訟で問われたこと
2009/11/23:わが歴史グッズの話(30) くらま&あたご etc.
2009/11/9:「ベルリンの壁」崩壊20周年――世界の西と東の風景
2009/4/13:「関東防空大演習を嗤ふ」と「国民の立憲的訓練」
2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年
2009/1/26:わが歴史グッズの話(29) 合衆国大統領のグッズ
2008/12/15:わが歴史グッズの話(28) 裁判員と自衛官のキャラクター
2008/9/22:わが歴史グッズの話(27)幻の第12回オリンピック東京大会
2007/5/14:わが歴史グッズの話(23)憲法施行60年
2006/12/11:わが歴史グッズの話(21)艦砲射撃の「証」
2006/3/27:わが歴史グッズの話(20)戦場の手鏡と「大和」
2006/2/13:わが歴史グッズの話(19)♪話しあいのマーチ♪
2006/1/16:わが歴史グッズの話(18)「その時」の新聞を読んで
2004/5/17:わが歴史グッズの話(13)サミットリカちゃん
2002/6/10:わが歴史グッズの話(6)「アシアナから」
2001/12/24:わが歴史グッズの話(3)米軍ハンドブック
2001/9/10:わが歴史グッズの話(1)衆院選入場券・貴族院傍聴券
1999/11/15:「壁」がなくなって10年(その2・完)